19. そして 花になる


 ――熱い。


 無顔はそう思った。そして、驚愕した。

 感じるはずが無いのだ。思うはずが無いのだ。

 無意識に演じることはあれど、それは自身がヒトであった頃の感覚に引っ張られているだけで、どんな事象が起ころうと時計が抑制し頭や心の芯は常に冷め切っているものだ。だが、背筋を伝う汗がソレを否定した。


 溶けていく、凍っていた感情や感覚が。


 ―― 聞こえない。針の音が……。


 不安や怯えが溶け出し、思考に混ざり始めた。

 焦げ付く程の恐怖が身を焼き、震えた。

 そして無顔は超常スキルの目では無く、肉眼で初めて、その存在と脅威を確認した。


【花炎】


 それは燃えている。噴き出している。ひび割れた底から赫灼たる限りに。吹雪く花の華々しい限りに。咲いては散り、咲いては散り、ひら、ひら、ひら、ひら、嗚呼、炎が、暮れていく。


 ヒトの身体の内の一体何がそれ程までに燃え盛るというのか。

 或いは燃え咲るというのか。

 そんなに燃えてしまっては、焦がしてしまう。

 空気を、肺を、瞳を、肌を、命を。


 だが惹かれるのだ、焦がれるのだ。炎々に随たる蛾のように。

 ヒトのですら焦がして止まぬ。だから、【花炎】だと。

 心より芽吹いた【花炎】だと。


「嗚呼―― 焦げそうだ。何もかも。無顔。貴様も、そうなんだろう」


 圧倒的な存在感が満ちている。


 この場の全てが北条トキ一人に、アカく塗り替えられてしまった。


 空間を浮遊する数字の一つが" ボウッ" と燃えた。すると瞬く間に数字は焦げ、その形を無くし空間に咲く花へとアカく変わったのだ。


 そして、数字から数字へと延焼しては咲き、間もなく、満開となった。


  ―― 燃えた!? 数字が!?


 圧巻の光景に無顔は恐怖の中に美しさすら感じた。


「こんなに燃やしてどうするつもりだい。この樹林全てを焼く気なのかなキミは」

「燃やすのも、焦がすのも、全て貴様だけだ。貴様だけを殺す炎だ」


 その言葉に気圧された無顔の実態の無い不安や焦燥を更にかき立てるように、突如けたたましく、無顔の脳内でサイレンが鳴り響いた。


『【警告】超高密度の色域を観測。AC 装備の装着を推奨【警告】ステータス値の大幅な減少を確認。直ちに数字領域を閉鎖します【警告】SP 細胞組織に色素による汚染を確認。一部スキルが使用不能です。直ちに除染作業を行ってください―― エラー。数字領域の閉鎖に失敗。コード87889977―― 』


  ―― そんな馬鹿な!?


「開け(ステータス)ッ!」


 男の前にステータス値を確認する画面が表示される。

 其処に並べられた数値のどれもが、割れた砂時計の中身のように、目では追いきれない速度で減少してる。


『【警告】【警告】【警告】【警告】【警告】【警告】【警告】【警告】』


 恐怖が実態となって無顔を焦がし始めた。


「…… 黙れ、耳障りだ」


 何時までも脳内で鳴り響くサイレンを強制的に切り、深く深呼吸をした。


  ―― 冷静になれ、冷静に。分析するんだ。怠れば死に直結する。それに、彼はまだ動いてすらいないじゃないか、炎を吹かして其処に立っているだけ。確実に色の出力は上がっているけど、攻撃力、防御力までそうかは分からない。ソコを見極めながら、脆い箇所を全力で崩せばソレで済むはずだ。いざとなってもボクにはまだもある。よし、いいぞ。冷静ひえてきた。


