第9話 責任の取り方
オムニビジョンの東海地区向けチャンネルからは、今日もご当地への愛着を歌うアイドル達の歌声が流れている。
和倉ナナオは今、新潟
ナナオは北陸で生まれ育った女だったが、近接する東海地方の事情、そしてアイドル第二聖地と言われる東海ミリオンで輝かしく活躍するトップアイドル達の話は、幼い頃から自然と耳に入ってきていた。もっとも、栄クリスや金山チクサのようなアイドルになりたいというナナオの素朴な憧れを叶えるには、彼女の故郷はあまりに地理的な条件が悪すぎたのだ。
自分の世代で果たせなかった夢を、次の世代でこそ叶えてほしい――そんな思いから、彼女は
「……ヒバリちゃんは、いい子なんだけどねえ」
ナナオは小さく溜息をついて、オムニビジョンのチャンネルを全国向けに切り替えた。奇しくも昼のニュースでは、「オータム」が情報漏洩の件でTHNグループに莫大な賠償金を支払って和解したという話が盛んに取り沙汰されていた。
ナナオ自身が昨日目の当たりにした通り、それは「オータム」が自動車メーカーに膝を付いたということを意味するのではない。ナナオが仕える巨大組織は、被害者であるはずのTHNを金と権力で黙らせたのだ。中央政府以上の力を持つとも言われ、この国をGNP世界第二位の経済大国たらしめている「王権」にとって、国内最大級の営利企業の頰を札束ではたく程度のことは朝飯前の茶番にすぎなかった。
それほどの力を持つ「オータム」が、新潟ドミトリー再興プロジェクトの企画と宣伝をたった二人の若手アイドルに委ねているのは、ひとえに若く未熟なアイドル達が奮闘する姿をドキュメンタリーに仕立てて人々の関心を惹きたいからにすぎない。もちろん、ひとたび彼女らと
THNグループは、「オータム」には本気で新潟をアイドルの街に戻す気がないのだと見て北陸支社の撤退を決めたらしかったが、ナナオに言わせれば、しょせん外野にはこの組織の恐ろしさがわからないのだ。企画に送り込むアイドルが二人だろうと二千人だろうと、そして送り込まれた者が頑張ろうと頑張るまいと、「オータム」が新潟にドミトリーを再建することは既に決まっている。その規定事項に幾分かのドラマ性を持たせるためにツバメとヒバリは白羽の矢を立てられたのだ。
それはつまり、この企画に携わるアイドルは、彼女ら二人でなくても誰でも構わないということでもある。
そして、プロジェクトのお目付け役を命じられているナナオには、今朝一番で、アイドル二人の進退の采配を彼女の責任に委ねる旨の指示が飛んできていた。彼女を憂鬱な気分にさせているものは、むろん、その指示にほかならなかった。
オムニビジョンの時計を見やると、ちょうど正午を回ったところだった。ツバメとヒバリは隣の部屋で高校の遠隔授業を受けていたが、それも一段落したはずだ。
約束通り、ナナオの部屋のドアをノックする音が響いた。彼女が「どうぞ」と返事すると、これも約束通り、四十万ヒバリがおずおずと一人で顔を覗かせた。
問題の配信の「主犯」がヒバリで、ツバメは横にいただけだということは、当事者の全員がわかっている。
「お疲れさま」
ナナオは努めて優しく声をかけた。ぱたんと扉を閉めて部屋に入ってきたヒバリに、スツールへの着席を勧め、自分はクッションの効いたベッドに腰掛ける。
「授業はどうだったの?」
ヒバリの緊張をほぐすために尋ねてみると、彼女はとたんに華奢な両手で頭を押さえた。
「うーん、高校の数学って難しいー。マクローリンとかオイラーとかワケわからないよぉ」
カワイコぶるために必要以上に分からない振りをしている、という風情ではなかった。無理もない。高校以上の数学ははっきり言ってナナオもお手上げなのだ。ナナオはふと前津ミズホの生意気な顔を思い浮かべ、自分より一回り以上も年下のあの少年の脳内には、きっと自分の何十倍もの理系知識が詰まっているのだろうなと考えて嘆息した。
「ミズホくんに今度教えてもらったら?」
彼が「勉強の面倒は見ない」とぴしゃりとヒバリに向かって言い放つのはもちろんナナオも見ていたが、あれはあくまで初対面での話だ。なんだかんだで少しずつ絆を育みつつある今の彼らの関係なら、手慰みに先生役を務めてくれるくらいは期待してもいいかもしれない。
「それなんだけど……」
ヒバリが上目遣いになって自分を見てくる。彼女が同性にその視線を向けるのは、媚びたいのではなく、弱気になっているときの仕草だ。
「……わたし、もうミズホくんと一緒にお仕事できないのかな?」
ヒバリが言うと、いつも通りの形を保った頭の両サイドの黒髪までもが、しゅんとなって萎んだように見えた。
ナナオがヒバリ一人だけを自室に呼んだ時点で、そういう話になることはヒバリにも予測がついているはずではあったが、それにしても彼女が自分から踏み込んでくるとは少し予想外だった。同時に、こういうところも彼女らしさの一つなのだな、とナナオは思い直した。
ナナオが三年間見てきた四十万ヒバリというアイドルは、天真爛漫な少女ではあるが、決して頭の中までお花畑のお馬鹿ちゃんではない。今回のことでヒバリが責任を感じているのはナナオにも十分わかっていたし、自分がどういう立場にあるのかもヒバリには自覚できているだろうと彼女は考えていた。
だから、自分の仕事は、彼女を叱責することではない。
