第3話 アイドル不在都市

「やった! やったやった! 選ばれたよ、スワちゃん!」

 金沢ドミトリーの都心部にそびえるマンションの高層階。遠く日本海を望む眺望が自慢の食堂カフェテリアでツバメがいつものようにパンと卵料理の朝食をとっていると、これもまたいつものように、四十万しじまヒバリがぱたぱたと足音を鳴らしながら彼女の向かいの席へと一直線にやって来た。

「スワちゃんと一緒に新潟に行けるなんて、感激!」

 丸い目をきらきらと輝かせ、食事中のツバメに向かって身を乗り出してくるヒバリの手元には、まだ自分の朝食がテイクされてすらいない。一刻も早くツバメと言葉を交わすために飛んできた、という風情ではあるのだが、彼女の綺麗にセットされた黒髪や、ほのかに頬に朱色の差したメイク、そして今どき珍しく毎日手作業でアイロンしているというブラウスの折り目の美しさを見ると、決して着の身着のまま自室から飛び出してきたのではないことがわかる。

 そういうところが四十万ヒバリの抜け目のなさであり、彼女を北陸ミリオン内で十指に入る人気アイドルたらしめている所以でもあると、彼女に三年間も引っぱり回されているツバメにはよくよくわかっていた。

「ひばりんも選ばれたんだ。おめでとう、一緒に頑張ろうね」

 決して彼女のことが嫌いなわけではないので、ツバメも努めて笑顔でヒバリに祝福の言葉を返した。ヒバリは花畑に舞う妖精のような上機嫌さで、頭の両サイドに垂らした黒髪をぴょこぴょこと揺らし、カフェテリアの受取口へと向かっていった。

 周りの仲間達はそんなツバメとヒバリの関係を知り尽くしているので、特に邪魔をするでもなく、一緒に盛り上がってくるでもなく、それぞれがそれぞれの喫食とお喋りに集中している。

「スーワちゃんっ! 今日のポーチドエッグ、すっごく美味しそう。メイドちゃんが腕を上げたんだねっ」

「調理ヒューマノイドがそんな簡単に腕を上げてたまりますか」

 真向かいに食事のトレイを置いたヒバリの、本気かボケかよくわからない発言に、ツバメはさらりと突っ込みを返してやった。

「はしゃがないねー、スワちゃん。新潟に行けるの嬉しくないの?」

 ジュースのストローをくわえたまま、ヒバリがまん丸な瞳でツバメの目を覗いてくる。

「嬉しいよ。ひばりん同伴じゃなかったらね」

 ヒバリがツバメの名を無駄に英訳して呼んでくるのに対し、ツバメは彼女をこう呼んでいた。「ひばりん」は平仮名で表記するのがこだわりらしい。もちろんツバメのセンスから出た発想ではない。その呼び名を使っておくとヒバリの機嫌がいいのでそうしているだけだ。同じチームで夢を追う仲間同士、できることならいつでも快適に過ごしていてほしかった。

「もう、わたしのキューティスワローは素直じゃないんだからぁ」

 よくわからない英語を口から発しながら、ヒバリは楽しそうに食事に取りかかっていた。毎度のことながら、そう変わり映えがするわけでもないカフェテリアのメニューをよくもそう毎回楽しんで食べられるものだなとツバメは感心する。

 ヒバリの食事風景をぼうっと見やりながら、ツバメも残りのパンを口に入れ、熱いコーヒーを喉に流し込んだ。

 ツバメの脳裏には、先週末、新潟行きのペアユニットの一人に自分が内定したと女性スタッフに聞かされ、もう一人は誰なのかと問うたときのあの含みのある笑みが去来していた。こんなことだろうと思ってはいたのだが、案の定、そのとき既にツバメのペアはヒバリに決まりかけていたのだろう。

「スワちゃん、自分がメンバーになったの前から聞いてたんでしょ」

 フォークを口の端にくわえてヒバリが聞いてくる。ツバメは彼女の勘の良さにどきりとさせられたが、否定する理由もないので黙って頷いた。今朝の正式発表まで、内定の件はチームメイトにも言わないようにとスタッフに釘を刺されていたのだ。

