第18話 飛翔

 携帯端末の画面に映る金山チクサの姿は今日も輝いていた。地下シェルター内の臨時ドミトリーの個室で目を覚ましたツバメは、ベッドに寝そべったままアイドル現役時代のチクサの姿にしばらく見惚れていた。

 合衆国アメリカでチクサと対面してから三日。強行日程での海外往復に伴う時差呆けジェットラグも治まり、今朝のツバメの体調は自己診断の限り万全だった。今夜、自分は憧れのスターと同じステージに立つ。そんな夢のような現実をゆっくりと噛み締め、ツバメは朝食へ向かう準備のためベッドから立ち上がった。

 ツバメの起床を感知して起動した受像機オムニビジョンの画面からは、AIがツバメのために選んだ、この新潟拠点都市ディザイネイテッド・シティの計画避難に関する最新ニュースが流れ始める。

『大地震の到来を十二時間後に控え、新潟シティの地下シェルターは朝から混迷の様相を呈しています。北陸ミリオンが地震発生時刻に合わせてシェルター内で行う臨時ライブに、あの金山チクサさんが緊急出演することが昨夜正式に発表され……』

 ツバメはブラウスに袖を通しながらオムニビジョンの声に耳を傾けていた。災害避難時のシェルターが慌ただしいのは当たり前なのだが、その具合は通常の都市の通常の避難の場合とは大きく異なっていた。

 地上都市は昨夜の内に全ブロックの都市機能が停止され、シェルターには数十万人に及ぶ市民が避難を完了している。ミズホが五日前に述べていたように、今回に関してはシェルターへの避難を選択せず他都市へ脱出する人も多いようだった。いくら内部の設備が一新されているとはいえ、十年前に肉親や知人が焼け死んだ場所を避難先に選びたくないのは当然の感情だろう。

 そんな、通常なら誰も寄り付かないような状況の街に、まだ動いている空路や海路を使って、既に多くの芸能ファンが乗り入れてきているという。一昨日までに高速鉄道リニアで新潟入りした人々を合わせると、その人数は新潟から他都市へ出て行った人数を凌ぐのではないかと思われるほどに膨れ上がっていた。

 これだけの人がみんな、チクサ一人の凱旋帰国に立ち会うために……。

 いや、人々の目当てはチクサだけではないのかもしれない。ツバメも昨日、ヒバリから奇妙な噂を耳にしていた。今夜のイベントに全国各支部のトップメンバーがゲスト出演してくるのではないか――。ファンの間では既にそれが確定事項のように囁かれているらしい。だとすれば、むしろそちらを目当てに新潟にやって来る人の方が多いのではないか……?

 それでも、その何割か、せめて何パーセントかは、自分たち北陸ミリオンのために集まってくれたのだと信じたい。そんな淡い期待を抱きながらツバメは身だしなみを整え、個室を出て食堂カフェテリアへと向かった。


「スワちゃん、おはよっ。昨日はあれから眠れた?」

「うん、朝までぐっすり。ひばりんこそ、大事な本番の前に夜更かししてないでしょうね」

「わたしは睡眠六時間でも元気だもーん」

 ヒバリがぴょこぴょこと黒髪を弾ませ、ツバメの目の前の席に朝食のトレイを持ってくる。今日も彼女の髪は完璧に可愛らしくセットされ、ブラウスには手作業のアイロンがけがぴしりと施されていた。四十万しじまヒバリがどんな日でも四十万ヒバリなのを再確認すると、なんだかツバメの心も安心してしまう。

 二人の周りには、昨日から新潟入りしている北陸ミリオン・チーム15の仲間達の姿もあった。ツバメとヒバリが新潟再興プロジェクトへの抜擢前から身を置いていた、チーム15の同年代メンバー数十人で構成される公演ユニットである。

「ひばりんはホント元気のカタマリだよね。ツバメちゃん振り回されて大変でしょ?」

「ねー、ひばりんとずっと二人きりとか、わたしだったら精気を吸い取られちゃう」

「なによもう、スズちゃんもハクイちゃんも、わたしのことを妖怪みたいに!」

 ツバメの眼前で、ヒバリはチームメイト達に向かって頬を膨らませていたが、その人形のような瞳はいつになく覇気に満ちているように見えた。

「動くお人形さんは立派な妖怪だよ」

 ツバメがさらりとそう言ってやると、ヒバリと仲間達の笑い合う声が広大なカフェテリアに響きわたった。この臨時ドミトリーには最大数万人のアイドルを収容できるらしかったが、千人を超える芸能アイドルが在籍するチーム15の中でも、この場に来ているのはツバメ達のユニットの数十人だけだ。

