第4話 ルームメイト

 東海ミリオンのチーム13に所属する小牧こまきカスガは、その日、ドミトリー内に与えられた高層マンションの自室で新しいルームメイトを迎える準備をしていた。

 準備といっても、昨日退去したばかりの元ルームメイトの私物は引越業者のヒューマノイドがそっくり持っていってしまったため、部屋には改めて整理すべき部分は見当たらない。カスガがするべきことといったら、せいぜい先輩アイドルとして後輩に恥を見せることのないよう、化粧機メイカーのメニューをいつもより念入りに設定することくらいだった。

 ロングの赤髪をメイカーのマニピュレータで綺麗に編み込んでもらいながら、カスガは三年にわたり寝食をともにした金山チクサの艶やかな黒髪を思い出していた。カスガと同い年だったチクサは、アイドルの仕事で表に出るときは時間をかけて念入りに編み込みをしてもらっていたが、レッスンや余暇の時間には、きまってポニーテールとかいう数世紀前の髪型で通していた。

 一度、ファンの目に映らないところでは手抜きをしているのかと尋ねたとき、彼女はなぜか楽しそうに、「昔のアイドル研修生は皆この髪型だったんだよ」とカスガに微笑んできたものだ。

「……なんで、異性交遊なんかしちゃったのよ」

 カスガが思わず声に出して漏らした一言に、メイカーのAIが一瞬反応しかける。だが、ヘアセットと関係のない発言だと判断したのか、メイカーは一秒と置かずまた彼女の髪を編む手を動かし始めた。

 芸能立国で知られるこの国といえども、十三歳から二十二歳までのアイドル期間中、熱心に芸能活動に従事する者は全アイドル人口の一パーセントほどにすぎない。カスガやチクサはその一握りのほうの一員だった。来る日も来る日も歌やダンスのレッスンに励み、容姿を磨き、各種イベントでのファン獲得に心血を注いできた。カスガにとってチクサは、単なる親友やルームメイトというだけではなく、同じ夢に向かって励ましあう同志だった。

 おととい誕生日を迎えたばかりのチクサは、昨日の朝には人気投票の順位が初めて20,000位以内に食い込み、彼女が夢としていた超人気アイドルへの階段をまた一歩上がったところだった。二人が飛び上がって喜んでいた矢先、「オータム」と「スプリング」の男性スタッフが揃って部屋を訪れ、手短に何かを告げたかと思うと、泣いて抵抗するチクサを無理やり連行していったのだった。

 カスガにはそれを黙って見ていることしかできず、部屋にひとり残されて呆然としていると、間もなくやって来た引越業者がチクサの私物を根こそぎブロック詰めにして運び出してしまった。

 ――わたし、やってません! 信じてください!

 スタッフに連行される間際、チクサが悲愴な顔で泣き叫んだ言葉はカスガの鼓膜の奥で今も響いている。ドミトリー入りしてからすべての時間を一緒に過ごしてきたカスガにも、チクサが異性交遊に手を染めるなど全く考えられなかった。何かの間違いであってほしいと彼女が願っている内に、チクサの脱退処分は粛々と進められ、その日予定されていた定例握手会が始まる頃までには金山チクサというアイドルが東海ミリオンに存在していた事実は跡形もなく消えてしまった。

 親友としてチクサの潔白を信じたい思いはあったが、ジャーナリズムを人間が担っていた時代ならいざ知らず、現代技術の粋を尽くした「スプリング」の全域監視システムが間違いを犯すことなど考えられなかった。したがって、どれほど心が痛んでも、チクサが男性と密会していたという事実をカスガもまた受け入れるしかなかった。


 新しいルームメイトが部屋に上がってきたのは、髪のセットが完了し、カスガがドリンクサーバーで紅茶を淹れて一息ついていたときだった。カスガより二つ年下と聞いていたその後輩は、美しいブロンドのロングヘアをたおやかな仕草でかき上げ、うやうやしくお辞儀をして自分の名を告げた。

江坂えさかミクニと申します。よろしくご指導お願いします」

 その礼を尽くした所作があまりに堂に入っていたので、カスガは返礼も忘れ、彼女の存在の綺麗さにほうっと息を吐いてしまっていた。数秒後、やっとのことで我に返り、「小牧カスガです、よろしく」とアイドルスマイルを作る余裕を取り戻した。

