第12話 プロジェクト・トキ

 金沢ドミトリーの定例握手会で起きた傷害事件のニュースは、その日の内にミズホの目と耳にも入ってきた。きっとそんな事情だろうと思ってはいたが、糸井いといツバメがあんなにも鬼気迫る涙声で自分にTHN北陸支社の撤退を止めてと言ってきた理由も、事件のあらましを見れば自然と理解できた。

 ミズホは卓上端末インターフェースから顔を上げ、一人きりの研究室で窓の外の景色に目をやった。高層都市を縦横無尽に走る幹線道路。この国の社会制度ソフトウェアを支えるのがアイドルならば、物理基盤ハードウェアを支えるのは自動車産業にほかならない。

 ミズホとしても、この新潟再興プロジェクトにTHNグループを巻き込むことに異論はなかった。それはツバメの願いを通話越しに聴く前から考えていたことではあったのだ。

 インターフェースの片隅に映し出されたTHNの国際株価は、新潟支社閉鎖の情報漏洩による大暴落と、「オータム」の常軌を逸した大量買いによる急回復を経て、混乱を引きずりながらも均衡状態に戻りつつあった。だが、この数日間、THNの株価変動に伴って揺れ動いた銘柄の数は計り知れない。これほどの影響力を持つ巨大企業が北陸から撤退するとなれば、地域経済に与えるダメージは今回の変動程度では済まないだろう。

 アイドル達のプロジェクトはひとまず新潟ドミトリーを再建すれば終わるのだろうが、ミズホの使命はそれで終わりではない。都市防災学部・三条ラボの当面の存在意義の一つは、この新潟の地を世界に冠たる防災都市として打上げローンチすることだ。そのためには、ミズホ達が見通すべきはドミトリーの再建だけではなく、その先に待つ地域経済の活性化だった。

 THNグループをこの地に繋ぎ止められるか、それとも黙って見送ってしまうのかで、今後数十年にわたる北陸の経済は大きく変わるといってもいい。ミズホはあの馬鹿で下品な重役オヤジどもが居並ぶ車屋に何ら思い入れがあるわけではなかったが、自分の関わるプロジェクトで未来の北陸の趨勢までも左右できるというのなら、本気にならない理由はなかった。

 一つの地方の経済さえも揺るがすほどの計画には、きっとあの父でも携わったことがないだろう。


「ミズホくん、いるー?」

 ふと扉の外から黄色い声が聴こえた。アイドル達がもう握手会を終えて新潟こちらに帰ってきたらしい。いや、あんな事件があったくらいだ、握手会は途中で中止になったのかもしれなかった。

「どうぞ」

 ミズホが返事をすると、外からの操作でドアが開き、四十万しじまヒバリが無駄にステップを弾ませながら部屋に足を踏み入れてきた。糸井ツバメ、和倉ナナオがその後に続く。

「あ、わたし達のこと見てくれてたんだ」

 ヒバリがインターフェースの画面を指差して言った。ミズホが情報収集のためにいくつも開いていたウィンドウの一つには、確かに北陸ミリオン・チーム15のコンサート風景の静止画が映し出されていた。

 ニマニマと変な笑みを浮かべているヒバリを、こっちは元気そうだからととりあえず放っておき、ミズホはツバメに目をやった。ツバメの表情はミズホの思ったほどには沈んではいなかった。

「大変だったらしいね」

「ごめんね、ミズホくん。いきなり取り乱しちゃって」

 ツバメがまっすぐに彼を見て言ってきたところで、ヒバリがツバメの肩に腕を回してまとわりついていた。ナナオは入室時に会釈をしたきり、彼女らとミズホの様子をただ見守っている。

「別にいいよ。アイデア自体は悪くない」

 二人に向かって答えてから、ミズホはインターフェースのAIにドリンクサーバーの稼働を命じた。同い年の二人だけならともかく、ナナオも居るならコーヒーの一つも出すのが礼儀だろう。

 飲み物が入るまでの間に少しでも話を進めようかと思って、ミズホは改めてインターフェースの画面に向き直り、視線誘導で目当てのウインドウをトップ表示させた。

「THNとの事業連携を組み込んだシェルタードミトリーのプラン。見る?」

 彼がさらりと言うと、ヒバリが真っ先に「もう出来たの!?」と甲高い声を上げてくる。そろそろ彼女の反応のパターンは読めるようになってきた。ツバメはといえば、驚いた顔で目を見張り、興味津々といった風情で画面を覗き込んできた。正直こちらも予想通りだった。

