6.修行の日々

 あれから三日が経った。


 早朝、日の出前の山頂には白く霜が降り、吐く息が白む少年の姿も其処にあった。


 少年は岩壁を正面に軽く準備運動を済ませると、両足に色を乗せ岩壁に色の輪郭を寄せ、『引』を始める。


「いっち―― に―― さん―― し―― ごぉ―― ろぉく―― しぃち―― はっち―― きゅう――」


 少年は垂直の岩壁を『引』を用いて磁石の様に張り付き、両足だけで登っていく。


「にじゅいち―― にじゅに―― にじゅさん―― にじゅし―― にじゅご―― にじゅろく―― 」


 目の前にあるのは一つの岩壁だが見方を変えれば寄せ集まった個々の岩でもある。その為一歩足を進める度に色をその箇所に合わせて色を寄せて同調させる必要がある。さらに、自身の体重を支えられるだけの強度の『引』でなくてはならず、その集中力を鍛える修行の一つだ。


「さん……じゅう……ご。さんじゅう……ろく。さんじゅう……さん、さん――あー! 無理!」


 集中力が切れて『引』を継続できなくなった少年は岩壁を強く蹴って身体を離し、地上へ落下していく。かなりの高さだ、何もしなければ骨折は免れないだろう。だが、この落下でさえも、修行の一つ。

 『引』は同期物に対して、自身が受けるはずの衝撃を受け流す事が出来る。無

 論、どれほど受け流す事が出来るのかは使用者の技量による。


 少年は全身に色を乗せ着地点を対象に色の輪郭を同期させ、『引』の度合いを強める。空中で身体を捻り体勢を取り直し、そして着地。

 少年が受けるはずだった衝撃を受け流された地面は激しく砕けて少し凹んだ。


「あークソまだちょっと痛ぇな…… でも三十六歩は新記録よォ! その内上までイケるかもな」


 だが一つの対象に無限に衝撃を受け流せる訳ではない、より広範囲に『引』を使用し衝撃を散らす事が求められる。


 日が顔を覗かせ始め、次により広範囲に『引』を作用させる修行へと移る。

 少年は山の木々が連なる森の入り口に立ち、目を閉じ大きく息を吐き集中する。掌を合わせてから胸の前に置き、色を乗せ、輪郭をあの白い霜へと寄せていく。それから、ゆっくりと手を広げていき『引』を用いて朝日が霜を消してしまう前に、それらをできるだけ多く少年の手に集める。

 そして、白く大く涼しげなうねりが、少年へと向かって行き、程なくして其処には

 頭一つ分の水球が生まれる。少年はソレをこぼさないよう『引』で形を保ちつつ岩場に置かれた空の大きな桶に注ぐ。ソレを十回度繰り返すと、桶はやがて満ち『引』の修行は一旦終わる。


「あーかったるいぜ」


  ―― でも最近『引』が分かってきた気がする。要するに『引』ってのはモノに対して強制的に紐を繋げるんだよな。んでその紐を引っぱったり、自分の身体を引き寄せたりできるワケだ。衝撃を受け流すのは長い紐を上下に動かしたら端までが伝わってくアレに近い。


 少年は一息つくと。今度は『反』の修行に移る。

 人一人が寝転がれるぐらい大きな桶に貯めた水の上に『灯』を使わず無意識的に纏っている『反』の力のみで反発を起こし水面に浮き続けると言うモノだ。

 通常の『反』ではそのようなことは出来ないが、火や水や風といった外殻を持たず、色そのものに近い物体には意識すれば色の衝突によって起こる反発が作用する。


「ゆっくり~ゆっくりだぞ~」


 少年は沈まないように、感触を確かめながら水面に足を乗せる。


「せーのっ」


 かけ声と共に、もう片方の足も水面の上に乗せ、沈まぬよう『反』を足に集中させしっかりと立つ。


 『反』は色や物体を押しのけ反発する力。常にそれが及んでいるため水面はやや波立つ。


『反』が強すぎると自らの身体が桶から弾き出され、弱すぎると沈む。

 自分の体重や重心をを考え、水面に接している部位の『反』の強さを絶妙に調整し駆使しなければならない。


「はいはいはいはい、よしよしよしよし…… よぉーし」


 少年は水面にそろそろと手を付き、ゆっくりと体勢を変え、胡座をかく。

 後は、母が山頂に来るまでの間コレを保ち続ける。

 以上が朝の修行となる。


 そして、雲が変わり日も昇りきった頃、ようやく彼女は現れる。


「もういいぞ」

「よしきたッ!―― セイヤッ!」


 終了の合図ともに少年は水の入った桶を天高く放り投げると、水が雨の様に少年に降り注ぎ日差しで火照った身体を冷ます。


「慣れてきた様だな。次からはもう一つ桶を増やそう。二つ共を霜で満たすんだ」

「え~~! ―― おっと…… ようやくって感じなのにさぁ~まだ増えんのー?」


 少年は落ちてくる桶を受け止め地面に置きながら、不満げに言った。


「出来る事ばかりでは成長はそれ程見込めない。出来ない事を出来るようにするのが一番さね。今度の桶はソレよりも一回り小さい『反』で浮くのもそちらだ。無理では無いだろう?」

