10. さよなら 爆弾を抱いて

 皆、極夜を見上げていた。


 否、意識を失い空へ昇っていく少年でも、勝負の行方でも無く、人々はただ昏い空をじっと。


 皆、確かめようとしていた。


 是、あの時、頬に感じた不意の冷たさは、極夜の闇がこの身を引き裂かんと手を伸ばしたのでは無ければ一体何だったのか。


 今尚、凍てつく頬は一体何に触れたというのか。


 一人が徐に極夜の空に手を伸ばせば、ぽつ、ぽつ、ぽつ、広がっていく。


 ぽたん。


 掌に再び冷たさを感じれば、彼らはざわめきあった。


 雷鳴。


 待ちわびた瞬間だ。降り注ぐ灰色は鮮やかに万雷へと至り、均衡は崩壊した。


 嗚呼、誰も彼もが飲み込まれていく、ざわめきが重く沈んでいく。



 雨だ。



 雨が、雨以外の音を殺し始めている。



 この雨に恵みは無く。蟲は溺れ、地は泥濘、花などは散る。



 耳の奥で息を殺して身を寄せ合う静寂ですら、この雨の中では死んでいく。



 残るのは、雨の狭間の産声と、冷たさに震える己の輪郭のみ。



産雨うぶさめ



 これは、始まりの日の雨。生まれた日の雨。



 世界よ、灰色に打たれろ。



  ――――――


「――寒い」


 少年は腕の中に似た寒さを感じ、目を覚ます。


 少年の体を縛っていた花々は切り離され、壊された肉体と傷は雨に流され癒えていた。体温は失われ、吐き出した息は霧雨の様に白く、濡れた髪は雨の灰色に染まっていく。


 そして、頬を伝う一筋の愛が――ただ涙だけが――少年の温度だった。


 尚も宙へ向かって浮かぶ瓦礫の山で立ち上がった少年は、涙に触れ、とうに砕けた剣を握る。


 すると、其処に在り得ない筈の刀身の巨大が雨を遮り輪郭を顕した。


【雨化ノ刃】

 雨化し、二度と砕けることの無い刃。雨の中にだけ在る刃。

 滴り、その切っ先は眼下のアカに向けられる。


 この雨の全ては、依然として燃え盛る炎を消す為にある。


 ――この現象、感覚……やはり、オレと同じか……。


 色の際立ちを察した北条は、巨大な火の根を操り、少年の立つ瓦礫の山目掛けて振り下ろす。

 

 間近に迫る超質量を前に少年は臆する事も無く、根に向かって刃を横薙ぎに振えば、雨が生きた波の様にうねり上げては束となり、火の根を重々しくも力強くはじき返した。


 雨に浮かぶ刃は再び眼下のアカへと向けられる。


 両者の視線が強かに交わり、紅と灰の二色の対照は一層増すばかり。


 そして、降り続ける灰色の世界で唯一アカく燃え咲く花炎の四つ目が消えた頃、残る武舞台に咲く白い花が再びアカく咲き変わる頃、空を見上げる北条は天高く聳える四本の火の根を少年に向かって同時に振り下ろした。


