二十八話 記念撮影

 イルカショーが終わって、わたしは逃げるようにトイレに駆け込んだ。

 広い鏡の前で少しだけ濡れた髪を軽く拭って梳かしながら、つい先ほどの出来事を思い出す。


「~~~~っ」


 顔が熱くなる。

 鏡を見ると真っ赤になっていた

 ……こんなの、赤坂さんに見せられないっ。


 両頬を押さえて顔を冷やそうと試みる。

 どうしても緩んでしまう口元を、両頬を押さえる手の力を強めて引き締めようとする。


「えへへ~」


 ダメだった。


 お菓子をねだる子どもみたいにその場で足踏みをしていると、周りの人に可哀想なものを見る目で見られてた。

 苦笑いと小さな咳払いで誤魔化して、逃げるようにトイレを出た。


 トイレの近くの柱に立って待っていたる赤坂さんに近付く。

 ジャケットはまだ少し濡れていて、赤坂さんは腕にかけていた。


 ……あのジャケット、貰えないかな。


「七星さん?」

「っ! お、お待たせしました!」


 頭の中に浮かんだ邪心をぶんぶんと振り払いながら頭を下げる。


「それじゃあそろそろ出ようか。もう16時だし、あんまり遅くなるのもね」

「も、もう帰るんですか?」

「一応今日の予定はこれで終わりだけど、どこか見直したいところとかあるの?」

「い、いえ……」


 つい反射的に口に出てしまったけど、言ってから少し後悔した。

 これだとまるで赤坂さんのデートプランに不満があるととられても仕方がない。


 ……わたしは、もう少し赤坂さんとデートしたいだけなのに。


「大河に貰った本にも、初めてのデートは夕食前には解散したほうがいいって書かれてたしね」

「……? 今なんと?」

「ああ、こっちの話」

「……わかりました。今日は帰りましょう」


 あまり我儘を言うとはしたない女だと思われてしまう。

 名残惜しいけど、わたしは素直に頷いた。


 せめてもの抵抗に、少しだけゆったりとした歩調で歩く。

 赤坂さんもそれに合わせて歩く速度を落としてくれた。


 ……えへへ、作戦通り。


「何が?」

「っ、こ、こちらの話です!」


 しまった、声に出てしまっていた。

 顔の前で両手をパタパタとして誤魔化しているうちに、水族館の出口近くまで来てしまった。


「あのー、もしよろしければお写真撮っていかれませんか?」


 いよいよ水族館を出ようかというところで、近くのスタッフの方が声をかけてきた。


「写真?」

「はい! あちらのコーナーでイルカのぬいぐるみなどを持ちながら記念撮影を! ミニ写真は無料でプレゼントいたしますので、ぜひ!」


 スタッフの方が指し示した方を見ると、数組の列ができていて、その先でイルカや魚のぬいぐるみを持ったカップルがピースをしながら写真を撮られていた。


 ……赤坂さんと写真、撮りたいっ!


「記念写真か。七星さん、どう――」

「撮りましょう!」

「反応はやっ。まあ、七星さんがいいなら」


 やったっ!


 スタッフの方の誘導に従って列に並ぶ。

 二組のカップルと、一組の親子が撮影を終えていよいよわたしたちの番になった。


「こちら、ご自由にお使いください」


 そう言って、スタッフの方がたくさんのぬいぐるみが入ったカゴを手渡してきた。


「赤坂さんはどれにしますか?」

「どれでもいいけど、合わせようかな」

「じゃ、じゃあ赤坂さんはこれにしましょう!」


 そう言って、青色のイルカのぬいぐるみを取り出して手渡す。

 続いてわたしも同じタイプのイルカのぬいぐるみ、ただし色がピンク色のものを取り出す。


「七星さん、好きだねイルカ」

「イルカさんには感謝してもしきれませんからっ」

「感謝?」

「あっ、なんでもないですっ」


 困惑する赤坂さんを引き連れて撮影エリアに入る。

 三脚に乗ったカメラを弄るスタッフさんが、「はーい、もう少し寄って下さーい」と指示を出してくる。


「よ、寄るっ、……寄る……っ」


 指示を小さく反芻しながら、チラリと赤坂さんを窺いつつ、少しづつ距離を詰める。

 すると突然赤坂さんの方から距離をつめてきた。


「……!」


 肩と肩が触れる。

 目の前ではカメラマンさんが満足したように「はい、じゃあ撮りますよー」と手を挙げていた。


「七星さん、ぬいぐるみ」

「は、はい!」


 赤坂さんがぬいぐるみを軽く掲げるのに倣ってわたしも持ち上げる。


「3、2、1、はい、チーズ」


 パシャリとカメラが光った。

 笑顔にならないといけないのに、わたしはそれどころではなくてかちんこちんになってしまっていた。


 撮影が終わってぬいぐるみを返却していると、わたしたちに声をかけてきたスタッフさんがまた話しかけてきた。


「ミニ写真の方は一枚無料でプレゼントいたしますが、700円で大きめの写真をフォトフレームで飾ったものもご購入いただけますが、どうしますか?」

「あ、ぜ、是非――」


 買います! と言いかけて、今のわたしが現金を持っていないことを思い出した。

 カードは取り出すなと赤坂さんに言われているし、何よりカードでは買えないだろう。


 残念だけど、仕方がない。


「じゃあ、一枚お願いします」

「……っ!」

「かしこまりました。そちらでお待ちください」


 スタッフの方に指示された場所に移動する。


「……その、赤坂さん、よかったのですか?」


 失礼かもしれないけど、赤坂さんはこういうものを買うような人には見えない。

 わたしが訊ねると、赤坂さんは頬を掻きながら答える。


「まあ、ミニ写真は一枚だけみたいだし、カップルとして振舞うには二枚あった方がいいからね」


 ……やっぱりそういうことでしたか。


 内心でがっくりしていると、封筒を持ったスタッフの方が近付いてきた。


「こちらになります。ありがとうございました~」


 そう言って手渡された二通の封筒を赤坂さんが受け取ると、大きい方をわたしに手渡してきた。


「はい、七星さんの分」

「あの、こちらをいただいてもいいんですか?」

「俺の家は飾るようなところもないしね。迷惑じゃなかったら貰ってよ」

「……ありがとうございますっ。絶対に大切にします」


 わたしがそう言うと、赤坂さんは顔を背けて歩き出した。

 慌ててついていきながら封筒を開けて中の写真を覗き見る。


 不格好な程に表情の硬いわたしの隣でぬいぐるみを持って柔らかな表情を浮かべている赤坂さん。


 ……わたしのスマホに入っている写真の存在も思い出して、私は密かに小さく拳を握っていた。

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