第9話 AKB48,000,000
「キタガワさん。頼まれていた本をまとめて送ったわ」
女性秘書からの内線ラインが
「サンキュー。キミは相変わらず仕事が早いね」
「どういたしまして。でもどうしたの、こんな大昔の本を集めさせたりして」
ビデオ通話の画面の向こうで、秘書は純粋な好奇心をその端正な顔に浮かべている。彼女が上司であるキタガワに敬語を使わないのはJDCの内規に基づいてのことだった。なぜそんな決まりがあるのかは、経営者一族の御曹司として「キタガワ」のビジネスネームを襲名している彼にもわからない。
「たまには歴史の勉強でもしようと思ってね」
「さすが、勉強熱心なのね。他に要件はある?」
「いや。ありがとう」
「じゃあランチタイムに入らせていただくわ。お疲れさま」
遥か昔に誰かが決めたらしい規則に従って、女性秘書は最後まで敬語を使わないまま画面から消えた。
キタガワは自らのトレードマークとしているスモークのサングラスを外し、一息ついてインターフェースの画面と向き合った。秘書に集めさせていたのは、前期から後期にかけてのインターネット時代の芸能活動についての関連書籍だった。それも、現代の「オータム」やJDCのような事業体による管理運営を受けない、当時の言葉でインディーズと呼ばれた部類の芸能活動にまつわる記録が中心だ。
「インディーズバンドの栄枯盛衰……アイドル双方向通信の時代……電脳歌姫の誕生と消滅」
キタガワはデスクに両肘をつき、ずらりと並んだ見出しを目で追っていく。彼の視線の動きに合わせて、インターフェースのAIが次々と別の書籍を画面に表示させては消していった。
我が国の芸能史について、キタガワはもちろん大学時代に一通りのことは学んでいたが、いま改めて歴史書を紐解いてみようと思ったのは、間違いなく数日前に飛び入り面接に訪れたおかしな三人組のことが関係していた。
――キタガワちゃん、どうするのよ、あの女の子。駄目よ、妙な親切心を出したりしたら。
――ウチはもちろん丁重にお帰り頂きましたよ。キタガワさんだっておわかりでしょう。
――何も出来ないのはわかってるけど、妙に気になるんだよな。キタガワ君も同じクチかい。
中京のドミトリー外でメディア局やイベント事業の運営に携わる者達は、異口同音に、その「アイドル再就職志望」の女の子についての共通した感想と見解を端末の画面越しに述べてきた。そしてそれは、キタガワ自身が彼女と向き合ったときに感じた印象とも概ね一致していた。
あの女の子には他とは違う何かがある。黙って帰すのは惜しい。
「……そうは言ってもねえ」
誰にともなく呟いてから、キタガワは画面送りを一旦止めた。インターフェースの高精細度モニターには『アイドルはいかにして電子世界を席巻したか』というタイトルの書籍が表示されている。
だが、その目次をめくりキタガワは嘆息した。「動画配信を通じたライトユーザーの拡大」「国営放送との連動による人気投票の大衆化」……。48millionの前身をなす中央集権的アイドル組織の草分け時代のことが書かれているだけだとひと目見てわかる。彼が求める情報がそこにないことも。
研究機関レベルのAIがあれば、秘書が集めてきた内のどの書籍が彼に福音を示してくれるのか数秒で検索できるに違いなかったが、この時ばかりは目と勘に頼るほかない。ネットワーク以前の書物に関しては一般の書籍検索AIが対応していないのだ。
半分ほどの書籍を自分の中で「ボツ」にしたところで、彼は一旦デスクから離れ、ドリンクサーバーでコーヒーを淹れて一息ついた。
天候規制でここ二週間ばかり澄み渡っている青空を見上げると、午前中に面接した少年達の顔が思い出された。十人の内九人までは、それぞれに芸能界への夢や憧れを語ってキタガワの胸を熱くさせてくれたが、一人だけは「ミリオンの子とお近づきになりたいからです」と正直すぎる気持ちを発露させてきたので丁重にお帰りいただいた。そういうバカが一週間に一人は来る。男子アイドルになったからといって、ドミトリーの中に入れるわけではないのに。
