第12話 犠牲者
『えー、次の話題なんですけども……どうでしょうね、これ。東海ミリオンを脱退処分になったアイドルが、ドミトリー外で独自にライブ活動をしているという……』
『若者の間で話題のやつですね。ええと、金山チクサちゃんですか』
『実は私もその動画見たんですけどね、これが案外ちゃんとしてるというか、結構レベルの高いパフォーマンスなんですよ』
『まあ、レベルの高さもなんですが、やっぱりこういうイリーガルじみた活動をしてる子がいるってところに、共感する人はするみたいなんですよねえ』
『いかがでしょう、専門家のご意見としては』
『ダメに決まってますよ、こんなの。アイドルっていうのはね、しっかりした制度の中で序列を付けられてこそ、魅力が証明できるんじゃないですか』
『さすが先生、手厳しい』
『大体この子、異性交遊で脱退してるんでしょ。そんな身分でよくもまあ、インディーズアイドルだなんて名乗れますよね』
『でも、若い人の間では、「チクサちゃんの瞳を見てると、異性交遊なんて濡れ衣としか思えない」という声も根強く挙がってるみたいですが』
『濡れ衣って言ってもねえ。スプリングの監視に映っちゃってますからね』
『マネージャーとの恋愛はご法度ですよねえ。いやもちろん、他の男性とだったら良いってことではないんですが』
『実際どうなんですか? マネージャーとアイドルがそういう関係になってしまうというのは、よくあることなんですか』
『どうなんですかねえ。もと人気アイドルの立場からどうでしょう、コジマさん』
『え、そこでわたしに振るんですか。……わたしの周りではちょっと、聞いたことはないですね』
『コジマさんご自身も、そういうご経験は』
『あるわけないじゃないですかぁ。あったら今ここに居ませんよ』
『イリーガルって言葉がありましたけど、実際これ、何か法に触れないんですか?』
『うーん、ドミトリーの外で芸能活動をやったらダメって法律はないですからねえ。それがダメなら男子アイドルも全部ダメってことになっちゃう』
『いや、合法とか違法とかの問題じゃないんですよ。ミリオンを追い出されても自由にアイドルをやれるってことになったら、秩序が乱れるでしょう』
『先生はオータムこそが秩序であると』
『だいたいね、こんなもの、芸能活動と呼べるものじゃありませんよ。お遊戯ですよ、お遊戯』
『わたしはこの子、輝いててステキだと思いますけどねえ』
『おっと、アイドル大先輩から意外なフォローが』
『フォローっていうか。ちょっと、残念だなって思って』
『残念?』
『だって、恋愛さえしなかったら、この子、今でもミリオンにいたわけじゃないですか。可愛いし、歌は上手いし、素質ありますよ。だから、こんな子には道を踏み外してほしくなかったなあ、って』
『もし異性交遊の件がなければ、将来は東海ミリオンを支えるスターになっていたと』
『なんとなく、そんな気がしただけです』
『コジマさんのお墨付きも頂いたということで、今後このチクサちゃんが世間からどう評価されていくか見守りたいですね』
『……はい、次の話題にまいりましょうか。ハンド将棋の世界一を決める大会で不正が行われたというニュースですが……』
リビングの
天使の歌声で舞い踊るチクサの姿も気にはなるが、何十回も見直した動画よりも、ツルマが知りたかったのはチャンネルの登録者数だった。おととい頃から兄も手応えありと言ってはいたが、まさかあんな番組で取り上げられるほどの話題になっていたなんて。
我ながら手ブレの多い動画だなと思いながら、ツルマは画面の端に並んだ数値の列に目を向ける。そして驚愕した。十一月十一日、日曜日、朝九時。チャンネル開設から七日を数える現時点で、「チクサ推し」の登録者数はなんと二百万人以上にまで膨れ上がっていた。
「二百万!?」
