第7話 街角配信
「全国のアイドルLOVERのみなさん、こんにちはー。里に羽ばたく太陽の翼。北陸の
「北陸のダンシングスワロー改め、故郷に舞い戻った渡り鳥。新潟出身の
海沿いの冷たい風が二人の髪をばたばたと煽る。ツバメは今、新潟
アイドルの権利であり義務でもある「オータム」の公式動画配信。二人の笑顔は全国のファンに向けてリアルタイムで配信され、同時に公式チューブのストレージにも蓄積されて全世界の人間がいつでも視聴できる状態に置かれる。アイドルの日常の一部であるこの配信を使って、自分達が新潟に来ていることと、そしてこの街の魅力をファンにアピールしていこうというのは、出立の前からヒバリが喜々としてツバメに提案してきていたアイデアだった。
ちなみに、渡り鳥がうんぬんという期間限定の決まり文句もヒバリが考案してツバメにお仕着せしてきたものであるし、元を辿れば「北陸のダンシングスワロー」なるキャッチフレーズの命名者も十三歳の時分のヒバリその人であった。ヒバリにしてはそれなりにいいセンスで付けてくれたので、ツバメ自身も三年間愛用しているのだ。
「昨日の配信でお知らせしたように、わたしとスワちゃんの二人は今、被災都市新潟でアイドル再興プロジェクトに取り組んでます。わたし達のアイドルパワーで新潟をもう一度、ミリオンの輝く街にするぞー、おー」
「おー」
ヒバリのノリノリの腕振りに合わせ、ツバメも片手を天に突き上げた。今回のプロジェクトが決まるずっと以前から、チーム内でのツバメとヒバリの関係はいつしかこうした構図で固定されてしまっている。もっとも、それはツバメにとっても不愉快なことではなかった。お花畑な一人がもう一人を巻き込んで連れ回すという構図は、どうやらファンにも個性の分かりやすい二人組として受けているようだった。
「はい、そーゆーわけで、新潟といえばまずこちら! 視界いっぱいに広がる美しい日本海の景色だよね。金沢でも日本海は見えますけど、やっぱり新潟からの眺めは格別だもんね! どう格別なのかは出身者のスワちゃんからー」
「えっ、ちょっと、無茶振り!」
ツバメは慌ててヒバリに取りすがる。本気半分、演技半分で。芸能アイドルを三年もやっていると、このタイミングで画面の向こうのファンの人達が笑ってくれてるのだろうな、などと計算できてしまう自分がなんだかイヤらしい。
「えー……新潟の海は、雪が綺麗に見えるんですよ」
「スワちゃんー、金沢にも雪は降るよー」
「金沢の雪は、街まで届く前に送風除雪で遮られちゃいますよね。でも皆さん、知ってますか。新潟の街は、透明な遮雪フィルター一枚隔てたすぐ近くにまで、雪を自然のまま降らせてるんです」
ヒバリの急な無茶振りに応え、ツバメは必死で冬の新潟の景観について自分の知っている知識を引っ張り出してきた。日本海の見え方の説明にはなっていないだろうが、まあ、アイドルのトークなんて少し外したくらいがちょうどいいのだ。
「はいはいっ、スワちゃんから素敵な説明があったところで、ここで今見てくれてるファンの方のコメントを確認してみましょー」
ナナオが持つ撮影用端末とは別の専用端末をヒバリが取り出し、画面表示に目を落とす。ツバメも一緒にそれを覗き込んだ。配信開始から数分で、リアルタイム視聴者数は一万人ほど、コメント投稿数は五百件ほどになっていた。これは決して多い数字ではない。動画配信をファン獲得の「主戦場」としている四十万ヒバリが、普段の配信で当たり前に稼いでいる程度の数値でしかなかった。
「『ひばスワコンビ可愛いー』……ありがとっ! 『二人は雪の季節までそっちにいるの』……そうだねー、もっと長くいると思うよ!」
ヒバリが目についたコメントを読み上げ、慣れた調子で返事を返していく。横で見ていたツバメは、その時ちょうど投稿された一件のコメントを見て息を呑んだ。「なんでもっとマシなメンバーで行かないの」――。
次々と新しいコメントが追加されていく情報の奔流の中で、ヒバリはそのコメントに気付かなかったのか、気付いても取り上げずスルーしたようだった。だが、ヒバリが尚もファンと明るいやりとりを繰り広げている隣で、ツバメは楽しさに水を差された気分で笑顔を凍りつかせていることしかできなかった。
