4.親孝行
「……えっ。な、なんで……だって今、生き返って……だから、えっと……だから……全部大丈夫な筈なんだろ?」
母が生き返った安堵感と母の発言で少年は酷く思考を困惑させた。
「混乱するのも無理は無い。だが聞いてくれ、私の色は直に尽きる。私はもう生き返らない」
そう言う母の毛先と黒目の無い目はゆっくりとゆっくりと白み始めていた。
「私達は色で出来ている。故に、色臓が色を生み出せなくなり、色が尽きれば死ぬ。私の色臓はあんたを拾うよりも前から死んでいたし、あの戦いで少し色を使いすぎたようさね」
「じゃあ、俺がカアさんに色を教えて貰わなきゃ…… カアさんは…… もっと…… 」
「そうさね。でも、母親らしい事は何も出来ていなかった私だ。息子の為になら、なんて事は無いのさ。それに、私が色を教えなくとも、一年後にはどのみちこうなっていた。だから、アンタのせいじゃない。グライス、寿命なんだ、私の」
「……」
「……今私がこうして此処に居るのは、アンタを拾った時に作っておいた保険のお陰だ。一日分だけ色を抽出して自然死した場合にのみ発動し蘇生する。つまり、別れの時間の為のモノだ。あと一週間程は持つと思っていたんだが……」
ふと歩き出そうとした彼女は、前のめりに体勢を崩した。
少年は咄嗟に立ち上がり受け止める。
受け止めた母の身体はやけに軽く、弱々しかった。
「すまないさね。もうあまり目も見えていないんだ。身体も、殆ど動かせない………… 晩御飯は、一緒に食べられそうに無いさね」
「いいよ……今日はもう寝るだけで。上行こうよ。肩、貸すからさ」
二人は書斎を出てゆっくりと台所を横切り、階段へ向かって歩く。
「微かに、タマリの匂いがするな。スープ、作れたんだな」
「うん……」
「知らなかったよ。でも安心した。私が居なくても、食事に困ることはなさそうさね」
二人は階段をゆっくりと登っていく、板がしむ音もゆっくりだ。
「……グライス……千年は……長かったよ」
「うん…… 」
やがて少年の部屋に辿り着く。少年は母をゆっくりとベッドの上に座らせた。
「さて、どうしようか。昔みたいに、私を抱きしめて眠ってもいいさね」
「もう、そんな年じゃねぇよ……」
「……そうさね。もう大人さ」
母は苦く笑い、結局お互い背を向けて寝ることになった。
少年は窓が見える外側だ。
「私には……息子が居たんだ……ずーっと昔の話だが」
「……初めて聞いたかも。カアさんに似てた?」
「ああ。よく似ていたよ。早くに死んでしまったが……ずっと黙っていた事だが、実は、その息子の魂の一部があんたの魂を補っているんだ。そうしないと、心が持てないままだったから」
「……そっか」
しばらくの沈黙があった。少年はただ、暗い窓の外を見ていた。
「明日の能力祭……行くのか」
「…………行かない」
「…………そうか。おやすみ、グライス」
「おやすみ、カアさん」
――――――
朝だろうか夜だろうか。
窓の外は暗いままだ。
だが一人目を覚ました少年には、どちらでも良い事だった。
暗闇の中、顔の前で手を広げた少年は、自分という意識がまだ此処にあるという事実に対して、心底残念に思った。
―― そうだよな。目を閉じて一緒に寝たら、俺も一緒に死ぬわけじゃ無いんだ。
至極当たり前の事だ。
息子よりも先に、母は死ぬ。
だが、少年にとってそれは、今では無かったはずなのだ。
あの戦いで思いの丈を母にぶつけ、わかり合えた時。溝は埋まり、未来は良い方向へ確実に向かっていたはずだった。
あと一ヶ月、あと一週間、あと一日だけでも、死は少年の側から遠ざかって良いはずなのに、まるで世界が、少年の心を意図して抉る為だけに運命を定めた様な錯覚に陥ってしまう程、少年にとって現実は悲壮と虚脱に満ちていた。