 しかし、玄関のドアがひとりでに閉まると、

「はーい、儀式はおしまい。わたし適当に気兼ねなくやるんで、カスガさんも気楽に接してくださいね」

 と、ミクニは今まで纏っていた令嬢のようなオーラをどこかへかなぐり捨て、手荷物を入れてきたらしい肩掛けバッグから自前のスリッパを取り出し、彼女の豹変ぶりに目を丸くしているカスガを置いてずいずいとリビングルームまで入っていった。慌ててカスガが追いついた頃には、ミクニはリビングの内装をぐるりと見回していたかと思うと、一人がけのソファに断りもなく腰を下ろしてしまった。

「あの、ミクニ……ちゃん?」

「これカスガさんの指定席でした? それだったら遠慮しますけど」

「ううん、それはいいんだけど……」

 じゃあ遠慮なく、とばかりに、ミクニはバッグを足元に放り出して、白くしなやかな両脚を本当に遠慮なくソファの上で組んだ。それから彼女が携帯端末を取り出して何か操作をすると、玄関の外から物音が聞こえ、二機のヒューマノイドがブロック詰めの荷物を抱えてリビングへと侵入してきた。二機は昨日まで金山チクサが使っていたスペースにてきぱきとミクニの私物一式を展開し終えると、カスガにも頭を下げて出て行った。

「監視のない所でカッコつけても仕方ないでしょ。プライベートは無礼講にしましょうよ、センパイ」

 ミクニはわざと古い言葉を使ってカスガに笑いかけてきたように見えた。先輩という単語が二人称としても使われていた時代、その言葉は上下関係とも友人関係ともつかない複雑な社会的意味を内包していたとカスガは学校で習ったことがあった。ひょっとして、その時代の価値観に照らせばミクニの態度は無礼だったのかもしれないが、カスガはそんな後輩の姿に、チクサとはまた違った種類の親しみやすさを直感していた。

 この子と上手くやっていこう。自分の中で前向きな独り言を述べつつ、カスガはドリンクサーバーでミクニのぶんの紅茶を用意した。一人で端末を見てくつろいでいるミクニの姿を見やると、ソファの背後の大窓から差し込む光が、彼女の艶やかなブロンドをきらきらと輝かせていた。

「その髪って、自前?」

 名前と年齢しか知らない後輩にカスガが最初に発した質問がそれだった。見た目の美しさを追求する芸能アイドルとしては、聞かないわけにはいかない質問だった。

「GMです。親が凝ってたんで」

 それが遺伝子組換えジェネティカリー・モディファイドを意味することはカスガももちろん知っていた。ミクニは母親の胎内に宿る以前から、西洋の女神もかくやという黄金の髪を持って生まれてくることを定められていたわけだ。

「やっぱりそうなんだ。綺麗だね。お家、お金持ちなの?」

「普通ですよ。カスガさんの髪型もステキですって。その色、東海こっちで流行りなんですよね」

 端末から目線だけ上げてミクニが言った。中学生という年齢のわりにそっけない喋り方をする彼女だが、ちゃんと興味のある話には乗ってくるし、案外自分のことを見てくれているんだなとカスガは安心した。彼女がカスガの髪を本当に素敵と思ってくれているのかどうかは、まだよくわからなかったが。

 熱い紅茶を満たしたティーカップをミクニの傍らのサイドテーブルに置きながら、カスガはさらに尋ねた。

「ミクニちゃんは、これまではどこに居たの」

「関西です。ハイこれ」

 ミクニが端末を手早く操作すると、彼女のプロフィールシートがカスガの端末に流れ込んできた。同時に、彼女のパーソナルIDを示す英数字が画面上で踊り、フレンド登録を求めてくる。カスガは顔を上げて本人と軽い笑みをかわしてから、登録の操作をし、ミクニのプロフィールに目を通した。

 江坂ミクニ十四歳。十一月一日より東海ミリオンのチーム13に転籍予定。元々は関西ミリオンのチーム5所属で、大阪第三首都サード・キャピタルのドミトリーに住んでいたとある。芸能活動の実績が豊富で、関西ミリオンのチーム合同コンサートに何度も出演している。

「わっ、最新順位5,200位って……すごいね!」

 後輩の順位が自分よりはるか上なのを知って、カスガは思わず目をぱちぱちとさせてしまった。ミクニは何でもなさそうな顔で、ティーカップに唇を添えている。

「そんなの全然ですよ。わたし、本気でトップ目指してるんで」

 ミクニはさらりと言い放ってから、まるで今初めて紅茶の存在に気付いたかのように、「あ、コレありがとうございます」とカスガに礼を述べた。

「トップ……」

 ミクニの告げた言葉をカスガは思わず繰り返していた。トップとは、言うまでもなく、東海ミリオンや関西ミリオンといった地方支部の人気メンバーにとどまらず、この国に存在する唯一にして最大のアイドルグループ、48millionフォーティーエイトミリオン全体のトップに上り詰めるという意味だった。一千万人を下らない全アイドル人口のなかで、神に寵愛されたただ一人にのみ与えられる「人気投票一位」の栄冠を手にするということだった。