「手数が欲しい―― 【蛇】」


 無顔は手で蛇の印を組む。空間に亀裂が走り割れる。虚空から数千を超す細い布が垂れ下がり、それは各々意思を持ち、牙を持つ。


 幾度となく北条を追い詰めた蛇は、再び悪意を持って襲いかかる。

 だがその多くは標的へたどり着く前に燃え尽き、そしてたどり着いたとしても、彼の立つ地面から意思を持った燃え盛る根が生え、迫り来る蛇の大群を薙いでしまう。


「【鹿】」


 続いて鹿の印を組む。

 布から生まれ出た大小様々な鹿の群れが蛇と徒党を組み、猛烈な手数で責め立てる。それに呼応して増えた火の根がやはり蹴散らすが、巨大な鹿の一頭がその質量

 を生かし守りを突破、北条に突進を仕掛ける。

 しかし、吹き上がる花炎の右腕で一つでそれを受け止めれば、たちまち鹿は燃え焦げ、花となって焼失した。


 ―― 今だッ!


 無顔は燃える鹿の炎が北条の視界を遮る瞬間を見逃さなかった。

 直前までその威力を高めていた大鉈のような布を構えると、稲妻の如く撃ち出す。   


 ―― 山脈すら切り崩した一撃を受け止められるモノならッ!


 大鉈はジグザグに蛇や鹿の隙間を抜け、死角から北条の喉元へと差し迫る。

 だが、必殺の一撃でさえ届くことは無かった。


 それを防いだのは一本の大樹だった。地面から生えていた根が脅威を感知し、互いの根と根を巧みに絡ませ北条を囲み、一本の大樹を編んだのだ。まるで太陽の樹の亡霊が側に立ち、彼を守護するかのように。液体故に透けた樹の内から北条が無顔を見た。


 そして、大鉈と大樹の衝突により切れ味のある衝撃波が生まれ、周りの樹々はことごとく切断され、無顔の操っていた布ですら余波で千切れ四散しその場に落ちて燃え、花として咲いた。


  ――自信なくすなぁ……マントルの熱でも今の布は燃えないって言うのに……。


 あれだけ多かった布の影はもはや無く、圧倒的な数の花が圧巻して場を埋め尽くしている。


 ―― 今のを見る限り点の攻撃じゃ守りは崩せない。遙かに巨大な面の攻撃じゃ無いと…… けど、あれ以上に大きい鹿を作るとなると流石に時間が掛かりすぎるし、結局数字で出来てるから相性が悪い……いや、待てよ、あるじゃ無いか!たった今、彼が見せてくれたじゃないか!! 答えをッ! ありがとう! 瞬間移動のクールタイムももうすぐ上がる! やれるッ!


「ははは…… 防御力はたいしたもんだけどさァ――――【鹿】ッ!!」


 二頭の素早い鹿が視界を塞ぐように北条に飛び掛かったが、それは燃えて花になる。そして、それを目くらましに北条の視界から無顔が消えた。


「(気配が消えた…… 何かあるはずだ…… )」


 突如訪れた静寂、見上げた空は今が夜であることを教えてくれる星と月。


 場に残ったのはちりちり燃える花と風の音。


 一分か。二分か。長すぎる静寂の末に、変化が訪れる。


 炎に覆い被さる影。それは、月光すらも遮る影。


 全て無音のままに空に現れたのは、山を越す大樹。既に朽ちたはずの太陽の木。


「せっかく来たんだ!!実家ママに挨拶しなきゃねぇ!!!」


 隕石よりも巨大で絶望的な質量の太陽の樹が、布に抱かれ、北条目掛けて落ちていく。


  ―― この質量だ。燃やそうが焦がそうが関係ない。大事な彼女の身体もある。避けられない!


 無顔の目論見通り北条は避けようとはせず。それどころか自らを囲む木を解くと、迎え撃つ姿勢を見せた。ソレを合図に、見えない何かが彼に向かって収束を始め、変化が現れる。

