9.帝國の目的


〝パキッ〟


「嘘だ……」


 埃を被った喫茶店の中で転生者の男が驚愕を浮かべていた。

 張り巡らされ垂れ下がった電話線の中。

 彼が持つ時計に大きくヒビが入り、針はⅠを繰り返しながら半透明に透けていく。


『どう、しましたぁ?』


 カウンターに立つくたびれた様子の諜報員の男が執拗にグラスを磨いている。


「時計を盗られた…… 」

『可笑しいですねぇ。時計は本人以外触れる事が出来ない……生きている間はですがぁ』


 転生者は透けた時計のⅠを繰り返す針をじっと見つめ、そして青ざめたような声色でぽつり。


「………… 『色』だ。ソレ以外ない」

『色ぉ?』

「君は知りようがないか……帝國が一度戦争をしたのは知ってるよね? 時計の研究もまだ進んでない頃で、数字の文明が広まり始めた頃だから千年くらい前かな」

『えぇ。その戦争に勝利し、今があるのでしょう?』

「……。けど、戦いには負けていた。初めてこの世界に転生してきた第一陣の転生者は四百人くらい。僕は第三陣だったかな。まぁその第一陣なんだけど、全員殺されてるんだ」

『にわかに信じがたいですねぇ…… 時計も満足に無い時代なら、寿命ではなく?』


 その問いに男は静かに首を振る。

 

「僕も初めて知った時はそんな感じだったなぁ。当時の資料を見返すと分かりやすいんだけどね。確か、帝國の連合が三万人前後居て、色側の勢力がおおよそ二百人。でも、戦争が終わる頃には三万人は千人以下になった。対して色の側も大分減ってるんだけど、十人は生き残ってるはずなんだ。

『現在も?』

「現在も。高次の時計を持つ僕らが時間を超越する様に、色を極めた彼らもまた時間を超越するんだ。そして色の力は、数字と相反している。それらは決して均衡に位置しない。あえて言うのなら、数字が色に勝ることはない」

『その様な力が存在するとは、驚異を超えてぇ恐怖ぉ感じますねぇ』


 バーテン風の店主は一度グラス越しに男を眺め、再びグラスを磨き始める。


「だからこそ僕達は色の芽を潰していかなくちゃいけない。十五を迎えた子供に数字を定着させる法律を世界規模で制定したのもその側面が大きい。色はこの世界の力だから誰でも目覚める可能性がある。けど、数字の定着期間を超えて色の力に目覚めても" ゼロ" を発症させて無力化出来るんだ。そのための法律。数字の定着義務。そして月の消灯も計画の一部さ」

『ふーむ。しかしそうなると…… 時計ぃ誰に盗られたんでしたっけぇ?』

「だから僕も驚いてるんだ。。数字で作られた肉体であるにも関わらず色を宿している。正直油断してたよ、聖典の道筋から大きく外れるとは思わなかったからね。このまま月を消して終わりだと思ってた。いやホント……どうしようかなぁ……時計って完全に壊されたら直らないんだよね……ははは」


 半透明の時計はⅠを繰り返し続けている。針音と共に沈黙が積み重なっていく。


「…………何黙ってんの? 考えろよ僕の代わりにさぁ……色々話してやっただろ」

『……そうですねぇ。いっそのことぉこの街の人間を全て殺してしまうのは如何ですかねぇ』

「ばかだなぁ。そんな事したら時計が壊されるじゃないか。必要なのは時計を取り戻す方法だ」

『ではぁ…… 奪えば良いのでは?彼が思わず時計を無傷で返したくなる様な彼にとって最も価値のあるナニカを』

「だからそうしてる途中だったんだ! 心は着実に折れていってたのにッ…… 駄目なんだ感づかれた時点でお終いなんだ。僕達にとって時計の針音は心音と同じだ。失えば魂は消失する」

『そうでしたかぁ…… ソレは知りませんでした。何分時計は持たぬ身でして』


 男の言葉に店主は驚きを見せ、転生者の男も"しまった"とばかりに口を押さえる。


「……駄目だなぁホント焦ってるや、言っちゃ駄目だったのになぁ。まぁいいや、。ソレよりも時計だ」

『まぁ私はあくまで月の消灯の補助として此処に居ますからぁ、ご自身の事はどうぞご自身で』

「嫌な奴。死ぬっていうのに媚を売ろうともしない。僕が居なきゃ月の消灯なんて出来っこないのにさぁ」

『いぃえ、アナタが死のうが代わりはやってきます。誰が死んでも同じです計画は成されます』

「うるさい……! 気持ち悪いんだよその忠誠心みたいなやつ!」

『私達はぁ……こう出来ていますので……』


 苛立ちを募らせた彼がカウンターをドンッと叩いた。

 衝撃で酒の入ったグラスが倒れ零れる。



 " ――シュル――ザシュ"



 そして、何処からとはなく長方形に長く薄い布が四方向から鋭く伸び、諜報員であった男の喉を貫き首で交わった。交わる瞬間男の表情がカッと強ばり血が布に染み広がっていくと、段々だらんとした表情へ脱力していった。


 すでに死体となった男の体は不気味にもグラスを磨く姿勢のままで、ただ頭部のみが綺麗に無残に血の線を描きながらカウンターの上を転がり、そのままべちゃっと床に落ちた。


「はぁ……! はぁ……! 良い遺言だったよ。カンケツで薄っぺらくて―― 僕の『布』よりもね」


 充満していく血の臭いを感じながら、彼はしばらくの間、息を止め、頭を抱えて俯いた。少し意識がぼんやりし始めた辺りでまた呼吸を始めた。血の臭いは感じなくなっていた。


 落ちた男の頭に目をやると、床に飛び散っている血の線が綺麗な模様の様に見えた。首の断面から広がる血溜まりがまるで花弁の様に広がっている。血の線と相まって床に一輪の花が咲いているように彼は見えた。


「花か……ああッ! そういうのもあったね! ありがとう! 今ので光が見えたよ! 君のおかげだ!」


 髪を掴んで頭を持ち上げカウンターの上にソレを置いた彼はそうお礼を言った。


「うん。うん。これなら必ず上手くいく。やっぱり君が言ったように彼から奪えばいいんだ。謝るよ、賢いのは君で僕は馬鹿だった。ごめんね。花を供えるから許して欲しいんだ」


 物言わぬ頭部に彼は胸に手を置いて謝罪した。

 断面から溢れる血が雫となってカウンターから落ちていく。

 

 変わらずⅠを繰り返す時計の音と交互に落ちていく中で男はふと


「…… 君にずっと黙ってたことがあるんだ、けど、今、話すよ。僕、眠ると夢を見る様になったんだ。それも同じ夢。転生者は夢を見ないはずなのにね。街が月に近いせいだと思う。昔の僕の夢なんだ。まるで走馬灯みたいな……皆が、僕のことを皆が、僕を否定する夢。」


無顔ムガン


 凹凸のない彼の顔に巻かれた布に漢字で大きく書かれてある。

 名の無い転生者の名。


「数百年の間忘れられていたのに、が忘れさせてくれたのに。思い出すとやっぱりつらいもんだね。けど、あと少しだ。月を消せばそれで終わる。だから、今は待とう。必ず時は来るし、ちゃんと迎えにいくから。ちゃんと" 役割" で居続けるから」


 何もかもがだらんとしたこの部屋の中で、無顔は死体の唇を弄りながら時計を見て微笑んだ。


 時計はⅠを繰り返している。

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