第6話 リストラクション

 土日の休みが明け、柏崎かしわざきシバタがいつものように支社長室に出勤すると、それを待っていたかのように卓上端末インターフェースのアラームが鳴り始めた。ビデオ通話の着信を告げる画面に目をやり、その発信元を知った瞬間、柏崎は慌てて居住まいを正し、大柄な体躯をデスクの前のスマートチェアに押し込めて背筋を伸ばした。

「お早うございます、総裁プレジデント

「お早う、柏崎君。きみは相変わらずガタイが良いな」

 画面の中に現れたのは、この北陸支社で二千人の従業員を束ねる柏崎から見ても遥か雲の上の人物。我が国で唯一最大の自動車メーカーであるTHNグループの全社を支配する名君、豊田とよだ総裁にほかならなかった。勤続二十五年になる柏崎だが、総裁と一対一で言葉を交わしたことなど片手で数えられるほどしかない。

「もし誰かいるなら人払いしたまえ。今日は重大な要件がある」

 総裁の言葉に柏崎は背筋の凍る思いがした。文化に通じた紳士と名高い豊田総裁だが、会社の重要な決定を伝える際の彼は地獄の閻魔よりも恐ろしいと有名だ。

「いえ、私一人であります」

「では単刀直入に行こう。昨日の重役会議で、我が社は北陸から手を引くことが決まった。北陸支社はきっかり一年後に閉鎖になる」

「閉鎖……ですか」

 総裁から直々の着信を受けた時点で嫌な予感のしていたことではあったが、いざ厳格な口調でその宣告を下されると、柏崎は目の前が真っ白になるような思いがした。

「ショックなのはわかる。だが先に言っておくが、柏崎君、きみが己を責めることはない。我々はきみの手腕には何の問題もなかったと結論している。この十年、経済の死にかけた新潟の街で、きみは本当によくやってくれた」

「はっ。き……恐縮であります」

 画面越しに総裁の鋭い眼光を向けられると、ラグビーで鍛えた自慢の筋肉までもが縮み上がる思いがした。

「そんなきみに重要な仕事がある。本社のAIは既に、北陸支社の人員の半数を退職勧奨の候補者としてリストアップ済みだ。古い言葉で言えばリストラだな。だが、機械には所詮、人情の機微の大事なところは読めん。AIが挙げた千人のリストラ候補者の中から、肩を叩くべきではない社員をきみが選んで残すのだ」

「は、はっ……!」

「リストは後ほど送る。質問はあるかね」

 総裁の口調はあくまで紳士的だったが、その指示には有無を言わせぬ勢いがあった。総裁の存在感を最初に閻魔に喩えた者はレトリックの天才だと柏崎は思う。

 そんな総裁から下されたあまりの命令の内容に、柏崎は当惑と絶望を隠せなかったが、それでも企業人として冷静に頭を働かせ、いま質問しておくべきことを必死に喉から絞り出した。

「本社では、何人までのリストラ取りやめを認めてくださるのでしょうか」

「五十人が限度だろうな。つまり九百五十人は辞めてもらうことになる」

 九百五十人。数字で言うのは簡単だが、それは柏崎には巨大なハンマーで頭を殴打されたような衝撃だった。それだけの従業員の裏には、その何倍もの人間の生活がある。総裁はそれをすべて承知の上で、最低九百五十人の仲間の首を飛ばせと言っているのだ。

 到底、納得はできない。反論したところでどうにもならないと判ってはいても。

「……もう一つ、お尋ねしてよろしいでしょうか」

「何かね?」

 雇われの身である柏崎に許されるのは、会社の真意をただ尋ねることだけだ。

「なぜ、このタイミングで北陸から撤退なのですか。新潟このまちの大火災から十年、一度は散った人口も再び戻り、経済もようやく安定を見せ始めたこの街から、なぜ今……!」

「柏崎君。この国の経済は所詮、アイドル抜きには回らんのだよ」

 総裁は穏やかに諭すような口調で柏崎に言った。その鋭い目には、どこか、諦観が混ざっているように見えた。

「アイドルは、いつか戻ってくるのでは」

 柏崎が問い返すと、総裁は小さく首を横に振った。

「北陸ミリオンの報道発表プレスリリースはまだ見ていないか。新潟ドミトリーの再建に向け、『オータム』が金沢のアイドルと新潟の国立大学の共同作業コラボレーションを立ち上げるという話は」

「はっ、不勉強で申し訳ございません。しかし、それでしたら、新潟の再興にもいっそう希望が見えてきたということにはなりませんか」

「たった二人なんだよ、柏崎君」

 総裁は二本の指を立て、二人、という数を強調してみせた。

「『オータム』がその企画に送り込んだアイドルは、僅か二人だ。それも人気投票の上位にかすりもしない若手アイドルが二人。この意味がわかるかね」

「……『オータム』は本気ではない、と」

「残念だが、それが本社AIと重役会の結論だ。『オータム』は若手アイドルを利用した茶番で少しだけ大衆を沸かせたいだけで、新潟の再興に本気で取り組む気はないと我々は見ている」

