8.テンセイシャサマ

 それから程なくして、事件が起きた。そう、魔者の襲撃だ。


 夕暮れ、三角形の雲。光る数字の粒子が浮いては消える。

 その日の買い出しの当番はオレで、パン屋の帰り道だった。

 突然の地響きと共に、現れたそれらは雄叫びとともに日常を轢き潰していった。


 人々は戸惑い、怒り、狂い、転げ、嘆いていた。


 オレはその光景を見て―― 何も感じていなかった。


 いつも帰り道にすれ違う人間が転げ人の波に踏まれても、軽い世間話をかわす人間が逃げ遅れ目の前で魔者に引きつぶされても、悲鳴も怒号も迫る死すらオレの中には響かず消えていく。


 そうだ。


 オレは彼女が居なければ満足に感情も感じることはできない。

 心はいつも半分欠けている。

 彼女が傍にいて初めて誰かになれる。そうでないなら、名の無い萎れた花だ。


 ただ、壊れていく街を見ていると、彼女の哀しそうなあの表情が浮かぶ。


〝じゃあ、誰かの為になら、何かになれるの?〟


 声なのか文字なのか、それは頭の中に現れた。


 ……そうだな、彼女の為なら『転生者』くらいにはなれるさ。

 街を守る転生者くらいには。


 そう思った時、心に何か一つ溜まった様な気がする。

 体からまた靄が溢れた。それは、植物の根や蔦の形をしていた。誰かを繋ぎ止めておきたいオレの心の形なのだと思った。誰かを雁字搦めにして覆って閉じこもって居たいオレの心なのだと思った。


 まただ、こめかみの霊紋はなが熱くなる。


 思わず手を伸ばすと何か硬いモノに触れ、ソレは手の中に落ちた。

 少し尖った植物の種だった。同時に理解した。今確かに、頭でなく心で。

 この『種』がオレの武器であり、街を守る為の手段だと。


 握りしめ、混沌にたなびく蔦や根の靄をオレの体から種に注ぎ込んでいく。

 次第に手の中に熱を感じ、開く。


「存外『太陽の樹』の生まれ変わりというのも間違いではないのだろう」


 種は熱を持った。あの日燃えていた木の様に。オレが始まったあの木の様に。


 種を人差し指と中指で挟んで空間に植えた。


 それは迸り―― 弾け―― 発芽する。


 種の質量など無視した超質量の『根』が発芽し広がる。


 は太く、根を登る気泡が見える程に透けて、螺旋の如く絡み合いながら魔者に向かって猪突。


 液体である根だがその内包する熱は凄まじく、魔者を飲み込んで消し炭にしたと同時に、後ろから濁流の様に迫っていた他の魔者も押し戻した。


 最後に、根は炎の様に揺らいで煙となって消えた。


 一連の動作は、本の頁を一つ捲る速度と変わらない。


 直撃した魔者は再起不能だが、押し戻した連中は起き上がり、よろめく足でこちらに向かってくる。


 此処には戦えぬ人々が居る。しかし、絶望に伏した人々には指導者が居ない。


 このままでは確実に多くの犠牲者が出る。故にその絶望すら滲ませてしまう程の人々の希望となる光が、転生者の言葉が、要る。時間がない。


の名は、北条トキ。転生者だ――」


 瞬間、体から数字があふれる。

 今度は頭で分かる、オレの意思は今は影である『時計』によって増幅され、言葉を放てば彼らの持つ数字を通して強くその意識に響いていくのだと。

 

 胸がつかえて少し言葉に詰まった。


「―― 絶望に暮れる人の子よ、その足でもう一度立ち上がり、命を抱えろ。今は生きる時だ。さあ、安堵と共に走れ、転生者がこの場を救おう」


 確かにあの時、三つ、時計の針が刻む音を聞いた。今も、耳の奥で残っている。


 今はこれでいい。彼女を哀しませるな。


 間もなく周囲の人々の様子が一変し、歓喜と数字がその場に溢れ、その心が強すぎる光で眩んでしまったかのように、盲目的にオレの指示に従うようになった。


 嗚呼。オレはこの瞬間から、転じた生の二重螺旋を背負うこととなった。


 出来ることなら、何も明かさぬまま、この世界の一部として死にたかった。

 子供のような夢だった。

 人々は正気のまま教会の方へ避難していく、数字を持たぬ人間や子供は彼らの後を追うか、連れられるか、死ぬかした。


 そうして、更に来る魔者の群れをオレは迎え撃った。


 魔者の消し炭が三十を超えた辺りで、オレの視界を煙の輪郭を持った蝶々がひらりと舞った。思わず興味を惹かれて、目で追うとあの輪郭が見えたんだ。


 体をつくる六つの輪郭は人、だが、人にしてはその輪郭は歪み悲しみに満ちて、何か探し求めている様なそんな輪郭だった。だからオレは、聞いてしまった。〝何か、なくしてしまったのか〟と。

 

 他にも何か言った気がする。余り覚えていないが、気がついたらオレはその人の輪

 郭に包まれていた。分からない。その時の感覚は、オレの持つ言葉では説明も表現も出来ないものだ。ただ、互いの輪郭が触れたあの瞬間、オレは記憶の底から何かを掬いかけていた。


 そして、誰か子供の声がしたと思えば、その輪郭はオレから離れ、今回の事件の発端はオレと同じ転生者が原因だと口早に告げるとその場を去った。


 事件が終わった後、オレは人々に称賛され英雄とまで称された。

 どうでもいい事だ。

 やたらと人に揉まれた後、ようやく帰路に付き、屋敷の自室に戻る。


 編み物をしていたようだった。マリアはこちらに気が付くと立ち上がり、少し小走りで近づいてきてオレ抱きしめた。

 彼女の体温を感じると共に、欠けている心と感情が埋められていく。


 今更になって、恐怖や、苦しみ、悲しみなどで感情が溢れている。疲れた。


「よかった」

「怒っていないのか、転生者だと周りに明かしたことを」

「当たり前でしょ、アンタが指示を出してなきゃ多分もっと死んでた。街も壊れてた。守ってくれたんでしょう?ありがとう。今日くらいは転生者であることを誇って良いんじゃない?」

「何も、誇れないさ」

「どうして?」

「オレは…… 人の心を変えてしまったんだ」

「…… 大げさよ、そりゃあアンタの事を熱っぽく話してる人は今は多いけど、すぐに冷めて普通に戻るわよ」

 

 しゃがんだ彼女は、無意識に拳を握っていたオレの手を取ると、それを優しくほぐす様に一本一本指を開かせて最後に両手で握ってくれた。


「ね?」


 マリアは笑っていた。


 それでよかった。


 その日はそれでいいと思っていた。












北条編"前編"――――終。




次回。北条編"後編"。









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