二十話 夢
バイト終わりの慣れ親しんだ疲労感を抱えたまま帰宅した俺はいつものように制服を脱ぎ捨てると、鞄の中から大河に貰った雑誌を取り出した。
それを抱えたままベッドに倒れ込む。
もう何度も目を通したその雑誌をぼんやりと眺めながら、「俺がしたいデートか」と独り言を零していた。
どこに行きたいとか、何をしたいとか、そういう具体的なものがどうしても思いつかない。
雑誌を見てデートプランを考えながら脳裏に浮かぶのは金のことばかり。
この施設の利用料金はいくらだとか、レストランのメニュー価格帯はこれぐらいだとか。
「……流石にそれがまずいのはわかってるんだが」
それ以外の要素で考えることが思いつかない。
俺が七星さんのことを好きだったら、また違った考え方が出来たのかもしれないとは思うが、そんなことを考えても仕方がない。
「どうするか……」
デートの日までそう長くはない。
いっそのこと七星さんが来たいと言っていた俺の部屋に招待するか。
そんなことを考えてしまったが、それだけはないと首を横に振った。
◆ ◆
「ゆうちゃん、はぐれないようにおてて繋いどきましょ」
「はーい!」
懐かしい声がした。
穏やかで、優しい声。
見上げると、そこには母さんがいた。
俺は母さんの手を握り返す。
「悠斗、父さん、チケットを買ってくるから母さんと離れないようにな」
「うん!」
隣で親父がそう言って俺たちの傍を離れていった。
俺の目に映る親父は、ずっと若く、優しそうに見える。
チケットを手に戻ってきた父さんと共に、俺たちは水族館の館内へ入った。
視界が随分と低い。
目に映るものすべてが大きくて、高く見える。
薄暗い館内で、俺は親父と母さんに手を繋がれて水槽を眺めて歩いていた。
時折俺に話しかけてくる二人の声が嬉しそうで、なんだか俺まで嬉しくなる。
――楽しい。
水槽の中を泳ぐ魚を見るのも楽しいけど、何より俺が水槽に張り付いて見入っている間、少し後ろからにこやかに笑い合いながら話をしている二人のことを見るのが楽しかった。
水槽の反射に映る両親を見ていると、不意に巨大な影が俺を覆った。
水槽の中に意識を向ければ、巨大な魚が丁度目の前を横切っていた。
優雅に泳ぐその姿にひとしきり目を輝かせる。
「見て! すごい大きなお魚さん!」
自分の中の感動を両親に伝えようと声を上げる。
しかし、返事はなかった。
俺は不思議に思いながら振り返る。
先ほどまで両親がいたその場所に、しかし二人の姿はなかった。
「あれ……? 父さん、母さん……?」
途端に不安になりながら、俺は館内を見回す。
だけど、どこにも姿はない。
俺は焦燥を抱きながら走り出した。
館内を走って、走って、走って、そして何かにぶつかった。
「ご、ごめんなさい!」
ぶつかったのが人だと瞬時に悟って、床に尻もちをついたまま謝る。
顔を上げると、視界で純白の髪が揺れた。
「――――」
眼前に立つ少女に、俺は言葉を失う。
ゆっくりと立ち上がると、いつの間にか視界はぐんと高くなっていて、目の前の少女と同じぐらいだった。
彼女の青い瞳と俺の目が交差したその瞬間――世界が突然真っ白になった。
◆ ◆
「……どういう夢だよ」
目を覚ましてすぐに、今の今まで見ていたものが夢だったと悟った。
夢の最後にいた少女、あれは間違いなく七星さんだった。
そして彼女と会う直前の、たぶん小学生の頃の俺は、両親と一緒に水族館を訪れていた。
……そんなことがあったのか、俺は覚えていない。
もしかしたら本当に両親と水族館に行ったのかもしれないけど、記憶にはなかった。
夢なのか記憶なのか、どちらか判然としない。
ただ、楽しそうではあった。
「……水族館、か」
ポソリと呟きながら、俺は早速雑誌を開き直した。
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