第15話 切り札

 地震当日に地下シェルターでライブをしたいという荒唐無稽なアイデアがミズホの耳に入ってきたのは、最初の災害警報が発せられてから数時間後、THNグループ豊田総裁との遠隔会談の約束アポを直後に控えた夕刻のことだった。

 昨日の日曜日、「プロジェクト・トキ」の概要をツバメやヒバリと確認しあった直後から、ミズホはTHNグループの渉外部に交渉のセッティングを申し入れていた。先日の情報漏洩の件があったばかりで、THNに協力の要請をすることには気まずさもあったが、さりとてこのプロジェクトは国内で唯一最大の自動車メーカーである彼らの協力がなければ始まらない。

 それに、THNの北陸支社撤退を食い止めるというツバメ達との約束を果たすためにも、彼らを巻き込むことは必要不可欠だった。

 そして、今日になってTHNから返ってきた答えは驚くべきものだった。THNのトップである豊田総裁その人が、本日の夕刻、多忙の合間を縫ってミズホとの通話に応答するというのだ。

 予想外ではあったが、こうなってみると合点の行く話ではあった。豊田総裁という人物は社内でも名君で通っていると聞く。アイドル達の失態に文句を言うときだけ出てきて、こちらからの願い事は下っ端に対応させるというのではブランドイメージを損ねると彼は考えたのだろう。

 こうなると、THNのプロジェクト参画にも僅かながら期待が見えてきたといえる……はずだったのだが。

「どう考えても無茶でしょ。地震は五日後なんですよ」

 豊田との会談の準備をしていたところへ掛かってきたナナオのビデオ通話に対し、ミズホは率直すぎる反発を返してしまった。ナナオは「普通ならそう思うわよねえ」と画面の向こうで苦笑している。

「なんとか考えるだけ考えてみてくれない? あの子達、ミズホくんの頭脳に全幅の信頼を置いちゃってるのよ」

「僕が考えてどうにかなることですか? 確か、一斉避難の時には他都市からの高速鉄道リニアの運行もストップして、新潟こっちから出ていく車両だけになるでしょう」

「そうなの? あなたが言うならそうなのね」

「つまり、地震前日と当日は、外部の人が自由に新潟こっちに来る手段はなくなるんですよ。THNグループの協力がこの時点で取り付けられれば別ですけど」

 ミズホは、そのアイデアがいかに無茶振りであるかを示すためのレトリックとして最後の一文を述べたのだったが、ナナオの細い目は妙な優しさをたたえたまま画面越しに彼を見つめ返していた。

「……まさか、和倉さん」

 ミズホが言葉を止めると、ナナオは申し訳無さそうな表情を作って「ごめんね」と言った。

「『オータムわたし』からTHNグループに申し入れたら、勅令ってことになっちゃうもの。強制的に引き出した協力なんて美談にならないでしょ?」

「まあ、理屈はわかりますが」

「お願い。無理なら無理で、あの子達も引き下がるでしょうから」

 ナナオに両手を合わせられると、ミズホもそれ以上異を唱えることはできなかった。


「先日は、当社の者達がお見苦しい姿をお見せしました」

 遠隔会議システムを通じ、約束の時間に画面の向こうに現れた豊田総裁は、先日の重役達の非礼を形だけ詫びながら単刀直入に本題に入った。

「貴学のご提案をお聞きしましょう」

 ミズホは三条教授の同伴のもと、会議室に着座しているが、あくまで話をするのは教授おとなではなく自分の仕事だ。

 先日は「オータム」の支配者に権力でやり込められていた豊田だが、こうして向き合うとその威圧感はやはり本物だった。とても自分のような学生が対等に渡り合える相手とは思えない。それでも先方に物怖じを悟られないよう精一杯の気を張って、ミズホは切り出した。

「五日後の十一月十八日、新潟で大規模地震が発生します」

「ええ。防災省の発表は存じています」

「その地震の発生に合わせ、僕達は新潟の地下シェルターでのアイドルライブを計画しています。新潟シティの避難民のみならず、外部からも観客を呼び寄せる企画です」

「……ほう。それはユニークですね」

 豊田の目は全く笑っていなかった。何を戯言を言っているのか、とでも思っているに違いない。

「ついては、御社の力で、国内主要都市から新潟シティへの観客の移動手段を提供して頂きたいんです」

 我ながら無茶を言っているな、とミズホは思った。

 ミズホが本来この場で提案しようとしていたのは、新潟の「防災娯楽都市」の都市設計アーバンデザインプランだ。だが、何年も掛けてじっくりと準備に取り組めるそのプランにならTHNも乗ってきたかもしれないが、いきなり五日後までに大量の自動車を用意してくれと願い出るのは、まったく次元の違う話だ。

