18. 一輪のユウアキネ
「ダメな……女よね……守るって……言ったのに……結局……負担に……なって」
「マリア、もう喋るな……!」
どれだけ押さえても血は止まらなかった。
赤く泥のような血がゆっくりと広がっていく。
「ダメだ! ダメだ! 頼む、止まってくれ……頼む……!」
「そんな……顔……しないで……だいじょうぶ……だいじょうぶだから」
必死な北条を宥めるように、マリアは北条の涙を何度も拭った。
それでも、北条の視界は滲んだままだった。
「きゅふふ……知ってる? アナタ……怖いこととか……不安なことがあると……手をそうやってぎゅっとしてるの……昔からずっとそう……でもそれじゃあ……何も掴めないから……夢も……未来も……そうよ……良い子ね」
ぎゅっと拳を作っていた彼の指を、彼女は一つ一つほぐすように、花弁を開くように、優しく開いて、最後は両手で包み込んだ。
「もしかしたら……アタシは……側に居ないかもしれない……それでも……きっと……アナタなら……前に進めるはずだから」
言葉を贈り、胸の上着のポケットに手を伸ばす。
「花が……あるの……他はみんな散ってしまったけど……一つだけ……一輪だけ」
彼女が震える手でポケットから取りだしたのは、小さな花だった。
その花びらに夕暮れを写す。
ユウアキネの花だった。
「バカよね……花一つで、大げさよね……でも、でも……あの時すごく、子供みたいだったから……アナタの魂の輪郭と同じ花だから……アタシ……!」
「……それでいい……それでいいんだ……。君の生き方のはずなんだ」
渡された花は彼の人生の中で何よりも重かった。
ヒトのココロをどんなモノよりも感じた。
綺麗だった。心がたくさんの何かで広がっていく。
「また……夢が叶ったわね……だから……次の夢……探さなきゃ……」
「なんで、オレばかり。君の夢はどうなるんだ。幸せになりたいんだろう? 夢なんだろう?」
「アタシは……ダメなのよ……叶えられっこないから……だって……花が……幸せなんだとしたら……アタシには咲かないから……泥が……血に流れてるもの」
「違う! 泥にだって咲く花はあるさ!」
「ほんとう?」
「ああ……蓮の花だ……! 綺麗な……花なんだ……」
「へん……な……なまえね」
「聞き慣れないだろう。オレの世界の花だから。此処に無い花だから」
ユウアキネの花と一緒に彼女の手を握った。
「だから……! だから……! オレが……花になる…… ! その花になる! キミはオレの羽になってくれたから……!」
彼女はソレを小さく握り返した。
「うれしい……ねぇ……もう一度……もう一度だけ……名前を呼んで……アタシの名前」
締め付けられるような感情の中で北条はやっと声を絞り出した。
「…………マリア」
名を呼んだ。
微笑んだ。
「……アナタが……アタシの幸せなのね」
瞼が閉じた。
風が花と髪を揺らした。
ユウアキネの花を彼女の胸にそっと置き、立ち上がる。
初めての感情の中に彼は居た。
怒りであった、悲しみであった、感謝であった、憧れであった。
だがどれも違う。
心の奥底から湧いて出るこの感情はどれにも当てはまらず。
途方もない激情の中に確かに居るはずなのに妙に穏やかだった。
それは、感情が一つの方向に極まり、際立とうとしているからだ。
故に、一つの感情の終着点である。
ヒトの心の美しさを讃えた。
感極まった人間讃美の果て。
「別れの言葉は済んだかい?」
その美しさを受け入れぬと言うのなら。
花のように散ると良い。
羽のように散ると良い。
「始まりと終わりは、何時だって似てる。だから、キミを燃やしてしまおうと思うんだ。太陽の樹を伝ってこの世界に生まれ落ちた時のように、布で包んで火をつけて……ははは」
「その必要は無い」
見ろ。心だ。
心が燃えているのだ。焦げる程に。
「…… えっ?」
見ろ。蕾だ。
花が開こうとしているのだ。勇ましく。
「その必要は無いと言った」
彼の右腕が夜より深くひび割れた。
彼の視界にはアカだけが残った。
また、こめかみが熱くなる。
嗚呼、饒舌に吹き上がる。
火だ。火だ。火だ。
「オレは既に燃えている」
その炎は骨の芯から燃えていた。
―― S T A N D O U T ――
色、際立つ。
その炎は、ひび割れより舞う花炎であった。
煙は螺旋を開始した。
世界がアカく暮れていく。
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