第一章― 不良少年グライス―

1.十五歳

 母と呼ぶことを禁じられ、突き放すような態度を取られ、会話もほぼ無く最低限の家事をするのみの彼女と過ごす家の時間を息苦しく思ったグライスは、十歳になる頃には家を離れ、街で一日の殆どを過ごすようになった。


 だが、母親という存在から遠ざかれば遠ざかるほど、逆にそれはグライスの中で大きくなっていった。愛に飢えていたのだ。

 

 ソレを紛らわそうと、鍛冶職人を目指した時期もあったが、転生者が原因でそれも頓挫し、不貞腐れては同年代の気に入らない人間や、医者である母と自分を比較して蔑む者、母を馬鹿にする者を片っ端から殴り、喧嘩に明け暮れて日々を過ごすようになった。

 

 年を重ねる度、心を閉ざしていく度に、グライスの目つきは鋭く口調も荒くなり、灰色の瞳はますます荒んだ色となった。


 その内、一匹狼の不良少年というレッテルを貼られ、周囲からは鼻つまみ者として扱われ、誰からも理解されず、孤独に街を彷徨った。


「どーしよこれ」


 そして、十五歳となり覚醒式を終えた少年グライスは、夜、街灯の下、建物の壁に寄り縋り、教会から発行された自身のステータスカードを恨めしい顔で眺めていた。


 その数値はどれも二桁以下。他の同年代は、皆数百だの数千だの空の上の雲。更に、本来であれば技能や経験が無くともスキルを一つか二つ覚醒するはずだったのだが…… どうにもカードに記載されたスキル欄は空欄。そう、空欄だ。


「まじでさぁ…… この…… くそがぁあああ!! 何がステータスだ! 何がスキルだよぉ!! バカにしやがってよぉ! おら! おらぁ! 」


 投げつけたカードをしきりに踏みつける少年を、通行人達はきっと知力のステータスが低くバカになってしまったのだろうと心の底で哀れんだ。


 そんな視線に気づいた少年は虚しくなってカードを拾いポケットに押し込んでそのまま街の市場の方へ歩き出そうとしたが、賑やかな集団が眼の前を通りかかった。


『私のほうが高いわ』

『でもこっちのステータスはボクのが十も高いし~』

『十の差なんてすぐに抜かせるに決まってるわよ』

『どうやって抜かすつもりなの?』

『それは…… えーっと、本とかいっぱい読んだり考えたりだわ』

『うっわ、努力教信者かよ。時代はやっぱり核だよ核』

『努力の何がいけないのよ』

『考えたら分かるだろ、そんな事してもちょっとずつしか上がらないし、何時上がるかもわからないし、ちょこっと努力したら強くなる転生者じゃないんだから。やっぱ核でステータスを上げるに限るよ』

『やっぱりそうだよな、数字は大きければ大きいほどいいって言うし、ボクんち猟師だからさ、父ちゃんの手伝いで動物とか解体して小遣い代わりに色核しきかく

 を貰ってたんだ。だから、ステータスの平均が大体五千くらいまで行ったし』

『『『すげぇーー』』』


 通り過ぎていく集団を見ながら少年は、ぬるいスープに一つ浮かぶ氷を見るような、妙な不快感を覚えた。


 街燈下のゴミ箱を漁る猫が鳴いたので「うるせぇ」と言った。


 この国では子供は十五になると酒は飲めぬが大人として認められる。


 教会は子供達へ" ステータス定着装置" による覚醒の施しを行い、子供達は数字をその体に定着させる。そして定着の際に生成される"SP 細胞" の容量が許す限り『覚醒.net 』に繋がった書き込み装置を使い世界樹よりスキルを賜う。

 

 それは覚醒式と呼ばれ、それを終えて初めて一人前の大人として扱われる。


 しかし、そんなものなのだろうか大人になるということは。

 人の流れを見つめ少し考えた。


「……」


 いや、空回っているのかもしれない、気持ちが。死ぬほど空いていた腹が、いざご馳走を目の前にすると満腹になったような、大人になるという得体の知れない期待感が明確になったことで、薄まっていくようなそんな感覚。


「――待ちなァ」


 今度こそ、その場を離れようとした少年を先程とは別の集団が声を掛け引き止めた。振り返ればやけに不敵に笑う彼らは、スープを混ぜくって台無しにする事が得意で、常日頃から周囲に不快感を与えているそういう手合のワルだ。


 少年は溜息を大きく付いた。


「なんだよガルマッゾ。得意げな面しやがってよぉ、犬の糞でも見せに来たのか?」

「はっその糞を潰しに来たのさ」

「どうりでクセェ。臭うワケだ」

「オメェの乳臭さと比べたらマシさな」

「あン?」

「面ァ貸せよグライス。オハナシしようや」


 彼らとは因縁があった。少年は集団に囲まれながらすぐ脇の路地裏へと連れ込まれる。あまり人の歩かない路地裏は植物の苔が生い茂っていて通れば足跡が付いた。


 空気は苔が生えたのかと思う程に青臭い。ゴツゴツとのさばる木々の根も地元の人間でなければ何度も毛躓くだろう。そんな入り組んだ路を右へ左へ行き止まりへ。


 そして、蔦と落書きで覆い尽くされひび割れた壁の前に少年は立ち止まった。

 足元に水溜り。


「聞ぃたぜぇ? オメェ、ステータスが合計で四十も超えてねぇんだってなァ。ええ?」

 

