3.夢

〝ぽた…… ぽた…… ぽた…… 〟


「―― 何故…… 殺さなかった」


 少年の大剣は母を切り離さず、額をこめかみから斜めに切り裂いたのみだった。


「勝手に……全部終わらそうとするなよ……。勝手に! 死のうとするなよぉ!!」


 今まで少年が押さえていた母への言葉が涙と一緒に、まっすぐ、止めどなく、溢れていく。


「俺はぁ……!もっとカアさんと居たいし! もっと褒めて欲しいし!もっとちゃんと一緒に……ご飯も食べたい! もっと……! もっと……!ぐぅうう……うう…… うぅ……」


 そもそも、爆炎は母を喰わず燃やさずいた。

 少年の心は元より殺そうとはしていなかった。

 不明爆弾は心の爆弾。

 心に従い炸裂し、邪魔を喰らい、爆炎と共に少年を後押す決意の爆弾。


「……本当に……優しい子さね……私に似ないでよかったよ」


 六度目の夕暮れ。母は額から今も伝う血の流れに二本の指を当てる。

 そして血で滴るその指で唇を真っ赤に濡らし膝を着き、泣きじゃくる少年の額に優しく触れた。あの頃のように。


「よーく頑張ったさね」


 そう言って、少年を深く抱き寄せた。


「そうさね。今日は一緒にご飯を食べて、一緒に眠ろうか、そうしようか」


 温かさに包まれた少年の涙は乾き、沈んでいく夕日と共に深く目を閉じて、そして眠った。





 ――――――――





 目を開けると少年は街の大通り、人混みの中に居た。


 少年は行かなければと思った。


 母と待ち合わせをしていた。


 能力祭で賑わう街並みを一緒に歩くのだ。


 母と共に外出するのは実に十数年ぶりの事だ。


  ―― あっコレ夢か。


 そう思ったのは、足が勝手に歩き出したからでは無い。

 

 人混みの中から外れ、街頭の側にぽつんと此方をつまらなさそうに見る自分の姿を見たからだ。


 夢と分かった途端少し落ち込んだが、大通りを進んで行くにつれてすれ違う人々の笑顔が、笑い声が、溢れる活気が、どれもつまらなくて、少年を苛立たせていたヒトの幸せと言うモノが、何故だか全て反転して、少年の心を弾ませた。

 

 何でも無いのに楽しいと思った。


――多分だけど、これが" 普通" な事なんだと思う。今居る俺の位置が、こう思えてる事が、普通なんだ。今までそういう事を楽しめなかったのは、普通じゃ無かったから、俺に余裕が無かったから、一人だけ


 少年は強く前に歩いて行く。


  ――でも、きっとこれからは違う。" 普通" を楽しめるし、カアさんとも、もっと普通の親子らしく居れると思うんだ。思った事はちゃんと向かい合って話すし、感じた事も伝え合って、こんな風に一緒に出かけたり……そうだ、親孝行だって! 俺はもう大人だもんな。


 徐々に少年は走り出す、夢から覚めてしまう前に母と会うのだ。


 ――生まれ変わるんだ。今までの俺を切り離して。ちゃんと愛されるんだ。


 そして、人混みの中に佇む母の後ろ姿を少年は見つけた。


 ――夢にしようこの気持ちを。俺の夢に。


「カアさ――」


 悲鳴。


 人の流れが、少年を押し戻そうとする濁流に変わる。あの日の魔者が人を挽き潰しながら此方に向かってくる。少年は流れを掻き分け必死に手を伸ばす。


「カアさん!」


 しかし、いざ振り返った母の姿を見て少年はその手を止めてしまった。

 そこに居たのは幸せそうに微笑む母と、あの日のアカイ髪の子供だった。



 ――――



 見知った天井。


 少年は自分の部屋で目を覚ました。


「アタマ痛ぇ」


 少年はこめかみを押さえながらよろよろと立ち上がり、喉の渇きから水を求めて部屋を出る。


 一階に降り、台所の水壺でコップに青い水を注いで飲み干す。


「ふぅ」と一息。


 外が夜である事を確認すると共に、台所の明かりが付けっぱなしであった事と、これから夕食に並ぶであろうスープの材料がそのまま置かれている事に首をかしげる。


 いつもであればこの時間、夕食は既に出来上がっているはずなので少年は不思議に思い、母の部屋のドアをノックする。


 返事が無い。


 少し不安になった少年はドアを開ける。


「……カアさん?」


 母の書斎は暗くドアから差し込む光でようやく中が見える。


 其処にはソファに座ったまま眠る母の姿があった。


 一瞬起こそうと思ったが少年は扉を閉め、夕食が出来上がってから起こそうと考えた。今まで料理というモノは母が全て作っていた。


 故に料理をした事は無いが手順は何度も見慣れているし、何よりスープは煮込むだけだ。それにコレが、一つの親孝行になるのでは無いかと少年は考え台所へと向かった。


 数十分後。


「はっはーん才能見つけちゃったわ~」


 少年は出来上がったスープの味を見て、自分に料理の才能がある事を確信した。コレならまた褒めても貰えるだろうと、うんうん頷きながら二つの器にスープを注ぎ食卓に並べる。後は、母を起せば十数年ぶりに同じ食卓を囲んでの食事になる。


 意気揚々と再び母の部屋へ向かい、未だソファで静かに眠る彼女の肩に触れる。


「カアさん、ご飯できたよ」


 しかし、反応は無い、余程深く眠っているのだろうか、六日間も眠らずに居たのだ無理は無い、少年は少し強く肩を揺すってみる。


「カアさん、おーいカアさーん、カア――」





〝どさっ〟





「カア……さん……?」




 母の身体が前に傾いたと思えば、そのまま床に向かって落ちていった。


 仰向けに倒れたまま動かない母を目の前にして、少年は気が付いてしまう。


 母が、息をしてない事に。


 静まりかえったこの部屋で、少年の浅い呼吸と壊れる様な心臓の鼓動だけが音としてある。


 それ以外は何も聞こえなかった。


 少年は身体を震わせながら母の身体に近づき、ゆっくりと胸に耳を当てた。


 無音。


 何処まで行っても、地続きの無音だった。


 故に今、此処に横たわるモノは、母の死体に他ならない。


 跳ね上がった少年は震えながら後ずさった。部屋の暗闇の境界線、ドアの辺りまで後ずさり、入り込む明かりの中から暗闇に置かれた死を見つめる事しか出来なかった。どれくらいそうしていたかは分からない、既に食卓のスープは冷め切っていた。  

 

 ソレを見つめたまま放心した少年の視界に変化が起こる。


 背後から飛んできた一匹の紅い蝶々がひらひらと舞いながら、横たわる母へ向かって飛んでいき、そして胸の中に溶け込むようにして消えていった。


 途端に母の身体は動き出した。


 ――そ、そっか。そうだよな。そうだもんな。カアさんは、死んだ俺を何回も生き返してたんだ。自分の事ぐらい、そうできて当然だろ。あーびっくりした。ホントさぁ、ホントに。



 母はふらりと立ち上がって、暗闇から放心した少年を見下ろした。



「―― グライス。私はどうやら明日死ぬみたいだ」



 暗闇に立ったまま、母は徐にそう言った。


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