4.宣戦布告
「入れ」という声と共に侍女は扉を開け、少年はその後ろに続いた。
書斎は本棚と本と書類と文字に囲まれた世界だった。
分厚い机と一つだけ置かれた椅子に座って本を読む北条は顔を上げ、侍女を労いつつ下がるように言った。
「では、失礼致します」
扉が閉まれば、少年と北条は二人。
北条は特に少年に気遣う様子はなく、再び本の文字に目を落とせば、しばらく沈黙が続いた。
本のページを捲る音がする度、少年の表情は徐々に強張り、胸の内で膨れ上がっていく感情に火花のようなものが散り始める。嫉妬で焦げ臭い。
手に持っていた鉄封筒が気づけばまた歪んでゆく。
遂に抑えきれず、少年はソレを投げた。
歪んだ鉄封筒は机に当たって手前に転がったが、それでも北条は気にもせず、文字を読むために目を動かすだけだった。
少年はまるで自分が空気のように感じた。
この場にいるはずなのに、目の前の人物からは存在を認められていない。何よりも無価値なのだと言われているような。屈辱だ。
沈黙、揺れる振り子が間を埋めていく。
最後の一文を読み終えた北条が本を閉じ、立ち上がりながら顔を上げた。
「まだ居たのか」
誰かを連想させるような紅い髪。整髪料で尖った髪は後ろへ流され、前髪の一筋が垂れている。冷めた目で、瞳は赤い絵の具がたっぷり入ったバケツに、炭を落としたような色をしている。
白い厚手のコートを着ており、背は少年と同じか少し高く、何より彼を印象づけるのは、今しがた掛けたあの眼鏡だろう。少年の脳裏で影がちらついてしょうがない。
「何故、こんな夜更けに訪れたのだとか、何故、鉄封筒が貴様の所にあるのだとか、甚だ興味もないが、一応聞いてやろう。どうした何か用か?」
北条はやはり、少年の方を見ることもなく、背を向け、本棚からまた新たな本を取り出して、立ったままそれを開いた。
「お前、軍に行くんだろう。金だけこの街に置いて」
「……それが?」
「それで街を救ったつもりかよ、
「いいや、思わない。だからこそオレはやるべき事の為に軍へ、世界へ行く……こんな事を聞くために貴様はわざわざ此処までオレを訪ねに来たのか?」
「違う」
「じゃあ何だ、オレが持っているモノで何か欲しいものがあるのか?いいぞ、オレが居なくなった後で好きなだけ―― 」
「自惚れんな! テメェはそんなもん持ってねぇ! 俺が欲しいモノなんて何一つなァ!!」
「……ふん。であれば、オレを引き止めに来たという訳でもあるまい。何が目的だ」
「証明だ」
「証明? 誰に? 居ない神にか?」
「俺自身への証明だ。他の誰でもねぇ。俺は俺に、テメェより上だってことを証明するだけだぜ。今度の『能力祭』俺と戦えよ…… ホウジョウ・トキ」
少年の問いに北条は本を閉じ、振り返って初めて少年を観た。
「貴様は、子供の頃から妙に突っ掛かって来る奴だった。今もその延長だというのなら、お笑いだな」
「俺をマジで餓鬼だと思ってんのか?ホウジョウ、テメェちょっと上からだぜ」
「上から?貴様が勝手に下にいるだけだろう。そんな奴に合わせてオレが膝を折る必要がどこにある。ともかくだ、そんな申し出は受けない。理解したのなら―― 」
「いいや」
我慢の限界は、とうに過ぎていた。
「お前は受けるさ、『マイケル・フレッツェ』」
時間が止まった―――― 。
「どうしたよ、お前の名だろう」
空気がより焦げ付いていく。本など既に紅が付いて灰になりそうな程に。
「あの男が付けた名だ。オレの名じゃない」
鉛の様に声が低い。彼の双眸は、少年を確実に『敵』として捕らえ、嫌悪した。
視線が交わり互いの瞳に映るのは、紛れもない陰と陽。紅と灰であった。
北条トキが件の名を嫌うのは二つ理由がある。一つは単純に気に入らない事、もう一つは、名付け親に心底嫌悪と恨みに似た感情を今も抱えているからだ。
「唯一の汚点だ。その名で呼ばれると吐き気がする。例え取るに足りない餓鬼が" 悪ふざけや冗談" で口にしたとしてもだ。頼む、もう一度呼んでくれ。殺してやれる」
