第16話 シナリオ

『不動のセンターVS無名アイドル。果たして勝負になるのか』

『未だにチクサちゃんを無名なんて言ってるやつがいるのかよ』

『金山は穢れアイドル。有名無名以前の問題』

『運営の陰謀でクリス様に挑まされたチクサちゃんの運命やいかに』

『こんな茶番に駆り出されるクリスのほうが迷惑』

『さすがに八百長で金山に勝たせてやるんだろ? 見え見え』

『運営さんはとうとうクビにしたアイドルを再利用してまで金儲けがしたいようです』

『第一級異性交遊のセンテンスがある時点で金山チクサの勝ちなんてありえない』

『センテンスがなくても勝ってるところないけどな』

『チクサちゃんの瞳はハルナ様にも匹敵する逸材ですよお前ら』

『ハルナ様とかとっくに賞味期限の切れたババアだろ』

『ここまで実力でチクサが勝つ予想が一件もない件について』

『アイドル歴たかだか三年で栄超えできるわけねえだろ。常識で考えろよ』

『栄だってまだアイドル歴五年なんですが』

『クリスは神だから例外。人間が神に勝てるかよ』

『真面目な話、異性交遊の件をなしにしても金山がクリスに勝てる要素あるの?』

『全く無いしその件をなしにする前提がまず成立不可能』

『ルールを破ったクズに再チャンスを与えるとか運営も血迷ったな』

『チクサ信者からの擁護はまだですか』

『ていうか勝敗の仕組みってどうなってるの』

『公式見てないのかよ』

『当日スタジアムに集まった観客からのリアル投票。金山派がどう頑張っても不正は無理』

『チケットの当選をチクサ信者が全部押さえればあるいは』

『金山推しは素人配信を面白がってるだけだろ。わざわざ金払ってコンサートまで来るかよ』

『そうは言っても六百万人も登録者いるんだから一万人くらいは来るだろ』

『クリス推しがこの国に何百万人いると思ってるんですか』

『栄のファンはそもそも栄が負けると思わないから投票もしない。油断を突いて金山ファンが勝つ』

『一般ファンがこんな対決を無視してる傍らで金山信者は端末に張り付いてるからな』

『だから会場に来たやつだけの投票だって言ってんだろ』

『お前らチケット申し込んだの?』

『急な告知だったし仕事休めないから無理』

『二十五世紀にもなって日曜に仕事してる底辺さんお疲れ様です』

『抽選申し込んだけど外れた。こんなの当たるわけねえ』

『これ倍率二百倍くらい?』

『会場のキャパシティはたかだか五万人だからな』

『こんな茶番を金払って見たがるやつがそんなにいるのかよ』

『だから金山推しのアホは全員申し込むんだって』

『いや普通に見たいだろ。なんといっても栄クリスのほぼ単独コンサートだぞ』

『他の東海メンバーも一応出るんですが……』

『チクサちゃんが誰にも相手にされてなくて本当笑える』


 大学のラボで卓上端末インターフェースの画面を流し読みしていた前津ヒサヤは、ふうっと息を吐き、うんざりした気分で会議場フォーラムのウインドウを閉じた。これ以上読み進めても似たような意見が並んでいるだけだとわかりきっていた。

 栄クリスと金山チクサの公開対決が予告されてから二日。ネットワーク上で飛び交う意見はどこも同じようなものだった。そしてそれは、サンシャインタワーの看板サイネージでクリスが対決を告げたあの瞬間から、きっとこういう反応になるのだろうなとヒサヤが予想していたとおりの流れだった。

 別のフォーラムでは、金山チクサが対決に敗れた場合にはアイドル活動を生涯行わない旨の誓約を強いられるという条件について、「チクサがそれだけのものを背負うのに、クリスは負けても失うものがないのは不公平」との声もあった。だが、それに対しては、「運営の企画に駆り出されただけのクリスが何かを賭けさせられる方がおかしい」との至極真っ当な反論、そして「チクサのアイドル人生は元々終わっていたのだから、復帰のチャンスが貰えるだけでも大幸運。対してクリスはもし一介の脱退アイドルに負けたとなれば今まで積み上げてきた栄光に傷をつけられる。重いリスクを背負わされているのはクリスの方だ」との意見も述べられていた。

 どちらの肩を持つかはともかく、理屈はもっともだとヒサヤは思った。栄クリスは憎むべき敵などではない。彼女自身もまた、「オータム」に利用されるただの駒にすぎないのだ。クリスという個人にどう立ち向かうかを考えていたのでは、この対決にチクサが勝つことなどできない。