 個室をひとり百部屋使ってもまだ余る広大な地下施設――十年前、退避の遅れた先輩アイドル一万人以上が焼死した場所。被災後の大改修で悲劇の痕跡は綺麗に拭い去られたとはいえ、そんな場所に今再びアイドルが集まっているのは、ふと考えてみれば悪い冗談のようにも思えた。

「ねえねえ、ツバメちゃん。プロジェクトの名前って、なんでトキなの?」

「あ、わたしも気になってた。トキって鳥のトキだよね」

 仲間達が食事をしながら口々にツバメに尋ねてくる。ツバメは口にしていたパンをゆっくりと嚥下してから、えへん、と咳払いして、いつものヒバリの真似をして人差し指を立ててみせた。

「あ、スワちゃん、そのポーズわたしのー」

「キューティスワローが教えてあげましょう」

 他の仲間達がいる前だからか、普段なら辟易してしまうようなヒバリのキャラの真似事が自然に出る。彼女らと一緒の日常を離れて一ヶ月も経っていないというのに、仲間達に囲まれる時間がなぜだかツバメには懐かしく思えた。

「佐渡の朱鷺トキは、復活と再生の象徴なの。一度は失われかけた新潟のアイドルの輝きを、もう一度取り戻せるように――」

「トキってどんな鳥だっけ?」

「スズちゃんみたいに顔が赤い鳥だよー」

「ふーん、わたしみたいな……。って、まってまって、わたしのどこが赤いのよ」

 ツバメの真面目な説明は仲間達の楽しそうな笑いの上を空滑りしていってしまった。自分から尋ねておきながら、この子達ときたら……。ツバメが「ちゃんと聞いてよね!」と怒った振りをして迫ると、彼女達は明るい笑顔でくすくすと笑った。

「あ、ツバメがトキになった」

「もうスワちゃんって呼べないね。ひばりん、トキって英語でなんていうの?」

「知らなーい」

 ひとしきり笑いながら、仲間達は、それでも最後にフォローを忘れない。

「大丈夫、ちゃんとわかってるよ。新潟の復活はツバメの夢だもんね」

「止まった時を取り戻すんでしょ。トキだけに」

 仲間の一人が発したくだらない洒落さえもなぜか暖かくて、不覚にも瞳を潤ませてしまったツバメに、ヒバリがそっと寄り添ってきた。


 リハーサルを兼ねた最後のレッスンの直前、ステージに並んで振付師コレオグラファーの先生を待っていたツバメ達の前に姿を表したのは、北陸ミリオン総支配人の輪島わじまだった。幾度も顔を合わせた相手ではあるが、北陸ミリオンの全ブロックを統括する重役である彼がこんな場に出てくるのは、ツバメ達にとって軽い驚きだった。

「良い知らせと悪い知らせがあるんだが……。どちらから話そうか」

 輪島は古今東西のドラマで使い古された台詞を投げかけながら、ツバメ達をぐるりと見渡してきた。ツバメの隣に立つヒバリが軽く手を挙げ、「じゃあ、良い方だけ! 悪いのはいらない」と宣言した。

 周りが漏らす笑みに合わせて、輪島も小さく笑ってから話し始める。

「そうだな。お前達ももう噂には聞いてると思うが……。全国各ミリオンの劇場で、トップアイドルの名前が今夜の出演リストから消えた。彼女達の向かう場所は新潟ここだ。全国一位クイーン神田かんだアキバをはじめ、国内十二支部の精鋭が今夜のイベントでお前達の前に立ち塞がる」

 輪島の言葉にツバメは息を呑んだ。仲間達の中にも、誰一人として声を上げられる者はいなかった。

「地震発生時刻に先駆けて、彼女達はお前達との合同ステージに立つ。その後、地震の時刻に合わせて、金山チクサの登壇。……そこまでを見届けたら、全国の精鋭達は超電導自動車リニアビークルで各地の劇場へと帰還する」

