13.覚悟

 笑いが渦巻く群衆の中から男の声を聞き、茫然自失だった北条の心がで溢れ始める。


『「分かる。分かるよ、キミのココロが……あーーーー分かっちゃうんだぁ! どんな顔をしてるのかも、目を瞑ってたってねぇ!一年前の僕も凄く同じ気持ちだったから。でも、今は、今の僕は、ヒトを地獄に落とす悪魔と同じ気持ちなんだ。たのしくってしかたがない」』


「…… 何をした」


 北条が聞くと、ヘラヘラとしていた男の声色が低くなり感情が途端に停滞した。


 立ち止まったままの群衆は、やはり一斉に話し始める。


『「ああー…… 彼女ね。馬鹿な女だよ。僕にまんまと誘き出されて…… キミに負い目があったんだ。それを利用した。その為に辛抱した一年だったよ、不安に殺されそうな一年だったよ。街中に君はセンサーみたいなモノを張り巡らせていたし、能動的に動くことはほぼ不可能だったし。本当に苦肉の策だった……」』


「何をしたと聞いているんだ…… 答えろ…… !」


 『色』が強まる。御しきれぬ感情がアカとして溢れ地を這い、根となり地面に亀裂を走らせ、アカく煙る北条の輪郭が蔦の様に広がる。

 ソレは花を除く多彩な植物の形を無作為にとって生まれては、枯れるように風に消え、輪廻の如く繰り返された。


 そして北条の問いに、男は嘲る。


『「はは、埋め込んでやったんだ。君をとして扱うように。頭の深ぁい所にね……数字だよ、キミが嫌いな」』


 北条の視線が泣きじゃくるマリアへと向けられる。


〝びくっ〟


『「可愛そーに、怯えてるじゃないか。まんまと彼女に唆されて油断した君が悪い癖になぁ」』


「……貴様ッ」


『「怖いなぁ、その眼。震えるよ。―― さて、本題に入る前に先ずは、君にだ。彼女に埋め込んだ数字なんだけど、実は不完全だ。うっすらと自我が残ってる。話した感じがキミを全肯定し続ける人間と少し違ったでしょう。つまりだ、彼女はまだ戻ってこられる」』


 言葉を疑う北条だったが、彼女との会話は確かに他と比べ人間味があったように思える。いや、そう思いたい。


『「そして残念だけど、悪いニュースだ。彼女は『色』を使った。あーーその顔。君も知らなかったんだろう。ボクも知らなかった。強かったよ彼女…… けど、勝ったのは僕だ」』


「……」


『「けど、なんで悪いニュースかって? 北条クン" ゼロ" って病気は知ってるかなぁ?」』


 " ゼロ" 体に定着した数字の値が全て零になる奇病。生命活動を数字に担わせている人間にとってのそれは死と同義である。発症する原因は明かされていない。


 公には。


『「アレはね、体に定着した数字が一定値を超える色素を検出すると発症するんだ。キミ達は色で出来てるからね。数字の理から抜け出す可能性が常に存在している。色は唯一数字に勝る力になり得る。怖いだろう? だから、そんな存在が生まれる前に殺すんだ」』


「そうか。理解したぞ。侮蔑という言葉の全ては、貴様らに向けられるべきだ」


『「最大限の謝辞をどうも……まぁとにかく、彼女は二日後に"ゼロ" を発症して緩やかに死を迎えるて訳だ。僕からの条件はただ一つ。時計を返せ。そうしたら、彼女を元に戻してやる」』


「嘘では無いという保証は?」


『「え? 無いよ。でも、信じて欲しいな。僕も君と同じだ。時計が大事だ。失いたくない」』


「……」


『「ああそうだ。言っとくけど、彼女に植え付けた数字は特別でね、僕と同等かそれ以上の時計を持つ転生者じゃないと取り除く事は出来ない。一応だよ、一応。君は諦めが悪いからね……それじゃあ、明日。この世界で。君が始まった場所で会おう」』


