4.二人の秘密
彼女の瞳が少し大きく開いた。驚いた様子で右の頬杖を解くと、動揺が伺えるその手は、ゆっくりと顎の輪郭と微かに唇をなぞりつつ、左の肘を触りぎゅっと握っていた。
『おまたせしました。スープとこちら付け合せはご持参頂いたモノです。どうぞごゆっくり』
テーブルに二人分のパンとスープが並んだ。
「あは……アンタも冗談とか言うんだ」
「……」
「……そっか。冗談じゃないか」
彼女はしばらくの間考え込んだ様子でいたが長く息を吐き出すと、その瞼を開いた。
「先に食べましょ、冷ましちゃもったいないし」
「そう、だな」
言い様のない気まずさの中でスープを口に含んだ。温かい。少し安心する。
その後も特に会話もなく食事を済ませ、店の外に出た後はどこに向かうでもなく、二人で雑多の中を歩いていた。
「……なんと言えばいいか。唐突で済まなかった」
「ホントよ、アンタのせいでスープの味殆ど分かんなかったじゃない」
「……」
「まぁいいのよ。そもそもアンタとの出会いは普通じゃあ無かったんだし、そっちの方がしっくり来るっていうか―― あ。待って、アンタの前世って何歳よ」
「どうしてだ?」
「いや、別にいいんだけど。もしかして中身四十過ぎのおっさんを育ててたと思うとちょっとショックっていうか、キモいなって思っただけ」
「キモい…………確かに」
「あはは! なんでアンタが頷いてんのよ」
「立場を置き換えて考えてみると何かくるものがあると思ってな…… 実を言うと、転生したという事実以外は年齢含めあまり記憶がないんだ」
「ふーん。でもまぁアタシが思うにアンタって" 年下" って感じがするのよねぇ」
「根拠は?」
「カンよ。女のね。まぁ、ちょっと自信なかったから何歳か確認したワケだけど」
「なるほどな」
「それで、アンタはどうしようと思ってるの」
「どう?」
「アンタは太陽の樹の生まれ変わりじゃあなくて『転生者』なワケで、教会の思惑に従う必要も無いんだもの。力も持ってると思うし、引く手も多いと思う。何だってやろうと思えばできるわよ。だって『転生者』だもの。数字の仕組みを作って文明を革命させた『転生者』だもの」
雑多の中で見上げた彼女の横顔がやはり悲しそうに見えた。
「誰もオレを転生者だと知らなければ、オレは転生者じゃない」
「じゃあ、どうしてアタシに教えたりしたのよ」
「覚えているんだ、拾われて間もない頃の記憶。キミが言っていたように、人が火を持って歩く街は今より少し窮屈そうだった。だが、オレはその光景を思い出すと安心するんだ。理由は分からないし、オレの持つ感情は少ないが、好きなんだ。キミと同じだった。それでも、オレは『転生者』で、昔の景色が変わってしまった原因でもあるから、言おうと思った」
本来であれば緩やかに行われていく文明の変化は、転生者によって急速な発達と進化が促されてきた。それは、この世界の文明を殺してる。そういう側面で見ればオレは転生者が嫌いだ。
「バカね。アンタが気にする事じゃないのに。でも、すごくヒトっぽくて好きよ、そういうの」
「今のがヒトっぽいのか? 言葉を纏めきれなかっただけだ」
「纏まらないのはヒトだからよ」
「よく分からない。ヒトは難しい」
「ふふ。それで、本当にやりたい事はないの? 今のままでいいの?」
「ああ。オレは世界に触れないでいたいんだ」
「そっか、じゃあ夢は? 世界に触れないで叶えられそうな夢は無い?」
「…… 空」
「空?」
「空を飛んでみたい気がする」
人が行き交う雑多の中でマリアが突然立ち止まった。
「……どうしてそう思うの」
人の流れがオレ達を避けて歩いている。
「此処は明る過ぎて星の線が輪郭が上手く見えない。だから、空を飛んで夜空を直接眺められたらきっと綺麗だと思うんだ」
「色なんて、見えないくせ」
「…… 見えず、キミが隣にいなければオレは感情を感じることも出来ない。だが、感じることはできなくとも思うことは出来る。綺麗なものは綺麗だ。星も花も舞う羽も、その線が美しい」
「羽が好きなの?」
「ああ。星も花も羽も、皆散ってしまうから好きなんだ」
マリアは強引にオレの手を掴んで人の流れとは反対の方角へ向かって進み始めた。
「どこへ?」
「空、飛びたいんでしょ?今すぐ叶えてあげる。でも、絶対秘密」
歩く速さと同じで少し早口で彼女はそう言った。有無を言う暇もない。
やがて大通りから脇道に入ると、人通りの少ない路地裏から人の居ない狭い袋小路までやってくると、その足を止めてこちらを振り返った。
「離れて」
彼女がオレを一方的に突き飛ばすようにして手を離したので湿っている地面に足を滑らせて尻餅をついた。立ち上がろうと顔を上げた時、オレはその光景に目を奪われた。
〝カタカタカタカタカタカタ〟
彼女の背中の中心辺りだ。少しだけ見える。歯車が回っている。
そして、歯車が音を立てて回る度厚く折りたたまれていたソレが狭い空間を埋め尽くしていくように広がり始めた。
「―― ソレは、数を百八までしか数えず。百八しか居ない。心を持つ全てのヒトの百八の業から生まれたヒトに近いヒトじゃないヒト。『
ソレは金属で、何回も折り重ねた折り紙を丁寧に一つ一つ開いていく作業のように、その折りたたまれた金属も歯車の動きに沿ってゆっくりと広がっていく。