見れば、否定的なコメントを投稿する者は一人だけではないようだった。「北陸ミリオン自体が既に死んだコンテンツ」「不人気アイドル二人で何ができる」と、二人をまとめて見下すコメントもあれば、「ひばりんならもっと上と組めるはず」「お荷物スワローはいつ切り捨てるんですか」などと二人の人気の差を如実に見せつけられるコメントもある。
芸能活動は常にアンチとの戦いだ。公式動画配信にさえ批判意見が紛れ込むことは決して珍しくはない。いちいち気にしていては芸能人などやっていられないと、ツバメもわかってはいるのだが……。
「あのねえ。さすがに見てられないんで一応言っておくけどー」
と、そこでヒバリが画面に向かって声を上げてくれた。
「わたしのペアはスワちゃん以外ありえませんからー。わたしだけ推してスワちゃんは推さないなんて人、わたしのファンじゃないからね!」
ナナオの撮影用端末に向かってヒバリはべっと舌を出してみせた。器用なことに、アカンベーの最中にも目は笑ったままだ。
「とゆーところで、そろそろお時間です。明日も新潟の街角からお送りするねっ! 北陸のスカイラーク、ひばりんと」
「故郷に戻った渡り鳥、糸井ツバメでした」
最後は平常心でスマイルを取り戻し、ヒバリの決めてくれた新しいキャッチフレーズを忘れずに言えたツバメだった。
「ツバメちゃん、大丈夫? どんな人気アイドル相手でもアンチは言いたいこと言うんだから、真に受けてたら持たないわよ」
配信を終えたあと、ナナオは目を細めて優しくツバメを励ましてくれた。その隣でヒバリもなぜか胸を張る。
「そうだよ、スワちゃん。わたしなんて毎日スワちゃんの何倍ものアンチさんと戦ってるんだからね」
ツバメは二人に向かって「うん」と控えめに頷いた。
今さら、不人気をアンチに指摘されたくらいで悔しいわけではなかった。それよりもツバメの胸を締め付けてきたのは、自分が故郷の再興の役に立てないのではないかという無力感だった。せっかくヒバリとペアになり、天才少年のミズホも仲間に加わってくれたのに……。
「まだ始まったばかりだよ、スワちゃん」
ヒバリがそっとツバメの肩に手を乗せてくれた。
やっぱり、この子はずるいのだ。普段はお花畑のようなふわふわしたキャラをしているくせに、ここぞというところで一人前にわたしを励ましてくるのだから。
「うん……。わたし、もっと頑張る」
喉元に熱くこみ上げてくるものを押さえながら、ツバメはヒバリと、その肩の向こうに立つナナオに微笑みを返した。
「ふぅ。回らないねー、再生数」
「でも、ひばりんの動画の再生数、
ツバメはコーンスープの容器の熱を両手に感じながら答えた。後ろから「ヒバリちゃんはそれじゃ物足りないのよね」とナナオの声が降る。あくまで仕事中だからなのか、ナナオは二人のように飲食に興じることもなく、ベンチの後ろで立っているだけだった。
「そう、物足りないよ、ぜーんぜん。わたしの目標は北陸のトップじゃなくて、北陸ミリオン自体をこの国のトップグループにすることだもん」
「まだ始まったばかり、なんでしょ」
先程ヒバリが使ったばかりの言葉を引用して、ツバメは彼女に励ましの一言を返した。
「そうだけどぉ。……ねぇスワちゃん、わたしも異性交遊でミリオン追い出されてみよっかなあ」
「わたしの憧れの人をネタにしないで」
ツバメはふわりとしたヒバリの頭にこつんと手刀で突っ込みを入れたが、もちろん本気で怒ったわけではなかった。
「ごめんごめん。それは冗談だけど、でも、何か大きな切っ掛けがなければブレイクスルーなんて起こらないよ」
ヒバリが名残惜しそうに携帯端末の画面から目を離し、冷たそうなクリームをもぐもぐさせながら口を尖らせる。北陸ミリオン内で相当な人気を誇りながら、全国的には無名の壁を破れずにいるヒバリの口からそう言われると、妙な説得力があった。
