二話 昼食の誘い

「……いや、どうしてそうなるんだい?」


 早朝の教室で大河がため息を零しながら頭を押さえ、呆れたように言ってくる。

 俺としてはその反応は心外だった。


「折角感謝してるのにその反応は酷くないか。俺はお前の熱心な布教活動のお陰で天才的な発想に至ることができたのに」

「感謝は素直に受け取っておくけど、僕の布教活動がまったく別の方向に活かされたことに関しては複雑だよ」


 七星さんとの偽装交際を始めることになった翌日。

 俺は早速大河にそのことを話していた。

 話すかどうか悩んだが、偽装交際に至ったのはこいつのお陰というところもあったし、まぁそれなりに信頼しているから大丈夫だろうという判断だった。


 だからこうしてそのことについて感謝しているのに、反応はあまり芳しくない。


「……前から思ってはいたんだけどさ、悠斗ってもしかしなくても結構バカだよね」

「感謝を罵倒で返してきたのはお前が初めてだなんだやるのかやる気なのか」

「冷静に考えてみなよ。現実とラノベの世界を一緒にしてどうするの」

「お前が言うな、お前が!」


 俺は知っている。

 この見た目だけはイケメンの成瀬大河が漫画やラノベのキャラを真似して一人称を〝僕〟にしていることを。

 週刊少年漫画のキャラに影響されて中学生の頃、学ランの下にパーカーを着こんでいたことも!


「僕はそれを自覚した上でそうしているからいいんだよ。でも聞くところによると悠斗、君の場合は違うじゃないか。現実の女子に偽装交際を持ち掛ける人間なんて、僕は見たこともなければ聞いたこともないよ」

「天才は理解されないものだからな」

「はいはい」


 冷たくあしらわれた。


「というか、大河がバカなら七星さんも七星さんだよ」

「おい、ナチュラルに俺をディスるな」

「偽装交際なんて提案、する方もする方だけど受ける方もどうかしてる。まぁ、財閥のお嬢様の住む世界が僕たちからすれば非現実っていう意味では、二次元と同じなのかもしれないけどね」

「七星さんもメリットがあるって思って受けてくれたんだろ」

「そりゃあそうだろうさ。でもデメリットの方が大きいよ。何せ野心家に財閥の名前を好き勝手使われるんだからね。むしろ恋愛目的で近付いてくる人間の方がよほど御しやすい」

「たぶんそういうのが嫌なんだろ、七星さんにとって。だから彼女に恋愛感情を持っていない俺の提案を受け入れた」

「ふーん、まあそういうことにしておこうか」


 一々含みのあるやつだな。

 でもまあ、俺にも彼女にもメリットがあるんだからいいじゃないかと思う。


 この世の中はメリットとデメリットで動いている。

 その最たるものが金であって、俺はその金を多く稼ぐためにできることをやる。

 今やっているバイトだってそのためのものだし、七星さんとの契約も言わずもがな。

 それは彼女にとっても同じだろう。


 俺がぼんやりと考えていると、大河がニッと笑みを浮かべて身を乗り出してきた。


「でもさ、悠斗がラノベを参考にしたっていうならさ、そういう物語は大抵偽装交際が本物になるんだけど。……その点はどう考えてるの?」

「は? ないない。現実とラノベを一緒にするなよ。そんなことでほいほい誰かを好きになるわけないだろ」

「え、なに、こわ、怖いよ。大丈夫? 手首ねじ切れてない?」


 オーバーリアクションをしている大河の額にデコピンを入れる。

 これまた大袈裟に「いったぁ~」と叫び声をあげて蹲った。


 これ以上話していてもまたバカにされそうな気がする。

 俺は、話は終わりだと言わんばかりに大河から視線を切ると、窓の外を向いた。

 それでも数秒は痛がる演技を続けていた大河だったが、突然静かになると同時に教室内がざわめきだした。


 彼女が登校したんだろう。


「ねえ、悠斗。君は今回のことがメリットしかないと思っているみたいだけど、大変なのはこれからだよ」

「これから?」


 不穏なことを言われて思わず大河の方を見てしまう。

 彼はにんまりと笑みを刻んで俺を見ていた。


「そ、これから。まあ僕なんかは特殊な生き方をしている人を見るのが好きだから、これから楽しみにしておくよ。じゃ」

「お、おいっ」


 言うだけ言い切って、俺に背中を向けて椅子に座り直しやがった。

 まあこいつはこういうやつだからな。

 ラノベのキャラに影響されてか、特に意味もなく含みを持たせた話をするのが好きなんだ。


 良くも悪くも自分に正直な生き方をしているところを俺は気に入っていたりする。

 本人には絶対に伝えないが。


 教室の正面の時計を見れば先生が来るまであと五分ほどになっていた。

 一限の英語の小テスト対策でもしようかと、鞄の中から英単語帳を取り出して机の上に広げると、突然影が差した。


「ん……?」


 顔を上げると、すぐ傍に七星さんが立っていた。

 俺が気付くと、彼女は一瞬逡巡する素振りを見せてから、意を決したように口を開いた。


「お、おはようございますっ、赤坂さん」

「おはよう、七星さん」

「……あの、赤坂さんはお昼ご飯を何かご用意されていたりしますか?」

「いや、いつも購買で適当に何か買っているけど」

「で、では、お昼ご一緒しませんか?」

「え?」


 突然のことに困惑の声を返してしまう。

 いつもなら落ち着きを取り戻すクラスメートたちが、俺たちのやり取りにさらにざわついている。

 目の前では大河が背中を震わせていた。


「あの、ご迷惑でしたら……」


 俺が返事をしないでいると、七星さんはしゅんとした様子で弱々しく言った。


 ……そういえば、彼氏としてきちんと関わるっていう契約だったな。

 とすればこれもその一環なんだろう。

 なら、断るわけにもいかない。

 何より、残念そうにしている七星さんが少し可哀想だった。


「わかった、いいよ」

「! で、では、お昼休みにお迎えに上がりますねっ」

「え、お迎え?」

「はいっ」


 同じ教室なのにお迎えとは。

 俺が疑問を投げかけようとするが、それよりも先に七星さんは上機嫌で自分の席へ戻っていった。

 そういえば、財閥のお嬢様って学校で何を食べてるんだろう。

 重箱の弁当箱に高級食材とかを詰めてきているんだろうか。


 遠目から俺のことを窺うクラスメートから意識を背けるために、そんなことを考えていた。

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