3.小さな出迎え人

 走る少年は既に街の中で、再び訪れた十字大通りを西へ曲がり、住宅街の方へと駆けた。

 

 蔦に覆われた集合住宅地の奥の、小ぢんまりとした庭を持つ一戸建ての家が建ち並ぶその更に奥の一等地に、ぼんやりと赤い庭を構えでかでかと建っているのは、荘厳且つ絢爛且つ崇敬を集める『北条邸』。


 その庭の外の入口にて、少年は小さな侍女に止められていた。


「駄目です」

「間違って届いたブツをあの野郎に渡しに行くだけだろぉ! 何がダメなんだよ?」

「はぁ……駄目、というか、嫌です。個人的に」

「はぁ!? 個人的ぃ!? 俺あんたと会うの初めてなんだけどさぁ」

「ええ、個人的ですよ。そして、五秒前にお会いした時から嫌いなんですアナタが。そもそも、日はとっくに暮れて雲の線も切れているんです。今日という区切りはもう既に付いているんです。明日の要件ならば日が昇ってからお願いしたいですし、覚醒式やら何やらで御主人様は疲れていらっしゃいますし、今話しているこの時間も無駄ですし、これから私が作ったホウジョウ様が大好物のスウィーツを日課の読書で脳が糖分が欲するタイミングをワタシなりに研究を重ねてお出し出来るようにベストに焼き上げたのに来客ウゥ!? 来客ダトゥ!?" 丁度甘いものが食べたかったんだ。いつも気が利くなマリア( ニッコリ)" のお褒めの言葉をトキ様から頂くアタシの日課が邪魔され" あの野郎" 呼ばわりする礼儀も知らない鼻水舌に乗っけて歩いてる様なガキがアタシの御主人様に直接会いたいなんて仰りやがるじゃあないですか……すぅ……それでぇ?もう一度要件の方お伺い―― !?」

 

 猛烈に捲し立てる侍女に対してへしゃへしゃになった鉄封筒をちらりと見せると一変、驚愕の表情を浮かべたまま侍女が不意に鉄封筒を奪おうとしたので少年はそれをイイ顔で躱した。


「は、はわわ、それを…… どこで…… 」

 

 侍女の手が空を切り、少年は黙って空を指さした後、ニヤリと笑って口を開いた。


「なぁ~~るほどなぁ~~よぉ~~く分かったぜぇ~~。確かに俺が非常識だったぁ。こーんな夜遅くに来て、侍女さんの日課を邪魔しちまったみたいだぁ。お言葉どぉり、明日伺うことにするぜ。ま、この鉄封筒は帰り道ひょっとしたらどこぞの鍛冶屋で加工してよく切れる包丁になってるかもしれねぇけどなぁ! スパスパスパ~!   

おやすみなさ~い!」

 

 へしゃへしゃになった鉄封筒を少年は両手で抑え、なるだけ元の形に戻しつつお道化ながらくるりと背を向ける。


「そこを止まれ!! お客様!!」

 

 少年は止まった。

 その後に続く言葉が容易に想像できたからではない、侍女の体から数字の気配を感じ、これは本当の警告だと悟ったからだ。侍女は少年が止まったのを確認すると一度舌打ちをして数字を切り、入り口の門を少し開いて内側に入り、門横の壁にある隠し戸を開く。その中には備え付けられた受話器があった。


 コレで書斎に居る主人と連絡を取るのだ。

 受話器を取る前に侍女は一度深呼吸をする。


「あーあーアー……ゴシュジンサマ、ゴシュジンサマ…… チョットチガウカナ、イヤ」

 

 眉をひそめ小声で調律した侍女は「こほん」と咳払いをして遂に受話器を耳に当てた。


「…… 御主人様、マリアです( はぁと)読書中に申し訳ありません( しょんぼり) 今お時間よろしいでしょうか( 恐る恐る) 」

「(うわぁ…… )」

「はい( 嬉しい) 実はですねお客様がお見えになっておりまして……ええそうなんです!( 首を動かして激しく同意)ですが……何かの手違いで鉄封筒がその方に配達されたみたいで……えっ直接……いえ、畏まりました。そちらへお通し致します。失礼致します(はぁと)」

 

 侍女は無意識に指に巻き付けていた受話器のコードを解き、がちゃんと電話を終えた。


「あ~もしかしてさぁ、さっきの子って俺が知らないだけで双子だったりする?―― あ、しないのね、ハイハイ」

 

 少年の軽口に対して小さな侍女は鋭い目つき睨みつけ黙らせると〝こっちに来い〟と指を威 圧的にクイッと曲げた。しかし少年は―― 。


「は? いや、分かんない分かんない。そんな指をクイってされても俺分かんない。それに俺「お客様」だしなぁ~ちゃんと言葉で丁寧にご案内されてぇなぁ~」

 