「やっぱりねー。だって今朝知ったばかりならもっと嬉しそうにしてるはずだもん」

「嬉しいのは嬉しいんだよ、もちろん。ひばりんほど全身で喜びを表さないだけ」

「でも、なんでスワちゃんにだけ先に教えるんだろうね? いつも特別扱いでずるい」

 口ではそんな台詞を述べてはいるが、ヒバリが本当に自分のことを贔屓されてずるいと思っているわけではないことはツバメもわかっていた。この天真爛漫を絵に描いたような小悪魔女子の脳内には、きっと人を妬んだり羨んだりするような回路は備わっていない。

 それに、ツバメに言わせれば、ずるいのは彼女のほうだった。幼少期から「オータム」の早期芸能育成スクールで努力と研鑽を積んできたツバメを、彼女はいつだってひらりひらりと追い越していく。ダンスの技能は自分のほうが勝っているという自信がツバメにはあったが、歌唱、外見、ファン対応、そして言葉で説明できないアイドルオーラ……つまり持って生まれた身体能力以外はどの点をとってもヒバリに敵う気がしなかった。人気投票の順位も日に日に差が開いていくばかりだ。全国一位のアイドルを目指すと面接の場で啖呵を切った自分が、蓋を開けてみれば目の前の友人ひとりにすら勝てていないという現実は、ツバメを時折憂鬱な気分に叩き落とすのには十分なものだった。

 そうは言っても、当のヒバリは人気投票の順位をかさに着てツバメを見下すような思考回路は持ち合わせていないようだし、二人の人気の差を直接話題にするようなこともこの三年間で一度もなかった。だからツバメは、この天真爛漫な友人を憎めない。人気で勝てないのは自分のせいであって、ヒバリを憎む要素などどこにもない。

「ちょっと屋上出ようよ、スワちゃん」

 食事を終えたヒバリがくりくりとした目でツバメを見つめてきた。午後からのレッスンにはまだ余裕があるし、外は今週に入ってからの天候規制でしばらく快晴と決まっている。断る理由はなかった。


 マンション屋上の展望デッキは自然の風を感じられる場所だった。ツバメはここに出ると、空気の美味しさという表現が決して比喩だけのものではないと実感する。眼下に広がる日本海と能登半島の景観を眺めていると、この地上で大気汚染が社会問題になっていた時代があるという歴史の知識がにわかには信じられなくなる。

「新潟って、あのあたりかな?」

 ヒバリが能登半島を越えた北東の空を指差し、弾む声で言った。そうだね、とツバメは頷いた。

「スワちゃんは新潟で生まれたんだよね。いい街だった?」

「……うん。雪は多かったけど、綺麗な街だよ」

 その街に関してツバメが思い出せるのは五歳より前の記憶だけだ。早朝、街路の自律除雪システムが動き出す前の時間に起きて、初めて街に積もる雪というものを見たときの記憶。降雪とともに高層歩道を覆う透明の遮雪フィルターが動き出す中、親に止められながらフィルターが閉まり切る前に手を出して、降ってくる雪の冷たさを肌で感じた記憶。

 その街で両親を失ったことは、充実した心のケアを受けた今となってはツバメにとって辛い記憶ではなくなっていたし、ヒバリもそんな彼女の経緯を理解した上で普通に新潟の話を振ってくれているのに違いなかった。

「雪なら金沢のほうが多いんじゃないの?」

 きょとんとした目をわざとらしく作ってヒバリが笑みを浮かべてくる。ヒバリはキャラクターに似合わず多くのことを知っている子だった。

 ツバメももちろん、天然の降雪量が新潟よりも金沢のほうが多いことは知っていた。だが、金沢拠点都市ディザイネイテッド・シティの天候管理システムは人間の居住区に届く前に雪を遮ってしまうのに対して、新潟はフィルター一枚隔てた人々の生活のそばにまで雪を招き入れるのだ。結果的に、街の中で雪とじかに触れ合った経験なら新潟の人間のほうが一枚上手なはずだ、という謎の誇りがツバメにはあった。

「もうすぐ、ここも向こうも雪の季節だね」

 デッキの手すりに手をかけて、ヒバリが風のなすがままに黒髪をたなびかせている。その様子が気持ちよさそうだったので、ツバメもそっと自分の髪の結びをほどいて、彼女の隣に並び立ってみた。ヒバリとかぶらないように敢えて茶色に染めている髪が、冷たい風に煽られて、ばたばたと視界の中で舞った。

