第5章― M O T H E R ―

1.成長と影

 修行の日々は続いていた。


 八日過ぎた辺りで、少年は『引』で衝撃を殆どいなせるようになり、一五日目を過ぎた辺りで岩壁を遂に登り切り、山頂から歓喜の声を上げた。


「よっしゃぁあああああああああーーーーーー!!!!」

「ほう、遂に登り切ったさね」

「あ、カアさん。見てた?」

「ああ、少し前からな。それより終わったなら、次に移れ」

「あー……もちろん直ぐ次の修行もするけど……」

「ん?」

「いやそのさ……"どう"かなって?」

「……ああ、そういう事か。問題ないまでには間に合わせるさね」

「……」

「どうした? まだ何かあるのか?」

「……いや。ちょっと寝ぼけてただけ。ソレより次々! 急がないとさ」


 一七日目。


「カアさんカアさん、この前さ『灯』を足に使って『引』でちゃんとしたらさ、めっちゃ早く動けた! 凄くない俺? 絶対新発見だってこれ! 超難しかったし!」

「『描駆びょうが』さね。まだ教えていなかったが、色を使ったな移動方法だ」

「き、基本……」

「ああそうだ、今度から山を登るときは『描駆』だけ使って登れ。上達も早くなる」

「うへぇ……」

『描駆』は素早く動く事が出来るが、高速で動く自身の身体を瞬時に周囲の物体と同調させ『引』で誘導し制御し無ければならず非常に困難を極める移動法だ。

 少年は生い茂る木々の中から無事に山頂までたどり着く間に通算で八回程骨折し、その度母に治して貰った。


「今日は何処にもぶつけなかったさね」

「まぁ、あれだけ骨折ってりゃイヤでも感覚覚えるって」

「……描駆はある程度使える様になった。これからは組み手にも取り入れていく」

「……」

「どうした? 何処か痛むのか?」

「……別に、凄くないんだよな。普通の事なんだよな。色を使える人間には。」

「そうさね。あんたには到達しなくてはならない場所がある。こんな所で足踏みはしていられない。時間もあまりない」

「……分かってる。ちょっと確認したかったんだ」


 一九日目。


 少年は猫の額ほどの水の入った桶を持って立ち尽くしていた。


「流石に無理だろ、コレ…… 」


 今や『反』の修行で使う桶の数は七つ、更に数が増えていくごとにソレは小さくなっていき、反を作用させることの出来る面積が少なくなり水に沈まない事がが難しくなる。つい先日はつま先でようやく立てる程で、流石にこれ以上小さくなりようが無いと思った矢先だった。


「…… 」


 どう考えても無理だが、やらねばならない。

 少年は以前一日だけこの修行をサボった事があるが、当たり前のようにそれがバレ、後の修行で地獄を味わった。二度とごめんだ。


 しかし、つま先ですらこの桶には大きすぎる。となると残るは指先だ。丁度、指二本程の広さはある―― 少年は覚悟を決めて桶の真上で逆立ちをし、水面に指先を乗せてから『反』を強め、ゆっくりともう片方の手を地面から離して姿勢を保っていく。


「ぐ、ぎ、ぎ、ぎ………… !」


 修行は厳しさを増していき、少年も日ごとに成長していった。


 だが、どれほど頑張っても褒められず認められない環境に、少年の心には徐々に暗い影が降り始めていた。



二二日目。


「色」

「色ッ!」

「引」

「―― ッ!色ッ!」


 色の防御訓練も少年は着実にこなせるようになり、フェイントに引っかかる事も無くなり、速度にも慣れて体捌きも良くなり、色もピンポイントに出せるようになっていた。


 この段階に来ると彼女は発声をやめ、より実践的に打撃を打ち、そして極めつけには―― 。


 ――カアさんの拳から色が消えたッ!?違う!うっすら見えるッ!どれだッ!どの

 攻撃だ! 分かんねぇ! 勘で当てるしかねぇッ!!


