2.夕暮れの日常
― 六年後―
「ねぇ、拾われた時の事覚えてる?」
背の高い侍女の『マリア』が洗濯物を干しながらそう聞いた。
屋敷の寂しい裏庭だ。
「その質問は何度目だろうな。ああ、覚えている」
夕暮れだ。日が暮れる時にだけ此処に陽が当たる。
「何度だって聞くわよ。思い出はその度深く色付いていくもの」
彼女の後ろでベンチに座って本を読んでいたが、やはり頁を進める手は止まってしまう。
「何度でも言うがオレはその感覚が分からない。産まれつき色は見えないんだ。見えるのは人や物の線で出来た輪郭だけだ。それに、一度聞けば大体の事は覚えている」
「ふーん。じゃあこれはアンタが一度で覚えられない事の一つね」
そう言って洗濯物を干し終えた彼女がポケットから出したのは、馴染みのパン屋のスタンプカードだった。スタンプを貯めると、店のものと一つ交換できる。どんなに買い物をしても、スタンプがもらえるのは一日一回(無駄遣いはやめよう)カードにそう書いてある。
「…… 大体だと言った」
受け取って上着のポケットに仕舞う。
「ソレを大体に含めないで、次やったらクシャクシャにして返すわよ。一々手間なんだから」
彼女はふぅっと息をついてオレの隣に座ると、少し目を細めて穏やかに沈む夕日を見ていた。
つられて夕日を見たが輪郭と眩しさ以外に何も感じることは出来なかった。
風が吹いた。
いつの間にか両手を本から手放していたようだ。風の線が本の頁を捲っていく。
「……どうして、オレを抱き上げたんだ」
「……また、同じことを聞くのね」
「知りたいんだ。ヒトの心が動いた訳を、何度でも」
「だったら、もうちょっとヒトっぽく聞きなさいよ。そしたら教えてあげる」
風が止んで、影が徐々に傾きを増していく。
「…… 」
「また、悩むの?アンタ、ヒトでしょ」
「ああ、たぶんな」
私は―― いや、オレは『太陽の樹』の生まれ変わりなどではない。
転生者なのだ。
転生をした。
その記憶がどれよりも濃い。
しかし、生前の自分が何者であったのか、何故転生するに至ったのか、それらの事情は一切記憶から抜け落ちている。
その代わり、生物が背負った使命か何かのように地球での知識と『転生』と言う単語が頭の奥底にへばりついていた。
「ほら、ぼーっとしてないで晩御飯買い行くわよ」
洗濯物を干し終え、自室に戻った後は夜の市場に向かうためコートを白い羽織り厚着をする。彼女は蓋の付いた籠に自分の上着を押し込んだ。屋敷の中では侍女服以外は制限されている為、上着は外で羽織る。
それはともかく、彼女の後ろ髪は特殊だ。
ゴムで括ると髪が緩いバネの様に独りでに螺旋するのだ。
普段髪を下ろしている時はそうでもないのだが…… 不思議でならない。
「ナニ?」
「いや」
視線をそらして自室を出た。
籠を持った彼女を先頭に無駄に長い屋敷の廊下を歩いて玄関へ向かうと、現街長でありこの屋敷の主でもある『スミス・フレッツェ』が丁度外出から戻っていたようで大勢の侍女達に出迎えられていた。
マリアは咄嗟に廊下の端に避け出迎えの言葉を述べて顔を伏せる。侍女が主人とすれ違うことは許されていない。
『主人が戻ったというのに挨拶の一つもなしか、ええ? マイケル』
私欲で膨らませた腹に傲慢を垂らす唇、卑しい目の男がオレを見下ろしている。
『相変わらず私とは口の一つも聞こうとしない、仮にも親子という間柄なのにだ。大方、そこの女が妙な入れ知恵をしているのだろうなぁ!』
醜悪な男の手がマリアへと迫るが顔を伏せたまま彼女は微動だにしない。主人の振る舞いを妨げる行為は許されていないからだ。
〝ガシッ〟
彼女の髪を掴もうとした直前で男の腕を掴んだ。ジロリと男の目が動く。
『…… 我が息子よ、お前は不気味だ。背丈はその辺のガキと同じ癖して子供とは思えないその力、自らが置かれた立場というものを理解している頭脳。だが、お前の目にはおおよそ感情というものを感じられない。多くの人間を見てきた私には分かる、お前には明確な意思というものが存在しない。与えられた役割をこなしているだけの、植物、植物のような人間だ。ああ、不気味だ不気味すぎる』
声色低く淡々と語る男の腕の力が緩んだ。手を離す。
『ふん、教皇代理の命でも無ければ、お前を拾ったこの女もろとも処分しただろうに。私は不幸者だ。まぁしかし、どうせお前は十五歳になれば巫子として首都へと送られる。太陽の樹の生まれ変わりとして人々から崇められる日々だ、退屈せんだろうなぁ』
男は視線をマリアの方に一度移し、再びこちらを見下ろしながらオレの肩に手を置く。
『この女が大事なら、教会の方々にくれぐれもよろしく言っておいてくれ。分かるな?』
男はそう言って笑いながら侍女達を引き連れ奥へと消えた。
この場に残ったのはオレとマリアの二人だけだった。
「ふふふ…… きゅふふふ…… !」
しばらくの沈黙の後にマリアが笑い始めた。理由は分かってる。いつものことだ。
「またか」
「だ、だって、ふふ、ア、アンタにマイケルって名前、と、とんでもなく似合わないじゃない」
「同感だ」
「そ、そんな真顔で『同感だ』とか言わないで。面白いったら…… !」
彼女はオレの名前が呼ばれる度に腹を抱えて笑う。顔を伏せていた理由も笑いを堪える為だ。
「置いていくぞ」
「ふふ、分かったから待ちなさいよ。
マリアは籠の蓋を開けて中から上着を取り出すと、背に火が付いた枝を咥える鷹が刺繍された俗に言うスカジャンを侍女服の上から羽織った。
この服装は一見アンバランスなのだが、彼女の背の高さと少し吊り目な容姿と相まってかやけに似合っている。
「じゃあ、行きましょ」
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