 そう、この戦いは、クリス対チクサのアイドル対決などではない。「オータム」の描いたシナリオをどう覆すかという戦いだった。

 追放された金山チクサに貴重なチャンスを与えた「オータム」。トップアイドルのクリスに果敢に立ち向かうチクサ。だが健闘の末に敗れ、彼女のアイドル復帰は叶わなくなる。大衆はその瞬間だけチクサに同情するが、少しも経たない内に彼女のことなど忘れるだろう。チクサのインディーズ活動を応援していたファンは、復帰を懸けた大舞台を見届けたことで燃え尽き、やがて普通のアイドルを普通に応援するファンに戻るだろう。「オータム」は寛容で柔軟な組織であるという評判を高めるが、それすらもすぐに話題にされなくなる。アイドル社会の仕組みはそれまでと何も変わらぬ形で動いていく。そこに金山チクサの席はない。

「……上手くできてやがる」

 ヒサヤは改めて、「オータム」という巨大な組織のしたたかさ、そしてその支配体制の盤石さを痛感していた。

 金山チクサはもうミリオンのメンバーではないのだから、「オータム」が勝手に決めた対決イベントなどに出ていく必要はない……という理屈も通用しそうになかった。チクサのインディーズ活動を応援してくれるファンが百万人や二百万人いたところで、結局、この国の大衆にとってアイドルとは「オータム」支配下のミリオンメンバー以外にありえないのだ。

 対決の誘いを拒み、「オータム」を無視してインディーズアイドルを続けることは、理論上は可能だろう。だが、ファンはもう付いてこない。「オータム」のシナリオに乗ることを拒んだ瞬間から、大衆にとっての金山チクサとは、アイドル復帰を目指して奮闘する健気な少女ではなく、アイドルを諦めて意味不明な素人芸を続けている何かに成り果ててしまう。それでも酔狂なファンはいくらか残るだろうが、そんなものが彼女の幸せであるはずがない。

 チクサが夢を叶えるためには、戦って勝つしかないのだ。

 だが……。

『セブン・シスターズに無名アイドルが挑むとか、身の程知らずにも限度がある』

 そんな発言をヒサヤはネットワークの至る所で目にしていた。「オータム」が用意した栄クリスという舞台装置は、チクサが少しの努力で越えられるような壁ではなかった。ヒサヤは持ちうる情報収集能力のすべてを駆使して、チクサを勝たせるシナリオを探ろうとしていたが、調べれば調べるほど、クリスの恐ろしさが引き立つばかりだった。

「セブン・シスターズ……」

 ギリシア神話の昔から、人類は特に優れた七つのものの取り合わせに「七姉妹セブン・シスターズ」の名を冠して讃えてきた。前千年紀の終わりに全世界のエネルギー資源を支配したと言われる石油資本七社。アメリカ合衆国きっての名門と謳われた女子大学七校。二十二世紀から二十三世紀にかけて栄華の限りを極めたアジアのIT系七大財閥。そして現代の我が国では、その名は人知を超える偉業を成し遂げたトップアイドルに与えられる。

 毎日発表される人気投票の結果を通算し、年度を通じて最も多くの票数を得た七人のトップアイドルがその栄光に浴する「セブン・シスターズ」の称号。栄クリスはデビュー以来の五年間、その座から陥落したことがない。ただの一度もである。

「……化け物か、こいつ」

 実績のあるアイドルはさらに評価の機会に恵まれ、ますます実績を積み上げていく。大衆がクリスを応援するのは当たり前だった。そして、クリスの方が上であると大衆が強く認識している以上、仮にチクサが対決の場でクリスよりも優れたパフォーマンスをしたところで、決して勝たせてはもらえないのだ。 それは不公平でも何でもないこの国の真実であり、自由競争と機会の平等という思想が誕生して以来の人類普遍の真理でもあった。

 それでもチクサを勝たせる道があるとすれば、それはもう、コンサートの日までに彼女の異性交遊の疑いを晴らすことしかない。「オータム」の誰かに濡れ衣を着せられ、無実の罪で脱退に追いやられたアイドルが、それでも諦めずに夢のステージに戻ろうとしている――そういう筋書きを鮮烈に印象づけることができれば、この対決イベントに対する大衆の見方も変わる。このままチクサからアイドルの道を奪うことが権力の横暴と映るようになり、クリスが勝ってはいけないという空気ができる。コンサート会場に集まる人々の頭の中に、クリスを勝たせることは悪であり、チクサを救い上げることこそが正義であるという構図ができる。神との対決でチクサが勝利を収めうるシナリオは、もうこれしかない。

 だが、どうやって?