 むしろ想定外の動きといえば、ナナオが率先してドリンクサーバーに向かい、出来上がったカップを皆に配膳しようとしてくれたことだ。

「あ、僕がやりますよ」

「いいのいいの。こういうのは裏方の仕事よ」

 ナナオは目を細めて微笑み、ミズホの前にコーヒーのカップを置いてくれた。礼を尽くそうとしたのに逆に先を越されて調子が狂う。どうも彼女には色々と敵いそうになかった。

 ツバメとヒバリの視線が注がれるなか、ミズホは気を取り直してインターフェースを操作した。AIに描かせていた簡易的な3Dオブジェクトが画面に浮かび上がる。これはツバメの通話ラインを受けて一から作ったのではなく、昨日の内から着手していた青写真に、THNとの連携要素を組み込んでカスタマイズしたものにすぎない。

「これが新生・新潟ドミトリーの概観図。都市機能の規模は撤退前と同水準だけど、この下の大深度地下には耐震シェルターを兼ねた巨大劇場が広がっている。これは普段からアイドルのライブ会場として使えるのに加えて、有事の際には新潟シティの全人口を収容する避難所になる」

 それは正直、予算を度外視した机上の空論ではあったが、まあプロジェクトの背後には天下の「オータム」が付いているのだし、AIにプランを描かせるだけなら無料タダだ。

「えっ、ほんとにドミトリーがシェルターになっちゃうの!?」

「すごい。なんだかワクワクするね」

 二人の驚嘆の声は適度にミズホの自尊心をくすぐってくれたが、この程度で驚かれては困る。自分の中に湧き上がるかすかな高揚感を自覚しながら、ミズホはAIに次の描写を指示した。

 画面の表示がズームアウトし、新潟ドミトリーの地下から東、西、南の各方角へと伸びる大深度地下高速鉄道リニアエクスプレスの路線図が表示される。これは現在の新潟拠点都市ディザイネイテッド・シティにも現実に繋がっている路線だ。だが、ミズホのプランはここからが本番だった。

 鉄道リニア用の大深度地下トンネルの断面がインターフェースに大写しにされ、上下二層からなるトンネルの中身が明らかになる。下層にはリニアが走る超電導線路、そして上層は無人自動車がリニアと同程度の速度で行き交うための専用道路だ。

「ここにアイドル劇場直結の超電導自動車リニアビークルを走らせる。観客は自由にこれに乗り、各都市の劇場間を短時間で移動できる」

「まってまって、リニアビークルってなに?」

 ヒバリが質問を挟んできた。その単語を彼女らが知らないことはミズホの想定内だった。それにしても、普段はアホの子のふりをしているが、ちゃんと分からないことは分からないと言ってくる――。案外、四十万ヒバリというのは見た目よりも賢い少女なのかもしれない、とミズホは思った。

「名前の通り、リニア鉄道と同じ原理で走るクルマだよ。THNグループが以前から技術研究を進めてたけど、実用に耐えうる環境がないことで事業化は凍結されっぱなしだ。ただ、需要さえ満たせればいつでも大量生産に踏み切れるだけの準備をTHNは進めているはず」

 画面がさらにズームアウトし、国内全土の地図に切り替わった。各都市の劇場へ新潟ドミトリーから直結する幾十本もの専用道路。そのライン上を高速で移動する光点は、観客や出演者アイドルが劇場間を自在に移動できることを簡潔に表現している。

「この交通システムなら、新潟ドミトリーからの所要時間は、北海ミリオンの札幌ドミトリーまで約八十分、九州ミリオンの鹿児島ドミトリーまでなら約百二十分。……『オータム』が本当に無尽蔵に資金を出してくれるのなら、沖縄までだって理論上は道を繋げる」

 最後の部分は笑いどころのつもりで言ったのだったが、ツバメとヒバリはひたすらに息を呑んで画面に見入っているばかりだった。それならそれでいいか、と思い、ミズホはシミュレーションを続けることにする。