 20,000位台と30,000位台の間をうろうろし、未だ東京ミリオンへの栄転のお呼びすら掛からないカスガには、それは遥かに高い雲の上の目標のように見えていた。だが同時に、常にこの国の誰か一人はそれを手にしている、現実に存在する夢の頂でもあった。

 そして、臆面もなく白状することが許されるなら、カスガもまたその頂を目指す一人だった。


「カスガさん。わたしの前にここに住んでた人、異性交遊で脱退になったって本当ですか?」

 熱い紅茶を飲み終えてしまってから、ミクニは出し抜けにそう尋ねてきた。スタッフに連れ去られる際のチクサの泣き顔がフラッシュバックし、カスガは「あー……」と微妙な声を出すことしかできなかったが、ミクニはそれを肯定の返事ととらえたようだった。

「バカですよねえ。上に行こうとするなら、絶対しちゃいけないことなのに」

 ミクニの言い方には不思議と嫌らしさがなく軽妙だった。異性交遊が倫理的にどうというより、そつなく上に上がるための方法論を説いているかのような印象が感じられた。

「仮にやるとしても、バレずに出来なかったんですかねえ」

 十四歳の中学生の口からそんな言葉が発せられたのは軽い衝撃だった。もちろんカスガも、異性交遊と呼ばれる行為の中身について通り一遍の知識だけは持っていたが、現実に誰かが何かをするとかしないとか、そういった具体的な話には全く免疫がないほうだった。

「み、ミクニちゃんは、その……あるの? したこと」

「あるわけないでしょ。わたし、僅かなリスクも犯したくない人なんで」

 ツンとした口調でそう言われると、尋ねた自分が恥ずかしくなるようだった。

 後輩の前で顔を赤らめながら、カスガはチクサのことを思った。チクサは、カスガに輪をかけてそういう話に免疫のない子だった。ミクニは一般論を述べているにすぎないとわかってはいたが、カスガにはどうしても、目の前の後輩がチクサのことを「リスクを犯して遊びに走った愚かな人間」と認識することが耐えられなかった。

「あの子は……ミクニちゃんの思ってるような子じゃないよ」

 それがカスガにできる最大限の弁護だった。異性交遊があろうとなかろうと、「本当のアイドルになりたい」と夢見てレッスンに励んでいたチクサの三年間は本物だったと信じたかった。そして、できることなら、これから何ヶ月か何年かを一緒に過ごすことになるミクニにも、そのことだけは知っておいてほしかった。

「どんな人だと思ってようと、事実は事実だと思いますけど」

 そう言ってからミクニは、おもむろに立ち上がり、カスガの前でぺこりと頭を下げる仕草をした。

「でもごめんなさい、カスガさんがそんなに気にするなら、もうその人のことは悪く言いませんよ。どうせ一生会うことない人だし」

「……うん。そうだね」

 後輩が最後に付け加えた一言が、カスガの胸にさっくりと刺さって抜けなかった。きっと自分は今、寂寥感とかいうものを口元に滲ませた顔をしているのだろうな、とカスガは思った。

 昨日まで毎日一緒にいたチクサと、自分はおそらくもう一生顔を合わせることがない。カスガが目指すトップアイドルの道とは、つまり、卒業年齢を迎えてからも成年芸能人として活動し続けるということだった。ドミトリーから退去させられたチクサがその世界に入ってくることは、今後二度とない。

 だが、感傷的になっても仕方のないことだった。カスガには自分の人生を走り続けるだけで精一杯だった。友の涙を思うことよりも、誰より多く配信動画の再生数を稼ぎ、誰より強く握手会でファンの心を掴み、誰より可愛らしくコンサートで歌い踊ることのほうがずっと大事だったのだ。

「カスガさん、レッスンって午後からですよね。わたし、加入は三日後からだけど、今日から一緒に連れてってもらってもいいですか」

 カスガが沈んだ顔をしているのを見てとったのか、ミクニはやや強引に新しい話題を始めてきた。あけすけにものを言う子だけど、自分で作った空気の落とし前を自分でつける配慮も持っている。この子とも仲良くなれそうだな、と思って、カスガはミクニに向かってそっと片手を差し出した。

「うん。じゃあ一緒に出よっか」

 チクサにまつわる悲しみはもう忘れようと思った。したたかに進むしかない。去った友が二度と立つことのない、遠き頂への道を。


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