12.『「 は は は は 」』

 北条が目を覚ましたのは寝室ではなく書斎だった。

 いつ眠ってしまったのか北条に記憶は全くなかったが、体が少し痛むので二時間ほど寝ていたのではないだろうかと考えた。


 ふと書斎の窓を見ると夕暮れはとっくに終わり、月が灯き、空は夜へと差し掛かっていた。


「……しまった!」


 北条はマリアとの約束をようやく思い出したのだ。

 夜に十字路で待ち合わせのはずだった。

 彼は慌てて白いコートを羽織ると屋敷の玄関へ向かって走った。


「?」


 彼に立ち止まっている時間はないはずなのだが、違和感を覚えた。


 玄関が開きっぱなしなのだ。いつもは必ず閉まっているはずの場所だ。

 北条の胸に一抹の不安がよぎる。" まさか" そう思って彼は自身の輪郭をアカ煙らせる。色の力だ。これで街中に根付かせた彼の植物に接続し、彼の"メ"として情報を得ることが出来る。


 目を閉じ十字路付近の植物のメに接続すると、人が行き交う光景が頭の中に情報として流れ込んでくる。その中からマリアを探す。


「………………居るか」


 彼女を発見した北条は、安堵の息を漏らした。

 帝國による襲撃は無かったのだと考えた。


「しかしこの『色』の力、自分の手や足よりも馴染み深く感じてしまう。この懐かしさに似ている感覚はどこから来ているのだろうか。未だに解を得ないな……急ぐか」


 きっと彼女は怒っているだろう、まだ完全に夜では無いとは言え待たせてしまっているのだ。文句の一つか二つは言われるだろうなと頭の隅で考えた。


 通りに出て空を見上げればまだ少し青い夜。

 色の付いた空は彼にとってはまだ新鮮だ。昔は何も感じていなかったこうした移動でさえ、北条は密かに楽しみを感じるようになっていた。


 ずいぶんな変わり様だと自分で笑ってしまう。

 徐々に人通りと明かりが増え十字路に近づいてきた。数字を持つ人々は未だに北条に対し特別な感情を持ってはいるが、色をほんの少しでも纏っている間は彼らは北条を普通の人間として大抵は扱ってくれる。


 故に今までのように群がられることはほぼ無くなった。

 行き交う雑多の中、北条はようやくマリアを見つけた。


「済まない。待たせてしまったな」


 後ろから声を掛けると彼女は驚いたような仕草を見せ振り返った。


「あ、。よかったです」

「……え」

「あ、あ、あの様。アタシここで待ってなきゃいけない気がして、でも何でだか覚えてなくてですね。すごく不安だったんです。だって、ご主人様とのお約束を忘れるなんて侍女失格じゃ無いですか。だから―― 」


「マリア」


「はい?」

「怒って、いるのか?」

「え……どうしてですか? 怒ってませんよ」


 北条の心臓が鼓動を増していく。彼女の肩を掴む。


「あ、あの。どうされたんですか?」

「こ、答えてくれ。マリア。オレの質問に」

「は、はい」


 最悪が北条の頭によぎる。必死に振り払い。必死に冷静さを保とうとした。


「…………あのー?」

「…………オレは誰だ」

「……ご主人様ですよね」

「…………名前は」

「…… ホウジョウ・トキ様です」


 呼吸が速くなり、手に力が入る、景色が徐々に回っていくような感覚。


  ―― アンタはアンタでしょ?


 遠い日の彼女の言葉が何処か遠くで聞こえる。


「い、痛いですご主人様……」

「…………………オ、オレは何だ」

「ホウジョウ様、ほ、ホントに、痛いです!」


  ――それに、名前を呼ぶのって恥ずかしいじゃない。


「オレは何だ!!! 答えろ!!!」

「あ、え、あ、あ、あ、あの…… です」







 思考停止。







「誰なんだ、お前は」

「え、あた、わた、タシ、マリ―― きゃあ!」


 北条は気がつくとソレを突き飛ばしていた。思考が定まらなかった。

 目の前にあるモノは彼女であって彼女で無くなっていた。


「ホ、ホウジョウ様…… ど、どうし―― 」

「俺の名前を呼ぶな!! その声で!! その姿で!!」


 感情のままに吐き出した言葉は、彼女に突き刺さったようで、彼女は泣き始めた。

 泣き声と無数の足音の中で北条は暫く呆然としていたが、ある音が彼の意識を連れ戻した。


『とぅるるるるるるるるるるるるるる』


 電話の音だ。

 

 十字路を行く人の雑多が、不自然にマリアと北条を避け始めた。


 電話の様な音は、十字路に居るの人間より発せられている。


 談笑する婦人から、玉遊びをする青年達から、呼び込みをする店員から、カフェで読書をする男から、十字路を歩く親子の親から、この音は鳴り響いている。


 暫くすると、半透明の時計が巻き付いた通行人達の腕の掌に口が出来ると、彼らは糸の切れた吊り人形の様に一斉に動作を止め立ち止まる。"電話"なったのだ。


 そして、そのどれもがはち切れそうな口角で笑った。



『「ははははははははははははは!!! ははははははははははははははははははははははははは!!! はははははははははははははははははははははははは!!! あははははははははははははははは!! ははははははははははははははは!!」』


 それこそ、この街の全てが裏返り、笑い声に変わってしまったのかと思える程の、狂乱狂喜ノ狂笑だった。きっと" 電話" の向こうの男は楽しくて仕方が無いのだ。

 滑稽で仕方が無いのだ。





『「ふぅ……あーーーーーーー笑った笑った。やあ、北条トキ君。一年ぶりだね」』





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