「えっ? 帰っちゃうんですか」

 仲間の一人が裏返った声で聞き返したところで、輪島は唇を一度かたく結んでから、再び口を開いた。

「ああ。彼女達にはそれぞれの支部ホームのファンが待っているからな。ちなみに、知っての通り、週末の劇場公演のチケットなど本来は厳しい抽選を経なければ手に入らないが……今夜、トップアイドルを追って新潟から駆けつけた観客に限っては、どこの劇場も特別枠の席を用意して迎え入れるそうだ」

「そ、それって」

 仲間達がざわめき始める中で、ツバメも自分の背中を冷たい汗が伝うのがわかった。まだ新潟のイベントが続いている中、全国の人気アイドル達が各地へ帰還してしまったら……集まってくれた観客はどうなる?

「新潟のステージに残るのはお前達だけだ。観客の前には高速鉄道リニアの路線を走れるビークル。さて、どんなことになるかな」

「……そ、そんなの、考えるまでもないじゃないですかっ」

「お客さん、誰も残ってくれないかも」

 仲間が口々に発する声を鼓膜に捉え、ツバメも複雑な感情を抑えきれなかった。「それ、悪い方の知らせじゃないんですか」と、ネガティブな言葉がつい口をついて出てしまう。

「ああ。お前達の実力が伴っていなければな」

 輪島はツバメの目を見てそう言い、さらに全体を見回して続けた。

「だが、俺は、これは支配者せんせいがくれたチャンスだと思っている。ライバルが誰だろうと、お前達はお前達のパフォーマンスをするだけだ。お前達の輝きが『七姉妹セブン・シスターズ』にも負けないものであることを、俺は知っている」

 彼の鼓舞の言葉は決して取って付けたものには思えなかった。ツバメがいつも感じていることだ。不遇と言われるこの地で敢えてアイドルグループの運営に携わっているだけあって、北陸ミリオンのスタッフは、総支配人の輪島以下、誰もが真剣に北陸のアイドル達の力量を信じてくれている。

「やれるな、皆!」

「はい!」

 輪島の喝にツバメの声帯は脊髄反射で応えていた。周りの仲間達も同じだった。

 全国のトップアイドル達と競演し、客を奪い合う――それは、これからツバメ達が目指す道の前哨戦に過ぎない。

 新生・新潟ドミトリーと各都市直通ロードの落成の暁には、北陸ミリオンは常に全国の支部と観客を取り合うことになる。ツバメ達は絶えず各地のトップスターと魅力を比べられ、劣ると判断されれば新潟の市民さえも彼女らの公演を捨てて他地区の劇場へ足を運んでしまうだろう。

 ならば、今夜の戦いに怖気づいてはならない。これから起こることは、ツバメ達自身が望んだ未来の試行実験シミュレーションなのだから。

「そこで、今夜のフォーメーションだ。本来なら糸井と四十万のダブルセンターでいくところだが……」

 輪島はそこで初めて言葉の続きを言い淀んだ。ツバメとヒバリに順に目をやったあと、全体に視線を戻して彼は続ける。

「悪い知らせとは、このことなんだ。他支部が一人ずつしかメンバーを送り込んでこない以上、北陸ミリオンも単独シングルセンターに絞り込めと……。これは支配者せんせい直々のお達しでな」

 珍しく歯切れの悪い輪島の説明を聴いて、ツバメの頭には、遠隔会議のときに見た「オータム」の支配者の顔が浮かんだ。この組織は、時として道理を曲げてでも自分達アイドルを守ってくれる反面、時として険しい試練も突きつけてくる……。

 ヒバリと二人一緒にセンターに立つことができない。それは、全国のトップアイドルと人気を競わされることなどよりもずっと、ツバメにとっては辛い試練に感じられた。

 ツバメが唇を噛み、そっとヒバリの顔に目をやろうとしたところで、輪島がそれよりも早くヒバリに声をかけていた。

「四十万ヒバリ。北陸トップの越前えちぜんも居なければ、金沢ブロック筆頭順位の加賀かがも居ないこの場では、お前が北陸ミリオンの最上位序列者エース・オブ・エースだ」

 彼の発言にツバメは心臓を鷲掴みにされるような思いがした。やはり、わかっていたことではあるが、二人の内から一人しかセンターに立てないのなら、選ばれるのは自分よりもヒバリに決まっている――。

