第8話 五年

 弟とその女神の「デート」に同伴するようになってから四日を経た金曜日、前津まえづヒサヤは大学の講義をサボタージュしてマンションの自室にいた。時刻は朝の九時を過ぎたところだ。弟の高校ではそろそろ授業が始まっているだろう。

 月曜日に訪問したJDCが空振りに終わってからも、彼と弟とチクサの三人は、時間の許す限りチクサをアイドルとして引き受けてくれる先を探して奔走していた。芸能プロダクションについては、JDCで駄目ならどこへ行っても駄目だと思うしかなかったが、ドミトリー外に拠点を置いているマスメディアやイベント組織ならもしかするとチクサに日の目を見せてくれるかもしれないという微かな期待があった。だが、概ね予想通りというべきか、ドミトリーを追い出された元アイドルに対する風当たりは強く、ここまでのところ全てが徒労に終わっていた。

 また、時間の許す限りとはいっても、そもそも三人が揃って行動できる時間が少ないのも問題だった。チクサは、この国に堅物選手権があれば東海エリアの代表選手になれそうなあの父親が議会ホールから帰ってくるまでには、自宅に戻って外出の痕跡を消していなければならない。弟は残念なことに自分のような天才ではないので、高校レベルの授業を毎日律儀に聴講しに行かなければならない。そうなると自然、彼らがチクサのために集まれるのは夕方の数時間に限られていた。

 加えて前津家では、今週の水曜日は父が、金曜日は母が休みで自宅にいるため、学校を終えた弟が何時間も不自然に帰宅せずにいることを毎度毎度誤魔化しきるのは不可能に思われた。そのため、おととい水曜日は、弟は女神との逢瀬を諦めて自宅で素直に勉強しているしかなかった。そして今日もまた、弟の放課後は母の厳しい監視にさらされるというわけだ。

「わが親ながら、もうちょっと教育に不熱心でいてくれてもいいんだがなあ」

 自室の卓上端末インターフェースの前で独り言を呟いてから、ヒサヤは自分の携帯端末をBT通信でインターフェースと繋ぎ、これからの作業に必要なコマンドをAIに実行させた。処理を待つ僅かな間に、先日の夕食の席でまた母が口をとがらせていた一言を思い返した。

 ――アナタ達が優良企業に就職してくれなきゃ、ウチはこの先食べていけないんだからね。

 第二子が男児だとわかった頃から、ヒサヤが耳にタコができるほど刷り込まれてきた台詞だった。姉や妹を持つ学友達の暮らしぶりを聞いていると、母の切実な訴えはヒサヤにもわからないではなかった。

 母はヒサヤを産んですぐに身体を壊し、子供を産むのに向かない身体になった。ツルマの懐妊は、両親にとって六年ぶり最後のチャンスだったのだ。そして、そのツルマが男児として生を受けた時点で、前津家が「オータム」からの給与所得にあずかれる可能性は永遠に閉ざされてしまった。これだけGM技術が隆盛を極める時代になっても、人工授精による性別の産み分けは法律でかたく禁じられていた。

 ものの数秒で、インターフェースのAIが作業の完了を告げた。いまやヒサヤの持つ携帯端末は、弟に譲った使い古しの端末が持っているデータを我が物のごとく引き出せる同期ポートとなっていた。

 そこから弟の女神のパーソナルラインを表示させ、弟から掛けているかのように音声通話を発信する。厳密には違法のはずだが、家族内で電話を共有するくらい何が悪いんだ、とヒサヤは開き直った頭で端末の呼び出しメロディに耳を傾けた。