 少年は迫り来る火の根の四つを素早く目視、四度剣を振るえばやはり雨は波打つ様にうねり、束となって鋭く扇状に放たれる。


 根に到達した雨の束はそれを押し返すだけで無く微塵に切り離した。

 すかさず少年は反撃の体勢を取り、北条に向かって剣を振るい、雨で出来た扇情の刃を飛ばす。


 ――…… ダメか。


 だが、その刃が北条に届くことは無く、主人の危険を察知した根が彼の中心として瞬時に防壁となる大樹を編み上げ、傷一つ付くこと無く防いだ。


 しかし、少年は反撃の手を緩めること無く剣を振るい大樹への攻撃を続ける。


―― 無駄だ。その程度の攻撃ではこの樹を傷つける事すら出来ん。


 無数の雨の刃が大樹を切り刻もうとするが、そのどれもが失敗に終わり刃は雨に還る。


 ――今の俺とアイツの色の力はほぼ同等なハズ。それでも尚アイツの防御を崩せないのは単純に俺の攻撃が弱いか、或いは……。


 少年が思考を終える前に、北条から放たれた廻る螺旋の弾丸が足場であった瓦礫を破壊する。


 少年は螺旋の力が自分へと伝う前に、宙へ飛び出す。


 ――樹自体がそもそも攻撃を受け付けないかだ。そういう能力があっても不思議じゃ無い。


 連続して放たれる螺旋の弾丸、更に再び生えた火の根が少年を四方八方から襲うが、少年は、雨の中で自由自在に攻撃を躱す。


 ―― 改めて奴の螺旋を見たけどよ、やっぱ無理だな。俺じゃあ防げねぇ。


 だが、長くは躱し続けられない。

 北条は少年を囲む様に球体状に大量の花炎を咲かせ、それらを徐々に中心の少年へと迫らせ行動範囲を絞っていく。


 少年は花炎の隙間から逃れようとするが北条がそれを許す筈も無く、無数の螺旋の弾幕が幾度となく脱出を阻んだ。


 事の全てが無音のままに行われる。何せ、雨以外の音は死んでいるのだ。


 気が付けば一部の隙間も無く花炎に囲まれていた。


 花炎に触れてしまえば、燃えるか焦げるか。


  ――はっ。手詰まりってワケじゃ無い。俺は俺の己尸ディウマの言葉を覚えてる。己尸は言った、自分は際立ちの『鍵』だってな。なら道理だろ、アイツの己尸を破壊すれば『際立ち』は終わる。


「樹か花か…… 二択だな」


  ――アイツが螺旋を使うようになったのは、花が咲いてからの様にも見えるが、万が一がある。それに、破壊に失敗すれば俺に勝ち目はねぇ……ありったけで…… いくぜ。


「【不明爆弾ポム】 」

『…… あい』


 少年が呼び掛ければ、雨に溶け込んでいた不明爆弾が応え。

 世界は著しく変化を始める。


  ―― なんだ!? これは!


 北条はその只ならぬ気配に、攻撃の手を止め、即座に根や炎花の使い防御に回った。


 少年を囲む花炎など、とうに消えていた。


 彼が見たモノは、雨。



 雨粒の全てが歓喜に沸く群衆の様に秩序を持ち、ただ一つ、少年の剣を目指し向かう。


「灰氺――――」


 音は甦り、荘厳たる雨粒のうねりによって形を成した大剣が一振り。


 灰氺三刄はいすいさんじん。三つで微塵。


 いざ。


「三ッッッッッ!!」


 一振り。圧縮された雨の一端を穿つ。


 放たれた水圧と水量は荒れ狂う滝を思わせる程に暴力的で、一つの命など岩よりもたやすく削り、即座に無へと還すだろうその斬撃は、北条が築き上げた防壁など一瞬で消し去り、有り余る勢いが猛烈な水飛沫となって嵐を引き起こした。


「刄ッッッッッッッ!」


 二振り。圧倒たる雨の全貌を渾身の刃として穿つ。

 穿たれた刃は、北条を死守する大樹よりも遙かに巨大であり、後方の既に人の居ない観客席もろとも飲み込んだ。


 凄まじい風圧、水煙、それらが収まった後見えてくる光景には当然、飲み込まれた観客席の姿形などはすっぽりと消えていたが、第一目標である大樹は健在であった。


――侮っていた……だが、オレの防御が勝った!


――とっくに想定済みだぜ! 浮かれんじゃねぇ! 最後には決めてみせるッ!


