7.世界は色で出来ている

「…… 色?」

「そう、色だ。このヒトの身体も、木々も、風も、全てがそうだ。アカイからモノは燃えるし、アオイから水になる。チャイロだから土だ。でもミドリはイロイロだ。それじゃあ困るが、そのくらいに、大雑把なのさね、世界は」

「じゃあ、俺とカアさんも色、なのか?」

「私とあんたも色さ」

 少年の素朴な疑問に彼女は微笑んで答えた。

 それを聞いた少年はもう一つ質問をする。

「俺も、出来るようになる?カアさんみたいに、火ぃ付けたり、魔者を倒したり。もしかしたら、転生者も」

「転生者…… ?」

 

 その単語に、彼女は反応を示した。少年は慌てて取り繕う。


「いや! ものの例えね! 例え! 俺、今度の能力祭に出るんだけど、相手が転生者みたいに強いって評判でさ…… けど、勝ちたいんだソイツに。だから、カアさんみたいに強くなりたい」

「…… なれるかどうかは分からないさね。色とは心の力。ある程度までは誰でも習得できるが、その先は才能の世界だ。数字とは違い強さも目には見えない。それでもいいのか?」


 少年は頷いた。


「もう一つ、色と数字は相反する力だ。共存は無く、一方が淘汰される。後悔はないな?」

 

 少年は力強く頷いた。


 少年の意志を確認した彼女は「そうか」と呟いて、煙草を一息に吸って吐き出した。


〝パチン〟


 彼女の指が鳴った瞬間だった。

 まるで初めからそうだったかの様に、少年の体中を紅い蝶々が覆い尽くしている。驚いた少年は目を見開いたが出来たことはそれだけで、声も身体も何も動かすことは出来なかった。ただ、声だけがはっきりと聞こえる。


「グライス。好きなモノはあるか? 或いは夢はあるか? 憧れはあるか?」


 立ち上がった彼女は、少年の方へゆっくりと寄る。

 少年の前にしゃがんで、少年の額に浮き上がった霊紋を紅く染めた指で触れる。


「よく、強く思い浮かべろ。それから一番底だ。一番暗くなった辺りで


 彼女の言葉が終わったと同時に、少年の身体を強烈な虚脱感が包んだ。それは地の底に向かって落ちて行くような感覚で、内側から液体で満ちて溺れる様な感覚に近かった。

 

 ぱたん、ばたん、ばた。目を閉じると光の扉が幾つも閉まっていく。


 視界が眩んで、何処かへ登っていく数字の羅列が少年の瞳に映る。数字に蝶々達が張り付き吸い付く。そして、数字を吸った蝶々は枯れて枯れ葉のように散っていった。少年は眩んだ視界の中で、徐々に紅色が見え始めていた。生き物の様に広がっていく紅は同時に身体を奪い始めた。肉体の自我が薄れ、浸色しんしょくされ、他者へ置き換わっていく。


 そして色は、少年の奥底に達し" ソレ" に触れた。ソレは" 心" だった。


 全てが溶け出してしまいそうな熱が心に触れ少年は叫んだ。声にならない。恐怖が心を満たし溢れかえる頃、心に輪郭が生まれ、紅を突き放し拒絶した。


 その輪郭は次第に少年と重なった。自分がまるで二重になった様だった。

 気が付けばその手には灰色が灯っていた。







「つけ、ましたね」






 

 そっと艶めかしい声で、そっと耳を喰む様に囁かれた。

 鼓膜が震え、声が脊椎を撫でた。


 そして、灰色の点滅の中で、息のかかる距離で、黒い瞳の天使に微笑まれていた。

 だが、そう思えたのは一瞬の事で、灰色に点滅する色の中で見た少年の錯覚だった。実際には、カラスの羽がうねったような短髪の女がそこに浮いているだけだ。


「あんた、誰だよ」

「嗚呼。わたしですか?貴方わたしです」

「……此処は?」

「底です。貴方あなたの全て、で、満たされています」

「…………あんたは?」

「己は、貴方です」


 彼女との会話は、鏡に話しかけている様で少年は無意味に感じた。


 手に灯る仄かな灰色の光りで周囲を照らしてみると、そこら中が大きなガラクタの影で溢れかえっていた。


 少年はソレを見て、ふいに懐かしさに襲われた。

 そこにある全てが、昔は胸の内側で大切に抱きしめていたような気がして。

 或いは此処にある全てに、名前があったような気がして。


「色、は、夢を、憧れを、糧に、灯り続けます。憶えて、いますか?夢と、憧れを」

「……忘れたよ。夢とか憧れとか、そんな子供の頃の話なんか」

「では、思い、出してください。記憶あなたに、触れてください」

 