「はい。ツルマくん……?」

 ややあって、今は聴き慣れた金山チクサの声が端末の向こうから応えた。堅物議員が今日も議会ホールに出勤していることはもちろん事前に調査済みだ。

「ごめん、俺。勝手にアイツのID使っちゃってるけど、許してくれるかな」

「あっ、お兄さんですか? やだ、わたし、トボけたみたいな声出しちゃってて」

 慌てて恥ずかしがるようなチクサの声がヒサヤの鼓膜を震わせる。こういうところが弟は好きなんだろうな、というのは四回も顔を合わせればとっくにわかっていた。

「いきなりで悪いんだけど、君に確認したいことがあって」

 世間話が目的ではない。ヒサヤは早々に本題を切り出した。

「ツルマに伝わるのが嫌なら絶対に言わないから、俺にだけは教えてほしい」

 端末の向こうで、チクサが二秒ほど置いてから「何を……ですか?」と訊き返してくるのが聴こえた。その言葉は、何を訊きたいのかはわかっていますよ、とヒサヤの脳には翻訳されて届いた。

「君が脱退処分になった本当の理由」

 無駄な間を入れないようにさらりと言い放つと、彼女が息を呑むのがわかった。

「……どうして、知りたいんですか?」

「君とアイツの夢を、守るために」

 ヒサヤの言葉に嘘はなかった。この四日間でそれだけの信頼を得ている自覚もあった。端末の向こうでチクサが覚悟を決めるまでの数秒間を、ヒサヤは全く緊張することもなく待っていた。

「……ありがとうございます。でもほんとに、ツルマくんには言わないでくださいね」

 そうして、チクサは彼に向かってぽつぽつと言葉を紡ぎはじめた。その口調は、たどたどしいのにどこかはっきりしているように聴こえ、いつかは話すと前から心に決めていたようにも思われた。

 純真無垢なる元アイドルの口から語られた真実は、なるほど確かに、高校生男子の耳に入れるには躊躇する内容だった。


 その数時間後、ヒサヤは大深度地下高速鉄道リニアエクスプレスとレンタクシーを乗り継ぎ、中京から遠く離れた北海道矯正特区のはずれに立っていた。眼前にそびえる灰色の巨大な壁は、各都市のドミトリーの壁とは違い、上層で巨大なドーム構造と繋がって天を覆っている。多趣味を自負する彼といえど、刑務所見学は全くの未体験だった。

 受付で身分証明を済ませると、そう待たされない内に、民間人らしきスタッフがヒサヤを中に案内してくれた。半透明のドームから太陽光を取り入れている監獄内は、光量も気温も外と変わらないはずなのに、なぜか薄暗くひんやりとした空気をたたえているように感じられた。

 これでも数百年前と比べると収監者の処遇は格段に改善され、むしろ人権に配慮しすぎて監獄の用を成していないとの批判も根強いらしいが、ヒサヤにとってみれば、ゲームも楽器も車もバイクもフローターもVRもトランサーもドリームピローもないここはまさしく現代の墓場に思われた。

「面会時間は二十分です」

 スタッフは面会室のゲートを開け、ヒサヤを中へ招き入れると、自分は軽くお辞儀をして出ていった。面会には人間のスタッフは立ち会わない決まりらしい。ヒサヤが座った椅子の隣には、刑務ヒューマノイドが一機立っていた。

『面会時間はこれより二十分です』

 目当ての男が重い扉をくぐって面会室の特殊ガラスの向こうに現れるやいなや、刑務ヒューマノイドのAIが無機質な声で外のスタッフと同じことを告げた。

 黒笹ミヨシ。金山チクサに対する強制猥褻致傷と特定芸能人信用毀損の罪で起訴され、つい昨日実刑判決を受けて収監されたばかりの男が、薄いガラス一枚を隔てた向こうに座っている。判決文によれば年齢は二十七歳。四角い眼鏡をかけた細身の男だった。いまどき近視を外部矯正している人間などいるはずないので、伊達眼鏡ファッションであろうことは容易に想像がついた。