「いま、仮に中京第二首都セカンド・キャピタルで直下型の大地震が予測されたとして……」

 画面上で、中京の位置に赤い光点が瞬き、ぐらぐらと地面が揺れる演出が入った。

「中京では当然、複数ある地下シェルターへの分散避難が行われる。だが、人々は望むならこの直通ロードで新潟シティに避難することもできる。所要時間はわずか四十分。逆に、それだけの時間があれば、新潟常駐のアイドルは余裕で臨時ライブの準備を進めることができる」

 正直その部分だけは当てずっぽうだったが、ヒバリもツバメも神妙な顔で「うん」と頷いてきたので、どうやら本当に四十分でライブのスタンバイは可能らしい、とミズホは納得した。

「逆に、新潟で直下型地震が起きた場合……」

 今度は地震の発生を示す光点は新潟の位置に現れた。地下シェルターの稼働シミュレーションが画面に表示され、数十万人の市民が避難を完了したシェルター内で、臨時ライブを繰り広げるアイドル達のイメージ映像が映し出される。

「人々は安全な地下劇場で君達のライブを楽しめばいい。新潟から直通ロードで他の都市へ逃げ出すこともできるけど――」

「そんなことさせないもん」

 ヒバリが笑って噛み付いてきた。隣でツバメもこくりと頷く。ミズホはふっと笑って、AIに最後のシミュレーションを指示した。

 画面上で、新潟シティの地上都市が一斉に炎に包まれる。だが、幾重にも張り巡らされた防火性ファイアプルーフを誇る巨大地下シェルターには、ごく僅かな火の手すら入り込む隙はない。

「地下シェルターを満たす空気は、地上じゃなく海中から取り込む」

「そんなのできるの?」

「海水から酸素を取り出すなんて数百年前の技術だよ。海に面した新潟だからこそ使える手だけど」

 もちろん、直接的にシェルター内部と海が繋がっているわけでもないので、炎にかわって海水がシェルター内に溢れ出してしまうなどという事故も起きようがない。

 予算や工期は別として、シミュレーションとしては完璧なプランだとミズホは自負していた。この構想が実現した暁には、平時には大規模な芸能イベントの拠点として全国のアイドルファンを呼び込み、有事には避難先でアイドルの歓待を受けることのできる防災の要所として、新潟は全く新しい街に生まれ変わることができる。

「こんなシェルターは、この国の中心に近い位置にあって、かつ海に面した新潟でなければ作れない。この条件だけなら中京に作る方が余程良さそうだけど、新潟の何倍もの人口を抱えるあの街では、さすがに全市民を一度に収容する地下劇場なんて無理だ。……つまり」

 ミズホがそこで言葉を一瞬切り、インターフェースから振り向いて女性陣を見渡すと、ツバメもヒバリも、そしてナナオさえもが、彼の説明に胸を躍らせて、次の一言を心待ちにしているように見えた。正直、ミズホ自身にもこのプレゼンテーションは快感だった。

「これは、新潟このまちでなければ成し得ない計画なんだ。言うなれば――『防災娯楽都市』」

 今日思いついたばかりの造語を使って、ミズホはこの世界初の都市構想の特色を三人に向かってアピールした。

「この構想を現実のものにするカギは、国内各都市のアイドル組織との連携と、THNが全国の工場で生産する膨大な台数のリニアビークル。そして――」

「わたし達の不屈のアイドル魂! でしょっ?」

 肝心なところでヒバリがミズホの台詞に割って入ってきた。だが、言わんとするところはミズホも同じだったので、黙って彼女に頷いておく。

「プロジェクト名を付けよう」

 ツバメとヒバリのきらきらした目を順に見てミズホは言った。痺れるプロジェクトには、痺れる名前を付けなければ始まらない。

「君達のアイデアがあったからこそ、このプランは生まれた。だから、名前は君達が付けたらいい」

 ミズホが言うと、二人はしばし神妙な顔つきで黙りこくった。四十万ヒバリが変な英語を言ってこようものなら即座に突っ込みを入れようと思っていたのだが、少し意外だったのは、そのヒバリがツバメの顔をそっと見て「スワちゃん」と優しい声で促したことだった。

