第2話 エルフの付け耳

 ふたりは山の斜面を上がりきると尾根を横断するように駆けた。やがて浅い谷間に出るとそこには予想通り川が流れていた。小走りで駆け寄り身をかがめ、口の中を川の水で湿しめらせる。


「アイナ、沢だぞ」

 ティリオンは振り返りながら言った。追跡者は諦めてもう追ってこないようだ。

「少しここで休もう」


 岩の段々を流れる川の水に両手をつけ、すくった水で顔を洗う。アイナも彼と同じような行動を取った。


「俺たちが元の世界から転送されることを知っていた者がいたと仮定する。そいつらは俺たちの着ている物、荷物をお宝として狙おうとしていたとすれば、この襲撃も合点がてんがいく。つまりは山賊だ」

 ティリオンは隣で顔を洗っているアイナに話しかけた。


「じゃあ追いかけてこなくなったんは、ウチのバッグが目当てやったってこと?」

「かもしれんな」

「言われた通りエルフに変装しているのに?」

「そうだ」


「ヒハァ~」

 アイナが大きなため息を吐いた。

「てか、こんな『尖った付け耳』をしたかて、おじさんはスーツにリュック姿。ウチはTシャツにホットパンツにニーソックス。どっからどうみてもコッチの世界の人間やないわな、エルフなのに」


 Tシャツのすそまくり、その布地で顔を拭く。へその辺りに埋め込まれていたピアスがキラリと光る。


「そうかな。俺の鼻の高さ、白い肌、そして金色に染め上げ撫でつけた長髪はどっからどう見ても、ハイエルフだと思うがな」

「そんなサラリーマンみたいなエルフがおるかいッ!」

 アイナが激しくティリオンの肩をバシッと叩いた。


「シッ!」

 唇に人差し指を当て、周囲をうかがう。神経をとがらせたティリオンのアンテナに何かが引っかかる。「アイナ、さっき草花がこすれる音がしなかったか?」


「え? 草が擦れる音? 山賊が忍び寄ってきたってこと?」

「いや、それならすでに矢での攻撃を受けている」

 そんなやり取りをしている内に、わずか十メートル先の茂みがガサガサと音を立てて揺れた。今度はかなり大きな音だ。

「エエ——」

 アイナが叫びそうになるのをティリオンは手で口を押えた。「モゴモゴモゴ……」

「ああ、あれは……」

 ティリオンが小声で耳元にささやいた。「熊だ」

「!?」

 口をふさがれたまま小刻みに体を揺らす。


「声を出すな」

 ティリオンの指示にアイナは何度も頷いた。


 塞がれていた口からそっと手が離れる。水中から顔を出したかのように、アイナは何度も息を吸った。だが、その呼吸すらすぐに忘れてしまう。目と鼻の先に巨体を揺らしながら近づいてくる熊が、目の奥に飛び込んできたからだ。


「に、逃げたほうがエエんとちゃうか?」

「いや、熊は時速六〇キロで走ることが出来る。そもそもこんな入り組んだ地形じゃまず逃げ切れない」

「じゃあどないするん、死んだふりでもするんか?」

 アイナが涙目になってなげく。


「それは迷信だ。いいかアイナ。まずは熊から目を離さない、それが肝心だ。それからゆっくりとこの場を離れる」


 熊も人間を警戒していた。

 ただティリオンたちが転送された最初の地、アムル山はいろんな種族・動物が生息する。何よりこの個体は好奇心が旺盛だった。

 興奮を抑えきれず、草花を踏みつけ、体を左右に揺らしてティリオンたちに近づいていく。


 迫り来る脅威を目の前に、ティリオンの頭の中に妙案が浮かんだ。


「アイナ、お前のいているその長い靴下を脱げ」

 ティリオンが視線とあごの先で彼女のニーソックスを指し示した。

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