「スワちゃん、すごい見た目」

「ひばりんも一緒でしょ」

 風に乱れまくった互いの髪を見て、ツバメはヒバリとくすくす笑いあった。

「スワちゃん知ってる? 新潟って昔は、ちゃんとアイドルの街だったんだよ」

「知ってるよ。たった十年前までドミトリーがあったじゃない」

 急に何を言い出すのだろうかとツバメが首を傾げていると、ヒバリは可憐な顔にいたずらっぽい笑みを浮かべ、ちっちっと口で言いながら人差し指を立てた。

「もっとずっと、ずーっと昔の話。まだ国じゅうにミリオンの支部がなくて……女の子みんながアイドルになるわけじゃなかった時代の話だよ」

 ヒバリは秋の日本海を眺めながらそう語った。ツバメはその話に興味をそそられて、どういうこと、と彼女の横顔に問いかけた。

「いいでしょう、このわたしがスワちゃんに教えてあげましょー」

 漫画か何かに出てくる先生キャラのような口調を作って、ヒバリはツバメに微笑みを向けた。

「この国のアイドルの歴史が始まったのは、もちろん東京から。それから、中京、関西、九州って、あちこちの都会にアイドルグループは支部を広げてきたけど……その中で、かなり早い段階から、都会でもないのにアイドル誘致に声を上げたのが、当時の新潟藩だったの。……あれ、藩じゃなくて県だっけ?」

「決まらないなあ、もう」

 気取った語り口調がいまいち似合わないヒバリの様子に、ツバメもまたくすりと笑いを漏らす。

「と、とにかくね、新潟はこの国じゅうがアイドル一色に染まるずっと前から、東京や中京みたいな都会と並んでアイドルの街だったんだよ。すごいって思わない?」

 聞きながら、ツバメは半信半疑の気持ちでいた。もちろんヒバリが自分にウソなど言うはずがないのはわかっているが、そもそも彼女の情報ソースが正確なものかは怪しい。ヒバリが多くのことを知っているというのは、裏ではその何倍ものガセネタを掴まされているということでもあるのだ。

「……それがほんとなら、確かにすごいかも」

 ツバメが思わず口にしていたのはそんな言葉だった。仮にヒバリの語る歴史が真実だったとすれば、胸が踊るような話だ。百年以上もずっと不遇をかこっている北陸の地に、まさか他の地方を差し置いて東京や中京と肩を並べる時代があったなんて。

「でも、じゃあどうして北陸はアイドル不遇の地になっちゃったの?」

「知らなーい」

 肝心なところは何も知らないらしいヒバリは、髪をばたばたと風に揺らせたまま、ぺろりと赤い舌を出した。

「……でも、わたし達の力でもう一度、新潟をアイドルの街にしたいよね」

 その台詞を発したときだけ、ヒバリの口調は妙に真剣になっていた。

 やっぱり彼女はずるい、とツバメは思う。その言葉だけは自分が言いたかったのに。

「できるよ、絶対」

 ツバメはヒバリに同意する形で言葉を重ねるしかなかった。それと同時に、この子とペアで新潟に行けることになってよかった、と心の底から思っている自分に気付いた。

 三年前からずっとそうだ。どれほど彼女のキャラクターに呆れても、どれほど鬱陶しくまとわりつかれても、ツバメがどうしてもヒバリのことを嫌いになれない一番の理由がここにある。

「うん、できるできる! スワちゃんとひばりんの最強コンビならね!」

 四十万ヒバリは自分と同じで、北陸ミリオンの名を全国に轟かせるという野望に関しては本気で真剣なのだ。その共通の夢こそが、キャラクターのまるで違う二人の間の最大最強の絆だった。

「行こう、ひばりん。私達の街に」

 ツバメのほうから差し出した手の甲に、ヒバリは笑顔で頷いて片手を重ねてきた。

 二人の夢はひとつだった。アイドル不在都市となった新潟に、再び乙女の輝きを取り戻すのだ。

 ツバメはヒバリと二人で北東の空を見つめた。遠く三百キロの彼方、十年ぶりの故郷が自分を呼んでいる気がした。


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