 ガルマッゾの言葉に周囲の取り巻きは顔を見合わせて笑う。


「でぇ?」

「はんっ……子鹿も同然のクセに余裕ぶって一匹気取りやがってよぉ」

「気取ってちゃあ悪いのかよ。テメェらみたい悪い子のママゴトやってるよかマシだね」

 

 余裕のある少年の態度と言葉に当初の目論見を外した彼は苛立ち、奥歯をぐっと噛んだ。


「けど内心怖じけてンだろうがよ、虚勢張って気取っちゃあいるが数字は絶対だ!!  数字は嘘をつかねぇ!! 此処に居る誰にも! グライス! オメェは! 勝てねぇ! 確実に!!」

「…… 」

「はっはー! どうしたァ? ナニか言ってみろよォ! 実はブルってましたって!   

脚ガクガクさせながら、そこの水溜りに頭突っ込んで早くブクブク言ってみろォ!」

「はぁ……そんなに数字数字ってよぉ、ビビってる証拠だぜ。吊り橋叩かなきゃあ渡れねぇのかテメェは? 浅ェ男だぜガルマッゾ。今俺が立つ水溜りよりも確実に」

「や、野郎ォ~~~…… !!」

「一歩前に出てこいよ。いつもみてぇに転がしてやる」


 少年の挑発にガルマッゾは一歩。

 水溜りの水面を波立たせ一歩。着実に躙り寄った。


「き、気に食わねぇ…… ケンカがちっと強ぇからって転生野郎の次にデカイ面ァしやがる!!」

 

 体格差は歴然。彼と比べると少年は些か小柄だ。

 まともに組み合えば少年は一溜まりもないだろう。


「そうかァ? 俺にはテメェの面のがデカくみえっけどなぁ~今日もトンカチでトントンって顔の輪郭広げて来たんだろう?」


 ガルマッゾには弱点が三つあった。一つ、短絡短気であること。


「うおおおおおおおおおお!!!」

 

 二つ、顔面を罵倒された彼は必ず腕を振り上げ大股開いて猪の如く突っ込ん来ること。


「おいおい、数字も纏わないで突っ込んできちゃあいつもと変わんねぇだろうがよ」


 ―― 金的。


「ゴ、ガ…… ギ…… ギ…… ッ!!」


 三つ、彼はそれらを学ばないということ。


「性懲りもなく、水溜りに頭突っ込んでブクブク言ってんのはテメェの方だったなぁガルマッゾ。それと誰が乳臭いってぇ? テメェと俺は同い年だろうがよこの老け顔がッ!」

 

 少年は水溜りに突っ伏したまま伸び切っている彼の尻を蹴飛ばし、ゴロンと転がった彼の白目剥いた表情を見て軽く鼻で笑うと「そこで老けてろ」と言葉を吐き捨て踵を返す。


 だが、彼の取り巻きが少年の路を遮り各々が数字を体に纏わせた。


 装置にて定着させたソレは日常生活において支障をきたさぬよう普段は身体機能に適応されていないが、適応させると数値相応に強化され、数字は体の輪郭から気泡の様に漂い消える。更に彼らは火蟲水雷かちゅうすいらい、四種のスキルをそれぞれが手に宿し、それは少年に向けられた。


 しかし、少年には自信があった。

 

 この状況を打破できる自信が。


 彼らとは一連の似たようなやり取りを人生の半分ぐらい繰り返してきたのだ。

 そして、その度少年はそれを蹴散らしてきた。

 今回も覆ることはない、それが道理だ―― 拳を構え迎え撃つ体制をとる。

 数字。スキル。恐るるに足らぬ。


「いいぜ―― 来いよ――――」


  数分後。

 バシャンと大の字で水溜りの上に倒れていたのは、少年だった。


「これに懲りたらちったあ身の程弁えるんだなァ!! ―― ば、ばか野郎揺らすな! 揺れっと痛ぇんだよぉ…… !」


 急所を庇われながらガルマッゾ達はそうして捨てゼリフを残し去っていった。


 根拠のない自信は只の無知であり無謀をもたらす。

 何においても数字が絶対だ。それを覆すには有用なスキルを持つか、優秀な数字いでんしを持つ親の元に生まれるか、あるいは自身が転生者である必要がある。


 しかし少年は、只の少年だった。

 故に世界は覆らない。この数字の世界では。何も。


「………… つまんねぇ」


 水溜り。少年の輪郭から静かに波紋が広がって浅い水面に映る月は揺らいだ。


 いつとなく側に居た猫が水面に影を落としては「にゃあ」と鳴いて、月と一緒に揺れていた。


 少年は、大きく、大きく、溜息を付いた。


 空に向けて。世界に向かって――

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