最終話 笑顔
「――人間が災害と付き合っていく上で、欠かすことができないのは、『防災』『減災』そして『適応』という三つの概念です」
新潟の澄みきった青空の下、前津ミズホは満場の来場者を見渡していた。彼がマイクを通して喋る声は、会場の人々の興味を惹きつけるだけでなく、
会場には海外からの臨席者も多かった。我が国が刻む新たな一歩に全世界が注目しているのだ。
「まず『防災』……
これまで二十二年の人生のなかで、多くの学会発表の場数を踏んできたミズホだったが、これほど多くの聴衆の注目を一手に浴びるのは今日のセレモニーが初めてだった。
大学院の講堂の何十倍も広い屋外スタジアム。本来はアイドルの大規模イベントの会場として建造されたこの場所に、いま、防災都市・新潟の
もっとも、彼らのお目当ては自分ではなく、この後に現れる「彼女達」なのだろうが――。
「次に、『減災』、
ミズホの演説が「彼女達」の前座に過ぎないのと同じで、この屋外スタジアムもまた添え物に過ぎない。「防災娯楽都市」としての
「最後の『適応』、
そこでミズホは一旦言葉を切り、観衆達の向こうへ視線を上げた。スタジアムと繋がる形で聳える白亜の巨壁――ついに落成式を迎えた新生・新潟ドミトリー。防災シェルターを兼ねた広大な常設劇場を大深度地下に備え、全国各都市の劇場に直結する地下直通ロードの起点となる、この国の新たな防災の要所。
地下劇場のこけら落としは、明日に迫っている。
「防災娯楽都市としての新潟シティの再興は、この
そつのない美辞麗句で話を締めくくり、ミズホが聴衆に向かって頭を下げると、割れんばかりの拍手が満員のスタジアムに響きわたった。学会とは桁外れの規模の喝采の嵐……。一私人に過ぎない自分がそこまでの注目と賞賛を浴びることは、いかな秀才を自負するミズホといえど、気恥ずかしくて仕方なかった。
――そうか。あの子達は、いつもこんな景色を見ているんだな。
「次に、北陸ミリオン総支配人の
ミズホが関係者席に戻った直後、司会者の呼び出しに応じて壇上に上がったのは、黒のレディススーツをぴしりと着こなした和倉ナナオだった。ミズホが初めて会った頃と変わらない調子で、キツネのように目を細め、彼女は満員の聴衆に会釈して語り始める。
「皆様、新潟ドミトリー落成式へのご来場、まことにありがとうございます。……前座が長々語るのはお呼びでないと思うので、わたしからは一つだけ。皆様、北陸ミリオンを愛してくれていますかっ!」
ナナオが快活に言い放ったその質問に、観衆はノリ良く大声を上げて応えた。
「ありがとうございます。……では、いよいよ、皆様お待ちかねの二人の登場です」
彼女の声に合わせて、ステージの大画面に二人のアイドルの顔写真が大きく映し出され、会場の興奮はいよいよ最高潮に達した。
「声を嗄らしてお迎え下さい。北陸ミリオン・チーム21、『
瞬間、群衆の大歓声がわあっとスタジアムを包み込んだ。
大声援に応え、白地に赤の揃いの衣装を纏った二人がステージに姿を現す。
「こんにちは!
