第97話 道奥

「あたしはここだ。」僕の背後から、彼女はまるで、幽霊かの様に現れた。格好つけているのか、何処か気取った様子で、僕の前に立つ。勿論手にはワイングラスを携えている。


「一体どこから。」奇術とも呼ぶべきその技に、名前は無いのだろうか。ゆっくりと、息をする様な速さで、彼女は僕から離れていく。ワイングラスを、くるくる手の中で回しながら、彼女は歩く。


「ノール、今日行くんだろう?」ワイングラスを、僕の方向に突き出したかと思えば、彼女はそれを飲み干した。音のしない飲み方だった。ワインはみるみる少なくなっていき、仕舞いには空になった。


「うん。」僕も、進まなければならないから。この歩みは止めてはならない。そう信じているから、僕は……「さよならだ。」その手にはもう、空のグラスは無かった。彼女は僕の肩に手を置き、何処かに歩き去った。


「行こう。」歩いた。恐らくだけれど、僕は一度たりとも振り向かなかったと思う。いや、振り向けなかったんだと思う。どんどんと遠くなっていく町並みを思いながら、僕は歩いた。


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