第11話 定例握手会
『開場五分前です。チーム15のメンバーは所定のブースで待機してください。開場五分前……』
無機質な機械音声がスピーカーを通じ、巨大なドームの全域に響きわたる。
北陸ミリオン・チーム15の定例握手会の開始まで数分。ゲートの向こうでは既に多くのファンが列をなして待ってくれているはずだ。千人を超える現役アイドルがひしめき合う金沢ドミトリーの握手会
「スワちゃん。握手会に来てくれる人、増えてくれたらいいねー」
「大丈夫だよ。ひばりんの動画の力があるんだから」
ツバメはヒバリと同じブースに並び、他愛もない私語を交わしながら開場を待っていた。
新潟再興プロジェクトに出向している二人といえど、全アイドルの義務であり貴重な権利でもある定例握手会を取り上げられるということはない。二人は新潟のホテルを今朝離れ、本来の巣である金沢ドミトリーに戻ってきていたのだった。
二人がこうしている間にも、ミズホは大学の研究室に籠もり、大枠が決まったばかりの新潟ドミトリー再建計画のために頭を捻ってくれているはずだった。それならば自分達にできるのは、アイドルとしての仕事をしっかり全うすることだ。それぞれがそれぞれの領域で全力を尽くしている限り、離れていても三人は
ビーッ、とブザーの音が会場に響き、遂にゲートが開いた。ツバメが十三歳の頃から何度も見てきた光景だ。今日のこの日を待っていたファン達が、「オータム」のスタッフに誘導され、それぞれの目当てのアイドルのブースへと足早に分かれていく。ドミトリーの内外を隔てる外壁部に設置されたこの握手会
ツバメの前に最初に来てくれたのは、これまでにも何度か握手を交わしたことのある学生風の男性だった。髪色が特徴的で、いつも似たような系統のファッションをしているため、この人は覚えやすい。
「こんにちは。いつもありがとうございます」
彼の手を両手で握り、ツバメがにこりと笑いかけると、彼も声を弾ませて話してくれた。
「ツバメちゃん、新潟の配信見てるよ。頑張ってね」
なんのことはない一言だったが、ツバメにはそれが何より嬉しかった。配信動画の再生数が思ったほど伸びないと落ち込んでみても、実際、見ている人は見てくれているのだ。
「いつか新潟にも遊びに来てくださいね」
相手の目を見つめてツバメが言うと、「うん、行く行く」とノリのいい返事が返ってきた。
一枚の握手券でファンがアイドルと触れ合える時間は極めて短い。あっという間に数秒が過ぎ、スタッフに誘導されて去っていく彼をツバメは笑顔で見送った。
一人のファンとの逢瀬の余韻に浸っている余裕はない。人気投票順位20,000位台から抜け出せないツバメといえど、定例握手会でファンの列が途切れる時間などそうそうあるものではない。
ツバメ達が所属しているチーム15は、全員が芸能活動志望のアイドルで固められていることもあり、握手会の動員客数も北陸ミリオン金沢ブロックの他のチームと比べると大幅に多かった。全国的には不遇といわれる北陸ミリオンの握手会ですらこうなのだから、東海ミリオンや東京ミリオンの握手会は一体どんな光景なのかツバメには想像もつかない。
ツバメが一人ひとりのファンとの会話に喜びを噛み締めている隣で、ヒバリは得意のあざとい上目遣いを振りまき、次から次へとファンを虜にしていた。彼女との握手を待ち望むファンの列は、ツバメのそれの何倍も長い。
「そうなんだぁ、さすが湯沢さん。また動画見てねっ!」
親ほどの年齢の男性にもかまわずタメ口を利き、ヒバリは髪をぴょこぴょこさせてファンへのラブコールを送る。北陸ミリオンの中だけなら十指に入る人気アイドルであるヒバリの握手対応は、やはり自分とは根本的にオーラが違う、とツバメは思う。
