5.山頂で

 明くる日。少年の目覚めは、存外すっきりとしたものだった。


 眠りを挟めば大抵のことは平らになる。感情も、溶けるか冷めるのだ。

 少年は身体を起こした後もベッドの端に腰掛け、しばらくは腑に落ちない様子だったが、目に付いた雑誌の漫画を寝転がって読み耽っている内に、いつもの調子を取り戻していった。


 雑誌をを閉じると共に「よし」と言って立ち上がり、母の元へと向かう。


「カアさん、続き」


 少年に呼ばれ、彼女は書きかけの本を閉じて振り向く。


「……外へ行こうか」


 二人は庭を通過し木が生い茂る山の中を歩きながら話す。

 四角形の雲、青空、風は穏やかだ。


「さて……今回は『反』と『引』だな」

「あー……もしかしてさぁ、色って同じ色なら引き寄せ合って、違う色なら反発して。なんてーの?磁石の反対みたいなカンジで、それが『反』と『引』だったり?」

「その通りだ。『支配』の習得にはこの二つの習性に自力で気が付く必要があった。頭で理解しても出来る事では無いからな。感覚が最重要だ」

「ふーん」

「特に戦闘や移動だけでなく『反』と『引』は色々と役立つ。これもやって見せた方が早いな」

「そういや、俺らってドコに向かってんの?」

「あそこだ」


 彼女が指差したのは、少年らの住むこの山の頂上だった。


「まじかよ……」


 程なくして、山頂付近にたどり着く二人。

 この山に特徴と言う程のモノは一つしか無く、それは、山の天辺の東側半分がすっぽりと欠けてしまっている事だ。欠けている部分は、岩肌がむき出して木などは一切生えて居らず、代わりに高い岩壁が聳えている。

 登り疲れた少年は、その辺に転がっている大きな岩に腰を掛け、巨大な岩壁を見上げている と「座ったままでいい、見ていろ」とカアがその側を横切って岩壁へと向かいソレを叩く。


「この通り堅い岩壁だ、生身の拳ではどうする事も出来ない。だが、色を拳に乗せればどうだ?」


 彼女は、岩壁に背を向け少年の方を向いて話し始め、そしてその拳に紅色を乗せた。


〝ドォオン!〟


 壁に背を向けたまま拳の裏で小突けば衝撃音と共に岩壁にめり込み、その周囲はひび割れた。


「そして色の乗った拳に肉体の『反』の力を更に加えれば―― 」


 鮮血に似た紅は昏く濃く大きくなっていき、冷めた血のアカに変わっていった。


「この状態を『灯』という。灯せば色は一段と濃く昏く重くなる」


 そして、その拳を先程と何ら変わりない動作で岩壁に――。


〝ドオオオオオォン!!〟


 轟音と共に激しく砕けた岩の粉塵が舞った。


ソレが晴れると少年の目に飛び込んできたのは、衝撃で凹み、幾つもの深い亀裂が走り、今にも瓦解しそうな程脆くなった岩壁だった。


「まじかよ…… 」


 彼女の何十倍も巨大で堅い壁が、だだの一撃でこうなってしまった事実に、少年は驚愕した。


「これが『灯』そして『反』。色の基本的な打撃にあたる。やってみろ」

「…… や、やってみろっ言つったって、カアさんみたいにいきなり壁をぶっ壊したり出来ねぇよ」

「誰も壁を壊せなんて言っていない。肉体の『反』を使って『灯』すだけでいい」


 少年は拳に色を乗せ見様見真似でやろうとするが、灰色はうんともすんとも言わない。


「んー……肉体の『反』って言ったってさあ、そもそも『反』って違う色同士がが反発し合う力のことじゃなかったっけ?」

「ソレは違う色同士が直接ぶつかる時か、追い出す時に起こる現象だ。私達は色で出来ているが、互いの色には普通干渉できない。いちいち色が干渉し合っていては物体に触れるだけで弾かれてしまって、まともに立つ事とも出来ないだろう?」


 言葉を聞いて少年は手を閉じたり開いたり、自身の身体を不思議そうに眺めた。


「では何故干渉しないのか? それは物体の外殻や私達の肉体は共通して「無色」の『反』を纏っているからだ。よって反発は生まれず互いの境界線は保たれ、そして『灯』はその肉体の『反』を取り入れて色を出力するさね。まずは認識だ。無意識に纏っていた二つを認識するところから始めろ。そうすれば後は単純だ」

「なるほどな……」

「では―― 拳を灯せ、昏くな」


 少年は拳に色を乗せてから目を瞑り『反』そして『灯』を開始した。


(……確かに俺の肉体から無色の『反』が靄みたいに溢れてる。結構デカいな。後はコレを取り出して、俺の灰色に混ぜる……どンくらいだ? 一割ぐらいか? 全部は、なんかヤバいよな……よし、どうだ)


「できた……!」


 少年の拳の灰色は確かに昏く灯っていた。


「カアさん! 俺コレでなんか殴ってみても良い!?」

「その前に、今度はその場で飛び上がってから両足を灯すんだ。少し難しいが出来るか?」

「え……ジャンプして両足? こう?」

 