「主要都市から新潟へ? 一体、どこを走らせるというのです」

 紳士的な気品と威厳を纏った巨大企業の総裁は、まともに話を聞いていれば当然及ぶであろうその疑問をストレートに口にしてきた。それはつまり、少なくともこちらの話をちゃんと聞いてくれてはいるということだった。

 そのことに少しだけ勇気付けられ、ミズホは淀みない口調で回答を口にする。

「一斉避難の開始に伴い、高速鉄道リニア車両の運行が止まる超電導線路の上を」

「……まさか、超電導自動車リニアビークルのことを言っているのか?」

 豊田の敬語がそこで初めて崩れた。それはミズホの言葉が彼の想定の範疇を上回ったことの証だった。

「そうです。御社の中央工場には、いつでも事業化に踏み切ることのできるリニアビークルの生産ラインが相当数確保されていると聞いています」

「それは、確かにそうだが……」

 ミズホが述べたのは一般に公開されている情報にすぎなかった。豊田が驚いているのはリニアビークルの名が出たことに対してではなく、五日後の地震までにどうにかしようという馬鹿げた時間感覚に対してだろう。

「できませんか。御社の生産設備では、五日後に間に合わせることは」

「そんな挑発は効かんよ、学生君」

 豊田はミズホのジャブをぱしりと受け止めてきたが、その黒い瞳には怒りの色は浮かんでいなかった。彼はかすかに眉間に皺を寄せ、真剣に何かを考えているような表情をしていた。

「……協力の可否は、そのイベントの採算性によるとしか言いようがない」

 熟練の経営者が捻り出したのは至極真っ当な答えだった。それから、豊田は画面の端に現れた秘書らしき人物から何かの端末を受け取り、その画面を数秒にわたりじっくりと眺めていた。

「当社のAIが出した答えは残念ながらノーだ。そして、私自身の頭で考えてもそうなる。その企画内容では、急ピッチの生産がペイするだけの興行収益は得られまい」

「ステージに上がるアイドルが無名だから、ですか」

 ミズホが問い返すと、豊田は腹積もりを隠すこともなく首肯した。

「そう言い切ってしまうと身も蓋もないがね。北陸ミリオンに対する人々の注目度合い、新潟と他都市の地理関係、天災をイベントの材料にすることへの世間の反発……。そうした諸々の要素を考慮した結果だよ」

 THNグループのAI、そして豊田自身の考えは明らかに正しいようにミズホにも思えた。数時間前に教授が見せてくれたばかりの群衆避難シミュレーションでは、新潟ドミトリーの再建後でさえ、他地域からの期待動員客数は話にならないほど少なかったのだ。まして、何も目新しい設備のない地下シェルターで、五日後に突然ライブをするなどと言われても……。

「御社としては、沈むとわかっている船には乗りたくないと」

「そういうことだな。既に大人の世界に片足を突っ込んでいるきみなら、理解できる話だろう」

 豊田の言葉と顔色には、話はこれで終わりだ、とばかりに締めくくりに入ろうとする雰囲気が感じられた。

 仕方のないことだ、とミズホは思った。元々、五日後の地震に合わせてイベントを開催するなど、彼自身が聞いても滅茶苦茶なプランだったのだ。門前払いせず真っ当に話を聞いてくれただけでも僥倖と思うべきだろう。

 だが、ミズホが諦めかけたところで、隣に座っていた三条教授が意外な一言を発した。

「それは、ライブに登壇するのが、仮に一流のトップスターであってもですか」

 豊田はその質問に虚を突かれたような表情になり、教授の顔をじっと見ていた。ミズホもまた、教授の突然の発問に驚きを隠せなかった。

「そう、例えば……金山チクサさんのような」

 教授が例に挙げたその名前は、東海ミリオンのお膝元である中京の人間なら、特別な反応を示さざるを得ないものだった。全盛期の金山チクサとさかえクリスが歌ったコマーシャルソングを今でも使い続けているTHNの人間ともなれば尚更だ。

「それは……そうなってみなければ分かりますまい。しかし、プロジェクトのメンバーはあくまで、先日の糸井いといさんと四十万しじまさんなのでしょう」

「ええ、そうですとも。……お答えに感謝します」

 それきり教授はまた沈黙を保ってしまった。

 教授が唐突に金山チクサの名前を出したことで、ミズホにはピンと来ることがあった。まさか、教授は、一度も話していない自分の近親関係のことを既に知っていて――?

