― STAND OUT ―

ただの点

プロローグ

1.千年の果て

 雨だ。


 無音の稲妻が暗い空の合間を幾度となく駆ける。

 雨以外の音は雨によって殺され続けている。


 息子が死んだあの日とよく似ている。

 私以外、もう誰も覚えていない日の雨だ。


「確か数十年ぶりの雨でしたか…… いやぁ~ワタクシも初めての経験ですが、よく降りますなぁ」


 屋根付きの荷馬車から降り、街道から分かれた道に立つ私に小太りの御者は話しかけてきた。


……八十年前に降った雨は、今よりずっとヌルかった」


 私がそう言うと、御者席に座っていた御者は呆けた顔をしてこちらを見た。


「はぁ、長生き…… なんですなぁ…… ?」

「まぁ、割と」

「それにしてはお若いというか、背が高いと言いますか、お美しいと言いますか―― はて?」


 御者の言葉を遮り私が掌を差し向けると、またしても呆けた顔でこちらを見た。


「荷物だ」

「ああ!これは失敬!御者としての仕事を呆けて忘れてしまうどころか、お客人をましてや淑女を雨の中で待たせてしまうとは名折れにございます。ええ、直ちにお持ち致しますとも」

 

 私が急かすと、御者は慌てた様子で席から降り、名簿を開きながら荷台へ小走りで向かった。


「えーーーー……" カア・レッドバドル" 様で?」

「ええ」

「なんと言いますか、おアカイですなぁ。名前も、眼も、髪も」

「まぁ―― 割と」

 

 私が大きなトランクを受け取ると、御者は小走りで席へと戻り、私に一礼をして街の方へ去った。

 

 遠目に見えるのは〝キテル大樹林〟に囲まれた街〝ハシット〟その郊外はただ広い草原に囲まれている。

 そして、大樹林と比べ小さく見える山が一つ。これから向かう先であり、旅の終着点であり、千年を生きただ。


 "ザアアアアアアアアァ……"


 雨は変わらず降り注いでいる。行こう。

 平地ではあるが、ぬかるんだ地面に足を取られないよう歩いていると、自然と視線は下へと下がる。


 ふと、水溜りの水面に何かが浮いているのを見た。

 蟲だ―― 緑の虫の死骸。もうじき私も、この蟲と同じ結末を辿る。


 "…………んぎゃぁ"


 微かに、雨音に紛れて泣き声が聞こえた。

 顔を上げると、先程よりもソレはっきりと私の耳届いた。

 

 "んぎゃあ…… んぎゃあ……"


 ソレは紛れもなく赤子の声だった。

 

 声の方向を頼りに探すと、少し道なりに行った鈴堂と呼ばれる、旅人などが目安にしている祠からその声は聞こえた。祠は長く手入れされていないのだろう、屋根は傾き崩れかけだった。


 そして、大人がやっと二人入れる様な傾いた空間の中に声の主は居た。


「んぎゃあ!んぎゃあ!」

 

 私が赤子の前で立ち尽くしていると、いずれ来る死が耳元で囁いた。

 " 何か遺したくはないか" と。


 何も残せなかった人生だ。

 なにか一つ、一つと。私はその赤子を抱え足早に去った。



 ――――――



 山の山頂に、二階建ての古家は佇んでいる。

 

 立て付けの悪い扉を無理やり開けて中に入れば、停滞していた空気はまるで埃に醸されたかのような劣悪さで、一つ息をすれば三つ咳が出た。


 "パチンパチン"

 

 私は咳をしながら指を二度鳴らした。


 すると、鞄から瞬く間に蒼色の蝶達が三百を超える群れとなって溢れるように現れ、家中を風のように飛び回り、床の塵や埃を羽ばたきで舞い上げ静電気で羽に吸い付けそのまま扉をくぐって外へと飛んでゆく。


 しばらくすれば、雨で汚れを落とした蝶たちが今度は新鮮な空気とともに戻り、古家に再び呼吸を与えた。


「少しはマシになったか」

 

 鞄の中に戻っていく蝶たちと入れ替わりで鞄から家具やらが吐き出され、独りでに、なんとなく丁度いい位置へ歩いて収まってゆく。それらを尻目に、正面に見える書斎の古びた大きなソファに座った。


「ふぅ……」


 大昔、私はこの家に住んでいた。相変わらず書斎の家具だけは充実している。

 二階には空き部屋があり。荒れ果ててはいたが外には庭もある。

 

 腕の中の赤子はいつの間にか眠っていた。

 寝息を立てる赤子を見ていると、ある事に気が付いた。赤子の額に浮かんだ白い十字の薄いアザは霊紋れいもんと呼ばれ、人はこれを生まれながらにして持つ。そしてこれは人の魂の形を示すものだが、この赤子はその中央が砕けていたのだ。


「魂が、欠けているのか……」


 魂が欠けた人間はごく稀に生まれる。肉体的に育ちはするが欠けた魂では心が育たず無感情となり死んでいく。ここ数百年の内に現れた事象で、輪廻の輪を征く魂がそれぞれ決められた順路を進む際に他の魂と接触を起こす事によってコレが起きる。


 その主な原因の一説にはが挙げられる。


 転生者の魂が他の世界から、こちらの世界の輪廻の輪に無理に加わる際、他の魂の順路を横切って入ろうとするのだから当然交錯し得るのだ。


 決して許される事ではない。


 其れでなくともこの世界を今尚破壊し続ける転生者を、私はこの命尽き果てるその一瞬まで呪い、恨み、蔑むだろう。


「んぎゃあ!んぎゃあ!」

 

 私の怒気を悟ったのか赤子が泣き出した。


「大丈夫。大丈夫だ」

 

 赤子をあやしながら合図を送り、鞄を呼び寄せる。

 足を生やしてとことこ独り歩きしたソレは私の前で体を開いた。

 私は、その中から胎動する魂の欠片が入った小瓶を取り出す。この無垢の魂は、幼くして死んでしまった……いや、


 小瓶の蓋を開けその小さな欠片を私の人差し指に乗せた。

 指先に黒い灯りがぽうっと灯り、そのまま指を赤子の霊紋に当てれば白と黒が混ざり灰色となる。砕けた十字は修復されると共にその形を変え、幾つかの縦線が疎らな長さで現れ、鋭い雨を思わせる形へと変わった。


「名は…… そうだな、雨は『聖典』の言葉に置き換えれば『グラン』灰を置き換えれば『イストゥス』" グランイストゥス" じゃあ収まりが悪いな。『雨灰グライス』にしよう、そうしよう。キミを私の息子として愛そう」


 ―― 黒目が無く、冷めた血に似た彼女の瞳が愛おしそうに見つめれば、赤子は再び眠り、抱いたまま彼女もソファの上で眠った。そして一匹の透明な蝶が彼女の色を吸い紅く染まった。


 ―― 彼女が生きた千年の間に、多くの人々は常に革新と革命をもたらす転生者を盲目的なまでに英雄視し、転生者はスキルとステータスの多様性と尊さを説いた。そして人々は本来の色を次第に忘れ、数字に囚われつつ在る。増えすぎた転生者はこの世界の理を歪めてしまった。

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