 少年は言われた通り飛び上がり、両足に色を灯し、そして着地――と同時に天高く飛翔した。

「うおおおおおおぁおぉおぉおおお!!!??!?? おぉぉおおおぉおお!!?」


 山など遙か下、宙へ放り出された少年の身体は雲を突き抜け朝日に眠る月と同じ高さまで舞い上がった。其処から見える景色は少年の世界観を一変させるような見事な絶景でもあったが、ソレを理解する前に身体は落下を始める。


「あああああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ………… !! ――あふぅン!!!」


 そして再び山頂の、大量のアカイ蝶々の上に少年は落ちた。

 五体は満足無事である。


「このように『灯』とは爆発的な力を発揮できると同時に、当然反作用の法則で、与えた衝撃分が返ってくる。この衝撃は『引』を用いることでほぼ散らす事が出来るが、ソレが出来ない場合…… さっきは天国への日帰り散歩で済んだが、最悪全身が粉々になって死ぬ」


 彼女は少年を上から覗き込みながらそう長々と語った。


「はぁ……はぁ……さ、先に言ってよ、ソレぇ」

「だが、もう同じ事をしようとは考えないだろう?さて『引』を学んでいこうか」

「はぁ…… おっけー。とっとと終わらそう」


 仕切り直し。


「『引』とは肉体から『反』混ぜるだけの『灯』とは違い、大分技術的な話になる。肉体や外殻に基本的に『引』は存在しないからな、色を使ってやるしか無い」


 そう言うと彼女は、左手に色を乗せる。


「同じ色同士が引き寄せ合うのは『支配』で学んだな?今度の『引』も支配でやった事との応用だ―― まずは、『引』を使う対象に合わせて色の輪郭を寄せる」


 彼女の左手の紅色は、徐々にその輪郭を岩の肌色に近づけていく。


「よし、其処の小さな岩と同調させた。同調さえすれば後は自由だ。『引』と言う言葉通り、引き寄せる事が出来るし――」


 足下の岩がふわりと浮かび上がり彼女の方へと引き寄せられる。


「逆に物体に向かって自分の身体を寄せる事も――」


 今度は彼女の身体が岩に向かって宙に浮かび引き寄せられていく。


「そして『灯』で起こる過剰な反作用の衝撃を一方的に同調物へ送ることも出来るさね」

 

 彼女が『灯』で近くの岩を殴ると、言葉通り返ってきた衝撃は全て同調物いわへ伝わり砕けた。


「おぉー!」

「やってみるといい」

「よぅし。今度も余裕よ」


 少年も左手に色を乗せ、彼女と同じ様に小さな岩を対象にし、灰色の輪郭を寄せていく。


「ソレは寄せすぎだ。逆に主導権を岩に取られるぞ、もっと薄く、輪郭だけでいい」

「ぐ…… ぐぐ…… こ、コレ!コレどう!」

「まだ甘いが、そんな所で良いだろう。私の真似でいい、一通り同じ事をして見ろ」

「お、お、おっけぇー…… !」

「どうした?余り引き寄せられてないぞ」


 少年は、手を震わせながら必死に岩を此方に寄せようとするが、彼女の様に岩を宙に浮かしたりするどころか、地面を引きずりならが辛うじて此方にゆっくりと引き寄せるのが精一杯だ。


「(クソ!何だコレ!同調させた岩は濡れた紙の紐で繋いでるみてぇに『引』が脆くてうまく力が伝わらねぇし、同調させ続けるのにクソ集中しなきゃイケねぇし、ソレに気ぃ遣いながら岩をスムーズに引き寄せるなんて無理だろッ!)」

「もういい。今度は身体の方を向こうに寄せてみろ」

「お…… おお…… お、お、おっけぇー!」


 もはや一言発するだけでも精一杯といった様子の少年は、岩の方に自分の身体を寄せていこうとするが、やはり宙などに身体は浮かず、ずりずりと両足で地面を滑りながら動いていたが、途中で他の岩に躓き転けたままの体勢で芋虫の如く無様に岩の方へ身体が寄せられていく。


「…… 」

「…… 次は『灯』での衝撃を岩に受け流してみろ」


 もはや無言で少年はすくっと立ち上がると、右手を『灯』そうとして――キレた。


「あーー!! 無理無理無理無理!! 同時に出来るかこんなもん! まだ針の先で砂粒を摘まんで一つずつ整頓させた方がまだマシだって!もどかしすぎて背中が痒くなってくる!」

「『反』に比べて『引』脆すぎるな」

「はぁ……才能無しってヤツ?」

「そうさね、ない」

「ぐっ……!」

「だが、色を担うモノとして、得意はあっても不得手があっては駄目だ。偏りというのは自らの手で成長を妨げる壁を作るものさね、致命的で許されない。特に私は許さない」

「……」

「故に、得意なモノは伸ばし不得手は消す。『一長平坦』となるよう私が全力で最低限―― グライス、アンタを鍛え上げよう」


 その言葉に、俯いていた少年は顔を上げ、表情を輝かせた


 ―― 能力際まで後二十一日。

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