第17話 四十七の街へ
『次は芸能ニュースです。かつて東海ミリオンの人気メンバーとして一世を風靡した「中京のシンデレラ」、国際女優の金山チクサさんが、
『いやあ、約一年ぶりの帰国ですか』
『今回の映画もさることながら、今後の活躍にも注目が集まっていますね』
『そんなチクサさんですが、現地報道陣に帰国後の予定を聞かれたところ、「まずは寄るところがある」と……』
『ええ、既にネットワーク上では色々話題になっていますね。新潟シティで慰問イベントに出るとか、出ないとか』
『十八日の地震予測に合わせて、十年ぶりに新潟の地を訪れることになるのではないかと言われていますね』
『チクサさんの
『地震が十八日ですから、明日十七日には新潟行きリニアは止まってしまいますからね』
『現地のアイドルがそれに合わせてイベントを行うという話も出てるみたいですよ』
『現地……って、新潟にはアイドル居ないでしょう』
『先日のTHNの件で話題になった二人じゃないですか? 金沢から新潟に若手アイドルが派遣されて、何かしてるんですよ』
『ほお。わたし初耳でした』
『いずれにせよ、チクサさんの帰国後の活躍に期待が持たれますね。次のニュースですが……』
オムニビジョンの各チャンネルがこぞって金山チクサの凱旋帰国の一報を伝えるのを横目に、この日、ミズホは改めてTHNグループ中京本社への訪問を申し入れた。アポと言うにはあまりにお粗末な連絡だったが、THNの渉外部は拍子抜けするほどすんなりと、同日中に豊田総裁との面談時間を設定してくれた。
それはまるで、ミズホが来るのを最初から時間を空けて待っていたかのようだった。
新潟から中京までは
メインゲートを一歩くぐると、目の前にはこれまでに同社が開発してきた無数の自動車の現物が整然と並ぶエントランスホールが広がっている。化石燃料に始まり、電気、水素、旧式ソーラーと、人類が古典的なエネルギー手段に頼っていた時代を先導してきた鋼鉄の猛者達の勇姿は、その技術の古さに反して、外見上は既に現代の自動車とそれほど変わらないフォルムに辿り着いていたものも多かった。
受付にはヒューマノイドではなく人間の女子社員が立っていた。このご時世、来客を目的の場所に案内するだけの仕事にまで生身の人間を就かせているのは、人件費を湯水のごとく使える優良企業の特権に違いない。
「前津ミズホ様、お待ちしておりました。応接室へご案内致します」
高層エレベーターでミズホが案内されたのはオフィスタワーの最上階だった。約束の時間より早めに来たためか、彼は大窓から中京の街並みを見下ろす豪奢な応接室でしばし豊田総裁の来室を待つこととなった。
応接室の壁には、現在のTHNグループのロゴマークと並んで、三つの異なるロゴマークが三つ巴に並べられた掲示があった。現行のロゴとよく似た商標が中心に据えられ、他の二つの商標がひれ伏すように下段の左右に配置されている。
ミズホが古い三つのマークを目にするのは初めてだったが、その恣意的な配置は、以前どこかで聞いたことのあるTHNグループの成立の歴史を物語っているように思われた。
THNは元々、化石燃料の時代から我が国の自動車産業をリードしてきた三つのメーカーが、震災頻発期のあとで統合されて一つになったものであるという。だが、その統合は決して友好的なものではなかった。当時の「T」が「H」と「N」に対して強いたのは、吸収合併などという生易しい言葉で言い表すのもはばかられるほどの蹂躙であり圧政であった。それでも、統合後のTHNに殲滅され根絶されていった数多の中小メーカーに比べれば、それは遥かにましな末路だったのだ。
このあたり、アイドルグループの歴史と似ているな、とミズホは思う。
この二つの例に限ったことではなく、力のある者がいずれ全てを飲み込んで世界の頂点に立つのは歴史の必然なのだろう。数万年前、
ミズホが僅か数分の待ち時間の間に人類の宿業にまで思いを馳せていたところで、上品なノックの音が聞こえ、高価そうなスーツに身を包んだ豊田総裁が応接室へと姿を現した。物腰柔らかにミズホと挨拶を交わす豊田の姿は、画面越しの二度の対面時と変わらぬ威厳に満ちていたが、同時にこれまでよりもずっと自分を歓迎してくれているようにも見えた。
「今朝、『オータム』の東海ミリオン事業部から通達を頂いてね。……正直、驚いているところだ。まさか本当に金山チクサを駆り出してくるとは」
豊田に片手で促されるまま、ミズホがソファに着席して彼と向き合うと、直ちにヒューマノイドが良い香りのするコーヒーを出してきた。
「きみ達の力を見くびっていたようだ」