 人々に巻き付いた腕時計が消え、掌の口が消え" 電話" では無くなった彼らは素知らぬ顔で、一斉に日常へと戻る。


 北条の感情と共に溢れていた色も沈んでいく感情に合わせ、風の合間に消えた。


 北条とマリアを中心に生まれていた空間も徐々に雑多に埋もれ始め、二人を遮った。未だ聞こえる彼女が啜り泣く音。どうすることも出来ず、北条は立ち尽くしていた。


 夜が暗くなっていく。


  ――オレは、いつもこうだな。


 このまま二人、川を流れる枯れ葉の様に人の流れの中に消える訳では無い。


 一先ず、感情に踏ん切りをつけた北条は、人の雑多を掻き分けマリアの元へ向かった。


「―― !?」


 だが、そこに居たのは、先程までの姿とはまるで違う彼女だった。


 背が極端に縮み、ブカブカの侍女服にスカジャン。

 脱げたハイヒール。あどけなさ過ぎる泣き顔。

 現在では北条の記憶の中にしか居ないはずの幼い日の姿のマリアであった。


「うえーん!うえーーん!」


 流石に面食らった北条だが、未だに泣く彼女をそのままにしておくことは出来ない。膝を着き、彼女の頬から溢れる涙の雫を何度か拭い、少し落ち着いた頃合いで声を掛けた。


「マリア」

「えぐっ……うぐっ……は、はぃぃ」

「マリア。家に帰ろう。もう、怒ってないんだ」

「すん……ぐすん……ほ、ほんとですかぁ?ご主人様」

「……ああ。本当だ。それに、いつまでも此処に居るわけにもいかない。君の服もどうにかしなくてはいけないようだしな」


 北条に言われ彼女は違和感に気づき、キョロキョロと自身の姿を確認した。


「すん……あれぇ、ほんとだぁ。なんでブカブカ…… 」

「髪も解けているぞ」


 落ちていたゴムを手渡すと、それで彼女は髪を括る。

 北条にとって、やはり不思議な光景だ。

 癖の無いはずの髪質だが、括った途端そこが螺旋してアイロンか何かで巻いた様になる。心が疲れてしまっているのか、何故だか微笑ましさを感じていた。


「ふふ。いや、何でも無いんだ」


 ―― ああ、きっと君は変わらない。


「立てるか? 裸足では帰れないだろう。家までおぶろう」

「で、でも―― わぁ!」

「ほら、靴だけ持てるか」


 小さなマリアを負ぶった北条は地面のハイヒールを持たせ屋敷の方へ歩く。

 道中何を話すか頻りに考えていた北条だが、結局何も思いつかず、夜の街を無言のまま歩き続け、今は屋敷の広い庭を歩いている。


「…… 済まなかったな。怒鳴って君を混乱させてしまった」

「いえ、アタシがきっとイケないことをしたんだと思います。だって、ご主人様、スゴく悲しそうで……もしかして、今も悲しいですか?」

「…… そうかもしれない。だが、少しだけ、今は和らいだ」

「きゅふふ……よかったぁ……ふわぁ~~……」

「眠いなら寝てていいぞ」


 北条の言葉が聞こえていたのかどうかは分からないが、彼女は直ぐにも寝息を立て始めた。北条は初めて、寝ている人間は起きている時より重くなるのを知った。


 程なくして屋敷へと帰ってくる。


 屋敷の長い廊下を歩く途中で眠る彼女が持っていたハイヒールが落ちたので、何とか拾い直しながらゆっくりと二人の寝室まで向かい、ようやく彼女をベッドへ寝かせ一息つく。


 ―― 詳細は不明だが、この姿、恐らくは数字と色が互いに干渉し合った結果なのだろう。しかし、こうなってしまっては、ヤツの戦闘能力について聞き出すのは難しいな。


「……考えることが多すぎる。オレに悲しんでいる時間も、悔いている時間もなさそうだ」


 ―― そうだ。そんな時間は無い。色の力が心の力だというのなら、前に進む覚悟で満たせ。無防備に眠る小さなマリアの姿を隣のベッドに座って北条はじっと見た。


 時間が過ぎていく。


 線だった空の雲が徐々に形を変えていく。


 多くの困難を味わった。


 時計の影響により自身が知る多くの人物が彼に対し盲目で頷き続ける奴隷のように振る舞う光景は、酷く彼の心を孤独にさせた。


 パン屋の孫のセナの死は、北条にこの世界と自らの運命を憎ませ、心が絶望によって砕けかけた。そのとき、その心を支えたのはマリアだが、救ったのは、数字を持たない少年の声だった。


 この世界で生まれ、巨大すぎ る力に翻弄されるが、必死に自分の生き方をしようとする。不条理に友人が晒されたのなら、自分の事のように怒り、原因に立ち向かうことが出来る強さ。北条が一度は諦めたこの世界。


 だが、そんな世界でも、少年は生きようとしていた。此処で生まれたのだから、此処で死ぬまで生きるのだ。何が悪い。何も、だ。


 この世界が全てで、その命が全てだ。他に二つとありはしない。故に、一度死んだ人間が、世界を消費しようとする行いは決して許されぬ悪なのだ。


  ―― 都合のいい作り物では無い、この世界は。


 思い返す度、北条は少年に感謝する。

 だがその度、少年を嫌いになるのも事実だった。


 様々な思い出が、彼の脳裏に浮かび上がっては消えた。


 日はいつの間にか昇っていた。


 日差しから差し込んでくる思い出はどれも暖かい記憶ばかりで、確かに色付いている。もしかすると記憶を振り返るのもこれで最後かもしれない。

 マリアを元に戻せるというのは全くの嘘で、再び彼女に会うことはもう無いのかもしれない。それでも、今は行くしか無い。


 思いを馳せながら、北条は記憶の一つ一つを大切に心へ仕舞っていく。

 心はもう砕けない。


 日はあっという間に暮れ始めた。


 彼にはやらなくてはならない事が多い。

 立ちはだかる転生者を排し、マリアを救い、世界も守る。大それた話だ。

 人は生涯の内に一つ成せれば上出来な部類なのだから。


  ―― だが、。必ず果たしてみせる。

 

 決意と覚悟は十分に心に満ちた。


 まだ寝息を立てるマリアの寝顔を一度だけ見つめ立ち上がった彼は、くだんの因縁を絶つ為に『太陽の樹』の跡地。


 己が始まった場所へ向かう。

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