「あなた、何ですか? どう見ても『オータム』の人間じゃありませんね」

 オレンジ色の囚人服に身を包んだ黒笹は、ヒサヤへの猜疑心を隠そうともせずに言った。まあ、それはそうだろうとヒサヤは思った。公開裁判と自由面会が現代刑事司法の根幹だといっても、実際に服役初日から赤の他人の訪問を受けることなどそうそうあるはずもない。

「あんたに訊きたいことがあって来た」

 ヒサヤはガラス越しに黒笹の目を見据えた。視線を逸らしたら負けだという予感があった。

「なんで平気で他人の罪をかぶった?」

 黒笹は、一瞬だけ片眉をぴくりと動かしたように見えたが、動じた素振りもなく悠々と腕組みをして言った。

「何のことだかわかりませんね。私は自分の罪の報いとしてここに居るだけですが」

「そんなわけあるか。あんた、面倒見のいい、頼れるマネージャーだったそうじゃないか。自分の担当アイドルに手を出したりするヤツじゃないだろ」

 ヒサヤはその言葉を、黒笹に対する揺さぶりだけではなく本心からも発していた。目の前に座る黒笹ミヨシは、実直で仕事のできそうな男で、とてもヒサヤが事前に判例検索システムで目を通してきたような身勝手な犯行に及びそうな人間には見えなかったのだ。

「黒笹さん、あんた知ってるか。暴力団とかいうものがまだあった時代、親分を庇ってかわりに刑務所に入る子分が結構いたらしいぜ。昔の映画で見たんだけどな」

「……それが、私と何か関係が?」

「あんたも、出所したら幹部の椅子か何か約束されてるんじゃないのか」

 ヒサヤが言うと、黒笹はまたぴくりと片眉を動かした。

「馬鹿馬鹿しい。チクサの件は私が自分で勝手にやったことです 。『オータム』とは関係ありません」

「それじゃ不自然だと言ってるんだ」

「私とチクサは、少し前から愛し合っていたんですよ。誰にでもあることです。どこにでも起こりうることです」

「違うな。あんたは他人を庇っている。本当にチクサに手を出そうとしたのは、『オータム』の――」

「言うな!」

 突然、黒笹は大音声でヒサヤの言葉を遮った。ヒサヤは思わず身を引き、椅子の背もたれに背中を受け止められる形になった。ガラスの向こうで黒笹は椅子から立ち上がっていた。刑務ヒューマノイドは、あくまで二人の会話に違法な発言はみられないので沈黙を保っていた。

「……今ので、俺の聞いてたことが全て真実だってわかったぜ」

 ヒサヤは姿勢を直してから、立ったままの黒笹の顔を見上げて言った。黒笹は青ざめた顔をしているように見えた。

「……それを、どこかに公表するつもりなんですか」

 どさりと椅子に腰を落としてから、黒笹は観念したようにヒサヤに問うてきた。さあね、と彼は答えた。

「その必要があるならそうするさ」

「信用されるはずがない。あなたがどんな立場の方かは知りませんが、ヘタに話を表沙汰にしたら、次に刑務所に入るのはあなたということも……」

「そうならないように気をつけるよ。じゃあな、あんたに会えてよかったぜ」

 もう聞くことはないとばかりにヒサヤが席を立とうとすると、黒笹はこれまでと打って変わって消え入るような声で、「ちょっと待ってください」と彼を引き留めてきた。

「……私が、面倒見のいいマネージャーだったって……誰から聞いたんですか」

 ヒサヤはふうっと息を吐いて席から立ち上がり、今度は黒笹を見下ろす形になって答えた。

「本人だよ」

「……チクサが、そんなことを」

 黒笹は生気を失った様子でこうべを垂れた。度無しのグラスが水滴を受け止めるのがヒサヤにはちらりと見えた。

「今から後悔したって遅いぜ。あんたはたった五年我慢するだけかもしれないが、彼女は人生を奪われたんだ」

 最後にそう吐き捨ててからヒサヤは面会室を出た。得体の知れない何かへの怒りが彼の心を埋め尽くしていた。

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