彼の表情は今の状況を楽しんでいるようにすら見えた。なぜ、今や
「国民的スターの凱旋に、いの一番で立ち会いたいと望む人は多いだろう。しかし、その現場である新潟シティへの
一つ一つの要素を数えあげるように豊田は述べていった。最後に彼はミズホの目を見て、ゆっくりと頷いた。
「見事だ、前津ミズホ君。我々が腰を上げざるを得ないロジックを華麗に組み立ててきたな」
「……では、二日後のイベントへの協力は」
「喜んで協力させてもらおう。実は、既にAIと重役会の賛意も取り付けている。……もっとも、彼らが反対を述べたとしても、決めるのは私なのだがね」
にやりと笑ってみせてから、豊田はコーヒーのカップに手を伸ばし、ミズホにもそれを勧めた。湯気を上げる黒褐色の液体が最高級の豆を使った逸品であることは、彼の舌でも何となしにわかった。
「
豊田はコーヒーのカップをソーサーに戻し、じっとミズホの目を見つめてきた。
「きみの本当のプランを聞かせてほしい」
「え……?」
ミズホは虚を突かれて間の抜けた声を出してしまった。豊田がソファに深く背中を沈め、軽く腕組みをして続ける。
「今回の件は、あくまで地震予測に合わせて立ち上げた急場の企画だろう。だが、きみが最初に当社との遠隔会談を申し入れてきたのは日曜日。地震予測が出る前だ。……本当は、もっと先の目論見を話してくれるつもりだったんだろう?」
豊田の言葉に、ミズホは思わずこくりと頷いていた。
国内トップクラスの大企業の総裁が自分の計画に興味を示してくれている。金山チクサの威光にではない。むろん「オータム」の権力にでもない。ミズホと仲間達の考えた企画を、彼は聴きたいと言ってくれているのだ。
ごくりと唾を呑んで、ミズホは喜び勇んで話し始めた。携えてきていたノート型端末を、中京から五百キロの彼方にある研究室の
新潟ドミトリーの地下にシェルターを兼ねた巨大劇場を作り、他都市からの避難者をアイドル達の歌声でもてなす防災娯楽都市のプランを。数万台、数十万台のリニアビークルが都市間直通ロードを自由に行き交い、全国のドミトリーをアイドルと観客が縦横無尽に行き来する、この国の新たな芸能立国としての在り方を。
そして、その中心となる新潟の地で、これまで以上の繁栄を謳歌するTHNグループの未来を。
「……なるほど。これが実現するとなれば、
身を乗り出して彼の話を聴いてくれていた豊田は、ミズホがツバメ達から耳にしていた北陸支社長の名前を出し、「それも諸君の計画の内というわけか」と小さく笑ってみせた。
そして、次の瞬間、ミズホにとってある意味最も予想外だったことが起こった。
「いいだろう。計画内容について細かい調整は必要になるだろうが、当社も前向きに参画を検討させて貰うよ。新潟と、この国の未来のために」
豊田総裁は、いとも容易くミズホの提案に肯定的な返事を述べてくれたのだ。その台詞のあまりの呆気なさに、ミズホは逆に驚いて目をしばたかせてしまったほどだった。
いくら自分が秀才で、このプランの青写真が完璧だといっても、国内外で数百万人の従業員を抱える巨大企業の方針をこれほどまでに簡単に左右できてしまっていいのだろうか。
「……いいんですか。そんなに簡単に賛同してくれて」
「正式なことはAIの諮問と重役会の承認を得なければならんがね。……だが、知っての通り、我が一族は当グループの経営者であると同時に筆頭株主でもある。誰にも横槍は入れさせんよ」
「でも、御社にとって重大な決断を、僕の話を少し聞いただけでそんなに容易く――」
「前津君」
ミズホの疑問を手のひらで制し、豊田はゆったりとソファから立ち上がった。彼が大窓のそばまで歩いていき、高層建造物の立ち並ぶ中京の街並みをバックにこちらへ振り返ったとき、ミズホははっと礼儀に気付いて自分もソファから立ち上がった。
「……きみの話は、長らく眠っていた我々の心に火をつけてくれたのだ。車屋らしく言うなら、止まっていたエンジンの
それから、豊田は唐突にミズホに一つの質問を投げかけてきた。
「『47』という数が何を表すか、きみは思いつくかな」
「『47』? 『48』ではなくてですか」
ミズホは豊田に向き直ったまま、瞬時に自分の脳内を
いろは四十七文字。
いや、いずれも豊田がこの場で口にするには意味のないものだろう。唯一当てはまりそうな答えといえば……。
「県政時代の行政区分ですか」
「さすがに博識だな。そう、一都一道二府四十三県……『四十七の素敵な街』だ」
豊田が最後に付け加えたフレーズの意味は、文系理系を問わず多くの知識に触れている自負のあったミズホにも皆目見当がつかないものだった。書籍かドラマのタイトルのようにも聞こえたが。
