蛇足の1 宇宙とロボと免罪符

 午前六時四十五分、美国みくには部屋中に鳴り響くアラームとベッドの傾斜で目を覚ました。まどろみの中にあった意識が一瞬のうちに覚醒し、彼女がベッドから跳ね起きると、体重移動を感知した部屋のアラームがひとりでにその音量を下げていった。

 傍らに揃えてあったスリッパに両足を下ろし、美国はふわふわとした高揚感の中でベッドから降りた。彼女が携帯端末を勉強机スマートデスクから取り上げるのと並行して、ベッドは静かな駆動音を立てて平坦な状態に戻る。

 洗面所に降り、顔を洗っていると、既に起きていたらしい姉の春日かすががニヤついた笑いを浮かべながら鏡の中の美国の隣に映り込んできた。


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「ミクニちゃん、この台本どうしたの。なんか細々とした部分が色々と変わってない?」

「さすがカスガさん、気付きましたね。監督さんに言ってわたしのセンスで改稿させてもらったんです」

「改稿? この前ミクニちゃんが言ってた、SFとしてダメな部分を?」

「はい。とりあえずゴミ掃除と思って、歯磨きと、スマホと、空飛ぶ車と、高速チューブ電車と、王様と、わたし達が『モーニング娘。』の末裔って設定は抹消してもらいました。『モー娘。』が出てこなくなったので、つんくさんの脳も居なくなりました」

「ほとんど何も残ってないじゃない……」

「そんなことないですよ。アキモト博士は健在ですし、わたし達もちゃんと変身してオリハルコンの武器で戦いますし」

「なんだかなぁ。そこだけ残したことで却って近未来SFじゃなくなっちゃったね」

「元からですよ。でも、かわりにアイドルの居住地区ドミトリーや管理体制の設定は現代から逆輸入しました。時代も2150年だと早すぎるので、2300年に設定し直しました」

「原作者さん泣かないかなぁ」

「まぁ、もともと著作権の切れてた作品を拾い上げたドラマですし」

「原作者さん、何百年も前に亡くなってるもんね……」

「あくまで作品の原点を作ったのが原作者そのひとってことで、あとは後年の人間が換骨奪胎しちゃえばいいんです。石ノ森章太郎先生が没後もずっと平成ライダーの『原作』クレジットにお名前を掲げられてたようなものです」

「なんでミクニちゃんって二十一世紀頃の文化にそんなに詳しいの?」

「……でも、まだちょっと物足りないんですよね」

「物足りないの? それだけミクニちゃんの許せない部分を削ったのに?」

「なんというか、これはSF創作論からは外れる話なんですけど……。改稿してみて初めてわかったんですけど、引き算だけでどうにかなる作品じゃなかったっていうか。根本的に物語のスケールが小さいんですよね」

「物語のスケールって、ミクニちゃんとチクサが変身して戦うんでしょ?」

「そこなんですよ。せっかく近未来の国民全アイドル社会って設定を作ったのに、ただ地上でアイドルがわちゃわちゃするだけっていうのが……。せっかくドラマにするなら、わたし達が剣を持ってチャンバラするだけじゃなくて、もっとスケールの大きい戦いをさせましょうよ」

「たとえばどんな?」

「……これ、まだ監督さんには見せてない第二話の台本なんですけど、ちょっと見てもらえますか」


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「ダメ……! わたしのアイドルパワーじゃ、この敵には勝てない……!」

