11.再会
「あ。起きた」
少年が目覚めた時、其処は医務室のベッドの上だった。
少年を覗き込んでいたのは、北条の侍女のマリアだ。
徐に体を起こしながら、ふと吹き込んだ風の方を見れば、夕日が差す窓際の椅子に座って本を読む北条が居た。
「起きたみたいだし、アタシは行くわね。あ、絶対安静だから! 喧嘩とかしちゃダメよ!」
最後に「いいわね!」と二人に確認し彼女は出て行った。
静かな場所だ。
遠くの方で小さく歓声が聞こえる。能力祭はまだ続いているのだろう。
少年が自分の体を確認すると幾つかの箇所に包帯が巻かれ、顔には傷を保護するパッチなどが当てられていた。それは北条も同じだった。
「……俺、どんくらい寝てた」
「……さあな」
「……それ。その本、面白ぇの?」
「……まぁな」
「……そういや、眼鏡は?」
「…………壊れた」
「んだよ、二言以上喋れねぇのかオメェは……いいや、それより" 約束" 憶えてるだろ?」
戦いの前に両者の間で交わされた「負けた方の言うことを一つ聞く」という約束。
「…… ああ」
「んじゃ、ちょっと外出ようぜ」
少年はベッドから降りて上着を羽織り荷物を持つ。
「安静だと言われただろう」
「此処じゃダメなんだよ、別に危ねぇコトするわけじゃねぇし……良いから来いよ」
北条は溜息を一つ。やれやれと言った具合で本を閉じ少年の後を付いていく。
医務室から出ると、其処はまだ能力祭の塔の中で、人が多く、至る所に付いたモニターが試合の様子を映し出していた。
少年は案内板をチラリと見て出口を把握し歩き出す。
すれ違う通行人が時々二人の姿を見つけ、何度か呼び止められたり、試合の感想を思い出すに語られた。
二人とも余り悪い気はしなかったが、先を急ぐ。
「そういや、なんでマリアさん居たんだ? おめぇの付き沿い?」
「それもあるが……俺たちはスキルでの回復手段を受け付けないらしくてな、それで危うい所をマリアが色で治療したらしい」
「へぇ。じゃあ後でお礼言っとかないとな……てか、マリアさんも色使えんのな」
「そうらしい」
程なくして、二人は出口付近に着く。
少年は来た時に会った受付嬢見つけ軽く手を振った。
そのまま外に出ると少年は大きく息を吸い込んで体を伸ばした。
未だ人混みの中だ。
足下の水溜まりに映る空を見ると見事に夕焼けだった。先程まで闇に覆われていたとは考えも付かない程の。気が付けば少年は上を向き空を暫く見ていた。
「あのさ……俺んち、来いよ」
いつとなく振り返った少年は北条にそう告げる。
「お前の……家か?」
「俺んちだって、他にねぇよ」
怪訝な表情を浮かべる北条に少年は改めてそう言った。
「……何故だ?」
「……詳しいコトは、歩きながら話す。とりあえずそれが" 約束" の内容だぜ」
少年がそう言うと、北条は視線を外し少し考えてから「わかった」応えた。
二人は暫く賑やかな街道を歩いた。
特に何か話すでも無く、互いの健闘を讃えあった訳でも無く、ただ人混みの中を二人で歩いた。人が居なくなり、風と草原のざわめき、虫の音だけが聞こえる街道に来てようやく少年は、ぽつりぽつりと話し始めた。
自分の母親が死ぬ事、それからその母親に会って欲しい事、その旨を北条に伝えた。
「オレは構わないが、それに何か意味があるのか? 他人のオレが会う意味が」
家へと続く峠前の鈴堂で立ち止まった少年に北条は聞いた。
「別に。お節介みてぇなもんだよ。意味があるとか無いとか、そういうのは分かんねぇ。俺がこうしたかっただけだからさ……ほら、行けよ。坂の上に家があるから…… あーー二階な」
「お前は来ないのか」
傾いた鈴堂の中に入っていく少年を見て北条はそう言った。
「……早く、行けよ」
しかし少年は小さく返しただけ。
その返答に北条はどうにも腑に落ちない様子だ。自らの母親が死に目にあるというのに、何故自分では無く他人が会う事を優先するのか。
彼には理解する事が出来なかったが、約束は約束だ。
どういう意図があれ、少年の言葉に従う事にした。
「…………」
坂道を登る。
今は夕暮れだと言うが、眼鏡を失った北条には色は見えず、黒と輪郭のみで描かれた世界があるだけ。北条は俯きながら考える。これから死にゆく他人に掛ける言葉、話す話題、幾つか候補は脳内で挙げるが、どれもしっくりと来ない。
考え込んでいる内に、足取りは重くなり、遂には立ち止まってしまう。