木曜日の時点では一千人がやっとだったのに。ツルマは何かの間違いではないかと思ってオムニビジョンの画面を穴があくほど凝視してみたが、所定の位置に表示された数字は、何度見ても七桁に変わりなかった。
「二百万……二百万って」
この国の総人口が確か一億四千万人ほどだったか。単純に考えて、全国民の七十人に一人がチクサの動画を見てくれていることになる。むろん、ネットワークに繋がっているのだから外国からの視聴者もいるに違いないが、それにしてもこの数値は驚異的なものだった。
「なに小躍りしてんだよ」
ツルマが携帯端末を手に、浮き立つ心でチクサへのテキストメッセージを打とうとしていると、ふいに彼の背後から兄の声が飛んできた。
「兄ちゃん、凄いよ。二百万人だって」
「知ってる。でも安心するのは早いぜ。多分その内の半分くらいはアンチだろ」
リビングに入ってきた兄はノートサイズの端末を手にしていた。彼がすっと差し出してきた画面には、二十件を超えるネットジャーナルの記事がクリップしてあった。促されるままにツルマが目を通してみると、その内容は両極端なほどの賛否両論の様相を呈していた。
曰く、「壁外に舞い降りた光の天使・金山チクサ」「現代の奇跡、君は『チクサ推し』を見たか」「可憐なアイドルに鉄槌を下したオータムKSの闇」……。一方では、「恥知らずの素人芸にアイドルファン大激怒」「スプリングが捉えた金山チクサの黒い真実」「素人配信は現代の『免罪符』となるか」……。
賛否両論の「否」にあたるほうは、見ているだけで気分が悪くなるような罵詈雑言の嵐ではあったが、それより何より、チクサの一件がこれほどまでに世間で話題にされていることがツルマには不思議な感じだった。
「兄ちゃん。なんでこんなに話題になってるんだろう」
「そりゃお前、俺のマーケティングが上手いからさ」
兄は冗談のように胸を張ってみせた後、キッチンへ向かいながら、「実際、チクサちゃんの親父さんがいい仕事をしてくれたのが大きいよな」と述べた。
実際、それは当たっているようにツルマにも思えた。チャンネルへのアクセス回数をよく見てみると、チクサの一回目や二回目のライブよりも、チクサの父親が途中で乱入してきた三回目のライブの視聴者数がずば抜けて多かった。それも、肝心のパフォーマンスの部分よりも、観客達がチクサの父親に野次を浴びせ、チクサが「アイドルをやらせてください」と涙ながらに訴えたシーンの注目度のほうが格段に高いのだった。
微妙な気持ちにならざるを得ない事実ではあるが、皮肉にも、父親からの抑圧と、それに挫けないチクサの決意が、無名の配信チャンネルにすぎなかった「チクサ推し」を一躍、ネットワーク上の話題の中心にまで押し上げたらしかった。
「これであのオッサンも名物議員の仲間入りだな」
兄は言い、二人分のマグカップをテーブルに置いた。
「でも、なんで半分がアンチだってわかるんだよ」
「ニュースの記事が半々くらいだからな。新聞社のAIなんか、ネットワークの片っ端から民意を拾ってるだけだから、AIがウケると思って書いた記事が半々ならだいたい世の中の意見も半々ってことになる」
ツルマにはその理屈はよく理解できなかったが、まあ、兄がそう言うならそうなのだろうと思っておくことにした。
「ところで、今日はチクサちゃん出てこれそうか?」
いきなり兄が問うてきたので、ツルマは口をつけたばかりのコーヒーのカップを一旦置いて、携帯端末の画面にちらりと目をやった。そこには、さっきまで書きかけていたチクサへのテキストメッセージが途中で放置されている。
「どうだろ。日曜だし」
これまでの金山家なら、父親が在宅している週末は、チクサは軟禁に近い状態で自宅に閉じ込められていたはずだ。だが、曲がりなりにもチクサのアイドル活動を容認する発言を人前でしてしまった以上、あの議員がどこまでチクサに厳しく当たれるのかは読みきれなかった。