北陸ミリオンには現在、金沢・富山・福井の三ブロックを合わせて二十四万人ほどのアイドルが在籍しているが、その中でも積極的に芸能活動を行っている者の比率は全国平均と同じ一パーセント程度と言われていた。つまり、この北陸の地で本気でファン人気を競っているアイドルは二千四百人ほどいる計算になる。その中で十位に付けているというのだから、いかにヒバリのあざとさが男性ファンの心を掴みやすいものかは明らかだった。
何十人ものファンを次々とさばいていく同い年の親友の姿に、少しの羨望と大きな尊敬を抱きながら、ツバメは気を取り直して目の前のファンと向き合う。
「早く戻ってきてよ。劇場でスワちゃんに会えないの寂しいからさ」
ツバメの新潟再興にかける想いを知らず、こんなことを言ってくる人もいた。もちろん、それはそれで有り難いファンの声なので、嫌な顔をすることなどないが、それでもツバメは複雑な気分だった。
「わたしが新潟専属になったら会いに来てくれないんですか?」
そんないじらしい質問をしてみると、その男性からは「うーん、新潟ってなると遠いなあ」と煮え切らない答え。よく出来たファンなら「必ず行くよ」と尻尾を振るところなのだろうが、そんなことを不満に思ってみても始まらない。
隣のヒバリならもっと可愛く切り返せるのだろうな、と思いながら、ツバメはその人に最後まで笑顔で手を振った。
「新潟までは行けないよ、って言われたら、ひばりんどうする?」
第一部と第二部の間の休憩時間に、冷たい飲み物で喉を潤しながら、ツバメはヒバリにふと尋ねてみた。
「ふっふーん、そんなのカンタンだよ」
ヒバリは同じ飲み物の容器を手にしたまま、いつもの人差し指を立てる仕草を交えて胸を張り、「いい?」とツバメの目を覗き込んでくる。
「こう、ファンの方の目を見て……」
親友のくりくりとした瞳でまっすぐ見つめられると、いつものことながら、ツバメも思わずどきりとしてしまう。これが彼女に本気で恋心を抱く男性ファンだったらどうなってしまうのだろう。
「……推し変は禁止ですよ?」
絶妙な上目遣いでヒバリのあざとさが炸裂した。そこだけ敬語なんてずるすぎる。
「これでオッケー。みんな新潟まで駆けつけてくれるよ」
「ほんとかなあ。でもそれ、ひばりんにしか使えないじゃない」
言葉の上では呆れたような口調を繕いながらも、ツバメはある意味本気で感心していた。上に行くにはこのくらいのことが容易くできなければならないのだ。いや、これほど可愛いヒバリですら全国順位は4,000位台でしかないのだから、本気で上位に食い込むには一体どれほどの工夫が必要なのだろうか。
「スワちゃんには正統派の魅力があるじゃん。目指せ金山チクサ、だよ」
ヒバリはよくこうして、自分は異端派で、ツバメのようなアイドルこそが正統派だと言って彼女を励ましてくれるのだったが……。
「ああ、わたし、あと十年早く生まれたかったなあ 」
金山チクサの握手会対応はどんなものだったのだろう、と思ってツバメは嘆息する。ライブや出演ドラマならいつでもストレージで観ることができるが、アイドルのチクサを生で知る手段はもはや二度とない。
「そうしたら現役時代のチクサさんをじかに見られたのに」
「十年早かったら、直接の競争相手だよ?」
ヒバリはさらりとそう言って、飲み物の容器をトラッシュボックスにぽんと放り込み、「さっ、この後も頑張ろっ」とツバメの背中を軽く叩いてきた。
第二部が始まってすぐ、ツバメは意外なお客さんの姿を目にすることになった。私服姿の若い人が多い握手会の行列の中で、大柄な身体にかっちりとスーツを纏ったその男性の姿は、遠くからでもよく目立った。
「
長い順番待ちの末、ツバメの目の前に立ったTHNグループ北陸支社長は、いかつい体型に似合わない、不器用な笑みを彼女に向けてくれた。