「かの金山チクサが
遠い目で中京の景色を見やり、豊田は語り始める。ミズホの知らなかった話を。
「信じられないかもしれないが、かつて我々の先祖はアイドルを支配していたんだよ。遠い遠い昔の話だ。まだ自動車メーカーが国中にごまんとあり、アイドルも黎明期の産声を上げたばかりだった頃のね」
「……おぼろげには聞いたことがあります。アイドルグループが国内各都市に支部を広げるにあたり、スポンサーの自動車メーカーの助力が大きな起爆剤になったと。……そのスポンサーというのが、御社だったんですね」
「きっと現代では誰も知るまい。我々の偉大な先祖は、この中京の片隅で始めた小さな機械工場を国内最大の企業グループにまで育て上げ、当地の地名さえも書き換えた。今でこそ、すべての国内企業は『オータム』のおこぼれにあずかって存在を許されているようなものだが、当時は我々のほうがアイドルグループを子飼いにし、活動資金を提供する側だった。……おこがましいと思うだろうが、我が国を国民総アイドル社会に変貌させる一端を担ったのは、他でもない我々だったのだ」
偉大な創業者の遠い子孫の口から語られる歴史講義に傾聴しながら、ミズホは豊田総裁の心中を察しつつあった。彼は、新潟再興プロジェクトへの参画を通じて、アイドルグループによる支配体制に小さな一矢を報いようとしているのだ。そしてそれは、むろん、先日「オータム」の支配者にやり込められた仕返しをしようなどという陳腐な話ではない。
彼の一族は、この国でアイドルとともに幾世紀もの繁栄を謳歌しながら、心の奥底ではひそかに反骨の精神を燻らせ続けてきたのだろう。重役陣も株主も誰も知らない、豊田の血族だけが抱き続けてきた思い。彼らはずっと、数百年の時を超え、再び対等な協力者としてアイドルグループの前に立つことを夢に見続けてきたのだ。
「豊田総裁。……このプロジェクトで、歴史が変わります」
ミズホは豊田に向かって断言してみせた。大口を叩いていると侮られてもかまわない。豊田はきっと、その一言を待っていてくれたのだろうから。
「……私の生涯は、ただ平凡に親から総裁の座を引き継ぎ、次代へ手渡すだけで終わると思っていた。だが、このプロジェクトが成功すれば、私も図らずして歴史に名を残すことになるのかもしれんな」
独り言のようにそう述べてから、豊田はミズホの前まで歩み寄ってきた。
「前津君。きみの仲間達にも伝えてくれないか。きみ達のおかげで私も熱い心を取り戻させてもらったと」
ミズホは、握手を求めてきた豊田の手をかたく握り返した。皺の刻まれたその手、そして彼の目をまっすぐ見つめてくる黒々しい瞳は、名君の気品と経営者の誇りに満ちているように思えた。
「力を合わせて実現しようじゃないか。アイドル国家の新たな未来を」
「はい。必ず」
豊田との会談が終わり、THNの本社タワーを出たところで、ミズホは携帯端末でアイドル関係の最新ニュースのチェックを試みた。ネットワーク上は相変わらず金山チクサの帰国の話でもちきりかと思われたが、その片隅から、少しずつ話題の中心に躍り出つつある一つの噂の存在にミズホは気付いた。
「これは……?」
新潟に地震が来るのは、明後日、十一月十八日の土曜日。
その、十一月十八日という日――
東京ミリオンや東海ミリオンをはじめ、国内の各グループの公演スケジュールから、名だたるトップアイドル達の出演予定が突如消えているというのだ。
「――まさか」
ミズホは自分の背中にじわりと嫌な汗が伝うのを感じていた。と、そこで、彼の心を読んだかのように、和倉ナナオからのパーソナルラインの着信が彼の携帯端末を震わせた。
「はい、前津です」
「ミズホくん。
「ええ、首尾は上々です。二日後のリニアビークルの準備は心配なさそうです。……それより、和倉さん、気になることがあるんですが」
「そのことで
端末越しのナナオの声と、自分の声と、どちらがより震えているのかミズホにはわからなかった。
「ついさっき、『オータム』の上層部から連絡があったの。明後日の新潟のイベントに……国内各ミリオンのトップメンバーが出演するよう手筈を整えたって」
それは単に嬉しい話というわけではなさそうだった。
普通に考えれば、金山チクサと並ぶ客寄せ
「
ミズホはすぐには言葉を返せなかった。先日、遠隔会議でTHNの重役達をやり込めていた際の、豚のように肥えた男の薄ら怖い笑みが脳裏に浮かんだ。
十六年前、奇しくも同じ十一月十八日という日、
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