 またもや少年の軽口に侍女は一度天を仰いでから顔を戻すと口を開いた。


「ぉ…… ぁ…… ぃ…… します」

「なんだってぇ?聞こえないなーちゃ~んと耳元で、ガキでも分かる言葉を使って、清楚に耳元で囁いてもらわないとさ~聞こえないなぁ~」

 

 これでもかという軽口に唇を噛み締め白目を剥いた侍女だったが一瞬で無表情になると、螺旋に巻いたアヲイ髪のツインテールを揺らし、カチューシャのリボンも揺らし、夜の空間によく響くヒールで歩き、蒼い瞳で少年に近づいて耳元で清楚に囁いた。


「ご案内致します。クソ餓鬼」

「クソどうも。お侍女チビさん」


 お互い健全に囁やけば、後はニッコリとした表情のまま二人は仲良く『北条邸』の庭へと入っていくのであった。


 ――――――――


 石畳で出来た道は随分と奥に見える玄関扉まで続いていて、道の両隣では暮れた赤を灯すぼんやりと咲いた花で埋め尽くされていた。


「すげぇ~なんてーのこの花」

「〝ユウアキネ〟ですお客様。ホウジョウ様がお好きなので」

「…… ふーん。買って植えてるとか?」

「まさか。ワタシ達が種から一つづつ育てました。計十年ほどでしょうか」

「スゲーじゃん」

「…… ユウアキネは夜にだけ咲く花。その日の夕暮れの赤を花弁に灯します―― どうぞ」

 

 先立つ侍女が暮れた赤の残光を裾に残しながら光の境界を離れるにつれ、ぼんやりとしていた彼女の輪郭が夜の影によって細く鮮明に描かれていくのを少年は見た。

 

 侍女は重々しい玄関の扉を開き少年を招き入れた。

 目の前には両階段。中はしーんと広く、暗く広い。本当に広いのだ。

 だが、玄関に出迎える者は居らず。ランタンの明かりを持った侍女と少年がただその空間に居た。少年はランタンの薄い灯りを頼りに目を細めて中を見渡した。


 木造、装飾、ところどころ豪華だが、全体的に質素で清潔で、暗いということもあるせいか此処に人が住んでいるように少年は感じなかった。


 ふと、灯りが遠ざかっていく。気づくと侍女は両階段を一人で登っている。少年は慌ててその後ろを追いかけた。階段を登って今度は長い廊下を歩く、多くの扉とすれ違っていく。


 廊下には時々蟲や獣、植物などの剥製を見かけた。聞けば、北条がそれらを採取しては剥製や標本を作っているらしい。剥製の横には手書きで解説も書いてあった。少年は何故だか所帯染みている印象を受けた。


「マジで人居ねぇな…… 大半辞めたのは知ってっけど、でっかい侍女さんは残ってなかった?」

「誰ですかソレ?此処にはアタシ以外の使用人は居ませんよ」

「ふーん。じゃ、気のせいか―― あっ蟻ミミズ…… ところでさ」

「はい?」

 

 蟻ミミズの剥製に気を引かれつつ、少年は気になっていた質問をした。


「何でアイツ、軍に行くんだよ」

「…… 数年前に起きた技術革命はご存じでしょう。あれ以降キテルで取れる鉄の物価は底まで下がるどころか、ソレを加工する職人までも存在意義を無くしました」

「ああ、覚えてるぜ。忘れるわけがねぇ」

「ですので、街は今財政難です。一時期は、ご主人様が資金を工面していたそうですが、長くは続かなかったようなので、軍に入ることを交換条件に、街に対する恒久的な援助を取り付けました。今回の能力際についても軍の援助の一部です。外からお金が入ってきますからね」

「………… ふーん」

「きゅふふ。スゴイでしょうウチのご主人様は、ちゃんと皆のこと考えてるんです」

「好きなの?」

「ぶっ!?ば、なな、ばな、何聞いてんですかイキナリ!」

「いやだって廊下長いし、気になるし。で、どうなの?そうなの?教えてよ」

「いやっなっ……えぇ……ま、まぁ、格好いいし……その……うん」

「ひゅーう!!」

「聞こえたらどうするんですか!」

「うおっちょっ!?ランタンは止めろ!危ねぇ!危ねぇって!」

 侍女は頬を染めた。軽率に囃し立てた少年の顔面をランダンが幾度となく掠った。そうこうしている内に何度か廊下を曲がり、北条の居る書斎の扉の前に着いた。


「ねーねー、マリアちゃんって呼んでいい?」


 ランタンの灯りを消した侍女は半分振り返る。


「駄目です。個人的に…… 照れるので、そういの」


 小声で侍女はそう言うと、書斎の扉をノックした。

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