「君達のアイドルとしての姿をちゃんと見てみたくてね。いや、それにしても、凄い人気だなあ」
柏崎の目には、年齢を忘れてアイドルにのめり込むよくある中年男性ファンのそれとは違い、彼女らを見守る親のような無骨な優しさが宿っていた。
「あの、この前は、ほんとに――」
彼の大きな手を握りながら、ツバメが後ろめたい気持ちで謝罪の言葉を口にしようとすると、柏崎はもう片方の手をかざしてそれを遮ってきた。
「自分は君達に救われているよ。気にせず頑張って欲しい」
話せる時間がごく僅かであることをわかっているのだろう、柏崎は手短にそう言って、「この後ヒバリちゃんの方にも並ぶから」と隣のヒバリにも目をやった。
きっとアイドルの握手会になど来たことがなかったのだろうに、しっかり二人分の握手券を入手して彼は駆けつけてくれたのだ。そんな柏崎の人となりを目の当たりにして、ツバメは胸に熱いものがこみ上げるのを感じていた。
次のファンとの会話を真剣に盛り上げ、さらに次のファンを出迎える直前、ツバメの視界の彼方で宣言通りにヒバリの列に並び直す柏崎の姿が見えた。
現代の精神医療が、災害で肉親を亡くした悲しみさえも綺麗に拭い去ってくれることを、ツバメは身をもって知っている。しかし、それでも、同じ災害で自分と同じ年頃の娘を亡くしたという柏崎の過去には、ツバメは何ともいえない切ないシンパシーを覚えていたのだ。
ツバメは本当の親というものを幼少期の記憶の断片でしか知らない。両親に育てられた五年間は、当時最新の心理療法による心のケアを経て、感情を伴わないエピソードの蓄積としてツバメの脳内では処理されていた。
――自分は新潟大火で娘を亡くしてね。生きていたら、君達とちょうど同い年くらいなんだよ――。
新潟の街で出会ったあの日、柏崎が哀愁と希望の混ざった目で語ったその言葉は、両親に関するどんな記憶よりも鮮明にツバメの心に焼き付いている。
きっと――
握手を交わした際の柏崎のぎこちない笑みは、ツバメにふと一つのことを思い起こさせていた。
……自分に父親というものが居たら、きっと、あんなふうに――。
「お前達の」
新たなファンを見送ったあと、その次に並んでいた男性の様子がどこかおかしかったことに、ツバメは直前まで気付かなかった。
「お前達の……せいで……!」
その男性を普通に笑顔で迎えようとしたところで、ツバメは初めて、彼がぶつぶつと呟いていた言葉に気付く。
「スワちゃん!」
隣のヒバリが甲高い声を上げるのと、男が片手を振り上げてツバメに襲い掛かってくるのは同時だった。
「っ!?」
男の大振りな一撃がヒバリの視界にスローモーションの残像を残す。咄嗟に身を引くことができたのは、幼い頃から鍛えられたダンスの身のこなしが脊髄反射で発揮されたからにすぎない。
「お前のせいで、俺はァ!」
バランスを崩してブースにへたり込み、ツバメはもう動けなかった。かろうじて見上げた視線の先、男の手に白く光る何かが握られているのが見える。ヒバリの声とスタッフの駆け寄る足音、男の唸り声と、スタッフの腕から上がる血しぶき――。
「いやぁ!」
ツバメが一歩も逃げられないまま両耳を手で塞いでしまったとき、疾風の勢いで暴漢に跳びかかる巨躯が一つ。
「おじさん!?」
その影に向かって叫んだのは隣で震えるヒバリだった。見開いたまま閉じることのできないツバメの両目の先で、柏崎の大柄な体躯が暴漢の身体を押さえつけている。
「何をしてる、バカヤロォ!」
柏崎が男を組み敷いたまま怒鳴ると、彼は苦しそうに「ボス……」と声を絞り出した。
周囲のアイドルやファン達がざわめく中、たちまち警備のヒューマノイド達が駆けつけ、柏崎から役目を引き継いで男を拘束する。腕を切り付けられたスタッフは、痛みに顔を歪めながらも、ツバメに向かって「無事でよかった」と言い、柏崎にも礼を述べていた。