「灯ッッ!!」


 勘で繰り出した少年のソレは見事に彼女の攻撃を防いだ。


「……今の直感を忘れるな。熟達した使い手は色を透けさせて攻撃してくる」

「ふぅ ―― よし、んじゃ続きやろうぜ。別に今のも訳じゃねぇんだし」

「いや、十分だ。コレで終わろう」

「……え? 修行がってこと?」


 少年の問いに、彼女は静かに首を横に振る。夕暮れが近い。


「先に進む。『反』『引』それらの基礎は終わりだ。私は初めに言ったな、色には三つの状態があると『とう』と『じん』そして『際立ち』だ」

「んじゃあ、今度は『纏』か…… やり方は?」

「今までよりも簡単だ」


 彼女は近くの岩に腰掛け指先を紅く染め煙草に火を付け、紅い煙を吐く。


「言葉通り色を纏えば良い。だが、ただ纏うのでは無く、心の領域を肉体より三寸先に広げ、纏う。そうする事で色の基礎能力が上がり、個人の持つ心の理を現実に干渉させる事が出来る」

「理?」

「あまり難しく考えなくて良い。能力が一つ増える程度のものさね」

「ふーん……あら、何時もみたいにお手本とか無いの?」


 彼女は煙草の灰を落とし、一口吸ってから答えた。


「私はもう……出来なくなってしまったよ。纏う事も、際立つ事も――すまないな」


 夕日を眺める彼女の横顔は悲しげで、少年も何故か悲しくなった。


「……じゃあ、今からやってみるからさ。カアさん、見ててよ」

「……ああ」


 少年は気を取り直して『纏』に取りかかった。

 目を閉じ心の領域を広げる。


 言葉では難しく聞こえるかも知れないが、色とは心の力だ。心というモノの感覚は少年の中に既にある。少年は徐々に領域を広げていく。暖かい水に内側から包まれていく様な感覚で、それが身体を完全に覆った時、少年は色を纏う。


 水に火が着いた音がした。

 

 少年が目を開けると、自分が灰色に揺らめく炎を身に纏っている事に気付いた。だがそれは、真の炎では無い。炎を象っているに過ぎず、本質はやはり水である。水が炎の様に燃えているのだ。


 それは、下向きに静かに燃え、その火の粉は、雨と同じように地面に向かって降った。

 

 そして、雨に打たれる地面は、そこが水溜まりであるかの様に" しとしと" と波紋した。


 その姿は、沈む赤い夕暮れの世界から切り離されたかの様に、孤独で対照的だった。


「―― それが『纏』だ。問題なさそうだな」

「問題も無いし、確かにすげぇ力が溢れてる感じがするけど…… 結局これで何が出来んの?」

「さぁな。ソレを含めて後は理解の時間に充ててくれ、私は先に帰る」


 立ち上がった彼女はそのまま山を下りていった。


「……もうちょい、居てもいいじゃん」


 ぽつり。修行が終われば、母は直ぐに帰ってしまう。


 修行の合間に会話をする事が増えたが、どこか何時も味気ない。そしてやはり、少年が何を成そうとも、褒める事はしなかった。


 溝は溝のまま埋まる気配は無い。


 やる気を無くした少年は、何をするでもなく日が沈むのを待って家に帰った。


 二三日目。


 朝、少年がいつものように山頂に辿り着くと、母の姿と――岩に突き刺さる大剣

 があった。少年が部屋に置いていたはずの物だ。


 どこか物々しい雰囲気が辺りには漂っていた。


「―― 剣を取れ、グライス」


「…… な、なんで」

「仕上げだ。能力祭まで、今日を入れて後七日だったな?」

「間に合わせなくてはならない。色を担うモノとして" 最低限" まで辿り着かなくてはならない」

「その" 最低限" と其処の剣に、何の関係があるんだよ」


 風に靡く母の冷めた血の様に紅い髪、少年は嫌な予感がした。


「今から七日間、休まず私と


「だ――だから何でだよ! 最低限に殺し合いなんていらねぇだろカアさん!」


「最低限とはな、グライス。" 最低限" 転生者を殺せるという意味だ。私を殺せるという意味だ」


「今ココで殺し合わなきゃイケない力だって言うなら、俺はもう使わねぇよ!」


「もう遅い。『運命』がじき来る。安心しろ、死んでも私が命を戻してやろう。私を殺せるまでな」


「嫌だッ!!」


 空気が徐々に冷めていく。


 蝶が辺りを舞い始め、彼女の殺気は足下から背筋へ登ってくる。


「グライス、初めは優しく殺そう、優しく命を戻そう。だがその次は、強く殺す。痛く戻す」


 そう言いながら、少年の方へゆっくりと殺気を纏いながら彼女はにじり寄っていく。


 少年は動く事も出来ず、今この瞬間が夢である事を願った。


「―― 剣を取れ、グライス」

「………… 嫌だッ」


 母の腕が、泣きそうな少年の胸を貫いた。

 だが痛みは無く、腕から伝わる体温が少年を内から暖めた。

 

 そして訪れた強烈な眠気に少年はあらがう術を持たず、瞼を閉じた。






 それが、初めての死だった。







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