表情は一転。
彼の瞳は赤く沈み、少年の胸ぐらをゆっくりと掴み込む。虎をも屠らん気迫に満ちた、声、眼力、圧倒的存在感と雰囲気は、全てを熱く焦がす。
そして、互いの霊紋が浮かび上がり共鳴する。心が震える。
「何度だって呼んでやるよ鳥頭が!! いいや、マイケル・フレッツェ!!」
「オレを! その名で呼んだな!! グライス!!!」
暗転する。
木箱を二回割いた様な音の後に、北条邸の大窓が割れ複数の黒い影が破片を散らして原型を崩しながら空に飛び出した。気が付けば少年は、庭先の花畑に転がっていた。いや、正確には、庭先の花畑に横たわる本棚の上に転がっていた。
ぼんやりと光る暮れた赤の中で屋敷に空いた大穴を見上げると同時に少年は理解した。書斎からここまで、壁と壁と窓をぶち破り、本棚もろともぶっ飛ばされたということに。
「げ…… ほ!げほ!えほ!…… ははは…… なんじゃそりゃ…… 」
体を起こし、立ち上がろうとするが、うまく力が入らない、それどころか、力を入れた箇所が釘を打ち付けられたようで、抉れるような痛みが溢こぼれ落ちる。
血だ。結局動けず、横たわった本棚の上で、体を起こすのが精一杯だった。
大穴から足音が近づいてくる。
「生きていたか…… 存外、しぶといなグライス」
北条が姿を見せ、少年を見下ろす。上と下だ。少年はハッキリとそう感じた。
「何が可笑しい?脳が蒸発でもしたか?」
「いやぁ、初めて名前を呼ばれたと思ってなぁ、ホウジョウ・トキ」
少年ががそう言うと、北条は再びあの目で睨んだ。
「…… その眼、好きだぜ。前より千倍増しでな」
その目は、少年ををみていた。『観』ているのではなくて『見』ていた。一人として。風が吹き荒ぶ、散らばった本のページが独りでに捲られていく。
香る花の匂いは苦い鉄だ。しばらく睨み合っていたが、北条がようやく口を開く。
「ふん…… 貴様の蛮勇に免じ先程の申し出、この北条トキが受けよう」
「はは…… 死ぬほど嬉しいぜ。で、どうやるんだ?くじでも入れ替えるか?」
『能力祭』は勝ち上がり方式で、組み合わせはくじで決まる。
「オレを誰だと思っている。演目を一つ増やすくらい造作もない。そうだな、エキシビジョンだ。祭りの前座には丁度いいだろう」
「おもしれぇ。必ず証明してやるよ、俺がテメェより上だってなぁ」
北条は踵を返し、一度だけ少年を一瞥すると、そのまま屋敷の奥に消えていった。少年はそれを見届けると、体を辛うじて支えていたものが解け、仰向けに倒れた。
夜風とぼんやり暮れた赤の中、少年が硬い本棚の上でぼーっと夜空を見上げていると、緑色のヌルい液体を頭の上から垂らされた。傍に侍女が立っていた。
「…… どうも」
液体が伝っていくと痛みが引いていく感覚を覚えた。ソレは回復液だった。
「馬鹿ですか?お客様」
「大馬鹿。侍女さん、花…… ゴメンな」
「壁もですよ。直すの、ワタシなんですから」
液体が小さな滝からぽたぽたとした水滴に変わると、程なくしてソレは止まった。
少年は少しふらつきながらも立ち上がった。傷は塞がった様だ。
「ワケをお聞きしても?」
「…… 言ったろ、俺が上でアイツが下ならそれでいいんだ」
「どうにも、餓鬼ですね」
「そうかも。じゃ、おじゃましました」
「もう、来ないで下さいね」
少年は背中を向けたまま、黙って手を振った。
―― 餓鬼だなんてことは俺が一番良くわかってる。アイツが持ってるモノに俺が嫉妬してることも。それでも俺はカアさんの一番が良いんだ。
――そう見えるようになりたいんだ。一番だっていう安心が欲しいんだ。自分を慰められるだけの――愛に似た何かが、欲しいんだよ。
――愛じゃなくていい。似ていればそれでいい。きっと埋めてくれる。きっとだ。
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