第19話 夢の中での3つの制約

 その日は風呂に入った後、ふたりともすぐに就寝した。


「風呂言うたかて、どうせドラム缶風呂なんやろ?」

 とアイナはタカを括っていたが、案内されたホームの風呂が豪華なひのき風呂だと知って歓喜した。風呂の意匠はダイモンが考えたという。


「日本人の風呂好きをなめんなよ!」

 と彼の得意げな表情が印象的だった。


 ティリオンは心地良い疲れが心身を包み込み、ベッドに横たわるとすぐに熟睡した。 



 ——就寝中のこと。

 彼の身に変わった出来事が起きた。

 ティリオンは軽い寝息を立て寝ていた——はずであった。


 急に目が覚めると、地平線の限りを支配した白い雲と、抜けるような広大な青空が眼前に広がっていた。そして自身は鏡のように全ての景色を反射させる水面の上に立っている。そう、ボリビアにあるウユニ塩湖のように。


 ティリオンはこれが夢の中だとすぐに悟った。だが、何の変化も起きることなく、ただ時間だけが経過していく。まるで約束をすっぽかされた人のように、茫然と突っ立っている状態が続く。


 そこへ前方から黒いコートとフードをまとった者が、湖面を滑るようにして歩いてくる。

 ティリオンの二メートルほど手前で止まると、その者がおもむろにフードを取った。


「法務省出入国在留管理庁局長……堂家?」


 夢の中に、かつて自身を稀代の詐欺師と称した政府高官が目の前に現れた。

「これはこれはティリオンさん、ご無沙汰しております。お会いするのは約一ヶ月ぶりでしょうか? 今朝はせっかくの門出にお見送りできなくてどうもすいません」

 堂家は慇懃いんぎんに頭を下げた。


「どうしてあんたがここに出てくる?」

 そう質問しながらティリオンは、自分でもおかしなことを言っていると気が付いた。ここは夢の中だから、誰が出てきても不思議ではない。夢の中の出演の権利など、誰にでも与えられるのだから。


「その質問にお答えする前に、まずここがどこであるかをご説明したいと思います」

「説明も何も俺の夢の中だろう」

 堂家が低い声で笑い、

「性急ですよティリオンさん。時間はたっぷりある。ゆっくりいきましょう」

 と余裕のある態度を見せた。


 ティリオンは周囲を見渡した。

 本当にこれは夢なのか? 太陽が頭上で輝き、光源から放たれ光の筋が、水面に全てを映し出す。美しいとは思ったが、心の中が騒ついて風景を楽しんでいる余裕などない。


「ここがどこであるかというと、あなたの夢であることに違いはありません。しかしながら通常の夢と違う点は、あなたが無意識に見ているものではなく、我々が強制的に見せている夢であるという点です」

「どういうことだ?」

「以前こう申し上げたのを覚えておいでですか? 『異世界の有益な情報を現地から送っていただけるような開拓者を、我々は探し求めているのです』と」


 その言葉にティリオンは聞き覚えがあった。おそらく面接を受けた者全てが、その説明を受けていたはずだ。


「その情報を送信してもらう場が、まさにこの瞬間なのです」

「夢を介して情報の伝達を行うということか?」


「そうです。移民者から我々に情報を送信することを『アップロード』、こう呼びます。逆に我々から必要な情報をあなた方に提供することを受信、『ダウンロード』と呼びます。もっとも、こちらからお教えすることは何も無いのですが」


「教えることは何も無いとはどういう意味だ?」


「言葉通りです。あなたがたはもう元の世界のことなど微塵も興味ないでしょ? ただどうしても知りたいこと、例えば『異世界で美味しいパンを焼く方法』を知りたかったとしましょう。従来の生活でしたらネットで検索して、記載事項をそのまま実践する、という手順が生まれたはずです。でもそれが今はできない」


「ネット環境は異世界でも整っていると聞いたが」

「使ってみれば分かります。詳しくはありませんが、通信機器としてはともかく、通信媒体や検索エンジンは未熟だとうかがっております。知りたいことひとつ知るのも苦労すると思いますよ」

「じゃあ、その『美味しいパンの焼き方』ってやつを質問すれば、俺の寝ている間にその知識を与えてくれるということか?」

「そうです。流石ティリオンさん、呑み込みが早い」

 堂家は彼の頭の回転の速さに思わず拍手した。

「ただし私とのやり取りが行われる夢の中では、制約が三つございます」


「制約が三つだと?」

 ティリオンの目が細くなる。


「まずひとつ、夢の中での会話は、夢から覚めたあと、強制的に忘れることになります。必要な情報は記憶に貼付クリップしておきますが、ここでの会話をあなたが思い出すことはないでしょう。無論、ダウンロードでお与えした知識や情報はそのまま残りますが……」


「二つめは?」

「二つめは、そちらが得た情報は強制的に送信してもらいます。私どもに隠し事はできません」

「俺が隠し事をしそうに思うのか?」

「あなたが見聞きしたこと、体験したことは全てこちら側に伝わりますよ、と言いたかっただけです。他意はありません。ただ……」

 少し間を置いて、「眠らなければ伝わることがありませんので、こちらに流したくない情報を掴んだとしたら、眠らないことです。もっとも、それができたとしても、睡眠欲にあらがえず、二日か三日が限界でしょうが」


 ティリオンは怪訝けげんな顔つきをした。知られて困る情報が異世界にあるというのだろうか?


「そしてこれが最後、他人への干渉は一切行いません。私と会話できることを良いことに、他人の情報を聞き出そうというのはタブーです。いや、今さら個人情報保護法を持ち出すわけではないんですよ。それにあなただって他人に知られたくない過去や経歴はあるでしょ? 互いの為です」


 黙ってしばらく聞いていたが、別に反論する理由もない。ティリオンは、

「全て了解した」とだけ伝えた。


「ではここからフリートークタイムです。何かそちらから私にお聞きしたいこと、調べて欲しいことはありますか?」

「今回は多くの人間が転送されたと聞いている。しかし、ホームにやってきたのは俺とアイナのふたりだけだ。他の者はどうなった?」

「今回は五〇余名の方が同時に転送されました。しかし、その後どうなったかは把握しておりません。これ以上言うと、他人への干渉になってしまうので申し上げられませんが、少なくとも本日私が会ったのはあなたが初めてです」

「全員死んだのか?」

「——さあ」

 堂家は肩をすくめ、手のひらを見せるようにして両手を上げた。


 ティリオンにとって自分以外の人間がどうなったのかどうでも良かった。ただ、もし転送後に助けを求めている連中がいれば、手を貸したいとも思っていた。


 聞き出せる情報に限りがある上に、知りたい知識が今のところ思いつかないでいると、

「今夜はお疲れでしょう。今宵はこれまでといたしましょう」


 そう言うと堂家は後ろへ下がると共に、その姿が景色の中に溶け込んでいくように消えた。

 

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