「羽の亜人が居たわ。何よりも早く飛んで、誰よりも寂しがり屋のね。知ってる?亜人は一人で生き一人で死ぬの。仲間は居ても家族は居ないから羽の亜人は憧れた。人に憧れた。温かい人に。空の上はどこよりも寒かったから」
ようやくソレが羽だと気が付いた。一枚一枚、折りたたまれていた機械じかけの羽は刃物のように鋭く今も広がる。羽の関節の柔らかい場所はそのまま壁に沿い、関節の硬い箇所はそのまま壁に刺さり壁をひび割って進んでいく。羽は窮屈を埋め尽くすように広がっていく。
「そして、羽の亜人は亜人をやめてもっとヒトに近づいたの。アタシ達はその名残。
喧騒は遠く、彼女の羽は月明かりに濡れていた。
「キミは、鳥なのか?」
オレの問いに彼女はそっと微笑んだ。
「いいえ、アタシは羽のヒト。花は触れると散って、星は映ると歪み、人が触れると赤く滴る。アタシは重たい羽のヒト。一人じゃ飛べない羽のヒト」
歯車が回っている。
「名前は『マリア・クウェル』血は泥で出来てるの。ほら、おいで?」
彼女はしゃがむとこちらに手を差し伸べた。
オレは吸い寄せられるようにその手を掴んだ。
体を引き上げられ、彼女に後ろから抱きしめられる。
オレの胸で腕を交差させ、そのままオレの両手をしっかりと握った。
人の体はきっと炎よりも温かい。
「飛べる、のか?」
「ええ、助走は要らない。ただ『アナタ』が足を少し曲げて地面を蹴ればいいだけ」
言われた通り足を曲げて地面を蹴ると、オレの見ていた地面が回転しながら猛烈な勢いで遠ざかり、星のように小さな景色となった。
オレ達は―― 夜空の中に居た。
「見て、今日も月が
「月はどうして明かりを消したんだ」
「分からない。誰も知らないの」
目の前にはそれほど大きくない月が見えていた。
じっと見つめていると、そこから何かが飛んだ。鳥だ。
「月には、鳥が住んでいるのか?」
「そうよ、飛び疲れた鳥は月で眠るの」
「人も居たりするのか?」
「どうかな、アタシは見たこと無いかも。それより、どう?空を飛んでみた感想は」
「星が綺麗だ月も綺麗だ。それから、温かいな。空はもっと寒いと思っていたのに」
「二人だからよ。一人は凄く寒いの」
「一人で、飛んだ事があるのか?」
「ええ、一度だけね。今のアナタみたいに空に憧れて。そのせいで羽は重くなったし血は泥に変わったの。アタシ達は一人じゃあ飛べないのよ、そういう体なの」
「綺麗な羽だった」
「……」
「マリア?」
「アタシも夢があるの。幸せになりたいって夢をずっと前から持ってる。今もそう、アタシはアタシが幸せじゃないって思ってる。でも、アナタが現れて少しずつだけど夢に向かってる気がするの。すごく、何となく」
それからしばらく夜空の中で星を見て、またあの狭い袋小路へと戻った。
「はい、おしまい」
ずっと握っていた手を離し彼女から離れる。
彼女の羽はまた音を立てて仕舞われていく。
「マリア」
「うん?」
「ありがとう」
「いいのよ、ソレよりも絶対秘密だからね。アンタとアタシはただのヒト。おわかり?」
「" おわかり" 了解だ」
「じゃあ、帰りましょ」
再び人の雑多の中を歩く、先程まで空に居たことが今も信じられない。
「夢、叶っちゃったわね」
「言ってすぐに叶うとは流石に思わなかった」
「ま、そりゃそうよね。次はどうするの?」
「次?」
「次の夢」
「夢に、次があってもいいのか?」
「いいんじゃない? ヒトは幾つも夢を持ってるものよ」
「…… マリア、この造花の名前は何て言うんだ」
オレはセナからもらった造花を取り出して彼女にそう聞いた。
「ユウアキネね。そういえば、アンタの霊紋と一緒ね」
そう言われ、なんとなくこめかみの霊紋を触る。
「この花はね、その日の夕暮れ色を花びらに移すの。綺麗な花よ、ただ凄く珍しいから造花でしかアタシは見たこと無いけど」
「そうか」
「んー、じゃあさ、次の夢は本物のユウアキネを見てみるって言うのはどう?」
「そうだな。それも、いいかもしれない」
そろそろ住宅街に付いた後半分で屋敷に着く。随分と遅くなってしまった。
「…… ねぇ。記憶はないって言ってたけど名前は覚えてるの?」
「それは覚えてる。北条トキだ」
「あー。なんかしっくり来たかも、今より全然いい名前じゃない」
「同感だ」
「ふふ…… でも、その名前で呼んであげられる自信は、ないなぁ。『ホウジョウ・トキ』として育ててたわけじゃないし、アンタは『アンタ』で、アタシにとってそれ以外じゃあないから」
「…… そうか」
「それにね、名前で呼び合うのってちょっと…… 恥ずかしいじゃない」
彼女は照れくさそうにはにかんだ。
「それとね、おめでとう。さっきは言いそびれちゃったから」
屋敷の門をくぐり、芝生だけの庭を歩く。
「あとね、ありがとう。此処を出る前アタシの事庇ってくれたでしょ。嬉しかった」
いつからお互いの手を握っていたのだろうか。
扉を開ける時ようやくその事に気が付くくらい、お互い自然にそうしていた。
「あ」
「どしたの?」
「カードのスタンプを貰い忘れた」
マリアは笑っていた。
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