 ミズホがこの話の落とし所に一瞬悩んでいると、豊田がちらりと彼の目を見て尋ねてきた。

「最後にお聞きしたい。リニアビークルの利用に、地下シェルターでのライブ……これはすべてきみが考えたのかね」

「……いえ。アイドル二人のアイデアです」

 ミズホには嘘を言う理由はなかった。だが、事実を口にしながら、彼はちくりと自分のプライドに傷がつくのを感じていた。

「なるほど。奇抜な発想で楽しませてもらいましたよ。また何かありましたら、お気軽にお声掛けを」

 豊田の最後の言葉は、字面とは逆に、これ以上くだらないことで時間を使わせるなと言っているようにミズホには聴こえた。


教授せんせいは、僕の叔母のことをご存知だったんですか」

 会議室を出て廊下を歩きながら、ミズホが教授の背中に向かって問いかけると、教授は軽くこちらを振り返って答えてくれた。

「まあね。きみの合格を決めてから初めて調べたんだよ」

 その断りがなくとも、三条教授が公明正大に入学諮問をしてくれたことは十分わかっている。それよりも今のミズホが気になるのは、教授があの場で豊田総裁に揺さぶりをかけ、一つの答えを引き出してくれたことだった。

 THNに対して無視できない影響力を持つ東海ミリオン。その伝説の卒業生、金山チクサを引っ張り出すことができれば、豊田の気が変わる可能性もあるということを。

「……僕は、声をかけるべきでしょうか。叔母に……糸井さん達を助けてくれと」

「それを決めるのはきみ自身だよ。……どうした、いつもの前津君らしくないじゃないか」

 前を行く教授がそっと足を止めて振り返った。ミズホもその場に立ち止まり、数秒の逡巡ののち、教授の目を見て語り始めた。

「少し、悔しいんです」

 本来の自分は、指導教員の前でこんな弱音を吐くようなキャラクターではなかったはずだ。だが、ミズホはどういうわけか、信頼する三条教授にこの話を聞いてほしいという思いを止められなかった。

「最後に先方に尋ねられた通り……今回のプロジェクトのほとんどの部分は、僕の発想じゃありません。直通ロードの話を出したのは四十万さんだし、ドミトリー自体をシェルターにしようと言い出したのは糸井さんだし。THNの北陸撤退を止めたいというのも、彼女らの希望です」

 喋りながら、自分自身の思いが明確に浮き彫りにされていくのをミズホは自覚していた。

 どんなに秀才だと格好つけてみたところで、自分は結局、このプロジェクトにおいて、彼女らの願いを叶える裏方にしかなれていないのだ。

「僕自身は何も出来ていないんです。……この上、集客までアイドルに頼ることになってしまったら、僕の存在意義は……」

「前津君は相変わらず、若いのに難しいことを考えるなあ」

 思っていなかった軽い流しにミズホは目を見張った。教授の目は優しく笑っていた。

「十五歳だろう? 僕がそんな歳の頃には、きみのように頭の良いことはとても考えられなかったよ」

 ゆったりとした動作できびすを返し、教授はまた廊下を歩き始める。慌てて追うミズホに向かって、背中越しに彼は言ってきた。

「きみは優秀だから、すべてを一人で背負い込んでしまいたいんだろうな。だが、計画のすべてをきみ一人が生み出す必要なんてないじゃないか」

 外から差し込む夕陽が廊下を染めている。ミズホは教授の後をついて歩きながら、黙ってその言葉を聴いていた。

研究者われわれの仕事は、誰かの肩の上に乗ることでしか果たせないよ。どんな優れた研究でもそうだ。すべては無数の先行研究の上に成り立っている。いかに巧みに他人の論文アイデアを利用するかが、研究者の力の見せ所だと言う人もいるくらいだ」