 美国は悔しさに地面を叩いた。今や彼女のバトルコスチュームはところどころが破れ、聖金属オリハルコンの剣は彼女の手を離れてアスファルトの地面に突き立っていた。

「ソウダ、アイドル如キガ我々『アンチ』ノ闇ニ対抗スルコトナドデキナイ。己ノ非力ヲ悔ヤンデ死ヌガイイ!」

 身長十メートルをも上回る巨大な魔物の爪が美国の美しい素顔に迫る。美国が死を覚悟した、その瞬間。

聖乙女アイドル爆裂弾バースト!」

 何者かの叫ぶ声が美国の耳を捉えたかと思うと、ずががががっ、と天地を震わす砲撃音が重なり、闇の魔物の断末魔が街に響いた。

 恐る恐る目を開けた美国の眼前に天から舞い降りた影は、陽光を照り返す聖金属オリハルコンの機体を魔物の黒い返り血で染めた、一機の可変航空騎ナイトファイター

 流線型の美しいキャノピーが、しゅうっと音を立てて開かれ、操縦席コクピットから一人の少女が顔を覗かせた。

千草ちくささん……!?」

「間に合ってよかった。わたしもやっと可変航空騎ナイトファイターに乗れるようになったよ、美国ちゃん」

 戦場に似合わぬ笑顔ではにかんでみせたのは、美国の姉の同級生で、他国での秘密訓練を終えて帰国したばかりの千草だった。


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「……えっと……」

「どうですか? カスガさん」

「どうって言われても……。ミクニちゃん、なにこれ」

「基本設定と近未来感を損ねない範囲で、戦いのスケールを上げてみたんです。この航空機もちゃんとオリハルコンで出来てて、アイドルしか乗れないので、原作者の意には沿ってると思います」

「でも、これはちょっと、ぶっ飛びすぎでしょ……。ミクニちゃん、この前は車が空を飛ぶのはおかしいとか言ってなかった?」

「一般人の主要交通手段が意味もなく空を飛ぶのはヘンですけど、訓練を受けた戦士が乗る最新兵器は飛んでもいいじゃないですか」

「うーん……。わたしにはミクニちゃんと同じレベルでSFは語れないけど……。これはミクニちゃんの美学にかなってるの? こんな超兵器が出てきても近未来SFって呼べるの?」

「そこなんですよ、カスガさん」

「な、なに。急に目をキラキラさせて」

「どんな荒唐無稽な設定を立ち上げても許される、SF究極の免罪符、それが超兵器バトルなんです」

「超兵器バトルが免罪符……?」

「そうです。小さなウソは気になるけど大きなウソは気にならない、ってね。溶液に浸かった脳髄が生きてるのはおかしいですけど、可変ロボットが宇宙空間で戦う話なら誰もが『そういうもの』として受け入れてくれるんです」

「まあ、うん……。昔からそういう作品は人気だもんね」

「要するに、SFウォッチャーは、日常の延長の未来描写にはツッコミを入れたくなりますけど、日常を遥かに超えたスケールの話になってくると、よっぽど物理法則がおかしいとかじゃない限りは許してくれるものなんですよ」

「SFウォッチャーって言葉は初めて聞いたけど……。もう、ミクニちゃんがそう言うならそう信じることにするわよ」

「というわけで、この第二話の台本もあと少しで完成です。あとはチクサさんの好みを確認して……」

「おはよう、ミクニちゃん、カスガちゃん。わたしがどうかしたの?」

「あ、チクサさん、おはようございます。ちょうどいいところに」

「チクサも見てあげてよ。ミクニちゃんがなんか力作を上げてきたから」

「わっ、これドラマの新しい台本? 見たい見たい」

「読みながらでいいんですけど、チクサさん、好きな花ってあります? チクサさんの機体の愛称ペットネームに使いますから」

「機体ってなんの話? 好きな花かぁ……わたしはやっぱり、大和撫子のナデシコかなあ」

「薔薇とか言わないのがチクサらしいよね」

「ちょっと待ってくださいね。ナデシコ、と……。……あ、ダメだ。チクサさん、ごめんなさい、大昔の作品と被ってるから使えないです」

「被ってる? って?」

「そういうタイトルのSFアニメが二十世紀頃にあったみたいなので」

「ミクニちゃん、そんなことまで気にするの?」

「当然ですよ、どこからケチが付くかわからないですから。『モー娘。』関連の設定を抹消したのと同じ理由です」

「? カスガちゃん、ミクニちゃんは一体何の話をしてるの?」

「ドラマの台本を全面改稿して、ミクニちゃんとチクサがロボットに乗って戦う話にするみたい」

「えぇ……!? ろ、ロボット……?」

「大丈夫ですよチクサさん。何に乗ろうと、わたし達はアイドルですから」

「あ、よかったぁ。うん、それなら乗るよ、ロボット」

「話まとまるの早っ」

「……ナデシコを直接英訳してもまだ怪しさが残りそうですねえ……。じゃあ、同じナデシコ科のカスミソウでいいですか」

「カスミソウ? それがロボットの名前になるの?」

「英名だとGypsophilaジプソフィラなので、これでいきましょう。強そうですし」

「うん、なんだかよくわからないけど、ミクニちゃんのセンスに任せるよ」

「大丈夫かなぁ……。チクサを絶望させたらわたしが許さないからね」

「任せてください。きっといいSF作品になりますから」


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