 だが、そのヒバリは、そっと自らの唇の前に人差し指を添え、輪島に向かってこう言い返したのだ。

「輪島さん。それがどうしたんですか?」

 いつものように、大胆不敵な上目遣いで。

「順位なんて関係ないです。このプロジェクトのセンターは、スワちゃんしかいません」

 ツバメがはっと息を呑んでいると、ヒバリはちらりとツバメの顔を見やり、にこっと微笑んでくる。

「そうだな。俺もそう言うつもりだった」

 そして、輪島がまっすぐツバメの目を覗いてきた。そのおかげで、ツバメは本日二度目の涙を流すのを我慢することができた。

「糸井ツバメ。行けるな、センター」

「……はい。もちろん」

 総支配人からの下命にツバメはしっかりと頷きを返す。張り詰めた空気が過ぎ去ったのを見てとったのか、ヒバリが途端にはしゃいだテンションでツバメの手を取り、ぶんぶんと振りながら「やったね!」とツバメに祝いの言葉を述べてきた。

「あ、ありがとう、ひばりん」

 湿っぽく泣いて感謝を示すような空気は吹き飛ばされてしまった。周りの仲間達もくすくすと笑みを漏らしている。

「なんだ、結局こっちも良い知らせだったね」

 仲間の一人が言うと、輪島までもが笑った。

 と、そこで、いつしかステージの袖に控えていたらしい和倉ナナオがツバメ達のそばまで歩み寄ってきた。ナナオはツバメとヒバリに笑顔を向け、携帯端末の画面を見せてくれた。

『一般のお客さん達には悪いけど、僕は特等席から観覧させてもらう。健闘を』

 ミズホからのテキストメッセージだ。たとえ差出人を隠されたとしても瞬時にわかる自信がある。この文面の無愛想さ、その裏に秘められた確かな信頼――。

「……ミズホくん」

 ツバメは無意識に彼の名を口に出して呟いていた。シェルター内の臨時施設とはいえ、男子である彼が此処ドミトリーに入ってくることはできない。ナナオ抜きでツバメ達と顔を合わせることもできないし、パーソナルラインのIDを取り交わすことすら許されない。それでも、いや、だからこそ彼は――持ち得る手段を使って、ツバメ達に最後の応援の言葉を届けてくれたのだ。

 ナナオは最後に「わたしも関係者席から見てるから、頑張ってね」と言ってくれ、輪島にぺこりと頭を下げて、ステージの袖へと戻っていった。

 再び輪島がツバメ達に向き直り、声を張る。

「北陸ミリオンの名を全国に轟かせる時が来た。皆、悔いを残すな!」

「はいっ!」

 輪島が専用端末を操作すると、ツバメ達のライバルを表す十二体の人型ヒューマンオブジェクトがステージに3D投影された。同時に振付の先生が入場し、フォーメーションの確認が始まる。

 最初で最後のリハーサルは、厳しくも充実したものとなった。


 地下シェルターの特設ステージは、開場の何時間も前から人々の熱気に満ちていた。

 地震発生時刻まであと一時間。白地に赤をあしらった「プロジェクト・トキ」の特別衣装に身を包み、ツバメは仲間達とともに開演を待っていた。

 北陸ミリオンの、そして新潟の未来を懸けた臨時イベント。今夜のライブの途中で、せっかく集まってくれた観客達が他支部のスターを追って全国に散ってしまうのか、それとも新潟ここに残ってツバメ達の歌を聴き続けてくれるのか――その僅か一晩の出来事が、この街の未来の趨勢を占う試金石となる。