「うおぉぉぉぉぉおおおおおおッッ!!」


 三振り。雨の根源、その業を、覚悟と共に穿つ。

 最後の斬撃は、武舞台と武舞台に咲くユウアキネの花目掛けて振り下ろされた。

 

 轟音。

 水柱が天を掠め、その水が地へと落ちた後、武舞台の全ては北条が立つ周囲四メートルを残して粉微塵と消えた。やはり大樹は傷つけることは愚か、破壊する事など到底不可能であった――――だが。


「な、なんだ……力が、抜ける……!?」


 やはり、花は北条の己尸であった。

 花が消えた今、彼を守っていた大樹は枯れ、右腕からあんなにも吹き出していた炎と花炎は今や形も無く、彼の螺旋も弱まっていた。


 北条の際立ちは終わったのだ。

 だが、それは雨を使い果たした少年も同じ。

 残った僅かな足場に着地した少年は、肩で息をしながら砕けた大剣を北条に向けた。


「はぁ……はぁ……知識と、覚悟の差が、俺を勝利へと近づけたぞ――ホウジョウ!!!」


 すかさず少年は詰めの一歩を踏み出した―――― が。


「勝負を急いだな。オレの" 螺旋" はまだ終わっていない」

「なっ!?」


 北条は詰めてきた少年の胸を押し、残っていた螺旋の力で舞台の遙か外へと弾き飛ばした。


「ふん……詰めの甘さ、想像力の欠如が勝負を振り出しへと戻したな? グライス」


 弾き出された少年の体は落下を始め、このままでは地面へと落ち敗北が確定するだろう。


 更に北条は残りの螺旋と色を全てを火種に注ぎ込み、文字通り最後の一撃を放たんとした。


 絶体絶命。


 少年に残された余力は少ないが、それでも勝利への道は自身で築くしか無い。


―― クソッ。こんな時でも俺はまだ震えてんのかよ。ダメだった時を考えてんのかよッ。やるしかねぇんだよ! 


 決意を奮い、少年は色のほぼ全てを使い己尸である不明爆弾の燃料として注ぐ。


己尸ポム押せ」


『ナニ……を?』


「背中だ……」


 爆弾を自らの後方へと放り、残った僅かな色さえ使い切り拳に昏い灰色を『灯』せば、少年の視界から全ての色が消え失せ、黒と輪郭の線だけが見える世界となった。




「俺の背中を押せぇぇぇええええええッッ!!」




 衝動、焦燥、劣等、感情―――― 爆発。



 少年の体が意思を持つ灰色の爆煙に背を押され、爆炎を纏いながら弾丸の如く北条へと飛ぶ。


 対して北条も、指で照準を合わせ全てを注ぎ込んだ火種を放てば、それは即座に弾けて発芽し、乱回転しながら怒濤の速度で広がり成長、少年を迎え撃つ高速の火の根となった。


 少年にこれを躱す余力などもう無い。この脅威に正面から迎え撃つ。


 灰と紅が衝突すれば、互いに色の反発が起こり拮抗、紫電が激しく迸る。


 数多の根が少年を抑えようと伸びるが纏う爆炎がそれらを切り離す。


 しかし、纏った爆炎が次第に弱まりそれが消えた時、少年の体は根に呑まれる…… 筈だった。


 ――外したッ!?


 強すぎる色の反発、螺旋、それらが気づかぬ内に少年の体を本来の位置から横にずらした。


 結果として、根は直撃せず少年の左半身を掠める。


 それでも、少年は熱と螺旋で意識を失いかける程の激痛が伴ったが、咆吼し、歯を食いしばり、驚異的な精神力で意識を保った。



 そして遂に、北条へと辿り着く。



「あばよ、天才ッ!」



 色を灯した拳を力の限り叩き込む。



「―――― ッ!!」



 北条は、武舞台より弾かれ大地へと逆さまに落ちていく。



 少年も勢いを殺せず端まで転がり危うく落ちかけるが、ギリギリで武舞台の上に留まった。



 仰向けの少年は、静かに拳を掲げる。



『け、決着ゥーーーーーーーーーーーー!!!!!』



 朱み掛かる極夜の下。



 歓声の鉛が降り注ぐ中で少年は、眠る様に意識を失った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る