15.布で出来た怪物

 突如無顔から放たれた殺意は夕闇に紛れ、最速の刃となって北条に襲いかかった。


〝ぶしゃぁああああ〟


 吹き上がった鮮血が眼鏡のレンズを濡らして初めて、自身の鎖骨並びに僧帽筋を、長方に伸びる布が鋭く貫き切り裂いている事実を北条は知覚した。

 そして血が布に染み広がる合間にも、追撃の布が二、三、四、と蛇牙の如く迫っていた。


 ようやく訪れた痛みに呻く暇も無く、北条の体は背後から地面に倒れようとしていたが、こめかみの霊紋ハナが、また、熱くなっていたのも事実だった。


 反撃の闘志がアカく煙る。

 色となって体から溢れ出す。

 それは植物の蔦や根を形取っている。


 北条は倒れながら霊紋に触れると、そこから生えた火の種を指先で掴み、ありったけ色を種に流し込み自身前方の空間に植えた。

 地に背が着くと同時に後転し受け身をとり地面を滑りながら衝撃を流した。


 直後、空間に植えた種は夕闇の中で激しく煌めき迸り、紅に"発芽"した。

 種の質量など無視した超質量。液体で出来た火の根は大樹を思わせる程太く、如く絡み合いながら間近に迫った布を飲み込み焦がした。


そして質量は保たれたまま、火の根は無顔を目指し一直線に伸びていく。


「なに……!?」


 が、無数の布が無顔の前で壁のように広がったかと思うと、あろうことか火の根の全てを受け止めると、ソレは蛇に捕食されるかの様に布で覆われ包まれ、徐々に小さくなっていき、布の中で完全に消失した。


「ふふふ……危ない危ない」

「…… くっ!」


 開けた場所は不利になると踏んだ北条は立ち上がると、出血の止まらない肩を押さえながら、樹林の中へと逃げ込んだ。樹木の根に躓きそうになりながら、夕闇の樹林を息を切らしながら走る。


 その後方からは、布が海の様に樹林や自然の色を覆い尽くし景色を無機質な布の世界に変えながら迫っている。転生者である北条は数字で強化された脚力で常人の数十倍近い速度で走ってはいるが、その直ぐ背後に自らに迫る気配を感じ取っていた。


 ――かなりの速度で追って来ている! クソッ色は数字に対抗しうる力では無かったのかッ!? いや待て、防御すると言うことは奴にとって有効な可能性は十分にある。なんとかあの守りを掻い潜り直接喰らわせることが出来れば、或いは……。


〝タカタッ! タカタッ! タカタッ!〟


「―― ッ!?」


 自身と併走する音に気づき周囲を見れば、それは鹿を思わせる角と四足を持つ獣の群れであった。だが、その体は布に覆われており顔は無くその特徴から直ぐに敵であることを理解した。


 樹林の隙間を縫うように併走する群れの一匹が怪物の様な凶暴な口を開けば、無顔の声。


『その傷、大分深そうだねぇ。止まって体を休めた方が良いと思うけど?』


 言うや否や、群れの半数が北条目掛けて飛びかかる。


 飛びかかってきた一匹は前転をすることで回避、二匹目の突進は身をかがめて躱すが、続く三、四、五匹目は同時に攻撃を仕掛け、北条が左右下に回避できぬように襲いかかった。


「チィッ!」


 北条は強靱な脚力で飛び上がって躱す。

 三匹は後方の木へと突撃し只の布へと四散した。


『はははは!! うまいもんだねぇ! でも、追いついた』


 飛び上がった北条はそのまま大樹の太い枝の上に着地したが、止まってしまったことで彼を追っていた布の海が追い付き、地面はたちまち布に埋め尽くされるのと同時に北条が避難していた大樹は本当に海に沈んでいくかの様に布の地面に沈み始めた。


『ボクの布はね、武器になるだけじゃ無いんだ。物質を覆うことで材質をほぼ無限に変化させる事が出来るし、命を吹き込むことだって出来る。君を襲った鹿も、大きめの石を覆って粘土みたく捏ねて造ったし、今まさにキミが沈もうとしてる地面も、沼より深く柔らかくなってる』