「……ベルナールの『巨人の肩』ですか」

「おや。僕はニュートンだと思ってたが、ふむ、きみが言うならベルナールだったかもしれんね」

 二人はラボの前まで戻ってきた。並んだ扉のひとつは教授の個室、隣はミズホらが使う学生研究室だ。

「きみが女の子達を助け、彼女らもきみを助ける。それでこそ共同作業コラボレーションだ。……それを忘れなければ、悔いのない仕事ができるはずだよ」

 教授はそう言ってミズホに微笑みを向けた。

「ありがとうございます」

 最後に丁重にお礼を述べて、ミズホは教授と別れた。もう少し研究室に籠もって頭を捻ってもよかったが、それよりも今は学生寮の自室に戻りたい気分だった。

 ――教授の言う通り、自分は気負いすぎなのだろうか。だとしたら、自分は本当の意味でツバメとヒバリを同格の仲間と認めることが出来ていないのだろうか……?

 寮への道を辿りながら、ミズホは重い頭で考える。

 気負って何が悪い、という思いもないわけではない。しょせん彼女らは素人の高校生で、自分は都市防災を専門に学ぶ大学生だ。立場が同じであるはずがない。

 だが、三条教授は、そんな慢心ともいえる気負いをなくせと言っているのではないか……?

 優秀なはずの自分の頭脳もすぐには答えを出してくれなかった。一般教養リベラルアーツの課題をこなしても、夕食を摂っても、息抜きに電網書籍で小説を読んでも、眠りに落ちる瞬間まで彼の気持ちは整理されないままだった。


 翌朝、ミズホが朝食へ向かいながら携帯端末でふとチェックすると、「オータム」の公式チューブには糸井ツバメと四十万ヒバリの配信動画が早朝から上がっていた。

 いや、早朝の一つだけではない。ツバメらは昨夜だけでも複数の配信を行っていた。二人で北陸ミリオンの曲を歌ってみせたり、真剣な表情でダンスの振りの練習をするなどの内容が中心だ。少し見てみると、動画の中では繰り返し繰り返し、「新潟の皆さん、土曜日の地震では他の街に逃げないで、わたし達のライブを聴いてください」などと二人の必死な呼びかけが続いていた。

「……何をしてるんだ、この子達は」

 食堂カフェテリアの席に腰を下ろし、ミズホが半ば呆れた気持ちで端末の画面を閉じかけると、賑やかな告知音とともに新しい動画配信が始まった。リアルタイムの中継だ。レッスン用の服に身を包んだツバメとヒバリが、画面の中から笑顔で朝の挨拶をしてくる。

『わたし達、北陸ミリオン「プロジェクト・トキ」チームは、四日後の地震の日に向けて特別イベントのレッスン中です!』

 ツバメの弾んだ声が端末を通じて溢れる。ヒバリがいつもの上目遣いでカメラ目線を作り、「来てくれなきゃダメだよっ」などと甘い声で言っている。

 曲が流れ、ダンスの練習に興じる二人の姿をミズホが流し見していると、ヒューマノイドが朝食のトレイを彼の前に持ってきてくれた。

『ひばりん、そこの「君を探して」の後のところは、くるっとターンして、こう』

『わかってるけど難しいよぉ。早く回りすぎると目が回っちゃうもん』

『何年やってるの。いい? ターンの時は、まずどこか遠くの一点を見つめて……』

 いったん食事に箸をつけたものの、ミズホはついつい二人の様子に見入ってしまっていた。高速ターンのコツをヒバリに教えているツバメは、ダンスが得意とプロフィールに掲げるだけあって、確かにそれなりの技術と体系だった知識を持っているようだ。対するヒバリはどこまで演技なのか判断しづらい。彼女とて十三歳からステージに立っている以上、本当に何もわかっていないはずはないと思うのだが……。

 携帯端末から動画を流したまま、ミズホは炊きたてのコシヒカリをかき込んだが、どうにも脳に行きわたる糖分を噛み締めるどころではなかった。


 一限目の授業が終わり、二限目は空き時間だった。ミズホは研究室のインターフェースに三条教授作成のマルチエージェント・シミュレーションを表示し、パラメータを色々と自分で変えてみながら、この一時間で何度目かの溜息をついていた。

 四日後の企画に向けてTHNグループの協力が得られないのは無理もないことだった。電車リニア自動車ビークルも動かない以上、他都市から観客を呼ぶことは諦めるしかない。空路を使う手もないではなかったが、滑走路の要らない航空機で運べる人数など限られているし、そもそも直通ロード計画の告知として行う前哨戦イベントでそんなことをしてもプロジェクトの要諦がブレるだけだ。