客席に向かって元気な笑顔で両手を振るのは、長く伸ばした茶髪を鮮やかに編み込んだ、太陽の化身のようなアイドル。
「同じく、北陸の
機械のように精巧な上目遣いで幾万の視線を釘付けにするのは、顔の両側で揺れる黒髪も艶やかな、小悪魔オーラの結晶のようなアイドル。
数年前に活動を再開した北陸ミリオン・新潟ブロックの最上級芸能チーム、チーム21を二枚看板で率いてきた二人が、華麗にシンクロした動きで客席に向かって頭を下げた。
彼女達の姿をステージの上に見上げ、ミズホも周りに合わせて拍手を送っていた。すると、頭を上げたばかりのツバメとヒバリが、揃って壇上から彼を指差し、「そこ、拍手が小さいっ!」と口をとがらせてきた。
途端に爆笑に転じる観衆達の様子に、ミズホは自分の眉がつり上がるのを感じる。こしゃくな小鳥どもめ、この自分を笑いのネタに使ってくれたな――。
よくよく考えてみれば、ミズホが彼女達と直接に意思疎通を交わすのはこれが七年ぶりになる。それなのに、いつも画面越しに二人の姿を見続けていたからか、とてもそんな時間が流れているような気はしなかった。
「えー、皆さんご存知だと思うんですけど」
マイクを手に、ツバメが視線の端にミズホを捉えたまま語り始める。
「そちらにお座りでいらっしゃる前津ミズホ博士と、わたし達とには、切っても切れない縁がありまして」
「ねー。散々いじめられたんですよ。スワちゃんとわたしが特別イベントに向けて頑張ろうとしてたら、『きみ達の力じゃ無理だ』って言われちゃったりね」
ヒバリの
もう、勝手にしろ――。
ミズホは片手で頭を押さえたまま壇上の二人を睨みつけた。
彼女達と知り合うまでは、アイドルという存在を避けて生きていきたいとまで思っていたのに――
久々に味わわされる破茶目茶な時間は、悔しいことに、随分と楽しく感じられた。
「一日早いけど、卒業おめでとう」
本日のセレモニーのメインイベント、ツバメとヒバリによるテープカットが終わった後、ミズホはナナオと並んで関係者席に降りてきた二人に祝いの言葉を贈った。もう二十二歳だといっても、法に定める
――そう、明日の二十四時までは。
「ねえねえミズホくん、ほんとに卒業コンサート来てくれないの? わたしはいいけど、スワちゃんはがっかりしてるよー」
ヒバリがティーンエイジャーの頃と変わらず黒髪をぴょこぴょこと揺らし、傍らのツバメの腕に抱きつきながらミズホに上目遣いな視線を送ってくる。ツバメは「わたしは別に……」などと言いながら、ミズホとヒバリに交互に視線をやっていた。
新潟ドミトリー地下の常設劇場は、明日、彼女らの卒業コンサートで初めて観客を迎え入れる。そこには新潟シティの市民だけではなく、THNグループの
残念だが、ミズホにはそれを自分の目で見届けることは叶わない。来週から始まる国際防災学会の主催を務める
「僕が見てなくても、きみ達は立派に羽ばたけるだろ」
ミズホが言うと、ツバメはじゃれてくるヒバリをいなしながら明るく笑った。七年前の特別イベントの夜を境に、彼女がそれまでよりずっと素敵な顔で笑うようになったことにミズホは気付いていた。
「帰ってきたら、皆で打ち上げパーティしなきゃねっ。ミズホ博士の奢りで!」
ヒバリが蜂蜜をぶちまけたような声を弾ませ、ニマニマと笑みを向けてくる。
「きみ達の方が稼いでるくせに」
ミズホが冷めた目を作って突っ込みを入れると、ヒバリもツバメもくすくすと楽しそうに笑った。
秋風の吹きつける新潟の空気は、もう肌に冷たい。
「あっ、トキ!」
ヒバリが黄色い声で天を指差す。ミズホの見上げた空には、白い翼をうっすらピンク色に染めた鳥が舞っていた。文明以来、数多の天災に見舞われながら、そのたびに瓦礫の中から這い上がって発展を続けてきたこの国。翼を鮮やかに広げて悠然と空を征く
「ひばりん達との打ち上げもいいけど……」
ヒバリがナナオと話している隙を見てか、ツバメがそっと小さな声でミズホに話しかけてくる。
「わたし、卒業して落ち着いたら、お父さんとお母さんのお墓参りに行かなきゃ。……ミズホくん、付き合ってくれる?」
「――いいよ。僕でよければ」
少し考えてからミズホが答えると、ツバメは満面の笑みを彼に向け、「よろしくね」と嬉しそうに囁いてきた。
出会った頃の、医者に彫刻されたような笑顔とも――
画面越しに見てきた、興行用のアイドルスマイルとも違う。糸井ツバメ自身の、持って生まれた感情を込めた笑顔で。
ミズホとアイドルの物語は、まだまだ終わらなそうだった。
(完)
【参考文献】
1.『改訂版 都市防災学 地震対策の理論と実践』(2012, 梶秀樹・塚越功, 学芸出版社)
2.『都市をつくりかえるしくみ』(2016, 専門性をつなぐ参画のしくみ研究会, 彰国社)
3.『都市経営時代のアーバンデザイン』(2017, 西村幸夫・編, 学芸出版社)
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