「それは、ヒバリちゃんが自分で決めることよ」
ナナオは穏やかな口調を作ってそう述べた。最初からヒバリにはそう言うつもりだった。
だが、ただ甘やかすわけでもない。はっと目を見張っているヒバリに向かって、ナナオは細い目にいつになく眼力を込めて告げた。
「あなた達は……アイドルは、いつだって巨大な力に守られているの。普通なら
ヒバリは俯き加減になりながら黙ってナナオの話を聴いていた。膝の上にきゅっと添えられた両手には、いつもの彼女の奔放さが感じられなくて痛々しい。
「今回の件を受けて、わたしは、このプロジェクト上でのあなたの進退を決めろって言われてるわ。でも、あなたをプロジェクトから外せとは、『オータム』の上層部は一言も言っていない。……わたしは、ヒバリちゃんはもう、責任の取り方を自分で決められる年齢だと思う」
「……わたしが、決めていいの?」
ヒバリは今日そこで初めて涙をこぼした。その涙は昨日よりも綺麗な輝きを放っているようにナナオには見えた。
ナナオが黙って頷くと、ヒバリは純白のハンカチで涙をぬぐってから、上目遣いではなくまっすぐにナナオの目を見つめてきた。
「わたし、続ける。責任は、結果を出すことで取りたい」
いつもシロップにまみれたような声を出しているヒバリの声帯は、今この時に限っては、凛と張った鈴のような声を響かせた。その真剣な声色はナナオに、三年前の面接の光景をふと思い起こさせた。
「……それでこそ、ヒバリちゃんね」
自らがトップアイドルを目指すのみならず、北陸ミリオンそのものをこの国のトップグループにしたい――。チーム決めの面接の場でいきなりそう言い放った十三歳のヒバリの姿を、ナナオは今も鮮明に思い出すことができる。
奇しくもそれは、金山チクサを超えるほどのアイドルになりたいと宣言した糸井ツバメの面接の直後だった。そのとき面接担当のひとりを務めていたナナオは、二人の夢を立て続けに聴いて、この二人は良きペアになってくれると直感していたのだ。
「OK、じゃあ、このお話はこれでおしまい。ツバメちゃんと一緒に美味しいものでも食べにいきましょう」
「やった! わたし海鮮がいいー」
今の今までシリアスな反省ムードに浸っていたヒバリは、途端に横髪をぴょこんと揺らして顔を輝かせた。いつまでも「本当に自分はここに居ていいの?」などと殊勝な質問を繰り返しはしない。そんな出来レースの茶番には意味がないことを、ヒバリはこの歳でよくわかっているのだろう。
部屋のドアを開けるとツバメが心配そうな面持ちで立っていた。二人部屋に戻っていてもよかっただろうに、ヒバリとナナオの話が終わるのをずっと廊下で待っていたらしい。
「ひばりん」
ツバメがヒバリに声をかけると、ヒバリは片手でピースサインを作って彼女に応えていた。
「大丈夫。わたし、これからもスワちゃんと一緒だよ」
ヒバリの言葉に、ツバメの目からはらりと涙が落ちる。
二人が不用意な配信でTHNグループに迷惑をかけたことも、大人の自分がついていながらそれを止められなかったことも、決して開き直って忘れていいことではない。しかし、それでもナナオは二人を引き裂かずに済んだことを誇りに思っていた。北陸ミリオンでどれほどの上位メンバーが人気を競っていようと、ナナオの中では、北陸の次代の担い手は三年前からこの二人に決まっている。
結果を出すのがヒバリ達の責任の取り方なら、それを全力でバックアップするのが自分の責任の取り方だ。
それに、今のナナオには、このプロジェクトを成功に導かなければならない別の責任もある。
「ほら、ツバメちゃん、ここからが本番よ。
ナナオがヒバリの背中越しに励ましの言葉をかけると、ツバメも涙目のままで、はい、と前向きに頷いた。
少女二人の後をついてホテルの廊下を歩きながら、ナナオは携帯端末をそっと取り出して画面を眺める。そこには、今朝、ホテルのフロントを介して彼女宛に転送されてきた無機質なテキストメッセージがあった。発信者はTHNグループ北陸支社長、柏崎シバタ。あの最初で最後の邂逅のときに、彼女達が借り切っているホテルの場所だけは彼に教えておいたのだった。
ナナオは今朝の内にそのメッセージを二度も読み返していた。自分がアイドル達に境遇を語ってしまったために起きた事態への謝罪と、「オータム」がTHNの反発を封じてくれたことで自分も社内で首の皮一枚繋がったという報告。そして、アイドル達の新潟再興プロジェクトの成功を心から祈る――という内容だった。文体はきわめてビジネスライクだったが、そこにはあの無骨な中年男の人柄が滲み出ているようにナナオには思えた。
自分は新潟大火で娘を亡くしてね――。
あの日、ヒバリとツバメに向かって訥々と語った柏崎の横顔には、哀愁とかすかな希望の色があった。
――生きていたら、君達とちょうど同い年くらいなんだよ。
その言葉は、同じ火災で両親を亡くしたツバメを泣かせ、ヒバリにあの過った善意の配信を決意させるのみならず、ナナオの胸にも強い使命感のくさびを打ち込んでいた。
柏崎は確かにアイドルに希望を見出していた。たった二人の若手アイドルでも、立派に人に希望を与えることはできる。
彼のためにも負けられないと、ナナオはそう思った。
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