 花炎が花弁が無秩序に漂っていたそれらが、確かな法則を持って彼の輪郭に沿って廻り巡り、螺旋を始めたのだ。


【螺旋行為】


 万物は螺旋している。

 濠の中に落下する水。牡羊の角。

 絡み合う蔦。逆巻く炎。落下星らっかせい。髪の毛。アンモナイト。


 そのどれもがそうで、それ以外もそうだ。万象とは螺旋である。


 それらは円環を成しつつ、互いの螺旋に絡み合うことで自らが力の線となる。


 ある時は渦巻きに、ある時は台風に、ある時は黄金に、タービンに、生命に。


 何と愛おしい。偉大なる結末は、君を始まりとして、また還るのだろう。


 さぁ、輪廻を行く者よ、螺旋へ寄り給え。それは、力だ。


「廻れ」


 北条を始まりとして重なり絡んだ万物の螺旋が力の線となる。

 しかしそれは些細な力だ、誰もが持ち合わせる力であり、彼もまた、ただ螺旋をするだけ。落ちてくる太陽の樹を、ただ元の場所に還すだけに過ぎない。


 両手を掲げ、【螺旋】は【花炎】と共に放たれた。木に触れた花炎が布だけを燃やし尽くし、螺旋が木を空まで押し上げ、軌跡をたどって元の場所へと何も傷つけること無く還した。


「…………はは」


 その光景を目の当たりにした無顔は乾いた笑いをするので精一杯だった。


〝バシュン〟


「うぐあ!!!?」


 突如高速で飛来した【螺旋】を纏うアカイ弾丸によって、無顔の両手は焦げた大穴を開けた。


 自身の感覚や神経を制御するスキルは今や何も機能していない。全て素のままだ。


 空中で制御を無くした無顔は、無様に空から地へと真っ逆さまに叩き付けられた。


 あっけなく" どん" っと鈍く落ちた男は、マグマが噴き出したかのような熱さに焼かれる両手と砕けた骨の痛みに呻き喚き苦しんだ。


「終わりだ。無顔」


 地べたで蛆の様に藻掻き苦しむ無顔を見下ろし、ヘドロを見る目で北条はそう言った。言葉を返す事が出来ず、生々しく藻掻く無顔の側に彼は静かに佇む。


「お、終わりだって……? くっ……はぁ……はぁ……ふふふ……ははは……! キミにボクは殺せない。傷が塞がっていくのが見えないのかい? これじゃあ足りないって事だ。それに、どうやったのかは分からないけど、それだけの力を行使できるキミの今の状態、きっと長くは持たないはずだ。つまり、耐え切ればボクの勝ちさ」


 生命維持のスキルで、穴が塞がっていく両手を見せながら無顔は力を振り絞って立ち上がる。


「それに、ボクにはまだ――」


「無顔」


〝ぐるん〟


「関係ない」


 言葉を遮り北条は諭す様に告げた。

 無顔の両肘が右回りで一気に百八十度回転していた。


「嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼ぁぁああ!!!?」


 再び地面に倒れ伏し激痛に藻掻く。打ち込まれた螺旋の力が作用し始めたのだ。


 それは止まらない。

 今度は、万力に固定された鉄棒の様に指先から無理矢理捻られていく。


 骨の一つ一つが粉々に砕けながら、絞られた雑巾の様に先細っていき、圧迫された血管から血が噴き出し血溜まりを作る。そして皮肉なことに、それを治そうとするスキルの為に痛覚は死なず痛みは更に増し、螺旋は毒のように、指先から肩へと上った。男の叫びは空虚に響く。


 遂に痛みに耐えきれなくなった無顔は、布で自身の両肩から腕を切り落とした。


 幸運なことに、切り落としてしまえば螺旋はそれ以上作用しないようで、無顔は痛みから逃げることが出来た。我に返った無顔は北条から距離を取る。そして、その位置から血溜まりに転がる自身の両腕を見れば、既にそれは腕の形をしておらず、只の細い肉の枝と化していた。無顔は想像した。アレを胴体に喰らい、今度こそ辿る自身の結末を。


 震えていた。


「はぁ…… はぁ…… はぁ…… 」


 震えていた。


「はぁ…… !はぁ…… !はぁ…… !はぁ…… !」


 震えていた。


 気付けば、命が叫び声を上げ、血を撒き散らしながら走り出していた。


「あぁッ!」


 だが、根に足を掴まれ、赤子の様に簡単に転けてしまう。

 無顔は額を土に擦りつけてでも、前へ前へ進もうとするが、土に滑るばかりでやはり進めない。しかし執念だろうか、命にしがみつく意思が再び両腕を生やした。生えたばかりの手で、這いつくばりながら、布を操り、根を切って立ち上がる。


 振り返れば、北条は右手に廻る【螺旋】を収束させながら、銃口の様に二本の指を向けていた。


  ―― も、もうを使うしかッ!