 巨大組織ぐるみの陰謀を暴くには、ヒサヤはあまりに無力だった。杁中いりなかカワナ教諭が協力を申し出てくれたことは、一つの手札にはなりそうだったが、彼女が証言台に立つ程度では事態を覆すのは無理だろう。にしきという男がどれほどのやり手なのかはわからないが、たとえカワナやチクサ自身が涙ながらに彼の所業を訴えたところで、証拠がないままでは黙殺されるのが落ちだ。へたをすれば、ネットワーク上でますますチクサへのバッシングの声が高まることすら有り得る。服役中の黒笹ミヨシももちろん当てにはできない。

 関係者の証言などではだめだ。チクサの無実を証明する絶対の手立て、錦がチクサを嵌めたという確たる証拠を大衆の前に提示できなければ、世論を味方に付けることなどできない。

 それには、錦を配信動画に出演させ、自ら白状してもらうのが一番いい。だが、そんなことができるはずはない。一体どうすれば……。


 と、ヒサヤが一人きりのラボで思考の海に浸っていると、パーソナルラインの着信を示す携帯端末のアラームが彼の意識を俗世へと呼び戻した。先日の訪問時にIDを交換していた杁中カワナからの着信だった。

「先生。何かあったんですか」

「ううん。チクサちゃん、どうしてるのかなと思って。あの宣戦布告の日から、ライブの配信もしてないみたいだから」

 カワナの口調は穏やかだったが、その声色には彼らに対する本気の心配が滲み出ているように思えた。自分も協力すると言った手前、気が気でないのだろう。

「今ライブをやっても、アンチから心無い声を浴びせられる可能性がありましたから。チクサちゃんは弟と一緒にコンサートの自主レッスンに励んでますよ」

 ヒサヤが述べたことは事実だった。クリスと正面からアイドル対決をしても意味がないことをヒサヤは読み切っていたが、あくまでチクサとツルマの中では、当日まで必死でパフォーマンスを磨き上げ、アイドルとしての魅力を観客にアピールするのが目標のすべてであるようだった。もちろん、それはそれで必要なことでもあるので、ヒサヤもわざわざ彼らの青春物語に水を差すようなことはせずにいたのだ。

「……勝てそうなの? チクサちゃんは」

 カワナは焦る気持ちを隠すこともなく尋ねてきた。この人になら言っても大丈夫だろうとヒサヤは判断し、正直な見解を伝えることにした。

「今のままでは無理です。俺達が彼女の無実を証明できない限り、ファンは彼女を勝たせてくれないでしょうね」

 俺達が、と言ったのは、特にカワナの協力を求める意味ではなかった。「俺達」に誰から誰までを含めるのかも明確に意識していたわけではなかったし、そもそもヒサヤはいざとなれば自分一人で動くつもりでいた。

 だが、そんな彼の胸中を知ってか知らずか、この献身的な女性教師は端末越しにこんなことを言ってきたのだ。

「わたし、囮になってもいいわ」

 その言葉には悩み抜いた末の決意が込められているように聴こえた。ヒサヤがつい「囮?」と聞き返してしまったので、カワナは続けて自分のプランを披露してきた。

「わたしが囮役になって、錦をどこかのホテルの一室に呼び出すの。それで、うまくチクサちゃんのことを喋らせる……。その録音をネットワークに流せば」

「無理です。相手は計略に長けた人間です。そんな不自然な呼び出し、警戒されない訳がない」

「身体を使ってでも喋らせるわ。チクサちゃんのアイドル生命を守るためなら、わたし、色仕掛けくらい……」

 彼女は本気らしかった。ラインをかけてくる時点でここまでは考えていたのだろうな、とヒサヤは思った。

「先生。そういうことではないんです」

 カワナの提案は感動的ではあったが、その程度の策が敵に通用するはずがなかった。まず呼び出しに応じてくれるはずもないし、録音を警戒しないことなど考えられない。まして色仕掛けで頼み込んで罪を告白してもらうなど……。

「……いや、待てよ」

 瞬間、ヒサヤの中に閃くものがあった。

「警戒……囮……」

 それらの単語をキーとして、瞼を閉じた彼の脳内で高速の演算が駆けめぐる。敵の性格と立場。チクサへの逆恨み。手段を選ばない卑劣さ。カワナとの過去。コンサートまでの日数。配信チャンネルの存在。そして……自分と弟。

「ヒサヤくん。どうしたの?」

「……いけるかもしれない」

 数秒の内に考えをまとめ上げ、ヒサヤは、かっと目を見開いた。

「先生。錦をホテルに誘い出す役目は、本当にお願いすることになると思います。でも、先生が『最古の職業』に手を染める必要はありませんよ」

 簡単な手はずだけを説明し、もしもの場合に備えて半日に一度は互いの安否を確認しあうことを約束して、ヒサヤはカワナとの通話を終えた。

「……ちょっと、派手に動く必要があるな」

 今や彼の脳裏には、諸悪の根源を完膚なきまでに屈服させ、弟の女神の夢を守るためのシナリオが組み上がっていた。

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