「……まったく、なんでこんな世界になっちゃったかねえ」
大窓の外の青空から少し視線を下げると、サンシャインタワー壁面の巨大な
「フォーティーエイト・ミリオン。国民総アイドル社会……か」
湯気を立てるコーヒーカップに口をつけ、キタガワはかつて大学の講義で聴いた我が国のアイドル史の概要をうっすらと思い返していた。
人類がようやく
アイドルグループのあり方も現在とは大きく異なっていた。その時代のアイドルグループは、「オータム」のような巨大組織に統一されてはおらず、数十人から数百人のメンバーからなる極小グループが無数に存在しているという様相であった。そんな中、48millionの前身となるグループが他と比べて際立っていたのは、莫大な資本金にものをいわせ、国内各地に支部を展開することでその活動範囲を地理的に拡大させていった点である。
当時の輸送システムのもとでは、東京・大阪間の移動にさえ二時間以上を要していたため、極小規模のアイドルグループが国内各地を行脚してファンを掴むことには物理的な制約があった。後に我が国を「征服」することになるこのグループだけが、各地方の中心都市にくまなく配置した劇場に数百人からのメンバーを常駐させ、絶えずファンに交流の場を提供し続けることができた。自動車産業など多くのスポンサーを取り込みながらこのグループが発展を続ける一方、市場原理に従い、その他の極小グループは次第に経営を維持できなくなって消滅し、晴れてこのグループは我が国のアイドル界を牛耳る唯一の存在となった。
だが、本当の進撃は、それから半世紀ほどを経た震災頻発期の直後に始まる。経済的にも精神的にも疲弊しきった幾千万の被災民に、破綻した公的社会保障にかわって救いの手を差し伸べたのが「オータム」の前身となる事業体だった。年金はおろか医療費さえも満足に配分できなくなった時の政府にかわり、我が国に存在する唯一最大のアイドルグループは、給与所得の形で国民に扶助を与える道を開いた。学校単位や自治体単位の全女子を一律にアイドルとして雇用し、その家族が生きていくに足るだけの金を給与を通じて分配するという全く新しい経済システムである。最初からすべての単位社会がこの制度に賛同したわけでは決してなかったが、さらに半世紀が経ち、富む者と富まざる者の差が「オータム」を受け入れる者と受け入れない者の差とイコールになってくる頃には、表立ってこの仕組みに反対する声は次第に影を潜めていく。
そして、
そうして世代が二巡ほどする頃には、当時の全国民9,600万人の半数、すなわち国内の全女性4,800万人が、一人の例外もなくアイドル経験者か現役アイドルか将来のアイドル候補生となる時代が到来した。通算48,000,000番の管理番号を付されたメンバーが誕生した年、「オータム」は天下を制するアイドルグループの名称を「48million」と改めた。国民総アイドル社会の実現である。
「……逆らえるわけがない」
キタガワは愚痴るように呟き、コーヒーカップを
キタガワのように芸能界で仕事をする者にとって、「オータム」はまさしく封建社会の君主のような存在だった。キタガワの親や先祖が何百年にもわたって男性芸能人の業界を支配してきたといっても、それは所詮、「オータム」が日々生み出す国家規模の財とサービスの僅かなおこぼれにすぎない。「オータム」は不満や反抗心を抱く対象ですらなかった。「オータム」は社会の仕組みそのものであり、君主というより神と喩えたほうが適切なのかもしれなかった。
だからこそ、その「オータム」によってアイドルの道を閉ざされ、それでも瞳に熱い炎を燃やし続けていたあの女の子の来訪は、キタガワにとって身を震わせるような衝撃だった。キタガワのような者達が何世紀にもわたって抑え込まれてきた声を、あの子はたったひとりで上げようとしている。あの時はただ力になれないとだけ言って帰らせてしまったが、今からでも追いかけて喝采の拍手を贈りたいほどの気分だった。