 センターを任された自分の責任は重大だった。ヒバリや、ミズホや、ナナオや、柏崎の思いを無駄にしないために――。

「スワちゃん、スワちゃん」

 突然、ヒバリが斜め後ろからツバメの衣装の袖を引っ張ってきた。

「……っ。ひばりん、どうしたの」

 はっとなって振り向き、ヒバリのくりくりとした瞳と目を合わせたとき、ツバメは初めて気付いた。自分の手が、脚が、がたがたと震えていたことに。

「大丈夫? スワちゃん」

「……うん」

 きっとこれを武者震いと呼ぶのだろう。ヒバリと仲間達に向かって笑顔を作り、ツバメはしっかりと前を向いた。

「時間だね」

 すぐ後ろでヒバリの声がそう言った。時を同じくして、公演の開始を告げる序曲オーバーチュアの爆音が会場に流れ始め、観客達の声が一斉に沸き上がった。

 アイドルの来臨を待ち望むその声に吸い寄せられるように、ツバメ達はマイクを携え、眩いスポットライトの下へと躍り出る。

「皆さん、こんばんは! 北陸ミリオン・チーム15です!」

 ツバメ達の声を揃えた名乗りに、観客は爆音の如き歓声で応えた。

 だが、ツバメは知っている。その大音声だいおんじょうの裏に秘められた真の意味を。「お前達なんかどうでもいい、早く全国の人気メンバーを出せ」「早く金山チクサに会わせろ」――色とりどりの手持ち照明サイリウムを振りながら、観客達は心でそう叫んでいるのに違いなかった。

 ――上等だ。教えてやる。北陸ここにだって煌めく星があることを。

 けたたましく流れ始める曲のイントロに合わせ、ツバメは大きく腕を振り上げた。

 歌唱が始まる。センターに立つ自分には背後の仲間達の姿は見えないが、その動きは心の目で感じられる。ヒバリが、そして北陸の仲間達が、日々磨いてきたダンスの技で自分とシンクロしてくれているのが。

 ターンや移動のたびに目に入る仲間達の動きは、いつになくびしりと揃い、美しい調和を見せていた。高速のターンは苦手だと甘えていたヒバリでさえ、その弱音がウソだったかのように、素早い振りの動きを満面の笑顔のままこなしている。激しくステップを踏み、覚え込んだ歌詞を紡ぐさなか、ツバメは初めて劇場の小規模公演でセンターを張った時と同じ不思議な高揚感を覚えていた。

 仲間に支えられて歌い踊っているという一体感と、その中でも自分が一番輝いているという傲慢にも似た優越感。ステージの規模にかかわらず、センターに立った者にしか味わえない充実感。観客の声援を一手に浴びながら、ツバメは久々に味わうその気持ちを実感していた。

 憧れの金山チクサも同じ気持ちだっただろうか。何百回、何千回とこの気分を味わう中で、彼女は伝説へと上り詰めていったのだろう。そしてそれは、この後に相まみえることになる現役のトップスター達も――。

 満員の観客の目は語っている。お前達では、その高みへは届かないと。

 それでも構わなかった。場数が十倍、百倍違ったって、この道にかける熱意では誰にも負けない。

 ツバメ達の数曲のパフォーマンスはあっという間に終わり、客席からは大きな拍手と歓声が上がった。最後のポーズを決めたとき、ちらりと目が合ってウインクを飛ばしてきたヒバリの顔は、自分と同じ心地よい汗にまみれていた。

 そして、ついにその時が来た。

 北陸ミリオン単独で披露する最後の曲の終了に合わせ、ステージは一瞬の闇に包まれる。巨大な全方位モニターにこの国の地図が映し出され、炸裂音とともに一つの地域へと画面がズームインする――最初は北海道、札幌から。

「オオォォッ!」

 観客達の興奮の叫びが地下空間に響き、ステージに照明効果イルミネーションの吹雪が舞う。白く輝く雪の渦の中から姿を現したのは、白雪のような肌と黒檀のような長髪の対比も鮮やかな、見目麗しき氷の女神。

「凍てつく瞳は磁界の如く。絶対零度の超電導、北海ミリオン・白石しろいしナエホ!」

 見る者すべての目を一瞬で釘付けにした彼女の名乗りは、元からあったフレーズの筈なのに、超電導自動車リニアビークルで駆けつけた今夜の舞台に誂えたようにマッチしていた。

 それに次いで現れるのは、北の大地のアイドルとは対照的に、南国の浜辺の熱気を全身に宿したような太陽の歌姫。美しくウェーブした髪を軽快に振り乱し、海からの使者が眩しい笑顔を見せる。

「あなたの手を取る共同作業ゆいまーる――沖縄ミリオンの十四歳センター、美栄橋みえばしシュリ!」

 ステージの端と端に並んで見得を切る、北海ミリオンと沖縄ミリオンそれぞれのトップスターの姿に、観客は惜しみない声援とサイリウムの光を贈った。

 ツバメ達は、光の消えたステージの奥でその輝きに目を見張っていることしかできなかった。だが、これから始まる戦いを前に、心が折れた者など誰もいない。ツバメは隣に立つヒバリと顔を見合わせて小さく頷き合い、次々とステージに出揃うライバル達を見守っていた。