 こうなれば、せめて新潟の地下シェルターに残る人々を楽しませる方策を考えるしかない。もちろん、ライブイベントの告知によって少しでも他都市に避難する人を減らせるなら、なお良いのだが……。

 残念だが、ツバメとヒバリの影響力ではそれは困難に思われた。二人が昨夜から連発している動画の再生数も、良くも悪くも普段通りだ。アンチが騒いで炎上でもしていればまだ戦いようがあるのだろうが、こうも全国から無関心を貫かれていてはどうにもならない。

「……無理だよな、実際」

 ミズホが一人きりの研究室で声に出して呟いたところで、ドアが自動で開く音が彼の耳に響いた。

「なにが無理なのー?」

 四十万ヒバリの声だ。振り向くと、ツバメとヒバリ、ナナオが三人連れ立って部屋の入口に立っている。もう見慣れた光景だった。

「……きみ達、もう配信はいいの」

 彼女らを室内に招き入れながら、ミズホはついついカドのある一言を口にしてしまった。アイドル達は特に気にする素振りもなく、「この後もどんどん配信するよ」などと無邪気に言っている。

「和倉さん、今日は僕が淹れますよ」

 ナナオに役目を先取りされる前にミズホはドリンクサーバーへと向かった。前回はインターフェースを通じて指示を出している間に先を越されてしまったので、今回はサーバーを直に操作する作戦だ。

 ナナオは「ありがとう」と目を細めて笑ってくれた。それはきっと、飲み物のことだけではなく、豊田総裁を相手に急な無理をぶつけさせたことへのお礼、ないし詫びなのだろう。

「ミズホくん、配信見てくれてるんだー?」

 ヒバリが黒髪をぴょこぴょこさせながら明るく声を弾ませた。隣のツバメも何だか嬉しそうな表情をしていた。そんな二人の様子を見て、なぜだろう、ミズホは若干の苛立ちめいた気持ちを覚えてしまった。

「コーヒーどうぞ」

 三人に席を勧め、順にカップを出してから、ミズホは立ったままツバメ達に向き直る。

「言うのは辛いけど、今のままじゃ四日後に臨時ライブを満員にするなんて無理だ。僕も考えるから、一緒に広報戦略を練ろう」

「広報戦略、って……」

 ツバメが伏し目がちになって問い返してくる。「何をしたらいいの?」と。

 彼女のまっすぐな目を向けられると、ミズホも答えに詰まった。「もっと知名度のあるアイドルに宣伝をお願いするとか」なんてとても言えるはずがない。

 ヒバリならここで「炎上商法」などとボケを挟んでくるのではないかとも思ったが、さすがに彼女もシリアスでいるべき場面はわきまえているのか、ツバメの隣でコーヒーのカップを手にしてじっとミズホを見つめているだけだった。

「……頑張るしかないもん」

 ミズホが何も答えずにいると、ややあってツバメがそう口火を切った。

「わたし達の頑張りを配信して、全国の皆さんに見てもらうしかないでしょ」

「それじゃ限界があるって、きみ達自身もわかってるだろ?」

 ミズホの言葉は今度こそツバメ達を沈黙させてしまった。ナナオも何も言わず若者達の様子を見守っている。ヒバリが黒髪を軽く揺らして、弱気な目でミズホを見てきた。

「……わたしは、スワちゃんとミズホくんと……三人で一緒に夢を叶えたいよ」

 それに呼応するように、ツバメが再び口を開く。

「そうだよ。ミズホくんの夢も教えてくれたじゃない。ここをナントカでナントカな街にするんでしょ?」

 その口調にはいつになく覇気がなかった。きっと、二人自身も動画の再生数やネットワーク上での話題拡散の弱さを見て、自分達の頑張りが通じないことに少なからず思うところがあるのだろう。