 無顔は残して置いた奥の手を使うべく時計を握ろうとした。


 ―― な、無いッ!?時計が無いッ!何処に……ハッ!?


 時計は遙か遠く、自身が腕を切り落とした血溜まりで転がっていた。

 不測の事態に必死に思考を働かせる。如何にして時計を回収をするのか、或いは、逃走か。無顔としては、再び時計を奪われることは避けたかったが、北条が無防備な時計を未だ破壊しない様子を見て、転生者の命と時計の繋がりに気付いてはいないのだろうと思った。


 故に、自身の命をつなぐことは容易だと判断した。

 まだ使える瞬間移動で遙か遠くに逃げてしまえば良いのだから。

 だが、再び時計を取り戻せる事が機会があるのかと問われれば、おそらく無理。


――本国から応援を呼ばざるを得ないか……。


 逃走の方へ意思を固めつつあった無顔に、スキルが勇気づける様に一つの光景を見せた。ソレは予知。


 自らの意思では発動し得ない低確率で偶発的に発動する予知スキル


 ソレはこれから放たれる、螺旋の軌道の全てを見せる予知だった。

 無顔は確信する。


 ―― いける!いけるぞ!まだボクは"勝つ"事が出来る!。


 震えは止まっていた。


 死の恐怖に打ち勝った無顔は自身が信じる勝利の光景を目指し時計の方へ走った。


〝バシュンバシュンバシュン〟


 予知されたとおりの螺旋の軌道を目で追いながら躱し、時計へ近づいていく。


 そして、北条は螺旋の力を一旦使い切ってしまったのか手の構えを解いた。


 その隙に無顔は一気に瞬間移動で距離を詰めた。


 ――勝ったッッ!!


 血溜まりの時計に向かって手を伸ばした。


 だが、時計の一つ手前で伸ばした手は止まった。


  ――う……動かない……一ミリも……身体が……。


 何かに絡め取られてしまったかの様に身体が動かない。

 数字もスキルも、全てが停止した。


「貴様が送りつけた造花はなを覚えているか?」


 無顔の体中から造花が芽吹いていた。


 無顔の両手を貫いた螺旋の弾丸は種だった。


 無顔が腕を切り離すよりも先に種子は体中に撒き散らされ、根が内側から雁字搦めにしたのだ。


 そして、北条は構えを解いたのでは無く、とどめに移行したに過ぎなかった。


 血溜まりには再び絶望に震える影。

 

 北条のこめかみが熱くなる。


 彼がそれに触れると霊紋ユウアキネはその花びらを散らし、アカく暮れた世界は、一層咲き乱れた。


「満開―― さかさノ蓮花」


 怒りも、悲しみも、恐怖も、絶望も、その場に溢れる感情の全てが咲き乱れ、全てが花弁となって散り、集まり、一つの輪を造った。


 そうして彼の背後で輪となった花々は巨大な一つの蕾へと形を移し、蓮花に咲く。螺旋が廻る度、蓮の花が廻る度、暮れた世界が今度は白く白んでいく。そして、廻る蓮花の花弁が開いていく様を、無顔は我を忘れて見ていた。


後悔をするでもなく、諦めるわけでも無く、また、震えの止まった身体で。背の高い草むらを駆け回る幼子のような尊い気持ちで、只、純粋に。絵に初めて色を塗った時のように、ただ、ただ、我を忘れた。


 ―― 綺麗だ。


 放たれた蓮花の白が、無顔を洗う様に覆う様に貫けば、身体に咲いた造花の全てが逆さに咲く蓮花に咲き変わり、空っぽであった心が白く色によって満たされていった。


 仰向けに優しく、白い花畑に倒れ込んだ男はまるで花の揺りかごの中にいるようで、身体がゆっくりと、ゆっくりと、白んだ世界から夜空へと登っていく。

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