4.詰み
街の大通りから少し外れた日が陰る路地裏に、看板の傾いた喫茶店が一つある。
店内は埃を被った様子でカウンター以外の座席にはシーツが被せられている。ソレに加え、黒く細いコードが蜘蛛の巣の代わりに乱雑に複雑に壁や転造に張り巡らされてはだらんと垂れていた。
そして、男が二人。
片方はいかにも店主といった初老の男でよれた服に片眼鏡、白髪であり、グラスの曇り具合をひたすらに気にかけては気怠げにソレを磨いている。
「マスター。もう一杯」
『ここぉ、バーじゃ無いんですがねぇ』
店主はやれやれといった具合で、空になったグラスに酒を注ぐ。
カウンターに座る男はソレを一口で飲み干すと息をついた。
男はぼさっとした髪型で目元は何重にも巻かれた布で隠れ口だけが見えている。カウンターには空になったグラスの横に黒電話。張り巡らされていた黒いコードの全ては此処に繋がっている。
そしてカウンターにはもう一つ。ひび割れた懐中時計。時針は既に止まっており、分針はへし折れている、そのどちらもが同じ位置を指す。
かろうじて動く秒針は正常で、繰り返し繰り返しⅠを刻み続けている。
『電話ぁ、来ますかねぇ』
そう言ってグラスを磨くのは帝國の工作員。
「来るよ」
そう言って口を歪めるのは、帝國の転生者。『狂針』所持者。Ⅻ=Ⅰ。
『最近はぁ、かなり穏やかですよねぇ。昔のアナタならもっと酷く壊す』
「状況が違うからね。結局、壊した後の面倒を僕が見なきゃいけない。だから今は、人形より従順な犬の方が欲しいんだ。後々を考えると手間は掛けたほうがいい」
『そうですかぁ。ところでぇ、新聞は読まれましたかぁ?』
「帝國新聞?文字は読まないからなぁ。なんか出てた?」
『魔晄炉がぁ流通を開始したそうです』
「ああ~~。じゃあ、今日、来るね、電話」
『そうだとぉいいですねぇ…… もう一杯、飲まれます?』
〝とぅるるるるるるる〟
「…… 間が悪いや」
転生者は苦く笑い、時計の縁をぐるぐるとなぞりながら、鳴り響く黒電話の受話器を取った。
「北条トキ君。今ね、君の話をしてたんだ。そろそろ、来る頃だろうって」
「………… コレが、帝國のやり方か」
半ば諦めたかのような口調。
電話越しに伝わるほど、北条の声色は疲弊仕切っていた。
「その様子だと今朝の新聞は見て貰えたようだねぇ」
店主が広げていた新聞を奪うと、見出しの文字に目を走らせる。
店主は肩を竦める。
『魔晄炉』は従来の鍛冶の在り方を根本的に変えてしまう技術だった。ソレはスキルの持つ均一化の弱点を克服した代物であり、個人に合わせた調整が可能な一点物
を自動且つ短時間で作製でき、世に存在するほぼ全ての特殊な金属や合金を既存で手に入る安価な素材で再現できてしまう。
この魔晄炉さえあれば鍛冶屋は用済みであり、さらに言えば、金属の需要も減り消
費も落ち込む。そして、この街の財源の六割は金属や鍛冶によるものだった。
「分かっているのか…… 多くの人間が職を失う事になる」
「さぁ~? 上がやってることだしなぁ。ソレより君は、他を心配してる余裕なんて無いでしょう。この街は特に酷いことになるんじゃないかなぁ。まぁ、間違いなく街の経済は崩壊してゆっくりと地図から消えるだろうね」
転生者はそこまで言うと、読み終えた新聞を明後日の方向に投げた。
「でも大丈夫。君が一言帝國に従うといいさえすれば、この街は安泰だ」
「どういうことだ」
「転生者の次に貴重な資源って、『核』なんだよね。ステータスの強化にも使えるし、燃料にもなるしいい素材でね『魔者』からよーく取れるんだ」
「正気か…… 『魔者』を狩れば樹林が腐る、五年前も樹林はしばらく泥に汚染されていた」