そんな折、足下に蝶が一匹止まっているのに気が付いた。北条の視線に気が付いたのか蝶は忙しく羽ばたいて飛んでいく。その軌跡を目で追っている内に家の輪郭を見つけた。
その時だった。
波のように迫り押し寄せてくる途方もない
見たことも来たことも無いはずなのに、家、風景、道に至るまで懐かしく、胸の内に湧いた何かが、北条の体を突き動かし、動かす手足は錯覚の中の誰かと重なっていた。
あっという間に家の前、やはり此処には来たことが無い。
古ぼけた家の扉を開ける。
中を見る。
右手には台所、正面には書斎、左手には階段。家の匂いが、北条の中で懐かしさを風船の様に膨らませていく。決して張り裂けることは無い風船が、知らない記憶の風船が。
階段を上る。上る度に軋む音が、遠い昔の幻聴と重なる。
扉の前に立つと中からは人の気配。
取っ手に触れると、彼の心音は自身の塗りつぶしてしまう程大きくなった。それでも彼は、止まること無くドアを開いた。
部屋の中には、ベッドの上で上半身を起こした女性が一人。
眼鏡を掛けている彼女は彼を見て一瞬目を大きく見開いたが、直ぐに表情を戻す。
暫く間が生まれた後、彼女の方から言葉を発した。
「…………キミは?」
「………………分かりません。今、ドアを超えた瞬間から分からなくなりました」
「……まぁ、入ると良いさ」
彼女にそう促され、彼は部屋へと入りベッドの前の椅子に座る。
「此処へは、どうして来たんだ?」
「……正直な話、貴方に会いに。只それだけです。言葉は持たずに来ました」
「…………綺麗な花さね」
彼女は彼のこめかみの霊紋を見て呟いた。
「ユウアキネと言う花です」
「ああ、よく知っているとも。ずっと昔から好きな花だ…… 」
「……オレも、そうです」
「……」
「……あの…… 凄く、おかしな質問をします。死にゆく貴方に取ってとても煩わしい事だと思います。しかし、聞かなくては行けない気がする。他でもない、貴方に」
そして彼は自身の中にある疑問を率直に取り出して言葉にした。
「……オレは貴方を知っていますか?」
「……いいや」
「……貴方はオレを知っていますか?」
「……いいや、私達は互いに何者なのかを知らない」
「……そうですか」
彼は少し肩を落とした。その様子を見て、今度は彼女が質問をした。
「キミは、此処をどう思う」
「懐かしく思います。とても」
「そうか……その感覚は、心の錯覚だ。だが、その感情はきっと間違いでは無いのかも知れない。しかし、それだけでは私達は交わらない。そういうものだ」
「……ええ。オレも貴方を知らないし、貴方もオレを知らない」
「ふふ……では、話す事も無いな」
されど彼は神妙な面持ちで、一つ話題を切り出した。
「いえ、一つだけ。もう一つだけ……何故あの時、オレは抱きしめられたのでしょうか?」
彼の真剣な眼差しから彼女は暫く瞳を伏せ、そして答えた。
「……心の錯覚さね。私も懐かしさに捕らわれたんだ」
「……それでも、その感情はきっと間違いじゃ無かった」
「………………ああ」
「でも、オレ達は交わらないし、何も知らない」
「そういうものだ。懐かしさというモノは、一つの方角だけ向いて、交わる事は決して無い」
「では……話す事はもうありませんね」
立ち上がろうとする彼を彼女は呼び止めた。
「―― 一つ、忘れないで欲しい。世界は色で出来ているという事。それから―――――― 」
彼女は一つ手招きをして、自分が掛けている眼鏡を外し、それを優しく、頬を両手で包み込みながら優しく、彼の耳に掛けた。
「―― 眼鏡、もう壊しちゃイケませんよ」
そう言って彼女は微笑んだ。
彼の視界に唐突に色が付き、遠い昔の錯覚と自分に似たアカ色の彼女が重なった。
彼は胸の奥底から湧いた幾つもの感情を絞り出そうとしたが、何かがそれを縛り付けていた。
「―――― ありがとう、ございました」
ようやく絞り出した言葉はその一つだけ。心からの感謝だった。
そして、名も知らぬ彼女に別れを告げ、北条は外へ出た。
見上げた空は何時もより滲んでいた。
その時、自分が泣いている事に初めて気が付いた。
涙を拭い、前髪を掻き上げて峠を下る。
夕日が夜の淵へ沈み始めている。
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