 黒い瞳の女が少年にそう告げると、少年の手を取り自身の瞳にその手を触れさせた。


 ――――――――


『おっさんは、それで良いのかよ! 見返してやりたいとか思わねぇのかよ! 転生者がちょっとすごい炉を作ったくらいでさぁ!』

『なぁ、グライスヨォ…… 流れなんだ、古いもんはいつか終わっちまうのヨォ』

『だからって…… だからって、炉の炎まで消しちまうのかよぉ!命よりも大事だって…… !消えちまったら、死んだも同然って!おっさん言ってたじゃねぇか!!』

『そうだ…… 死んだ。『カジテ・フリーガン』は死んだんだ』

『…… なんだよ、ソレ』

『形見だ、やるヨォ』

『いらねぇよ…… こんなダッセェの』

『そういうなって、グライスヨォ。オマエんだぜぇ、オマエだけの剣だ』

 

 ――――――――


「思い、出しましたね」

「うぜぇんだよ、お前……。こんな無駄になっちまった時間の事なんて思い出させやがって」

「ですが、それが貴方の『夢』でした『憧れ』でした。寸分違わず、今も、此処にあります」


 図星を突かれた少年は、自身の胸を強く掴みながら苦虫を噛み潰した様な顔で語り出す。


「……俺は……街を救ったアイツの炎が格好いいと思ったんだよ。だから、鍛冶をやろうとしたんだ、炎に一番近いから。ああそうだよ、俺は『憧れ』てたんだ炎に…… あのアカ色に」

 

 少年が過去を認め、憧れを受け入れた瞬間、少年の手元で点滅し不安定だった灰色が強く煌めき、真っ暗だった世界が灰色によって塗り変わっていく。


 少年の周りにあったあのガラクタは、少年が抱いた憧れの残骸であった。


「貴方の心に、色は、灯りました。炎の様に逆巻き、水の様に揺れる灰色が」

「…… ハッ。中途半端だよな俺って。全部そうだ、だから灰色なんだ」

「いい、え。貴方、なのは貴方だけ、ですから。だから、灰色、です――行って、らっしゃい」

 

 女は慰める様に少年の手を取り、再び自身の瞳へ触れさせる。

 そのまま少年の意識は徐々に闇で眩んでいき、少年は闇に覆われた。












 ―――――― ――――


「起きたか?」


 暫くすると少年は目を覚ました。少年はいつの間にか、木の側で寝かされていた。

 頭を起こして、少年はよろよろと立ち上がった。木陰から出ると光でまた視界が眩み、徐々に世界が浮かび上がってくる。それは一見して何の変哲も無い光景だったが、今なら分かる。


 万物がそれぞれに色を纏い、世界が、鮮やかに色を奏で溢れ廻っている。

 何もかもが美しい。


 だが、同時に少年は心が野ざらしになったような恐怖と寒さが込み上げた。


「脳は肉体の自我を。心は色の自我を持っている。そして心は、他者の色を拒絶することで初めて自我を獲得し、自らの夢や憧れを糧にその色を灯す。グライス。世界の色はまだ刺激が強いだろうが、直に慣れるさね」

「カアさん…… 俺、分かったんだ」


 圧巻の光景に身を震わせながら、少年はポツリと呟いて家の二階へと向かった。


 彼女は少年の後黙って続いた。


 少年は、自分の部屋では無くその向かいの部屋の扉を開けた。


 そこは人の出入りが殆どないせいで埃っぽく大きな布が掛けられた何かがあるだけだ。少年はその布を剥がす。


 ばさりと埃を舞い上げながら布は落ちた。

 

 それは大剣だった。


 剣底から真っ直ぐ三股に別れ、刃は分厚く、少年の胴と同じだけ広く、少年の背と同じだけの刀身。装飾などはなく、刀身の色は重く静か。


 かつての憧れの『残骸』だ。


 少年はその刀身に手を当てながら笑顔で言った。


「カアさん、これが俺の『憧れ』なんだ」


 その言葉と同時に額の霊紋が一瞬煌き、重力に引かれ下向きに燃える灰色が少年の全身に灯る。


 そして、灰色の切れ端が雨のように" しとしと" 降った――。


 少年が余りにも笑顔だったので彼女は釣られて、しかし、少し寂しそうに微笑んだ。

















グライス編 "前編" ――――終。



次回。北条編"前編"

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