 ――東北ミリオン、藤崎ふじさきアオバ。

 ――関東ミリオン、成田なりたミハマ。

 ――横浜ミリオン、高島たかしまミライ。

 大画面に各地域の地図が映し出されるたび、それぞれの支部ホームで数多の競争相手を制してきたトップアイドル達が、遠征先アウェーの新潟を眩いオーラで照らす。

 ――甲信ミリオン、小諸こもろアズミ。

 ――中国ミリオン、佐伯さえきアキ。

 ――四国ミリオン、豊浜とよはまカノン。

 個性豊かな口上で名乗りを上げ、ファンの喝采を浴びる彼女達は、それぞれがそれぞれの地域で最も輝くスーパースター。本来なら誰一人としてツバメ達が同格に並ぶことのできる相手ではない――だが。

「絶対、負けない」

「うん」

 闇の中でツバメはヒバリと手を握り合った。思いはひとつ。自分達こそが一番輝く星であってみせる。

 彼女達の眼前で、女神達の名乗りのバトンはいよいよ、我が国のアイドルグループの頂上を占める四大首都のスター達へと手渡された。

「散ってはまた咲く桜花おうかのルフラン。九州ミリオンの桜前線、西新にしじんサワラ!」

浪花なにわの粋は乙女の吐息、天辺てっぺん目指す心意気。関西ミリオン・阿倍野あべのミナミ!」

「海鳴りは夢見る調べ。中京のマーメイドプリンセス、東海ミリオン・鳴海なるみミドリ!」

 そして、最後のスポットライトがステージの中央センターをきらびやかに照らし出す。ここまで高らかに名乗りを上げてきた十一条の流星の瞬きも、この場所で満を持して煌めきを放つ超新星スーパーノヴァの前には引き立て役に過ぎない。

 モニターに映る最後の地域、それは東京。

 アイドルがすべてを支配するこの国で、一千万人のヒエラルキーの頂点に君臨する若き女傑――彼女には、決まった名乗り口上キャッチフレーズは存在しない。氏名そのものが彼女の肩書であり、神に選ばれし不動のセンターの存在証明アイデンティティ。永遠のアイドル聖地の名を背負って生まれ、この国の中心に立つことを宿命付けられた少女。満員の観客が口々に呼ぶ、その名は――。

神田かんだアキバ!  fromフロム・東京ミリオン!」

 会場の盛り上がりが最高潮に達するなか、十二柱の女神が光を浴びて並び立つ。

48millionフォーティーエイトミリオン、参上!」

 十二人が声を揃えて叫び、大歓声の轟音が地下空間を包み込んだところで、ツバメ達の立つステージの奥にも再び照明が浴びせられた。段取りに従ってツバメ達もステージの前面へと戻り、各地のトップ十二人と対等な位置に躍り出る。

 そのとき、東京のトップにして全国のトップ、七姉妹セブン・シスターズ筆頭の神田アキバが、ツバメに一瞥をくれ、ふふんと不敵な笑みで挑発してきたように見えた。

 そのことが、ツバメの闘志に最後の火を点けた。

 よくも、北陸わたしたちを飛ばし、他地方のメンバーだけで「48million」の名乗りを上げてくれたものだ。わたし達はミリオンの名に値しないとでも言うのか。北陸のアイドルの輝きは紛い物だとでも言うのか。

 いいだろう、神田アキバ。あなたが古の聖地の名を背負うというなら――

 見せてやる。国の名を背負った北陸の朱鷺ニッポニア・ニッポンの羽ばたきを。白地に赤のこの衣装が、この国で最も輝く瞬間を。

「故郷に戻った渡り鳥、ダンシングスワロー・糸井ツバメ!」

 マイクを手に、ツバメは満員の客席に向かって高らかに名乗りを上げた。十三人目のスターとして。

 そして、ヒバリら仲間達が一斉にマイクを構え、声を揃える。

「北陸ミリオン、飛翔テイク・ウイング!」

 ファンの歓声が会場の空気を震わせるなか、新たな曲のイントロが流れ始める。

 色とりどりの輝きを纏って歌い始める各支部のトップアイドル達に負けない勢いで、ツバメと仲間達は全力で歌詞を紡ぐ。希望の翼を広げ、大空を舞う朱鷺トキとなって。

 大地震の到来まで、あと三十分――。

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