 澄んだ瞳で彼を見て、糸井ツバメが口を開く。

「……名前は、トキ」

「トキ?」

 ミズホは思わずオウム返しをしてしまった。ツバメが口元に柔らかな笑みを浮かべて、明るく言葉を紡ぐ。

「うん、佐渡の朱鷺トキ。プロジェクト・トキがいい」

「……復活と飛躍の象徴、ってことか」

 ミズホはインターフェースに振り返り、AIにその単語の検索を命じた。佐渡のトキ――。「Nipponiaニッポニア nipponニッポン」の学名を与えられたその鳥は、数世紀前に国産種の絶滅が確認されたが、中国産の個体による繁殖を経て、二十二世紀には多能性幹細胞アイピーエス技術の発展により見事この地上に復活を果たしていた。白い翼を広げて羽ばたくその姿は、新潟の象徴、ひいては震災頻発期の窮状から立ち直った我が国の象徴ともいわれる。

 失われかけた新潟のアイドルの輝きを取り戻すプロジェクトには、この上なく相応しい名前に思えた。

「いいね。いい名前だ」

 素直にそう言えるようになった自分をミズホ自身も意外に思っていた。ツバメが顔を赤くし、ヒバリが横から彼女の手を握って嬉しそうにしている。

「トキ……。新潟直通ロードを擁する計画にはぴったりの名前ね」

 そう評したのはナナオだった。彼女は携帯端末で何かを見ていたようだったが、ふと思いついたように、ミズホのインターフェースに端末から情報を送ってきた。

 ネットワーク上の百万科事典ミリオンペディアの画面がミズホのインターフェースに表示される。そこに載っていたのは、遥か昔の時代の鉄道駅、そしてその路線上に停車している白地にピンクの旧鉄道しんかんせんの写真だった。

「『Maxマックスとき』。二十一世紀の東京と新潟を結んでいた直通電車ですって」

「そんな昔に電車があったの!?」

 ヒバリがかなりズレた驚き方をしている。その隣で、親友にやや呆れたような目線を送りながら、ツバメがふと「……変な名前」と呟いた。

「君が言うんだ」

 ミズホの突っ込みで部屋は明るい笑いに包まれた。アイドル二人の弾んだ笑みを見ていると、ミズホも自然に口元が緩んだ。

 いいプロジェクトになりそうだった。いや、自分の力で必ずこの計画を成功に導くのだ。


「わたし達、街に出て動画配信するけど、ミズホくんも出演る?」

「男が映ったらいけない決まりだろ」

 ツバメ達が笑顔で部屋を辞した後、ミズホはインターフェースにごく簡単なパラメータを与え、今回の防災都市計画が向こう十数年間でこの国にもたらす経済価値を計算してみた。

 AIはものの数秒で彼の満足する答えを出してくれた。「オータム」とTHNグループ、そしてそれに付随する多くの事業体を巻き込んで、このプランは北陸地方のみならず全国の経済を大いに潤すだろう。

 ただひとつ懸念があるとすれば、THNがすんなり計画に協力してくれるかどうかだった。

 ――クチバシの黄色い学生が一人と、無名アイドル二人で何ができる。栄クリスや金山チクサでも連れてこられるならともかく――。

 先日の遠隔会議の席で、THNの重役の一人が述べた言葉がミズホの脳裏によみがえる。

 学生と無名アイドルが主導する計画に彼らは乗ってくれるだろうか。そればかりは、己の優秀な頭脳や目の前の高性能AIをもってしても読み切れない。

「金山チクサでも連れてこられるなら……か」

 場合によっては最後の切り札カードを切らねばならないのだろうか。叔母スターの七光から逃げてこの街に辿り着いた自分が、最後の最後で、結局はその力に頼らなければならないのだろうか。

「金山チクサ。ミリオンを一度はパージされながらも、奇跡の復活を遂げた伝説のアイドル……」

 ミズホはほんの遊び心から、防災都市計画の経済価値を示す数字の隣に、もうひとつ別のシミュレーションを走らせてみた。もし、十六年前、彼女がミリオンに復帰していなかったら――?

 AIは今度も容易く答えをはじいてくれた。金山チクサがアイドルに復帰した場合と、しなかった場合の、その後の十数年間にわたるそれぞれの経済効果を。

 そこに表示された数値を見て、ミズホは溜息をついた。

「……やっぱり、父さんには敵わないか」

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