少年の心は大きすぎる感情の負荷に今にも壊れそうだった。
つーっと涙が両目から流れる。
―― 涙がもしヒトの命だったら、朝日で枯れる涙と一緒に俺も死ねるのに。
「何でだよ……何でこうなるんだよ……俺がもっと才能があったら、こうならなかったのか……俺がもっと、もっと早く覚悟を決めてりゃこうならなかったのか?」
自問を繰り返しながら、必死に己の中で答えを探そうとする。
「――ちがう」
行き着いた少年は、膝立ちになり、死んだように眠る母を見下ろした。
「あの時、殺せば良かったんだ。こんな思いするぐらいなら、俺が……殺しとけば良かったんだ! そうしてりゃ、中途半端に救われて夢見ちまった心を抉られる事も無かったんだ!!」
母の両肩を持って少年は揺さぶり始める。
「分かんねぇよ何で明日なんだ何で今なんだ何で俺なんだ何で何で……何で! カアさん、起きてよ、ねぇカアさん、起きてよ、カアさん、ねぇカアさん!! 起きてよ!! 嘘だって言ってよ!! 俺を抱きしめてよ!! 俺の涙を拭いてよ!! ――愛してるって言ってよ!!!」
喉がちぎれんばかりの悲鳴を上げて、少年の心は遂に限界を超えた。
これ以上耐えられなかった。
だからいっその事、壊れてしまう前にいっその事、母を殺してしまうべきだと思った。
少年は今だ眠る母の首に手を掛けた。
寝顔に向かって雨の様に涙が降っていく。
息を止めて、絞める。
自分の苦しさも共に殺そうと、母親の首を強く両手で絞めた。
呻き声を上げ、必死に、必死に首を絞めた。
穏やかだった母の寝顔も徐々に苦悶に満ちた表情に変わっていく。後もう少しだと、少年は涙と一緒に力を振り絞った。
―― これで、終わる。全部。
全てが終わろうとした刹那。母が口を開き、言葉を一つ発した。
「―――― 。」
それは、誰かの名前だった。
小さな花の力強さを感じる名だった。
突如、少年の額の霊紋が光り、母の記憶の一端が少年の脳裏に走った。
――――――
『おかあさーん』
『んー? どうしたのー? あっ! また変な虫捕まえてーポイしてきなさい』
『やだー! 飼うー!』
『飼いません』
記憶の中に居たのは、若い母と母によく似たアカイ髪の子供だった。
早回しでザッピング気味に垣間見た記憶は、どれも幸せと愛に満ちていた。
だが、幸せは唐突に終わりを迎える。
それは、転生だった。
成長し聡明に育ったアカイ髪の子供が、高いところから落ちて頭を打ち意識を失ったと思えば自ら転生者を名乗り、全く違う記憶と中身を持つ存在に変わり果てたのだ。
『だから何度も言ってるでしょう。あなたが接していたのは、自分が目覚める前の仮の人格。あなたが愛していたモノはただの幻ですよ。
『幻……初めから全部無かった……』
『そうだと言っているんです何度もね。ご理解いただけましたか? お母さん』
『他にも、こういう形で転生をする人間はいるのですか……?』
項垂れた様子の彼女は、しばらくの沈黙の後そう切り出した。
『ああ、掃いて捨てるほど居ますよ。仮の人格被り、その裏でひっそりとね目覚めを待つ人間が大勢ね』
『そうですか――なら、尚更だ』
瞬間、彼女目つきは『母親』から『復讐者』へと変わった。
『な、何をッ!?』
瞬時に転生者の体を馬乗りになって押さえ込むと、その体を色で『支配』し始める。
転生者の体が紅く染まっていく。
『な、何だコレ! 何をするつもりだ! まさか、殺すつもりか!? ゆ、許されると思ってるのか……! こんなこと実の子供に向かってこんな――』
『――だから、こんな思いをするのは私一人で良い』
『く……狂ってる……! こんな事をしても、アレは返ってこない!』