とはいえ、いずれ数十万人の従業員の生活を預かる立場となる彼には、軽々な行動で「オータム」の怒りに触れ、数世紀続いたプロダクションを丸ごと吹き飛ばさせる道を選ぶわけにはいかなかった。彼にできる、せめてもの支援の形といえば――
「『配信革命のはざまに消えたインディーズアイドル』……これだ、これなら!」
キタガワが遂に探し当てた一冊は、かつて大学の授業で一度だけ話題に上ったことのあった、前期インターネット時代のアマチュア芸能活動に関するものだった。視線誘導でページをめくり、その内容が己の意図に合致していることを確認する。これなら、あの女の子とお仲間に何かヒントを与えられるかもしれない。
「目次、『動画共有サイトを通じたアマチュアアイドルの誕生』……。動画共有サイトというのは?」
キタガワが発した声をインターフェースのAIは質問と解釈し、瞬時の内に回答を画面の隅に表示してくれた。「ワールドワイドウェブ」「IP放送」など技術史の専門家ではないキタガワには理解できない語彙が並んでいるが、概ね現代における動画配信と似たようなものであるらしい。
AIの表示した説明の内、特筆すべきは、「オータム」のような組織の統制を受けずとも、一般人が誰でも自由に動画コンテンツをインターネット上に共有することができたらしいという点だった。いや、それ自体は現代のネットワークでも可能なはずだが、技術的な側面はさておき、一般人が無秩序に公開したコンテンツが現に別の一般人によって視聴され消費されていたという記述はキタガワを混乱させた。その一節をもう一度読み直してから、それがどれほど途方もない内容であるかに気付き、彼は頭を抱えた。
一般人が独自に公開したコンテンツが、別の一般人に視聴される……? それが各人の酔狂や自己満足ではなく、商業として成り立っていたというのか?
「……そんなことができたら、芸能界なんて要らないじゃないか」
キタガワは妙な冷や汗が額を伝うのを感じながら、『配信革命のはざまに消えたインディーズアイドル』の本文をめくった。大学でその歴史を小耳に挟んだときには、アマチュアといっても、どこかの小規模な事業体と契約して楽曲媒体を売っていたのだろうと勝手に想像していた。だが、書籍に記された数世紀前のアマチュア芸能人達の活動内容は、彼の想像の域を遥かに凌駕していた。
彼はぜひ、「動画共有サイト」なるもので共有されていた動画の実例を観てみたいと思ったが、書籍の誌面には僅かなサンプルが静止画で掲載されているだけだった。驚くほどシンプルなウインドウの中、アマチュアアイドルらしき女の子が笑顔で手を振っている。おそらくは音声も一緒に再生することができたのだろう。
インターネット時代の人々は数多くの文化を生み出したことで知られているが、彼らが創造したものの多くは後世に伝わらなかった。当時の技術では、数十年、数百年の保存に耐えうる電子的記録は残せなかったからだ。結局、紙に印刷された書籍のほうが後々まで残り、こうして歴史の断片を今に伝えている。
キタガワはゼミ時代、二十二世紀中頃の流行歌の歌詞をもとに、その時代の若者達が電子的手段で交わしていたコミュニケーションの内容を復元するという不毛な研究テーマに取り組んでいたため、ネットワークに残らない時代の人々の息遣いを後世から推測するのがいかに難しいことかは身に沁みて知っていた。だから、たとえ『配信革命のはざまに消えたインディーズアイドル』を穴があくほど読んだところで、「動画共有サイト」の中の少女達がどんな夢を描き、ファンに何を語り、どのようにファンに愛されたのかは想像もつかないとわかりきっていた。
「でも、これはきっと大事なヒントだ」
かすかな予感と大きな期待を込めて、キタガワはプライベート用の携帯端末を取り出し、面接受付時の身分証明をもとに、例の女の子に付き添っていた高校生男子にパーソナルラインを発信することにした。三人組の内、あの少年が事態の中心人物なのは業界人の勘でわかっていた。
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