 ミズホが言葉を思いつかずに彼女達を見下ろしていると、ツバメが瞳を涙で潤ませて、彼の顔を見上げてきた。

「わたし、みんなを笑顔にしたくてアイドルになったのに……。このままじゃ、想いが届かない」

 ぽたり、と彼女の涙が白い手の上に落ちる。隣のヒバリが自分の手を横から重ねていた。ナナオもいたたまれなさそうな表情で二人の様子を見ていた。

「もっと頑張りたいのに。みんなの希望になりたいのに」

「きみ達だけの力じゃ無理だ」

 ミズホが思わずそう吐き捨ててしまうと、ツバメは泣きながら声を挙げた。

「どうしてそんなこと言うの!? わたし達がやらなきゃ、何も始まらないじゃない!」

「近くで見てる僕には、きみ達の頑張りはよくわかる。でも、それが簡単に外に伝わるほど、現実は甘くはないんだ」

「……チクサさんは、そこで諦めなかったもん」

 ツバメが膝の上で両手を握って言った。ミズホははっとなって彼女の顔を見た。ツバメやヒバリとの会話の中で、金山チクサの名前が直接出るのは初めてのことだった。

「ミズホくん、アイドルのことをあんなに調べてたんだから、金山チクサさんのお話くらい知ってるでしょ?」

 ツバメが涙声のまま言う。ミズホがなんとも言えない思いで頷くと、彼女は言葉を続けてきた。

「無実の罪で東海ミリオンを追い出されたチクサさんは、必死に路上でインディーズ活動を頑張って、栄クリスさんとの対決を制してアイドルに返り咲いたんだよ。チクサさんの逆境に比べたら、わたし達の前にある壁くらい……」

「だから頑張るって? 頑張って練習してれば金山チクサ以上の結果を出せると?」

「そうだよ。何か文句ある?」

 ツバメが涙の溢れる目でキッとミズホを睨んでくる。ヒバリも彼女の片手を握ったまま、一緒になって彼を見上げてきた。

「わたしも信じてるもん。スワちゃんの頑張りは、きっと伝説のアイドルだって超えられるって」

 二人の視線に射止められ、ミズホは思わず呆然となってしまった。なんなんだ、この子達は――。

 ミズホは今、改めて悟っていた。

 糸井ツバメと四十万ヒバリは、恐ろしいほどに純粋で。

 呆れるほどに何も知らないのだ。

「きみ達、本気で金山チクサが自力で栄クリスに勝ったと思ってるのか」

 ミズホの言葉を聞くやいなや、がたっと音を立ててツバメが彼の目の前に立ち上がっていた。

「なによ、あなたにチクサさんの何がわかるの!?」

 それは二週間にわたってミズホが糸井ツバメを見てきた中で、最も強い感情の発露だった。

 ……ミズホは、落ち着き払った声で答える。

「わかるさ」

 ツバメとヒバリの目を交互に見て、ゆっくりと……凸凹になっていた自分の心の迷いをも均すように。

「十六年前……東海ミリオンを脱退させられ、夢を諦めかけた彼女を再び立ち上がらせたのは、僕の叔父さんだ。そして、ネットワーク上で数百万人のファンを集め、彼女の無実を証明して栄クリスとの対決を勝利に導いたのは、誰あろう僕の父さんだ」

 ミズホの語る言葉の途中から、ツバメもヒバリも、涙に濡れた目を丸くして彼の顔を見返していた。

「ミズホくん、あなた、一体……?」

 ツバメの声が震えているのは、涙だけが理由ではないだろう。

 そんな彼女らの驚きの視線を一手に受けながら、ミズホは天井を仰ぎ、深く深く息を吐いていた。

 一人で全てを背負い込もうとしていた自分の滑稽さが、今になるとよくわかる。

 そうか。教授が言っていたのは……。

「……誰もが、誰かに支えられて頑張ってるんだ」

 誰にともなくミズホは呟いた。そして、自分の携帯端末を手にとり、一つのパーソナルラインの画面を表示させる。

 ツバメとヒバリ、それにナナオの瞳がじっと彼に向けられていた。それぞれがそれぞれの思いを浮かべて。

 アイドル達に言った言葉で、ミズホ自身、目の前のもやが晴れたような心持ちがしていた。頼るべきとき、頼るべきものに頼るのは、決して恥ずかしいことではない。誰もがそうして夢を叶えているのだ。

 やがて通話が繋がった。端末越しに聴く叔父の声は、いつものように温和な雰囲気に満ちていた。

「こんにちは、叔父さん。……お願いがあるんだ」

 ミズホは次の言葉を慎重に選んだ。ミズホの父の弟は、自分が「おじさん」であることは笑って受け容れても、愛妻を「おばさん」呼ばわりされると決まって口をとがらせる人だった。

「……チクサさんの居場所を、教えてくれないかな」

 次の瞬間には糸井ツバメが目の前でどんな顔をするのか、見るのが少し楽しみだった。

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