11.青い夜
自室から上着を片手に持つアヲイ髪の侍女が夕闇の長い廊下を歩いている。
限りなく青い夜に近い、あの群青の髪の毛。
背高の向日葵を少し追い越すくらいのあの背。
剣呑な表情が窓から差す夕日の浮いては影に消える。
そして窓が途絶えた濃い影の中、清純を表す侍女服を塗り替える様に、燃える枝を咥えた鷲の上着を羽織るのは、重たい羽の侍女。
『マリア・クウェル』
玄関の大扉を開き何もない庭を歩く彼女のアヲイ眼は、光を反射して夕闇に浮かんでいる。
手紙は二通あった。
一つは北条トキ宛てに、もう一つはマリア・クウェルに。
送り主は、悪逆非道を尽くした帝國の転生者『無顔』だった。
人通りの少ない道を選び、キテル大樹林へと向かう。
日が落ちるにつれ、青い夜が広がるにつれ、彼女の髪の毛は空との境がなくなっていく。
闇ばかりの樹林だったが、進むにつれて光が見えてくる。
赤い光だ。暮れた赤だ。今日の夕暮れの空のあの赤だ。侍女は光に向かって歩く。
ようやくたどり着いたのは、朽ちた太陽の樹の跡地。
今は、ユウアキネばかりが咲く花園。
暮れた赤の中、樹の亡骸を見上げる布を巻いた男が一人。
「運命という天秤はやはり僕の方に傾いている。あるいは傾き始めている」
振り返った男の顔面はやはり黒い布で巻かれ日本語で『無顔』と書かれていた。
彼女には読めない。
「でも、本当に来るとは思ってなかったなぁ。たかが花の為にさぁ」
「あの子の夢のためにも、花を失うワケにはいかない」
「夢にしたって大げさすぎやしないかな。過保護が過ぎるんじゃあないかな、はは」
ユウアキネの花は非常に希少で更に栽培となると困難を極める。
彼女は花を見つけ満足に栽培するまでに九年を費やしていた。
全てはあの日、北条に夢の話をした時から始まっていた。
そして、今日送りつけられた手紙には、その花を根絶やしにすると脅迫されていた。彼女はそれを読んだ時、迷った。
どうするべきか、九年を掛けたとはいえたかが花だ。だから彼に聞いたのだ、その価値に値するかどうか。命を掛けるに値するかどうかを
あの時、夢の話をした時の北条の表情は幼い純情が見えた。命を賭ける理由には、それで十分だった。
今夜、この侍女は転生者を殺す為にここへ来た。
「それにしても、侍女服にスカジャンってさ、いい趣味とは言えないなー」
「ゲスの為に着てるわけじゃあないのよ」
「そりゃそうだ。でも、一人って言うのはさすがに無謀だねぇ」
「これ以上あの子に負担は掛けられない。アタシはあの子が本当に苦しんでいる時にそばに居て寄り添ってあげられなかった。気づいてあげられなかった」
「ははは。立派、立派ぁ。涙が出ちゃうよ」
風が横に吹き、木々のさざめきの合間に花が揺れ、スカートの裾が横に広がりたなびく。マリアは、対面に立つ男からの圧力とその邪悪が繰り返す時計の音と共に増していく気配を感じ取った。
徐々に場に『数字』が溢れ始める。
『Ⅰ』の形をした数字は場を覆い尽くすように光り広がっていく。たった一人の肉体から放出されているとは思えないほどの圧倒的な力。
転生者は人に非ず。
そして彼女も人ではない。
〝カタカタカタカタカタ〟
機械仕掛けの羽が一枚一枚広がっていく。
それは、花が触れると散って、星が写ると歪み、生物が触れると、赤くしたたる重たい羽。
次第に時計と歯車の音が交差する。羽は広がり。時計はⅠを繰り返している。
空気が張り詰めていく。その中で無顔は違和感に気が付く。
場を埋め尽くしているはずの数字が彼女の周りだけ切り抜かれたかのように薄くなり、しかもそれは徐々に数字を押し返すように広がっていく。男がスキルを用いて目を凝らし彼女をよく見れば、その理由が分かった 。――『色』だ。
彼女の輪郭は群青にアオく染まっていた。
目を凝らせば凝らす程、輪郭から滲み出る様に羽からアオが広がっていき、終にはこの夜空を抱えられる程に羽は大きく重くアオくなっていた。
風が吹く。数字は色に触れるたび消えていく。
薄明の空に重なる羽は空よりも少し濃い。
「わぁ……キミは、青いんだ」
花が散る―― 。
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