長編第2作『48million2 ~アイドル防災都市戦記~』
第1話 激甚災害
それは防げたはずの災害だった。
新潟近海を震源地とするモーメントマグニチュード9.5の大地震、そしてそれに伴う大津波の襲来を、人類の叡智を結集した災害予測システムは完璧に予知していた。高さ百二十メートル、総延長百キロメートルを超える日本海防潮ウォールは地震の数日も前から稼働し、自然災害が人類の安寧を脅かす時代が数世紀前に過ぎ去ったことを誇示するかのように、高層都市を守る
震度七以上の揺れが予測された新潟
人々の杞憂に反して、最新の耐震技術に基づいて計画的に整備された拠点都市には、天地を揺るがす大地震も傷一つ付けることはできなかった。地下に避難していた数十万人の市民たちが人類の勝利に安堵し、地上へ戻る準備を進めていたその時、ただ気まぐれに、地球は、日本海側の低気圧に向けて南方からの風を吹かせた。南風は山脈を越えて海側に吹き降ろし、一帯に乾いた空気と高い気温をもたらした。数世紀前の学者がフェーン現象と名付けたこの気象状況のもと、ただ一棟のマンションの、ただ一つの部屋の
奇しくもそれは、半日に一度、地下シェルターの酸素タンクに新鮮な空気を補充するための巨大な通気口が開かれている瞬間だった。地上から延びる数十メートルの管を通って地下世界に溢れ出した炎は、さながら噴出するマグマのようにシェルター内で牙を剥き、臨時役場を、通信システムを、自律農場を、学校を、病院を、オフィスを、劇場を、そして平和呆けした避難民を容赦なく焼き尽くした。防災省の虎の子である人工降雨消防システムも、地層の壁に隔てられた大深度地下空間で燃える炎にはまったく手を出すことができなかった。
「人間が地震と火災に負けた」
その衝撃的な報せはネットジャーナルとオムニビジョンを連日騒がせ、世間では科学万能論を否定する声まで巻き起こった。どれほど技術が進歩しようとも、人間は地球が起こすほんの僅かな気まぐれにすら打ち勝つことができないのだと、この国の人々は手痛い犠牲をもって思い知らされることとなった。
そして、この未曾有の大災害から数日後――
芸能立国たるこの社会を支配する「オータム」は、北陸ミリオンの新潟ブロックであるチーム21からチーム25の活動を無期限停止すると発表した。十万人を超える死傷者の中には、地下シェルター内の臨時ドミトリーに残り続けたために避難が遅れた北陸ミリオンの現役アイドルが一万人以上含まれていた。
そんな顛末を
幼いツバメから最愛の両親とそれまでの日常のすべてを奪ったあの火災について、周りの大人は彼女の頭と感情では処理しきれないほど多くのことを語り、彼女に慈愛と同情の視線を向けた。肉親を失ったツバメが生きる道は、「オータム」の早期芸能育成プログラムを受け、その庇護下に入ることしかなかった。何もわからない年頃でドミトリー外の養護施設に入り、行き届いた英才教育と心のケアを受けて育つ内に、ツバメは「オータム」を自分の家と思うようになった。生まれつき運動神経には恵まれていたらしい彼女は、まだアイドルになる年齢を迎える前から、アップテンポな曲に合わせて激しいダンスを踊りこなすすべを身につけることができた。
「新潟の生き残り」と世間で呼ばれたツバメたち疎開孤児に対しては、十三歳から二十二歳までのアイドル期間中、たとえ積極的な芸能活動に精を出さなくとも、人気投票10,000位以内クラスの手厚い生活保障を与えると「オータム」は表明していた。だが、多くの同級生女子がその温情に甘んじることを選ぶ中、中学生になりドミトリーに入ったツバメは、迷うことなく芸能活動への積極参加を「オータム」に申し出た。動画配信と定例握手会の義務活動だけをこなして生きる名ばかりのアイドルではなく、本当にファンの笑顔のため活動する芸能スターになりたかったのである。
「あの人みたいになりたいんです」
チーム決めの最初の面接で、ツバメは思いの丈を「オータム」の管理スタッフに打ち明けた。面接担当のスタッフ達は身を乗り出すようにして彼女の話を聴いてくれた。新人アイドルの九十九パーセントまでが「自分は芸能活動はいいです」と述べる中、スターダムへの道に名乗りを上げる一パーセント側の新人は「オータム」にとっても至宝に違いなかった。
「両親が居なくなって、泣いてることしかできなかったわたしに……あの人が、笑顔をくれたんです」
「それで、彼女のようなアイドルになりたいと」
「……はい。わたし、あの人をも超えるアイドルになって、国じゅうの苦しんでる人達を笑顔にしたいんです」
ツバメがスタッフ達を見渡し、やや緊張の混じった声で宣言すると、男性スタッフの一人がそれに反応して笑いを漏らした。それは決してツバメを見下す笑いではなく、彼女の無謀ともいえる言葉に感動して溢れ出た震えのように見えた。
「通年ランキング一位に三度も輝いたあの伝説のアイドルを、きみが超えるというんですか」
「……あの、不遜でしたらごめんなさい」
途端に恥ずかしくなってツバメが背中に汗を感じていると、その男性スタッフは口元に温かな笑みを浮かべて、優しい口調で彼女に言った。