 北条は、既に半分以上沈んでいる大樹から別の大樹へと飛んで移る。数秒後に元いた大樹は完全に布の海に沈んだ。


『無駄だよ。もう【海】が追い付いてる。其処も十秒後には沈んでる。それともこの樹林の中を駆け回って全ての樹を沈めるつもりかい? それはそれで楽しいかもね』

「……無駄かどうかはオレが決める」


 言い切った北条は、あろうことか沈んでいく大樹の上から宙へ身を投げる。


「覆ったモノを自在に変化させられるのなら、追い付いた時点で地面を変化させ、オレが越えられない様な壁で囲ってしまえばいい。何故ソレをしないのか、


 宙を落下しながらも彼のその瞳は未来の方へと向いている。


「その物質の表面だけで無く対称となる裏面も布で覆う必要があるのだろう。つまり、世界の反対側まで布で覆うことは出来ないという事だ。更に、表面を覆うだけでは柔らかくすると言った変化程度した与えられない。影響が及ぶ範囲は八メートルか十メートルか、そもそも初めに沈んでいった樹は本当に沈んだのか? 出来る事ばかり言うのはブラフとしは三流だな」


〝バン!バン!バン!バン!バン!〟


『(爆発音がそこら中から聞こえる…… 何だ! 鹿の体中に何かが刺さった! これは―― )』


 夕闇の樹林で鳴り響く爆発音と共に小さな正体不明の礫が高速で周囲に飛び散っていく。


「状況は揃った―― 発芽しろ」


 蠢く布の海に体が触れる寸前で、北条はこめかみの霊紋に触れ合図を出す。


 地面を覆い尽くしていた布が一斉に燃え始め、夕闇の樹林はその景色を紅く染めていく。

「やはりな、オレの攻撃を防げたのは極端に布の耐熱性能を上げ、火の根が触れた瞬間から根の温度を下げていたんだ。であれば当然、意識外の攻撃ならば燃やせる」

『まんまとやられたね。今この空間に撒き散らされたのは―― 』

 言い終わるより先に北条が指を向け、布の鹿達は体中から紅く透けた花以外の無数の超高温植物が体を覆い尽くして生え、倒れ、燃えた。

『―― 種か』

「オレの火の種は、根を生むだけじゃ無い。知識にあるを除いた植物を生やす事が出来る」


 紅く揺らめく草原が周辺の地面を覆い尽くし布の侵入を防いでいる。


「スナバコノキだ。時速二百四十キロメートルで半径十八メートルにその種を榴散弾の様に飛ばす巨木。この樹林に潜ませるには丁度良い。至る所に設置した。そして、この逃走経路こそ"無顔" 貴様の能力の情報を引き出し、迎撃し、守りの布陣を敷く為のモノだ」

『なるほど、布に浸食されない地形を造りつつ、この辺一帯にはまだ発芽していない種が大量にあるワケだ。ああ確かに難しいかもしれない、キミが一生此処に居続けるならね……ははは』


 言葉を吐いた鹿は完全に燃えて消えた。


 消滅を確認した北条は一息つき、ボロボロになったコートを脱ぎ、傷の具合を確認する。


 ―― 大分深いな。傷を焼いて対処する事は出来なさそうだ。ポーションもない……だが。


「【アカエム】」


 指を鳴らし、種を発芽させる。近場の地面が盛り上がって現れたのは気球の様なポンプが複数付いているのが特徴の背の高い植物。北条はその植物から長く垂れ下がる管を傷に差し込む。


【医療植物アカエム】

 伸びる管から血を吸わせると、その傷の具合を理解し、備わった複数の薬球ポンプが機械のように精密に動き、そこから消毒止血液を散布し、繊維で簡易的な縫合を行う。


日課どくしょが役に立ったな」


 ある程度傷が塞がったのを確認すると、【アカエム】への色の供給を絶ち枯らす。そして周囲を目視で確認しながらコートをちぎり包帯の代わりに傷へ巻いた。


 ―― 分かっているぞ。無顔、やはりお前は色が怖いんだ。直接オレを追ってこないのがその証拠だ。勝機は確実にある。神経を研ぎ澄ませろ。


 夕闇の中、北条の生やした紅い草原の周囲だけが明るい。

 夕日の欠片が此処に取り残されてしまったかのように。


 風が吹き、また草葉がざわめきを始めた。

 その風の中には、時々アカい煙が混じる。それは、夕闇の中を動く動物の動きと輪郭を鮮明に捉える事の出来る目だ。何人も逃さない。


  ―― オレが色を供給し続ける間は、この紅い草原は枯れることは無い。更に半径四十メートルは【煙根】で結界を張った。もし、足を奴が一歩でも踏み入れたのなら……。




「" 死角から一方的に狙撃可能だ"……そう思ってるんじゃあ無いのかな」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る