「つれぇー」

「それが" 修行" さね。さて、準備は良いか」


 少年は頭を左右に振って髪の水滴を飛ばしてから答えた。


「いつでも」


 そう言った瞬間、彼女は少年の頭部向かって素早く蹴りを放った。


 そして蹴りが当たる手前で「しき」と声を発し、いろを足に乗せる。


 少年もそれに合わせ同じ様に「色」と発し、腕に色を乗せて防ぐ。


 ぶつかり合った腕と足は互いの色によって反発し、衝撃で互い身体が後ろに仰け反る。


「灯」


 体勢を立て直す間もなく、すぐさま次の攻撃が少年に向かって飛んでくる。


「灯ッ!―― がッ!?」


 咄嗟に肘に色を灯し攻撃を防ぐが、少年の身体は大きく弾き飛ばされる。


「飛ばされないよう身体を地面に『引』で固定しろ―― 色」


 今だ宙にある少年を追い、彼女は追撃を仕掛ける。


「くっ―― 色ッ!!」


 空中で攻撃を防ぎながら、『引』を使い地面に身体を寄せ浮かぬようにしつつ、素早く立つ。


「引」


 その上から、少年の灰色に寄せられた手刀が振り下ろされる。


「引ッ!」


 ギリギリで彼女の紅に色の輪郭を寄せた両腕でソレを防ぐ。


「……速度を上げよう」

「げっ!」


 突如始まった打撃戦だが、これもれっきとした修行の一つで、彼女が発声した色での攻撃を同じモノで防ぐ。ただの色はただの色で、色を灯せば色を灯し、色を寄せれば色を寄せる。


 色の瞬発力や出力を適切に行う為で、いわば色の基本的総合練習に近い。


 そして、少年が攻撃を防ぐ度に攻撃の速度は上昇していき、ソレにすら慣れてくると―― 。


「色」

「色ッ!―― なッ!?」


 彼女の発声に合わせ確かに色を乗せて防いだはずの攻撃は『引』だった。


 相手の色に寄せた『引』を『色』で防ぐと反発が起こらず、更に引き寄せてしまう為、攻撃を素早く鋭くしてしまうどころか一方的に色で強化された一撃を貰うことになる。


「ぐぉおおおお!!いっでぇええええ!!」


 防御を貫かれ攻撃が鳩尾に大当たりした少年は痛みで地面をのたうち回る。


「甘いな。しっかり自分の目で見て判断しないから簡単なフェイントに引っかかる」

「く…… くっそ~」

「それと、広範囲に色を使い過ぎだ。もっと絞って攻撃を受ける箇所にだけ使うんだ。でないと直ぐにバテるさね」

「あれもこれも出来ないってー」

「出来る様になれ、でなければ実践で死ぬだけだ。さぁ続けるぞ」

「まってまって! まだおなか痛い! まだスゲェ痛い! あーー!!」


 それから日が傾くまで少年はみっちりと絞られた。


「―― はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……!」

「よし、今日はこんなモノだろう。私は先に降りる、後は" 理解" の時間に充てろ」


 彼女はそう言って山を下りていった。

 痛みと疲労で立つ事すらやっとの少年は彼女が見えなくなると、そのまま大の字に倒れた。


「きっつー…… 」


 少年は大の字で寝そべったまま息を整え、夕日の中で丸みを帯びていく雲を暫く眺めた。それから少年は〝理解〟の修行を始める。その日を締めくくる最後の修行だ。


「ふぅ」


 おもむろに体勢を起こし、手頃な石を手に取る。そして、夕日に染まった茶色の石を己の灰色で染め、支配していく。支配を完了した後は、自らが持つ『概念的に切り離す』と言う特色、その素質を様々な解釈や角度から作用を試みる。文字通り特色について〝理解〟する。


  前二つに比べ動きや派手さは無いが重要な要素である。少年の持つ解釈と特色が噛み合えば、物体は様々な変化を起こす。今のところ少年は自身の色に三つの素質を見出している。


 一つは物体の『硬さ』を切り離す事。コレは少年が初めて色を作用させたときに見せた素質で、硬さを切り離された物体は衝撃を受けると水の様に液体となって弾け形を無くす。


 二つ目は、物体の『粒子化と再構成』である。切り離す事をより物理的角度から捉え、物体を文字通り際限なく粉微塵にし『引』を用いて元の形に戻す。だが、粒子化を維持できる時間は瞬きをする程も無く、それ以上続ければ物体は塵へと消える。


 三つ目は、物体の『重さ』を切り離す事。至極単純で使い勝手が良い。大きな岩をたやすく持ち上げ大剣を軽く振るう事が出来るが持続させると色は際限なく消費される。


「そうだなー例えば石を投げてその「速さ」を切り離すとかどうよ―― おらっ」


 一見して、様々な解釈を用いれば無限大な可能性を引き出せるように見えるが、心底と言う言葉があるように、ヒトには底がある。限りが有り、宙は無い。見出せる素質もその底から拾い上げるしか無いのだ。無いモノは拾えない。故に" 理解" するしか無いのだ、底を少しずつ。


 そして、一つ素質を見出す度に他の素質は重く常識の様に堅くなって透け始め、最後には見えなくなる。人に寄るが、大体見い出せる素質は五か六程度である。


「チッ無理かー」


 少年が放った石は特に何が起こるでもなく着地した。拾いに行くのも面倒なので、少年は座ったまま違う石を拾って灰色に染め、日が完全に暮れるまで" 理解" を続けた。

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