「なにが不遜なものですか。我々はきみのような逸材を待っていたんです」
ツバメが彼の発言にはっとなっていると、男性の隣に座る、アイドルを卒業して何年も経っていないとみえる女性スタッフが発言のバトンを受け取った。
「私達、北陸ミリオンからは、過去百年間に一度も『
「……知ってます」
「私達の世代も必死に頑張ったわ。それでも、地方の壁を破ることはできなかった。……『北陸は不遇』という負の伝説を、あなたの代で覆してみせるというのね」
女性の目はツバメの覚悟を試しているようにも、その挑戦を歓迎しているようにも見えた。
「はい。わたし、北陸ミリオンから初の全国一位を目指します」
必死に緊張を吹き飛ばし、出来る限りのきりりとした表情を作ってツバメが言うと、スタッフ達は感心した目つきで何度も頷きを繰り返していた。
「我々としては、迷うところは何もありません。きみの所属はチーム15……北陸ミリオン金沢ブロックの最上級芸能チームとします」
中心の男性が告げた瞬間、ツバメは自分の顔にぱあっと熱い血流が流れ込むのを感じた。
「我々の悲願、北陸ミリオンの名を全国に轟かせることに力を尽くしてください」
「はい。わたし、頑張ります!」
意気揚々と弾む気持ちでツバメは面接ルームを出た。そこで次の面接の順番を待っていた新人アイドルと軽く会釈を交わしあった。
そのまま立ち去ろうとすると、ツバメの背後から、その女の子がふいに声をかけてきた。
「あなたも芸能組?」
鳥のさえずりのようなその声は、ツバメの鼓膜に甘くからみついてきた。
振り返って彼女の姿を見ると、艶やかな黒髪を頭の両サイドに垂らした同い年のはずのその少女は、いたずらっぽい上目遣いを作って、まん丸な目でツバメの顔を覗き込んでくる。
「……うん。あなたも?」
計算され尽くしたような彼女の可愛さと勢いに気圧されながら、ツバメがなんとか意味のある言葉を返すと、彼女は質問に答えるかわりにそっとツバメの片手を自分の両手で握ってきた。
「
まるで握手会に慣れた人気アイドルがファンの心を鷲掴みにするように――ヒバリと名乗ったその女の子は、心を蕩けさせるような眼差しで、ツバメの両の瞳を見つめていた。
「い、糸井ツバメです。……よろしく」
「ツバメちゃんだね。覚えたよっ」
ふふっと微笑みながら手を振って、その少女、四十万ヒバリは面接ルームへと消えていく。彼女を呆然と見送りながら、ツバメはふと、小悪魔系、という大昔の表現を思い出していた。
――ああいう子が世間では人気アイドルになるのかな。
ドミトリー内のマンションに帰る道すがら、ツバメの脳裏には先程のヒバリの笑顔が浮かんで離れなかった。生きた人形のような可憐さ。一度聴いたら忘れないキャンディのような声。男性ファンのハートを一瞬で射止めそうなあの視線。
だけど、違う。
ヒバリには悪いけど、ツバメの中の理想のアイドル像は、あのタイプではない。
ツバメが目指すアイドルは、幼き日に見た「彼女」だった。地下シェルターを地獄絵図に変えた大火災から命からがら救助され、焦土と化した地上の街でずっと泣いていたツバメに生きる道を示してくれた彼女の笑顔を、ツバメは片時も忘れたことがない。
目を閉じれば今でも、ツバメの瞼の裏にはあの日の光景がよみがえる。
「ほら、一位のお姉さんだぞお」
男性の救助隊員が幼いツバメを抱きかかえ、若い女性の前に引き合わせる。ツバメが泣き止むまで、その女性はずっとツバメに優しい声をかけ続け、その頭を撫で続けてくれた。
女の子はみんな、大きくなったらアイドルというものになるのだということは、ツバメも両親から聞いて知っていた。
「お姉ちゃん、アイドル?」
ツバメがようやく泣き止んで発した初めての一言に、彼女は満面の笑みを浮かべて答えてくれた。
「うん。アイドルだよ」
清楚や可憐や華奢といった語彙はもちろん当時のツバメの知識にはなかったが、彼女が全身から凄まじい輝きと癒しのオーラを発する女神さまのような存在であることは、五歳になったばかりのツバメにも理屈抜きでよくわかった。
この国を代表するトップアイドルの一人であった彼女が、被災者の慰問のために他の著名人に先駆けて真っ先に新潟の大地に降り立ってくれていたことを、ツバメはずっと後になってから知った。このとき既に二十二歳だった彼女が、アイドル人生の最後にまたひとつ大きな伝説を残したのだということも。
「負けないで」
その人は言った。両親の死すらもまだ理解していなかったツバメに、彼女は慈愛に満ちた言葉で、一言一言を噛み締めるようにゆっくりと語りかけてくれた。
「今はどんなに辛くても、下を向かないで。前のめりに走り抜けた先には、きっと希望があるから」
ツバメは見た。彼女の優しい瞳の奥に映る銀河の煌めきを。
その出会いが、幼いツバメの人生を決定した。
「お姉ちゃん、名前は?」
去りぎわ、救助隊員に抱かれたままのツバメが名を尋ねると、その人はふっと笑って答えてくれた。
「……チクサ。
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