『いいや、目覚めたばかりの貴様は、まだ前の人格そして魂と分離しきっているわけじゃない。その裏側にまだ存在している。だから今の内に、貴様だけを消し去る』
『ぐッ!!? 離せッ! 仮にそうだとしても、この体は持たないぞ!!』
『肉体は持たずとも、あの子の魂は保存される。後は正しい輪廻の流れに送り出せば良い。何処か遠くの世界で正しく生まれ正しく死ぬ。それでいい。それがいい』
『やめろ!! この世界には、文明の発展の為に来たんだ! 只それだけなんだ!』
『文明の発展? 笑えないな。ソレ如きの為に、腹を痛めて産んだ人の子を横からさらう様な真似を……許さない……許されるはずがない……冒涜の極みだと知れ』
『やめ……! や……やめ……!』
『貴様を此処に送った神とやらに伝えろ。転生者は一人残らず抹殺する。生涯を賭けてでもな』
そして転生者の体が彼女の色で覆われると、その体は無数の蝶へ弾けるように変化し、蝶たちは正しい輪廻の流れへ羽ばたいていった。
後に残った母は、涙を流し続け、悲しみに暮れた。
――――――
転生の事実を、受け入れることが出来なかった母は、その晩の内に息子だったモノを殺したのだった。
記憶を合間見た少年に、母が抱く苦しみや悲しみ恨みの感情が少年逆流していった。
少年は思わず母から飛び退き、震える両手をじっと見つめてぐっと握った。
――なんとなく、分かってたさ。頭ん中でずっと否定はしてたけど。でも、そうなんだな。
壊れ掛かっていた心は別の方向に向かい始めた。
それは、母に対する強い同情心だった。
そして、母に対する感情の自問自答を少年は繰り返した。
「……カアさんも泣くんだな。あんまり感情とか無いんだと思ってたよ」
そのつぶやきに、もう一人の少年が答える。
『当たり前だよ、彼女だって誰かの親である前にヒトだよ』
「じゃあさ……じゃあ、俺はカアさんが死ぬって言うだけでこんなに悲しいのにさ、カアさんは、千年もそんな気持ちでさ、ずっとひとりぼっちでさ、悲しいよな俺より」
『分からない、人を内側から理解することは出来ないからね。でも、そうなんじゃ無いかな』
「ならさぁ、俺、カアさんが悲しいまま死ぬのは嫌だ。良かったって、生きてて良かったって、少しでも笑って死んで欲しい。だから、アイツと……ホウジョウと会わせようと思う」
『それが、キミの考える親孝行?』
「分かんねぇよ、親孝行なんてそれらいし事何一つしてこなかったし。でも、あんまりだろ、自分が産んだ子供が全くの他人になって、自分で殺しちまってさ。んで、千年後に再会したけど、相手は覚えて無くて自分だけ覚えてる。しかも俺が居るから放って会いにも行けないし、どっち付かずになっちまうし、不器用だよなカアさんも」
『キミは、それでいいの?後悔はしない?』
「どうだろうな…… きっと、今から俺がやろうとしてる事はすげぇ自分勝手で、もしかしたら誰の為にもならないのかも知れない。でもこの自分勝手が、ほんの少しでもカアさんの為になるなら、そうなったなら、何もかもを塗りつぶして、俺は俺にありがとうって言える」
心への回答は出た。
少年は涙の跡を拭い立ち上がる、等身大の剣を背負って。
「カアさん、俺、行くよ」
外に出れば全くの闇に一筋の暮れ色を垂らす太陽がぼんやりと掠れ、空にあった。
今日は四年に一度の極夜。
日暮れの時まで太陽その身を垂らし闇を照らさない。
街の方角、家が建つ丘の上から遠巻きに、巨大で白い光を放つ塔が見える。
少年は少しの間ソレを見つめ、丘を一気に下り始めた。
千年を超え母と子を再会させる為に、覚悟と極夜の果てを少年は走る。
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