「……この街に、アイドルは戻ってこない……。だから自動車産業も撤退すると仰るのですか」

「我々の産業に限った話ではない。この国の経済のすべてを支配しているのは『オータム』であり、ドミトリーであり、アイドルだよ。アイドルの居ない街に商売のタネはない。我が社のAIは十年前のあの日から、北陸支社の閉鎖を重役会に提言してきていたのだ。それを私が今日まで押さえ込んできたのだよ」

 総裁の言葉は嘘ではないと柏崎は直感していた。いや、それが本当であろうと嘘であろうと、会社が出した結論に変わりはない。それでもフォローを欠かさない会話の運びこそ、豊田総裁が名君と呼ばれる所以なのだろうと柏崎は思った。

「閉鎖に伴う諸々が終わったら、きみも中京こっちに戻って長期の休暇でも取るといい。ゆっくり心身を休めてもらった後は、本社でそれなりのポストも用意しよう。……だから、辛い仕事だが、心を鬼にして頑張ってくれ」

「……かしこまりました」

 最後はそう言って頭を下げる以外、彼に選択肢などなかった。


 柏崎が北陸支社長のポストに任じられたのは、十年前のあの大火災で妻子を失った後のことだった。会社は彼に多額の見舞金と、提携医療機関による充実した心理療養、そしてやり甲斐のある仕事を与えてくれた。最愛の家族を失った彼にとって、北陸支社でともに働く仲間こそが新たな家族だった。

 柏崎がしばらく支社長室のデスクで頭を抱え、絶望の淵に沈んでいると、ふいにドアをノックする音が聴こえた。彼は慌てて平静を取り繕い、その者を招き入れた。何度も一緒に飲みに行ったことのある男性部下が、柏崎の承認が必要な書類ドキュメントをノート型端末に携えてきていた。

「どうしたんですか、支社長ボス。顔色がすぐれないように見えますけど」

 自分と同じ体育会系のくせして珍しく、部下は彼の体調を慮るような発言をしてきた。柏崎は「なんでもない」と否定してから、動揺なり絶望なりが面に出ていたことを内心で恥じた。

「きみのところは男の子が一人だったな。どうだ、大学には行かせてやれそうか」

「やだなあ、ボス。息子はまだ小学校に上がったばかりですよ。……でも、ウチは女の子アイドルには恵まれませんでしたけど、自分が良い会社に勤めさせてもらってるおかげで、なんとか学費は貯められそうです」

 最後に快活な笑いを見せて、「お疲れの出ませんように」と折り目正しい挨拶をし、部下は支社長室を後にしていった。

 その男がボーナスのたびに浪費もせず、息子の学資を積み立てていることを、柏崎はこれまでに何度も聞いて知っていた。いかな優良企業に勤めていようと、我が国で女子に恵まれなかった親が息子を大学にやるのは並大抵の苦労ではない。

 そんな彼に向かって柏崎が言えるはずがなかった。お前がリストラの候補に入っているなどとは。

 彼だけではない。柏崎が馘首せねばならない九百五十人の従業員には、皆それぞれの家族があり生活があるのだ。

 柏崎が今日まで信じて仕えてきた主君――我が国を代表する巨大企業は今、容赦なく彼らとその家族を人生のレールから叩き落とし、路頭に迷わせようとしている。

 なぜ彼らがそんな目に遭わなければならないのか。この街からアイドルが居なくなったというだけで……!


 ――あの災害はまた、自分から大切なものを奪うのか。

 図体ばかりが無駄にでかく、三十路になるまで女に相手にされなかった自分を、それでも選んでくれた妻。肩車をしてやると無邪気に喜んだ幼い娘。そんなささやかな幸せを、あの大火災が奪った。出張で新潟を離れていた柏崎が火災の後で目にしたのは、骨も残らぬほど焼き尽くされた妻と娘の残骸だった。

 また奪うのか。この街は、自分から大切な家族を。


 気付けば柏崎はオフィスタワーを離れ、拠点都市ディザイネイテッド・シティの外れの高層歩道のふちに立っていた。

 冷たい秋の風が彼の武骨な顔面を刺す。手すりから身を乗り出して覗き込んだ先は真っ白な路面だった。無人自動車が行き交う高層道路。我が国の地上交通のすべてを手中に収める、柏崎の主君は、これからも全国の工場で無数に自動車を生産し続ける。だが、彼が第二の家族と思って付き合ってきた仲間の半数は、その王国から無慈悲に追い出され、苦しい暮らしを強いられることになる。

 こんな世界に生きていても仕方がない、と彼は思った。

 この手すりを乗り越えれば楽になれる。

 一日たりとも夢に見なかった日はない妻子の笑顔が、ふと彼の脳裏に浮かんで消えた。

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