エピローグ

際立つキミ、風に吹かれて。

 少年の母の葬儀は簡素に行われ、遺体は焼かれて灰となり波立つ草原の風に乗せて弔った。


 少年は灰の一粒まで瞬きもせず、静かに涙を流しながらそれ見送っていた。


 その後暫く少年は心ここに在らずと言った様子で、塞ぎ込むわけでも無く、途方に暮れるというわけでも無く、鈴堂の側で母との思い出を振り返り、そして家へと戻るだけの往復の日々を続けた。


 少年の心に現実がまだ追い付いていなかったのだ。


 ある晩、少年は誰も居ない書斎を訪れた。


 母死んでから一度も入ったことの無い書斎だ。


 彼女が何時も向かい合っていた机の上には、分厚い本があった。


 それは、彼女が少年に残した贈り物だった。


 内容はこの世界について。


 彼女が旅をしてきたこの世界について、事細かに彼女の字で彼女の言葉で書かれていた。少年は辺境の地にいるばかりで世界というものを知らなかった。知ろうとも思わなかった。


 しかし今、彼女の残したこの本が少年の知りたいという欲求を刺激した。


 その日初めて少年は母を忘れ、夜通しで本を読んだ。


 そして夜が明ける頃には、嘘の様にスッキリとした面持ちで日を迎えていた。



 二十日が経っていた。



 昼。輪っかの雲が、太陽の光を受けて輝いている。


 少年は本を小脇に抱えて鈴堂の上に立ち、流れる草原の波を暫く見ていた。


「よし」


 呟いて、少年は飛び降りた。


 そのまま街道を走る。走る事に特に理由は無い。


 能力祭はとっくの昔に終わって闘技場は撤去されたが、観光に来ていた人間の少数がこの土地を気に入り、移住したこともあって少年が子供の頃のように最近は活気に溢れている。


 いろいろなモノが良い方向に向かっているような気がした。


 少年は街へ入り森を目指す傍ら、いつかの不良連中にちょっかいを出し、程よくからかった後中指を楽しそうに立て、憤慨する連中から逃げるようにその場を後にした。


 樹林へ入り、今度は湖を目指す。


 湖へは幼い時に一度だけ行ったきりだが道は憶えていた。


 朽ちた太陽の樹を横切り、魔者に手を振り、花畑を抜ければもうすぐ其処だ。


 湖に着いた。


 木の葉隙間から差し込んでいる日差しが幻想的な風景を作り出している。


 そんな風景中、よく知るアカ色の背中が見えた。


 大きすぎる湖を前に彼は腰を下ろして釣り糸を垂らし、獲物じっくりと待っているようだった。


 そして彼の側で背の高い侍女マリアが、折りたたみの机などを設置して昼食の用意を進めていた。


 少年は侍女と目が合うと、小さく手を振って挨拶をした。


 その後、彼女は少し呆れた様子で北条の方を見て肩をすくめる。


 少年は苦く笑いながら、アカイ背中に近づいていく。


「よいしょっと……」


 少年は北条の背に凭れるようにして脚を伸ばし、本を広げた。


「……何のつもりだ」

「あぁ。居たのか気が付かなかったぜ」

「白々しいな」

「はっ……それより大物の一匹か二匹でも釣れたのかよ」


 そう聞かれて、言い渋る北条に代わってマリアが答えた。


「まだよ、まだ。一匹も釣れないんだから」

「" 今日は" だ」

「何でも良いけど早く釣りなさいよねーアタシお腹すいたんだけど~」

「ははっ。だってよ」

「……そもそも食用釣りに来たんじゃ無いんだがな」

「じゃあ何釣ってんだよ」

「主だ。この湖には昔から鯨よりも遙かに巨大な魚類が居ると聞いた」

「聞いただけだろ、ホントに居んのかよ」

「だからこうして確かめているんだろう……それより、来たなら貴様も手伝え」

「やーだね」


 少年は北条を無視して本の頁をめくる。


「本か? 似合わないな」

「だろ? 分かってんじゃん」


 "パラ……ペラ……"


「…… なぁ」


「何だ」


「もしさ、この世界が数字なんかじゃ無くて色で出来てるって言ったら。どう思う?」


「……そうだな、数字やステータスではなく此処が色の世界だとしたら――――」


 糸が大きく揺れた。


「おい! デケェぞ!」

「な、何だこの引きは!引きずり込まれるッ!」

「『引』使え『引』! 踏ん張れ!このままじゃあ持ってかれるぜ!」

「『引』とはなんだ! 記号か! 言葉で説明しろ!」

「してんだろ!! つかこの前使ってただろテメェ!!」

「いいからケンカしてないでひっぱんなさいよぉ!!」


「せーの」と三人で竿を力一杯引き上げれば、湖の底から超巨大な影が浮かび上がり、そのまま水面が表面揚力で山の様に持ち上がって弾け、光りを遮りながら宙へ踊る。


 圧巻の光景に視線は釘付けとなり三人は息を呑んだ。


 しかし、釘付けとなった余り、誰もその竿を手にして居らず。


 釣り上げた主は宙から湖へそのまま垂直に、激しく垂直に落下し、釣り竿もろとも底へと消えていった。


 水しぶきに見舞われ一同は水浸しとなったが、互いの様子を見てあっけらかんと笑い合った。


「――で、どうなんだ?」


 笑い疲れた少年は言葉の続きを聞いた。


 北条は振り返り、続きを話す。


「ああ。もしそうなら――――最高だ」


 風に吹かれ少年らの輪郭がざぁと際立つ。


 風を追い、見上げた二人の瞳に映る空はドコまでも澄んでいて――――。


 世界は色で出来ていた。

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