「そっちこそ正気かい? 樹林から取れる資源に価値は無くなるんだ。そうなればこの街の人間にとって用済みだよ。金のならない木を誰が欲しがるの。それとも、先祖代々受け継いできた大樹林の重みを抱いて貧しく死ねと、君はこの街の人間にそう言うつもりなんだ? まぁ、どちらにしろ君の時計じゃ御しきれない部分が出てくる」
「…… 」
「ねぇ、もういいでしょうよ。十分だ。君はもう詰んでる。いや、初めからそうだった。守りたいんでしょ?この街を。君の目的はそこの筈だ。ん? ちがうかい?」
「…… 」
「こうしよう。今から数を十数える。僕が十を数え終わったら、君はもう帝國の一員だ。もし嫌なら途中で止めてもらっていいよ。じゃあ行くよ」
そう言って彼は時計見て秒針の動きを数え始めた。
「いーち、いーち、いーーち、いーち、いーーち、いーち、いーち、いーち、いーち、いち」
スピーカーの向こうは無言のままだった。
彼は肩と耳で受話器を挟んで両手で手を叩いた。
「おめでとう。コレで今日から君も帝國の転生者だ。いやぁ、嬉しいね。あ、そうそう。さっき言ってた『核』なんだけど、『魔晄炉』の影響で損失する利益の八割を補う値段で買い取らせてもらおうと思うんだ。いいよね?」
「…… 」
「うん、良さそうだ。楽しみだなぁ。突然の技術革命によって財政の危機に見舞われる街を転生者が何処からか持ってきた資金でソレを補填したらそりゃあもう拍手に喝采だ、君を救世主と呼ぶ人間だって出てくるだろう。今以上に君の地位は盤石になる。でもね気が付くんだ。木が徐々に腐り始めてから、皆、薄々気が付くんだ。転生者が木にとって大事な『魔者』を狩ってるって。まぁ、例えそうなっても、きっと、誰も何も言わない。人間はそういう生き物だ」
〝ツーツーツー〟
既に通話は切れていた。彼は受話器を元に戻すと酒を一杯頼んで飲み干した。
「さぁ、
何もかもがだらんとした部屋の中で彼は口を歪めた。
――――――――。
― 一年後 ―
『魔晄炉』について広まると予定通り街は混乱に見舞われた。
そして、街民による暴動が起きかけた段階で、街長である北条トキは国から経済的支援を受けられるようになったと一つ嘘を付き、魔者の核を帝國に売却して得た利益で補填し貧困から街民を救ったのだ。
北条トキは救世主となった。
それでも、職と生きがいを失った多くの人間が、一人また一人とこの街から去ってゆき、働かぬ人が増え、次第に街から活気というものが失われていった。
魔者を狩れば大樹林の土地を解す者が消える、木々はストレスでその身から泥を出す。泥はは土の微生物を殺し、小動物の住処を追いやり、樹林の自浄作用を鈍化させ大地は痩せて、最後は木々は自らの泥で腐り朽ちていく。
木々が全滅するのに十年も掛からない。魔者を狩るということは緩やかな自殺でしか無いのだ。その事実に気づきながらも、街を守るため街民を養う義務のある北条は魔者の狩りを繰り返した。無論誰にもバレぬように。
北条が富をもたらす度、街民は喜び彼に感謝の言葉を送った。それが彼を苦しめた。彼の目には笑顔を浮かべる街民の首に括り付けられている縄が見えているからだ。その縄を彼が締めているからだ。
何もかもを吐き出してしまいたかった。
何もかも捨てて逃げ出したいと思っていた。
しかしそうなれば、マリア・クウェルは監視者によって始末される事になり、彼女が愛した街も血の海に沈むことになる。
二律背反。押し込められた感情。
彼の精神はこの一年で摩耗しきっていた。
―― 誰でもいい。気付いてくれ。誰でもいい。オレを止めてくれ。でないと街が人が何も無くなってしまうんだここから全て。ソレが帝國の目的なんだ。
心の声は誰にも届かない。
自分の中で重なり響いていくだけ。
希望は泥に沈んでいくだけ。
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