「なんでだよぉ! なんで、お前らが居なくなっただけで俺がクビなんだよ!」
人間が抗えるはずのない警備ヒューマノイドの力にそれでも必死で抵抗しながら、傷害犯はツバメ達に向かって喚き散らした。その勢いに気圧されて震えることしかできないツバメの前に、柏崎が再び庇うように歩み出て、男を一喝する。
「この子達を恨んでどうする! この子達は、あの街の最後の希望だろうが!」
柏崎の声が響くやいなや、男はヒューマノイドに両手を捻りあげられたまま泣き崩れた。ボス、すみません、と男が呻きながら何度も柏崎の姿を振り仰いでいる。
ヒューマノイドが現行犯逮捕の合憲性を伝える決まり文句を述べて男を連行していった後、どよめきの残る会場で、柏崎はばつの悪そうな顔をしてツバメとヒバリに言った。
「あれは自分の部下だ。こんなことになって……申し訳ない」
身を挺してツバメを助けてくれた彼の顔には、まるで自身が傷害事件の犯人であるかのような悔恨の表情が貼り付いていた。
「……ありがとう、ございます……」
ツバメはブースにへたり込んだまま柏崎の立派な体格を見上げ、涙声で礼を述べることしかできなかった。隣ではヒバリも泣いているのがわかった。女性スタッフがツバメに寄り添って何かを言ってくるが、まるで頭に入らない。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
あんな災害が起こらなければ。「オータム」が新潟ドミトリーを閉鎖しなければ。今回の再興プロジェクトに抜擢されたのが自分達でなければ。
もっと人気のあるアイドルが、もっと多く送り込まれていれば、THNグループは北陸支社の撤退を決断せずに済んだのだろうか。
自分がもっとしっかりしたアイドルであれば、自分を襲ってきたあの男性が、リストラの悲劇に遭うこともなかったのだろうか。
「ツバメちゃん」
いつの間にか、世話役のナナオが彼女のそばに駆け付けてくれていた。涙の溢れる目でナナオの姿を認め、ツバメは思わず彼女に取りすがっていた。
「ナナオさん、端末貸して! ミズホくんに
自分でもよくわからないままに、わめくような涙声でツバメはナナオに要求していた。ナナオは一瞬目を見張っていたが、すぐに携帯端末を取り出し、ツバメの求める画面を表示してくれた。
「はい、前津――」
端末越しに澄ました天才少年の声がツバメの耳に届く。涙もなにも隠す余裕はなかった。自分の口から溢れる言葉を正しく制御するすべも今のツバメにはない。
「お願い、ミズホくん! 柏崎さんの会社が新潟から出てくのを止めて!」
「え?」
「わたし達だけじゃダメなの。みんなが泣かなくて済むように……お願い」
端末の向こうで彼が困惑しているのはかろうじてわかった。だが、それでもツバメは自らの言葉を止められなかった。
「天才でしょ、ミズホくんは!」
ツバメが涙ながらに叫んだその言葉は、確かにミズホの耳に届いたようだった。
「わかった」
数秒の間を置き、天才が応える。すべてを見透かしたような声で。
「THNグループの北陸支社撤退を撤回させる。出来るさ、僕達なら」
突然の無茶振りにもかかわらず、ミズホの台詞は自信に満ちていた。
「……うん」
ナナオの携帯端末を涙に濡れる手で握り締め、ツバメは大きく息を吸い込む。
ヒバリを見て、ナナオを見て、柏崎を見て、ツバメは震える足でゆっくりその場に立ち上がった。
「絶対、できるよ」
ミズホの言葉に勇気付けられた気がした。だが、彼一人にすべてを任せるのではない。
必ず成し遂げるのだ。わたし達の力で。
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