第27話 別れ

 居るんだ。その事実だけで、僕は大きな衝撃を受けた。行くべきなのか、退くべきなのか、恐ろしい二択を迫られるが、選びきれない弱さが、依然消えずにいた。

 

 仮に行かないなら、今と何も変わらないままだ。母さんと別れた事実だけを、抱えて生きていく事になる。だけど進めば、その思いを、記憶を繋いでいくことが出来るかもしれない。

 

 僕は立ち上がった。この先に広がる記憶と出会うために、この先に進んでいくために。


 果たして、あの人は笑うだろうか、微笑むだろうか。涙を流すことを許されないこの体だったとしても。


 もはや選択肢などは無かった。行くしかない、行かなければならないと、心が訴える。


 酷く単純で、簡単なことだ。足を前に出して、歩くだけ。それだけでは意味なんてないのに、何故か震える足で僕は進んだ。一本の道を、迷うはずのない道を、僕は間違えそうにもなった。


 辺りはまるで白昼夢のようでいて、濃霧が立ち込めていた。だが相反するように、僕は吸い込まれるように進んだ。


 懐かしい香りがしたかと思うと、そこには、住み慣れた我が家がポツリと立っていた。何も変わらない、赤い屋根の家。全て古びているのに、何故か愛おしく感じる。「今日はいい天気だ、そうだろ、ノール。」筋肉質な魔法使いが、そこにいた。「はい、今日はいい天気です。」懐かしさに思わず、僕の頬が緩んだ。


 気づけば辺りは、絶え間ない緑と青に溢れかえっていた。木々は生い茂り、空には雲一つ無い快晴が広がる。欠伸が出そうな位平和な景色と、見ることの叶わなかった姿は、僕に一体何を思わせたいのか。「どうした、難しそうな顔をして。突っ立ってないで、素振りでもしたらどうだ。今は空気も澄んでいるから、気持ちがいい。」


「素振りじゃなくて、詠唱の練習をしたほうがいいよ。」「そうだな、しかし素振りはいい。心が澄んでいくからな。そうそう、あんまり油断していると、打ち込むぞっと――ライトニング・ファイア。」懐かしい響きと同時に、雷を纏った炎が僕の真横に飛ぶ。「なら、こっちも――神速斬撃。」まばゆい閃光が雷炎とぶつかり合った。


 しかし、勝負にもならない為か、神速斬撃は跡形もなく消え去った。残ったライトニング・ファイアは僕めがけて一直線に向かってきた。「筋はいいが、まだまだ浅い。まあ少し痛いとは思うが、甘んじて喰らうんだな。」快活に笑うと、ライトニング・ファイアは直撃した。「こんな展開聞いてないよ。途端に複合魔法とか、どこの戦闘民族だよ。」


 「大丈夫か、ノール。」野原に転がる僕に、声をかけた。「生きてるのが奇跡だろうから、喜んでいいよ。」冗談を言ったついでに、微笑んでみせる。「軽口を叩ける位なら、心配いらないな。この魔法に耐えられるなら、この先も大丈夫だろう。」まるで別れの時が近いと暗示するように、父さんは話す。「嫌だよ、もう別れたくない。もう少しだけ、あと少しだけいいんだ。」


 髪が揺れる音がした後、父さんはこちらに向き直した。「ごめんな、こんな事だけしか出来なくて。もっと色んなことを教えてやりたかったよ。いや、もしかして、の話なんてしてもしょうがないな。」僕は重たいまぶたを開け、父さんを見た。「ありがとう、父さん。今まで、父さんが、母さんが居てくれたからこそ、僕はここに至れたと思うんだ。」


 微笑んだ。僅かな綻びも淀みもない、美しい微笑み。


「ノールが、これからどんな事を成すか、父さんは知ることが出来ない。だが、前を向いていなさい。前を向き続けることでしか、ノールは、大切な人を守ることはできないのだから。」涙が、父さんの頬を伝う。「僕は、弱い。何も、誰も守れなかった。」半分の鼻声で、ボソボソと呟いた。


「大丈夫。」父さんは光になった。僕の目では、とても耐えきれない程の眩い光を放って。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る