2.さ ん じ ゅ う に わ る に
何を言っているのか一瞬分からなかった。時計はⅠを刻み続けている。
『「三十二÷ 二だよ。分からないの?」』
「そうじゃない」
『「じゃあ答えなよ、さんじゅうにわるにだ」』
十六。
しかし、それが何を意味するのか分からない。
何だ。奴は何をするつもりだ。
『「頭じゃなくて、口に出した方が分かりやすいよ。よく知ってる数字だ、君がね」』
そもそも元の三十二はどこから来た。
何だ…… 何を示している―― まさか――。
「…… じゅう…… ろく…… 」
数字を口に出した瞬間その全てを理解し、オレは書斎から飛び出した。
長い廊下をもどかしいと感じたのは初めてだ。
息が上がり心臓も痛い。だが、急がなければ。
「マリアッ!!」
自室のドアを開けたと同時にオレは叫んでいた。しかし、返事は無い。
「はぁ、はぁ、居ない、どこに行った」
自室の台所辺りを見ると、ソースか何かを零した跡があった。
鍋の火は消してある。
「更衣室か」
侍女が使う更衣室まで走ると、そこにマリアの姿があった。彼女は扉の前で絶句し、立ち尽くしていた。オレが近づくと彼女は半開きの扉を指さした。
「ア…… アタシ、着替えようって思って、中で話し声がしてて、急に何も聞こえなくなって、開けたら、み、皆が……」
酷く動揺した彼女はそう言って壁に持たれると、糸か何かが切れた様にずるりと座り込んだ。
三十二。
それは、オレを含めたこの屋敷に住むヒトの数だ。
扉の中は、酷い有様だった。
部屋は血に濡れ、七人の侍女が首の動脈を切って死んでいた。
―― 赤い部屋って知ってる?
「そうか、時計によって数字を持つ人間を操り自らを自害させた…… 時計による人間の操作は死を強制出来る程のモノだったのか…… !」
ほぼ同時に死んでいる状態を見るに奴の時計は複数人を同時に操れる力を持っている『狂針』転生者としてのの格は随分と高いはずだ。
そして、今ある死体は七。後九つか。
「マリア、オレは屋敷の中を全て回ってくる。心配するな、キミは安全だ。落ち着いたら、街の衛兵に知らせてくれ。分かったな」
「…… うん」
膝を抱えた彼女はは小さく頷いた。
そうだ、マリアに数字は入っていない。
覚醒式を受けさせられてないからな。だから時計の影響を受けず操られて殺されることはない。安全だ。
事態はまだ収束していないのに、オレの心は既に安堵しきっていた。
屋敷の多すぎる扉を開け、数を数える。一、二、三、四と五、六、七と八。
あと一人足りない。侍女が行き交う部屋の全ては回った。いや、そうか。
オレが最後に向かったのは、執務室だ。この屋敷の主、この街の長がいる場所だ。
重々しい扉を開いて中に入ると、部屋は意外にも綺麗だった。正常だった。
天井から吊るされたロープで首を括った街長さえいなければ。
「十六か…… 」
〝とぅるるるるるるる〟
電話の音。今度は本物の黒電話が執務室の机の上に置かれていた。受話器を取る。
「―― ねぇ。君は今、自分が一体どのくらい運命の上を歩いていると考えてるのかな。答えはね、イチですらない、ゼロだ」
「…… 」
「言葉も出ないのかな?でも考えてみなよ、どうして君が太陽の樹の生まれ変わりなワケ? どうして裕福に育てられているんだい? 代わりを用意するなら別に君じゃ無くても良かったはずだ。ましてや侍女が拾った子供なんてね。ソレこそ権力者の子供とかもっと馬鹿そうな子とかでよかったはずだよ。ほら…… なにもかも最初から都合がよすぎるんだ」
「それが、時計の力が…… 」
「ぴん、ぽーん。
その言葉を聞いて、全身の血流が一気に逆流した様な寒気を覚えた。
手足の感覚が遠くなり心底ぞっとした。汗が伝う。
受話器から狂ったような笑い声が絶えない。
「―― さて、要件を言おう。直ちに、帝國に従え」
奴は低く短くそう言った。
「具体的にはそうだね。君はこの街の長として生涯この街を治めるんだ。なんたって君は街を救った英雄だ! みんな喜んで統治されてくれるさ。時計もどんどん使って洗脳しよう。そうすれば時計の針も進んでいく。ああ、安心してよ、申請さえしてくれれば結構自由に旅行とかも出来るし、望むモノやコトは大抵叶えてあげられるよ。何も悪い話じゃあない」
「…… 」
「どうしたの? ほらもっと喜んで、承認欲求を拗らせていかなきゃさぁ……!」
「…… 断る」
「…… あはは、いい話をしてあげよう。前にも君みたいなうんと首を縦に振らない強情な男が居たんだ。どうなったか教えてあげようか、五年前、僕の命令に従って彼は魔者でこの街襲わせた。それに、君の事をずっと監視して報告しているのも彼だ」
「何が言いたい」
「人は変わるし変えられる。それができないなら、壊して扱いやすいように組み直す。そうだ、番号は机の上に書いて置いたからさ、返事は早い方がいいよ。分かるよね。じゃあ、お休み」
〝ツーツーツー〟
電話は一方的に切れた。オレはしばらくの間、受話器から耳を離せなかった。
奴はまるで靴を履いた規律正しい暴力が足並み揃えて行進を行っている規則的ノイズのような、そんな男だった。
間もなく衛兵らが到着したが、一件は『乱心した街長の暴走』として片づけられ、大量の死者を出したのにもかかわらず世間には街長が死に北条トキが街長の役割を継いだという事実だけが広まっていた。
時計により情報の統制を敷いているようだ。
既にこの街はあの男にとって、手の内の中にある泥の玉と変わらないのだろう。
そうだとしても、出来ることを見つけなければ、街を守らなくては、彼女の為に。
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