どうすればいいのだろう、とツバメも思う。新潟再興プロジェクトの公式告知も既にされているのに、自分達の動向がファンにそれほど注目されていないのは単純にショックだった。あの人……金山チクサも、無名時代はこんな気持ちだったのだろうか。
「ねぇナナオさん。チクサさんだって元々はそんなに知名度高くなかったんでしょ?」
ツバメが尋ねると、ナナオは口元に指を当てて考え込む仕草をみせた。
「どうだったかしらね。わたしは、伝説になってからのあの人しか知らないから……」
ナナオは金山チクサの五歳ほど年下のはずだった。つまり、グループが違うとはいえ、彼女はあの伝説のアイドルと同時期に芸能界で人気を競ったことがあるはずなのだが……。
「わたしが北陸ミリオンに入ったときには、もうあの人は東海のスターになってたもの。確か、復帰の翌年に出演したSFドラマが大ヒットしてね」
「あ、『
ツバメもそのドラマのことは知っていた。「オータム」の庇護下で小学校に上がり、あの日に出会った
「わたしも知ってるよー。子供のころストレージで見てたもん」
ヒバリがソフトクリームを片手に持ったまま、「アストロナイトボーグ、ライズアップ!」と役柄の声真似をしてみせた。
人気脚本家として知られる
「でもスワちゃん、やっぱり、アイドルが注目集めるならライブするしかないよ。ドミトリーの跡地で
マイクに見立てたソフトクリームに両手を添え、ヒバリが今度は歌う真似をする。そのアイデア自体は魅力的だとツバメも思ったが、同時に、なんだかそういう次元の話ではないような気もしていた。
このプロジェクトの目標は都市自体の再興であって、そのために大学とのコラボレーションもあるのではなかったか。自分達がアイドルとして注目を集めるのも大事だが、それよりもっと大きな視点で物事を考えなければならないのではないか……?
と、ツバメが頭の中でぐるぐると考えを巡らせていると、ナナオが出し抜けに、とんとんと彼女の肩を指でつついてきた。
「あの人、なんだか様子が変じゃない」
ナナオが顔を向けている先には、高層歩道の手すりから身を乗り出し、高架の下を覗き込んでいる大柄な男性の姿があった。確かに、あれではまるでドラマに出てくる自殺志願者のようだ――とツバメが思った瞬間、べちゃり、と歩道の路面にソフトクリームが落下して潰れていた。
「えっ、ひばりん!?」
ツバメの眼前でヒバリの背中が駆け出していた。「おじさーん!」と絹を裂くような声を挙げて、ヒバリは件の男性のもとへと駆け寄っていく。ツバメはそれを数秒ほど呆然と見ていることしかできなかったが、我に返るとすぐにナナオと顔を見合わせ、小走りでヒバリの後を追った。
「おじさん! 死んじゃだめ!」
ヒバリが劇場での歌唱よりも大きな声で男性に呼びかける。手すりに身を預けていた男性が、驚いたような顔をしてこちらへ振り向くのがツバメにも見えた。
やっとツバメとナナオが追いついた時には、ヒバリは既にその大柄な男性の服の裾を引っ張り、だめ、だめ、と言葉にならない言葉を繰り返していた。
「き、君達は……?」
男性が初めて声を発した。彼の年齢はツバメ達の世代の親ほどだろうか。筋骨隆々の立派な体格をしていたが、なぜかその身体は、本来宿っているべきエネルギッシュさを欠いているかのようにツバメには見えた。
「死んじゃだめですよ、おじさん!」
素性も知らないその男性の服の裾を掴んだまま、ヒバリはなぜか涙声になって必死に訴えていた。早とちりが過ぎるのではないかとツバメは思わないでもなかったが、そういうところも四十万ヒバリの四十万ヒバリたる所以なのだった。
「いや、自分は別に、死のうとしていたわけでは……」
男性が手すりから手を離し、体勢を立て直す。そっと裾を離したヒバリ、そしてその側に立つツバメとナナオに向かって、男性は訝しげな目をじっと向けてから、ぼそりと口を開いた。
「君達なのか。新潟を救いに来たアイドルっていうのは」
そのくたびれた瞳には、九十九パーセントの絶望と一パーセントの希望が宿っているように見えた。
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