端末を操作し、音声通話の画面を呼び出しながら、ツルマは兄に尋ねる。
「でもなんで? 希少価値を煽るためだっけ、ライブは週三回程度がちょうどいいって兄ちゃん言ってたじゃん」
「今日はライブじゃない。もしチクサちゃんが外出できるなら、ちょっと会いに行きたい人がいるんだ。男だけで行っても警戒されるからな」
そう言って兄は熱いコーヒーを啜った。兄の真意はわからないが、ひとまずツルマは求められたとおりチクサに様子を尋ねてみることにした。音声通話の呼び出しメロディは、いつもより随分長く感じられた。
「はい、チクサです」
応答できない状況なのかもしれないとツルマが諦めかけた頃、ようやくチクサの声が端末の向こうで応えた。その口調は声をひそめているようにも聴こえた。
「あの、急にごめん」
「ツルマくん……わたしこそごめんね、長く待たせちゃって。今、家にお父さん居るから」
やっぱりそうだよな、と思ってツルマは兄の顔色をうかがったが、彼の目が「行け」と言っているふうに見えたので、思い切って言葉を続けた。
「今日、このあと出てこれないかな、って兄ちゃんが」
「お兄さんが? ……ちょっと待ってね、お父さんに聞くだけ聞いてみる」
チクサの言葉が終わるか終わらないかの内に、端末は待機メロディに切り替わった。やっぱ無理じゃないかな、とツルマが小声で兄に述べると、兄は涼しい顔で「行けるだろ」と返してきた。
「聞くだけ聞いてみる、っていうのは、絶対無理だと思ってたら出てこない言葉だぜ」
そして、今回も兄の言葉は正しかった。数分の後、再び端末から声を響かせたチクサは、「怒られちゃったけど、なんとか出られそう」とツルマに少し嬉しそうに告げてきたのだった。
そういえば、配信チャンネルがこれほど注目されている件はもう知っているのだろうか、とツルマは思ったが、半分はアンチだという兄の言葉を思い出し、今すぐにチクサの耳には入れないことにした。そのまま昼前にメトロ駅で待ち合わせる約束だけを交わして、ツルマは通話を終えた。
「それで、兄ちゃん、会いに行く人って?」
「ああ……。ある意味、チクサちゃんの先輩ってとこかな」
「先輩?」
ツルマのオウム返しに頷いて、兄はカップに残っていたコーヒーを飲み干した。そして、軽く腕組みをして語り始める。
「彼女が冤罪をでっち上げられてミリオンを追い出されたんなら、それ以前にも同じような目に遭った犠牲者がいたんじゃないかと考えた。それで、ここ数年の間に東海ミリオンで即日脱退の処分を受けて、冤罪を主張してたケースを当たってみたんだ」
脱退処分は年間数千件とは言うけど、即日脱退の
「そしたら見事にヒットしたぜ。今から五年前、金山チクサと同じ状況で
そこまで喋ってから、兄はネットジャーナルの記事を表示していたノート端末をすいすいと操作した。まだツルマには画面を見せてくれない。画面に映った何かを読み上げるように、兄は告げた。
「脱退時二十一歳。当時の所属は東海ミリオン・チーム7。名前は
「えっ。それって……」
名前を聞かされた瞬間、ツルマの脳裏に一人の女性の笑顔が浮かんだ。忘れるにはあまりに近すぎる記憶だ。今年の九月まで、ツルマは三年間にわたって彼女と頻繁に顔を合わせていたのだ。
ツルマの反応を見てとってか、兄は口元ににやりと笑いを浮かべて続けた。
「ああ。ドミトリー在籍中に中等教員資格を取得、現在の職業は私立サンシャイン・グローリー中学の専任教員。……お前、知ってる先生か?」
くるりと端末の向きを返し、兄が見せてきたその画面には、ツルマがよく知る英語教師が眩しいアイドルスマイルを浮かべて映っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます