第32話 エルフ秘伝 魔法の湿布薬と偽る

 ふたりは愕然としながら宿の玄関を出る。鳥車の荷台には採集した葉の山があと二袋分もある。大きなため息が自然と溢れ出た。


「てか、これどうするん?」

「まさか山を下りた所の生活圏が、羊毛を使って尻を拭いていたとはな」

「ちょっと事前調査と全然違うんですけど、おじさんッ!」

 アイナが両の頬を膨らます。


 諦めずに、他の宿や飲食店などを回ったが、売れたのはわずかばかりで、大半が売れ残った。


 日も傾きはじめ、カラスの鳴き声が遠くから聞こえる。

「結局今日の売上、三百ビットだけ。こんなランチ代にもなれへんやん」

 アイナが文句を垂れ流す。そんな彼女の愚痴を聞き流しながら、人の往来を見ているときに、ある建物があることに気が付いた。

「アイナ、あそこは何だと思う?」


 ティリオンが指を差したその先には、ステンドグラスをはめ込んだ白壁の洋館で、最初は教会かと思われた。しかし、十字架のような一目でわかりそうなモニュメントもない。何よりホテル並みに建物が大きく、先ほどから頻繁に人が出入りしている。


「おじいちゃんおばあちゃんばっかりやから、老人ホームかなって思ったんやけど、なんか包帯巻いてる人もおるから……病院ちゃうかなぁ?」

「——病院か」

 ティリオンの頭の中で良いアイデアが閃いた。

「アイナ、ひょっとしたらこれ全て売りさばけるかもしれないぞ」



 思った通りこの建物は病院であった。

 院内でもっとも権威を持つ人に出会えたのは幸運だった。


 エルフ族がふたりもやってきた、しかも種族に伝わる「秘伝の薬」を持参とあれば無視するわけにもいかないと、院内ではちょっとした騒ぎになった。


 応接の間に通されたふたりは、例の葉の入った麻袋を持ちこんだ。

 果物が載るテーブルと豪奢なソファに座らされたアイナは、居心地が悪くそわそわして落ち着かない。それをティリオンが頬をつねって制する。

「もっとエルフ族らしく雄大に振る舞え」と、耳打ちをする。


「今日わたくしどもが参りましたのは、是非ともこちらの品をお求めいただきたく行商に参った次第です」


 医師たちがテーブルの上を覗き込む。取り出したのは例の葉だ。宿の亭主に見せたものと何ら変わりは無い。だが、これらにティリオンは魔法による細工を施した。


「痛みを和らげる魔法を施してあります。これを……湿布薬と言います」

 医師たちの間から声が漏れた。そして各々が手に取り、実際に自身の肌に当ててみる。


「この湿布薬は打ち身に貼れば冷却し患部の炎症を抑えます。逆に腰や膝などの関節の痛みには、患部を温める魔法を施しており、血行が良くなる効能を秘めております」


 アイナは素直に感心した。病院に入る前に、杖を使って葉の入った麻袋に魔法を掛けていたことを知っていた。しかし、このようなことになっているとは思っていなかったのである。


「いかがでございましょう? エルフ秘伝の湿布薬の効能は?」

 医師たちの表情は穏やかだ。誰もがうなずきながら湿布薬の効能を実感している。


 商談成立は目前のように思えた。——ところが

「ご存知ないかもしれませんが、湿布薬は大昔からございますのよッ!」

 応接間の扉が開くと、気忙しい足音が能弁に鳴る音が聞こえた。。その場にいた誰もが振り返り、扉の方に視線を移動する。室内の雰囲気がガラリと変わる。


「医院長ッ!」

 白髪を頭頂部で団子のようにまとめ上げ、眼鏡を掛けた小うるさそうな老女医が、つかつかとティリオンたちの前に現れた。他の医師たちが、彼女の権力に気圧されてかしこまっているのをティリオンは感じた。嫌な予感が彼の心の中を支配する。


「湿布薬など大して珍しい物ではないのですよ」

 女医は吐き捨てるように言った。


(うわッ、めっちゃ感じ悪そうなおばあさんやん)

 アイナは心の中で呟いた。


「ええ、勿論存じております。ただ既存の湿布薬とは、紙に水と油と酢それに酒を混ぜた外用薬を塗り付けるものです。非常に手間であり何より費用がかさみます。それに比べ葉を使った湿布薬は費用の面はもちろんのこと、それ自体で薬としての効能を持つため、貼付はりつけも破棄も簡単にできます」


「葉を利用するのは費用の面だけですか? 正直申し上げて、野山で採取された葉を肌に貼るなど、気持ち悪くてできませんことよ」

 女医が反論する。


「葉を利用したのは特別な理由がります。魔法の効果を持続させるためには、生命に術式を宿らせる意味があります。葉に流れる葉脈ようみゃくがその術式を記憶し、効果の持続性と保管性を高めるのです。ついでに申し上げれば、しっかりと天日干ししております。もし今後もお取引をしていただけるのなら、さらに燻蒸くんじょうも併せて行うようにしましょう」

 ティリオンの回答は完璧だった。


 女医は訝りながらもその湿布薬を手にし、自身の腕に貼ってみる。じんわりと腕が温まり、うたい文句の効能に偽りはなかった。


 しかしである。

(この男と女の素性が怪しい。この地で長年医院長を務めるこのわたくしの目を誤魔化すことなんて、できませんことよッ!)


 医者としての勘がこのふたりは偽物であると告げたのだ。

 医師たちはティリオンの説明を聞いて何度も頷き、商談が成立しそうな雰囲気をかもし出していた。それをこの女医が鶴の一声を上げ、その流れを断ち切った。


「誠に申し訳ないのですが、あなたがたの素性を詳しく調べさせていただけませんこと?」


 場の空気に再び緊張が走る。医院長の言うことは絶対だ。誰も不平を漏らす者などいない。女医はふたりの身辺調査をすると言い出したのだ。

「?」


「確かに、あなたがたの持参した湿布薬はとても良いものだと思います。しかし、それを扱う人の素性が知れないということは、商品の信頼性が揺らぐことにも繫がるとはお思いになりませんこと? ティリオンさん?」

 この一言で楽観ムードは瞬時に霧散むさんした。「それとも、素性をお調べして何か不都合でもおありかしら?」


「後学のためにお聞かせください。なぜ我々の素性が怪しいと思われるのでしょうか?」


「格式高い始祖のエルフ族と闇落ちしたと言われるエルフ族の末裔。同じ祖を持つも、長い歴史の中でたもとを分かつあなた方ふたりが、共に行動し行商に出るなど、天と地がひっくり返ってもありえない話。これをどう説明されますの?」


 ティリオンは黙って彼女の話を聞いていた。ハイエルフとダークエルフの関係が、それほど剣呑けんのんだとはついこの時点まで知らなかったのである。

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